足寄町議会 平成29年第2回定例会 2017年6月28日
平和な社会を築く主体的で自立した人格の形成を目指す教育行政
2017年6月28日、足寄町議会の一般質問で、田利正文議員が「平和な社会を築く主体的で自立した人格の形成を目指す教育行政」について質問し、教育長 藤代和昭が答弁しました。
- 質問者
- 田利正文 議員
- 答弁者
- 教育長 藤代和昭
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
質問 7番 田利正文
2番目ですけれども、平和な社会を築く主体的で自立した人格の形成を目指す教育行政についてということについて、伺いたいと思います。1点目ですけれども、中学校の職場体験で自衛隊の駐屯地に行っている、あるいはショッピングセンターやイベント会場で自衛隊が装甲車を展示し、子供たちに制服を試着させて記念撮影をしている、職場体験に来た中学生に模擬ナイフを持たせて自衛隊式の格闘訓練をさせていた、知らない間に自治体が自衛隊に隊員リクルートのための個人情報を提出していたなどのことが全国で起きています。少子高齢化と進学率の上昇などで、年々隊員の確保が困難になっているという背景があるとともに、自衛隊が組織的な方針を持って意識的に隊員の確保に動いているということだというふうに思います。年末ぎりぎりの3月31日、学習指導要領の改訂が行われ、2020年から順次実施されることと関連して、以下のことについて足寄ではどうなっているのか、どう考えているのか、どう対応していくのかについて伺います。1点目、中学校体育の武道の選択科目の一つに銃剣道が加わったことについて。二つ目、札幌の中学校で陸上自衛隊高等工科学校のパンフレットが、学校を通して配布されたことについて。三つ目、文部科学省は2020年度から外国語、英語ですけれども、授業を小学校3年生に前倒しするとしており、3年生から6年生については、現行より授業時間が年間35時間ふえることになることについて。四つ目、持ち物スタンダード、あるいは「○○スタンダード」など学校スタンダードについて。5番目、国が主導する道徳教育について。以上であります。
答弁 教育長 藤代和昭(教育長は2022年6月まで)
教育委員会から、田利議員の平和な社会を築く主体的で自立した人格の形成を目指す教育行政についての一般質問にお答えいたします。平成29年3月に小学校及び中学校の学習指導要領の改正が告示され、小学校においては平成32年度から、中学校においては平成33年度から全面実施となります。主な改訂事項は、道徳教育の充実や外国語教育の充実などであり、小学校中学年で外国語活動、高学年で外国語科が導入されることになります。1点目の、中学校体育の武道の選択科目の一つに銃剣道が加わったことについてですが、現行学習指導要領から武道が取り入れられ、基本的に柔道、剣道、相撲の中から選択履修することになりますが、地域の実情により、それ以外の武道も選択することが可能となっています。本町は柔道を中学校1年生、2年生で実施しており、畳の整備や柔道着も公費でそろえています。銃剣道が加わったことについては、地域や学校の実態に応じて選択されると考えています。2点目の、札幌の中学校で陸上自衛隊高等工科学校のパンフレットが、学校を通して配布されたことについてですが、札幌市教育委員会の判断であり、詳細については存じませんが、適切に判断されたのでは思っております。本町においては、資料の配付依頼はございません。3点目の、文部科学省は2020年度から外国語の授業を小学校3年生に前倒しするとしており、3年生から6年生は現行より授業時間が年間35時間もふえることについてですが、小学校における新学習指導要領は、平成32年度、2020年度より全面実施となります。中学年の外国語活動については、年間35時間、高学年の外国語教育については、現行の年間35時間から70時間となり、授業時数の確保が大きな課題であり、日課表の調整、長期休業の短縮、総合的な学習の時間の活用などが考えられますが、本町としては足寄町生涯学習研究所において、指導内容や時数も含めて検討するよう指示しており、方針を受けて平成30年度から2カ年の試行期間として町内小学校で実施していきます。