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士別市議会 令和3年第4回定例会 2021年12月15日

アイヌ文化と士別について

2021年12月15日、士別市議会の一般質問で、国忠崇史議員が「アイヌ文化と士別について」質問し、教育長 中峰寿彰が答弁しました。

質問者
国忠崇史 議員
答弁者
教育長 中峰寿彰

議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。

件名は市のサイトの一般質問の一覧の表記です。

質問 12番 国忠崇史

3つ目のテーマとして、アイヌ文化と士別市について取り上げます。士別市史なり、口承、口で伝えた士別の歴史では九十九山の由来となった屯田兵の開拓から始めるのが通例となっていますが、それ以前にも士別の住人はいたのであります。アイヌ民族であります。ニシパコロという人については市史にも記述がありますが、それだけでなく、松浦武四郎、近世蝦夷人物史です。天塩日誌でありませんでした。松浦武四郎、近世蝦夷人物史に描かれたチュヒリカという女性であります。複数のアイヌ民族が確認できるわけであるから、どうも士別に小さな集落はあったようであるが、どこまで究明されているのでしょうか。今のどの辺がアイヌコタンだったのか。また、夏だけなく冬もコタンは維持されていたのかどうか。分かる範囲でお答えください。次に、最近、私はウポポイに行ってきました。札幌圏で随分ウポポイの宣伝はされているようで、札幌ナンバーの車が多く、人も多く詰めかけてにぎわっていました。さて、ここは国立施設でありますが、特徴的なのは、かつての博覧会などでの展示の反省からか、私たちアイヌは、という表現が貫徹されていることです。翻って本市のアイヌを見る視点も、彼らではなく、私たちに変わっていくべきではないかと思います。つまり、アイヌ民族の生態とか人骨を提示していたかつての方法から、アイヌ民族が自己主張する空間へと変わらなければならないということです。士別市立博物館などで、そういった展示形式を取ることは可能であるかどうか。まずこの点、お伺いしておきます。 (降壇)

答弁 教育長 中峰寿彰(教育長は2023年3月まで)

ただいまの御質問にお答えいたします。幕末の探検家であり、特に天塩川流域にも足を踏み入れ、北海道の名づけ親でもある松浦武四郎が安政4年、1857年に天塩川流域を踏査した際の記録を紀行文、天塩日誌として記していますが、その中で武四郎が士別を訪れた際のことが紹介されています。また、お話しのとおり、チュヒリカについて、同じく武四郎が記した、近世蝦夷人物史の中に記述がありますが、このチュヒリカは現在の士別市北町付近に当たる士別市の字ウツに居住し、子熊2頭を飼育しながら漁や狩りをして生計を立てていた一方、近所に住んでいた身寄りのない老婆や病気で動けない男性の世話をするなど心優しく、たくましい女性として紹介されています。そこで、士別市におけるアイヌ民族の集落、いわゆるコタンがどの辺りにあったのかとの御質問がありました。天塩日誌によれば、武四郎が調査に訪れている際に、現在の中士別町基線の天塩川沿い辺りに当たるサッテクベツ、この場所を2度にわたって宿営地として利用したとされており、その付近にこの集落を取り仕切っていたニシパコロが居住していたとの記述があります。河川改修や農業土地改良事業等によって地域、地形が変わっていることなどもあり、多少正確性には欠ける部分もありますけれども、明治29年頃まで、その地に居住していたとされているところです。しかし、冬もコタンが維持されていたかどうかについては、残念ながら記述には残っていないなど確認ができない状況にあるため不明です。次に、ウポポイにあるようなアイヌ民族に関する展示形式についてのお話がありました。白老町に整備された民族共生象徴空間、通称、ウポポイは、アイヌ文化を復興、発展させる拠点として、また、将来に向けて先住民族の尊厳を尊重し、差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴として、昨年7月に国によって開設されました。現在、士別市立博物館では、江戸時代に士別に居住していたアイヌ民族の紹介や当時使用していた道具や衣服などと併せ、大正時代のものとされている士別のアイヌ民族の写真などの資料約30点を1階フロアの歴史展示コーナーで常設展示しています。また、近年ではアイヌ民族をテーマに、平成30年度には北海道命名150周年にもちなんで、武四郎が見たアイヌの世界と題した特別展を、また、令和2年度には、ウポポイの開業を記念した、アイヌ民族の歴史と文化展を開催しており、その中で松浦武四郎の事績を紹介するとともに、武四郎が記録した天塩川流域のアイヌの生活の紹介に加えて、アイヌ民族の歴史や文化に関するパネルと実物の資料展示を実施しました。そこでお話にあった、私たちという表現での展示形式についてです。先ほど申し上げましたように、ウポポイは民族の多様性や共生を象徴する空間としてアイヌの歴史や文化に特化した施設であり、そこには実際にアイヌの直系の方々もいらっしゃって、歴史、文化を紹介するなどのことが行われています。一方、本市の博物館は、常設展示内での士別市の開拓前史コーナーの一部としてアイヌ文化を紹介しているところであり、ウポポイのようにアイヌ文化やその歴史などに特化しているものではなく、その内容や関わりもウポポイほど深いものではないことから、私たちという1人称での表現で紹介することは、現状ではなじみにくいものと考えています。一方、このような博物館での展示以外にも、士別小学校が昨年度から北海道ふるさと教育・観光教育等推進事業の指定校となっていることを受け、アイヌについての出前講座を行うなど博物館学芸員が展示以外にもその活動に関わっています。また、本市出身の学芸員で国立アイヌ民族博物館の研究学芸部長を務められている藪中氏からも、本市博物館活動に関わって可能な限り協力いただけるとのお話も頂戴していますので、今後においても引き続きアイヌの歴史や文化等を学習する機会の確保・拡充や特別企画展示などの活動の充実を図ってまいります。以上申し上げまして、答弁といたします。 (降壇)

