浦臼町議会 平成29年第2回定例会 2017年6月20日
平成31年に開町120年を迎えるが町史及び記念事業について
2017年6月20日、浦臼町議会の一般質問で、小松正年議員が「平成31年に開町120年を迎えるが町史及び記念事業について」質問し、町長 斉藤純雄が答弁しました。
- 質問者
- 小松正年 議員
- 答弁者
- 町長 斉藤純雄
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
件名は町のサイトの一般質問の一覧の表記です。
質問 8番 小松正年
議長のお許しをいただきましたので、第2回定例会におきまして、町長に質問をさせていただきます。2年後の平成31年に、開町120年を迎えるところであります。浦臼町の町史は、過去20年史、50年、70年、100年の4回発行されています。120年の節目に町史を編さんすることは、本町の歴史を明らかにし、貴重な歴史資料を後世へと伝えていくことで、今後の町づくりに活用するほか、町民の皆さんの郷土に対する理解と愛着を深めることを目的とするものであります。100年から20年間の町史の編集、編さん委員会を組織すべきと考えますが、町長の考えを伺います。また、120年の式典及び記念事業をどのようにするのか、町の考えをお伺いします。
答弁 町長 斉藤純雄(町長は2020年3月まで)
小松議員のご質問にお答えをいたします。明治32年7月15日に浦臼村が誕生して以来、平成31年には開町120年を迎えます。また、明日21日には、徳島県より開拓に入られた友成士壽太郎氏の没後100年の法要が金剛寺で営まれますが、開拓先人のご労苦等尊い歴史を今に伝えるなど、町史編さんの意義については、議員と考えを同じにするものであります。これまでの町史編さんについては、開町20年、50年、70年、そして100年となっており、ほぼ30年を経過ごとに発行しているところであります。これらのことから、次の町史編さんについては、平成41年に迎える開町130年の記念の年にと考えているところであります。また、120年の記念事業などについては、近隣の昨今の流れなども参考にしながら、華美にならないように、普通の記念式と、記念事業についても、既存の事業に冠をつけるなどで実施したいというふうに考えております。以上でございます。
質問 8番 小松正年
大変ちょっと残念な感じを受けております。今、答弁の中に、これを踏まえてと、次の町史編さんについては平成41年にということで考えを述べられたわけなんですけれども、普通に考えて、小学生に算数の問題を出して、20、50、70、100と、次は何ですかと聞きますね。そうしたら、小学生の答えは120と普通言います。20年、30年のこの規則性を考えて、答えは普通そういうふうになると思うんです。それと、ここに100年史、きょうこれ事務局のなんですけれども持ってきてみました。1600ページあります。これを編さんするのに、足かけ9年かかったと書いてありますけれども、私はここまでのものをつくれと言っているわけではなくて、100年から20年間、その間の歴史の内容を記する部分で、編集する内容については、時間的なものが今後2年間の中でできるんじゃないかと、そういうふうに思っていますし、一番大事なのが、この100年史、編さんされたそのときの反省というか、次は120年ですねという話があったそうです。そういう話を聞いております。また、110周年のときも、これは岸町長時代でしたけれども、このときにも、町史については120年に行いましょうという話を私も聞いております。そういうところから、今の答弁で、これを踏まえて次の平成41年、30年後にしましょうというのは、どうも納得いきません。まして、この100年史、町長、自分で編さんの委員になっていますよ。ど真ん中にいた人です。これはやっぱり、これを期待している町民も数多くいるんです。それに対して、そういう納得のできる答弁だと私は思っていません。これもう一度、このことについて再質問させていただきます。
答弁 町長 斉藤純雄(町長は2020年3月まで)
町史編さん、編さん業務というのは、議員おっしゃったように、やっぱり10年単位で編さん室を設けて編さん委員さんを頼んで、かなり時間がかかるものであります。もう2年後の120年に、いわゆる町史編さんというものを出すには、時間がないということも理解をされると思います。私はいわゆるダイジェスト版的なものは、何か形を変えますけれども、そういったものは出せるかなという思いでおりますので、120年については、そういうことで進めていきたいと。そして、130年のときには、今お手元にあるような、少し厚いものをつくるような形になるのかなというふうに理解をしているところであります。以上です。
質問 8番 小松正年
今、ダイジェスト版というお話がございました。ちょっとどうしてもこの部分で、当然120年にはこういうものができるのだろうという期待をされていた町民がたくさんいますし、その当時かかわった人もそういうふうに思っていると思っています。その人方に納得していただけるような、今の答弁ではなかったとは思うんですけれども、時間的な、物理的な問題、そういったものも考えてという部分では、この部分はやっぱり町長、どうしてもかかわっていた真ん中の人なんですから、もうちょっと早目にやっていただきたいなということで思います。三つ目の質問なんですけれども、今答弁の中に、記念式、それから記念事業ということで質問させていただいておりますが、華美にならないようにと、この時代、どこの町もそういったことで余り派手にならないような風潮で今もやっているのはわかっておりますけれども、記念事業、これ何か形として残るもの、そういったものが一つでもあればいいかなというふうに思っています。単に今までの事業を冠をつけて、120周年記念何とか運動会とか、そういったことじゃなくて、形に残るものを一つ考えていただきたいなということで。私の質問の中に、町づくりのために活用する部分でこの町史はあるんだよと書きました。ここの中に、これコラムでこの中に入っているんですけれども、鶴沼神社の桜ということでちょっと書かれています。これは、あの鶴沼神社は昔すごく桜の名所で、この近隣でも有名な名所となっていました。今はちょっと寂しいんですけれども、昔はかなりの人でにぎわって、名所として浦臼町の名もはせたというふうに思っていますけれども、これも単に自然に生えた桜ではありません。過去にいろんな方が、ここでは鶴沼の青年団の方が何十年にもわたってササを刈って、そして、そこに桜を植えていったと、そういった歴史というのがあります。私はこういうものも、一つこの中を読み取って、記念事業の中で桜を120本植えようとか、そういったものを何か一つ残していただきたいなと。あの鶴沼のあの一帯を、観光の拠点にするという考えもグランドデザインでこれから考えていく過程にあるんですけれども、そういうのも含めて、あそこにもう一度浦臼町の名所をつくっていただきたいと。桜のそういう名所になるような、そういったもの、昔の浦臼町に戻していただきたいなと、そんな感じを受けております。桜にこだわりませんけれども、そういった中で、一つ何かそういう形に残るような、そして、浦臼町の存在が誇れるような、そういったひとつ事業を行っていただきたいなということで、最後の質問にさせていただきます。
答弁 町長 斉藤純雄(町長は2020年3月まで)
今言われたことも重々理解をしておりますので、何かこれからそういった事業を検討していきたいというふうに思います。なお、最初から私がその町史の中にどっぷり入っているというのは、間違いだと思います。私が平成11年に来て、100年のときにはもうそれができていますので、私10年間教育にいましたので、名前は入っているかもしれませんけれども、全然どっぷりつかっていないということで、ご理解いただきたいということでございます。