4点目の、持ち物スタンダード、「○○スタンダード」などの学校スタンダードについてですが、スタンダードとは児童生徒と学校との約束事であり、本町では各小中学校で学校教育目標、校則等で約束事を定めており、新たに学校スタンダードという形で明文化する考えはございません。5点目の、国が指導する道徳教育についてですが、従来の道徳の時間から平成30年度より、文部科学省検定済み教科書を使う特別の教科道徳に移行します。本町においては、道徳の教科化を見越し、平成27年度より学校教育振興会の主要研究テーマとして位置づけ、実践研究や事例研修を実施してきました。また、各学校では、道徳推進教諭を中核として、校内研修の充実に努めてきたところです。本格実施に当たっては、新学習指導要領の内容に沿った授業を実施していきたいと考えております。以上、田利議員の一般質問に対する答弁とさせていただきますので、御理解を賜りますようよろしくお願いをいたします。
質問 7番 田利正文
今の回答で、1点目、銃剣道が加わったことについては、地域や学校の実態に応じて選択されると考えているというふうに回答でありますが、これだけで大丈夫なのかなという思いがあるのです。なぜかというと、銃剣というのは私は見たことありませんけれども、戦時中陸軍が人を殺すために使った武器ですよね。それを木銃であれ何であれ、旧日本軍が戦闘訓練で行われていたものを、今の学校現場に持ってくるということ自体は日本の平和憲法のもとではあり得ないのではないのかという思いがあるのですけれども、その辺についてはどうでしょうか。
答弁 教育長 藤代和昭(教育長は2022年6月まで)
武道そのものの経緯や歴史について、人それぞれに捉え方や考え方があると思うのですが、学校で実施する武道につきましては、いわゆる法的拘束力がある学習指導要領の内容に示されている中から学習をし、選択履修をすると、そういうふうになっておりますので、銃剣道につきましてもそういうことで、武道の一つとして位置づけられておりますので、御理解をよろしくお願いをいたします。
質問 7番 田利正文
今の答弁よくわかるのですが、柔道、剣道などの武道とここでいう銃剣道とはちょっと質が違うのではないでしょうか。その辺はどうでしょうか。もちろん学習指導要領に教育委員会や学校が縛られるというのはわかりますよ。わかりますけれども、教育長としてその辺の判断はどうなのでしょうか。
答弁 教育長 藤代和昭(教育長は2022年6月まで)
藤代個人としては私見、これ個人としては、それぞれの武道についての、種目についての考えがあるのですけれども、あくまでも公共の学校として、先ほど言いましたように、学習指導要領の中で経緯経過があって、それなりに武道として認められた9種目の中からチョイスすることができるということになっておりますので、あくまでもそれ以上でもそれ以下でもないと、そういうことですので、賢察して御理解を願えればなと思っております。
質問 7番 田利正文
足寄町の教育委員会としては、銃剣道を選ぶ考えは今のところ持っていないというふうに捉えていいでしょうか。
答弁 教育長 藤代和昭(教育長は2022年6月まで)
基本的には、先ほど何回も申し上げましたように、学習指導要領に示されている中からチョイスをするということですから、必ずしもあり得ませんよと、そういうことはありません。学習指導要領の中でも、に基づいて各学校では教育課程ということで、年間のそれぞれの学校の指導内容や時数を決定するのですね。ただ学習指導要領についても、もとい、教育課程についても、学習指導要領で四つの条件があるのですが、例えば、そのうちの一つに地域の実態や学校の実態を踏まえる。そういうのがあるのですが、そういう地域や学校の実態が例えば銃剣道が盛んになり指導者もいて、そういう地域に要望もあるというのであれば当然されは変わってくるケースもありますけれども、今のところそういう状況下にありませんので、今のところは銃剣道を学校で学習するということはないのかなと思ってます。これはあくまでも、校長の専管事項ですので、申し添えておきますので、よろしくお願いをいたします。
質問 7番 田利正文