質問 12番 国忠崇史

この問題に関心を持ったのは、私ごとですけれども、学生のときに石川県の金沢に行っていたんです。どこに行っても前田藩がどうのこうのとかとあるわけです。あるとき地元出身の友達から、その頃、士別ではどうしていたのと聞かれたんです。それで、あっと思って。いや、その頃はアイヌの人がいたとは思うんですけれどもとしか答えられなかったんです。だから、そこら辺は資料を整備しなきゃならないという気はすごくするんです。再質問なんですけれども、要は直系の人々がいないというのは、そのとおりだと思うんです。だから名寄の北国博物館は、直系、北風磯吉さんがいて、それで非常にアイヌ文化も収集なんかもされていたし、展示も充実している。中学校の副読本の、アイヌ民族:歴史と現在にも、一番後ろのところにアイヌ資料を展示している博物館等で北風磯吉さんの事績がある名寄の北国博物館が紹介されています。だから、要は士別市も地元にいたことはいたんだから、何か資料を展示して、このラインナップに入るべきだということが言いたいんです。なかなか直系の人がいないということは、今もう士別市では、いわゆるアイヌ民族だという人は確認できないということであるんですか。それとも何か直系の人が名のり出ないというか、そういう事情があるんですか。いかがでしょうか。

答弁 教育長 中峰寿彰(教育長は2023年3月まで)

国忠議員の再質問にお答えいたします。お話がありましたように、歴史、史実的な部分も含めまして、私ども博物館の中で確認できている範囲は、先ほど申し上げましたように展示もさせていただいておりまして、北国博物館はそういった事実確認もされている、あるいは直系の方がということでありますので。博物館協会等々の部分ですとか、あるいは、先日ウポポイの中で展示していたパネルは外されたそうですけれども、その中では名寄博物館は出ているけれども士別の博物館が載っていないという、そういう状況もあったそうです。ただ、その辺りも、言わばこの博物館関係の団体であれば、アイヌ民族に関するところでの理解といいますか、押さえ方、把握の仕方が、それこそ線引きじゃないですけれども、どの程度というところで判断されたのかなと思っています。最後にお話しのありました、そのアイヌの直系の方について、これ正直言って分からないという状況です。言わばいらっしゃるということが確認できていないということですので、そこは私どもも今のところたどりようが、これはないのかなと。これはある意味、いろんな方の思いもありますから、そこはある意味尊厳として捜すようなことは逆にすべきではないと思っていますし、そんな中で確認ができていないと御理解をいただきたいと思います。引き続き、今お話しのあったようなこともそうですし、あと来年ですけれども、士別市の郷土研究会が例えば兼内にありました武四郎が踏査した記録、それにはアイヌも関係してきますので、そういう部分だとかも含めて、今の掲示板、見づらくなっているものを直していただけるような話もありますので、そういう団体と、それから行政も連動しながら、きちんと歴史、特にアイヌがいらっしゃったということは間違いなくありますので、それを押さえて今後も臨んでいきたいと、このように思います。以上です。────────────────────────────────────────

出典:士別市議会 令和3年第4回定例会 2021年12月15日 議事録 PDF(32ページ) 間違いを知らせる