この質問をするに当たり、この場に立ってみて改めてちょっとまずかったかなという思いがあるのですけれどもね。それは元教育のプロフェッショナルだった教育長に素人の私がこんなこと聞いていいのかなという思いがありましてね、ちょっと今悩んでいるところなのですけれども、立ってしまった以上しようがないですからね、やるしかないのですけれども。いろいろ読んだり調べたりしますと、今教育長が言われたとおり、学習指導要領で最終的に判断するのはそれは学校長だといいますけれども、その上に足寄教育委員会があって、道、北海道教育委員会があって、文科省があってと全部流れが来ていますよね。その中でやるときに、いや、足寄はそうしたら銃剣道はやりませんというふうに判断できるのかなという思いがあるのです。たまたま銃剣道の話ですけれども。今教育長は、校長の判断ですからと言われましたけれども、校長がそういうふうにすぱっと判断できるものだろうかということ、ちょっと聞きたいのですけれども。
答弁 教育長 藤代和昭(教育長は2022年6月まで)
御質問にお答えします。学校の教育課程というのですか、それの最終的な権限者は教育委員会でございます。あくまでも校長に教育委員会が委任をしていると、学校管理規則に基づいて委任をしていると、そういう状況にありますから、最終的な判断はこれ教育委員会ですけれども、実際機能するとしてはやっぱり子供たちの実態だとか、先生方の専門性だとか、あるいは教師そのものが持っている仕事の創造性だとか、主体性等々加味しながら校長が決めて承認するという形のほうが一般的なのですので、そういう意味で先ほど申し上げたので、あくまでも足寄町教育委員会として銃剣道は武道としては認めませんよ、選択しませんよと、そういうことではなくて、現状の状況、現状下では銃剣道の選択というのはなかなかそういう現実的でないのかなと、そういう押さえでおりますので、御理解をよろしくお願いいたします。
質問 7番 田利正文
わかりました。本当は銃剣道は認めたくないという意見を、答弁欲しかったのですが、それはいいです。3点、4点、5点目をまとめてちょっと似通っているというか、関連するものですから、再質問したいと思います。それで、細かく聞くより先に、このことについてちょっとお聞きしたいのです。今の学校の現場で、先生方が本当に自由に、自分の担任の担当しているクラスの子供たちのまとめるためにどうするか、あるいは自分が教える教科の学習をどういうふうにして組み立てるかということを、自由に議論し組み立てられる状況になっているかどうかということが一つなのです。それで、こんな文章があるので、ちょっと御紹介して教育長の見解をお聞きしたいと思います。足寄でいえば大誉地の小学校から足寄小学校に来たという感じでしょうけれども、これは市の話ですから、もうちょっと大きいと思うのですね。小規模校から大規模校に転勤されたある小学校の先生が、自分の1学期の様子をまとめたレポートがあるのです。このままでは自分を見失ってしまうというぎりぎりの気持ちで書かれたものなのです。ちょっと読みますけれども、着任後1週間もすると職員室の空気が冷たく、重く、息が詰まるような違和感を覚えた。教室の雰囲気もとてもさわやかと言えるものではなく、無表情、無関心を装いながら、それでも集団になると次から次へとトラブルを起こす子供たち。日常の仕事は、費用対効果を考えたらやるべきでないとはっきり言える種類のものが幅をきかせ、肝心の子供たちのことに時間を使えない。子供の状況も厳しく保護者対応が頻繁に起こる中で、1学期はほぼ連日退勤は夜の9時から10時だった。そうした状況の中にいた自分と周りの先生方の心境を書いているのですけれども、さらに続いて、目の前のことだけで精いっぱいになって、視野が狭くなっていくと。自分以外のことを考えるのがおっくうになり学校以外のことは全て遠のいてしまうと。行事も教科指導も職員会議も子供不在で流れていく。子供にとって、どういうのがいいのかという議論をやり出すと、時間が必要で、足りなくなることから歓迎されないと。それよりも今やるべき仕事を早くこなす、そのことのほうが優先されていくと。自分を守ることに必死で、相手を思いやる余裕がなくなる。誰から縛られているわけでもないのに、自由な実践ができなくなっている不思議な現象、実践がマニュアル化している。深く考えず、場当たり的な実践になっている。そのほうが楽なのだと。おかしいことにも抵抗するだけの気力が伴わないと。いつの間にか管理されている状況に埋没していると。穏やかな上意下達の管理教育が貫徹していると表現すべきかと、クエスチョンマークつけてます。上からの締めつけが強ければ職員の反発を招くのだが、管理職は職員の大変さには共感していて理解を示している「いい人たち」なのだと。しかし、一方では超過勤務は放置、夏休み中も研修と報告書作成のオンパレード、通知表も形式が重視され、たくさんの附箋が張って返ってくる。教職員の大変さを知っていながら、市教委、ここでいえば足寄ですね、市教委の指示には見事なほど、括弧ついてますけれども、誠実に対応すると。教員たちは言われたことには忠実で、自分の置かれている状況は仕方のないものと割り切って仕事を進めていると。こんな話を紹介すると、いや実は私のところでもそうだと、私の学校と本当同じだと。最近は、学校のチャイムが鳴ったら憂鬱になるんだというような話をする人がいたそうであります。そして、以前はそういう子供というのは、一クラスに一人か二人いればいいと、出会うのが当たり前だったのが、最近は一クラスにはそういう子供たちが数人はいるという状況になってきていると。ある先生が、思い余って親御さんに、学校への相談の電話はせめて8時までにしてくれませんかと言ったのだそうです。そうすると、親から激しいクレームが寄せられたそうです。自分たちのほうがもっと夜遅くまで働いていると。夜8時前までに電話なんかできるかという思いだというのですね。こんな現象の原因というのは、最近の親や子供たちが余裕を失っていらいらして攻撃的になっているのではないかというふうに思うのだというのですけれども、そういう状況というのは足寄でもあるでしょうか。
答弁 教育長 藤代和昭(教育長は2022年6月まで)
結論的に申しますと、そこまで極端な例はないのかなと思っております。今の議員の御質問なのですが、いろいろな局面からいろいろな形で捉えなければならないなと思っているのですが、簡単に言うと、非常に管理が強くて、そして先生方が勤務対応が非常にぎくしゃくしているのではないかと、大変な状況下にあるのではないかと、そうおっしゃったのではないかなと思うのですが、まず一つ目、教員の職務の特性として、非常に創造的で主体的だということなのですよ。したがって、いつまでやっても切りがないのですね、時間には。逆に言うと、裏返しで言うとやらなくてもいいという、そういう部分がひとつあるのですよね。それから、いわゆる教育、子供たちの教育ですから、ましてや義務教育ですから、子供たちはいろいろな失敗や間違いやトラブりますよね。そういうことが、本当に胸を張って堂々とまかり通るような場でなければならないのですよね。したがって、それを教育していくというのは、非常に時間がかかることなのですよね。そんなことで、どうしても昔から教員というのは、なかなか定時に終わらなくて時間外勤務が多くなると。昨今マスコミでも報道されているように、いわゆる月100時間を超える過労死に近いあれについては、中学校あたりだったら6割くらいにもなっている。ちょっと前だったら8割くらいもある。そういう厳しい状況下にあることも事実なのですよね。そんな中で、足寄町教育委員会としても、先ほど議員が御指摘のような、そこまでの過酷な例はないというふうに捉えていますけれども、勤務時間の削減に向けたさまざまな取り組みを校長会議、教頭会議を通して、これは道教委もそうですから、からも下りてきてますから、言っているのですけれども、指示しているのですけれども、例えば月2回くらいの定時出勤設定だとか、あるいは週1回の部活動の休養日だとか、そのほかに学校としては校務分掌の見直しとか会議のスリム化だとか、そういうことをいろいろ図っているのですけれども、決定打がないのですよね。なおかつ、勤務時間の場合は、これは学校の職員の場合、基本的に勤務時間はないという、そういう捉え方なのですね、法律上においては。ただし、この4条件と俗に言うのですけれども、四つの場合、例えば修学旅行なんかの学校行事がある場合等がそうなのですが、とりわけその中でも非常に時間が割かれるのは、緊急的に臨時的に生徒指導上の問題が入ったときなのですよね。これについては本当に場合によっては、問題によっては、もう何日も朝方までかかるということあるのですよ。例えばそれは、生死にかかわる問題などあった場合についてですね。そういうことで、非常にいわゆる人格形成を陶冶していく、そういう年端のいかない子供たちを目の前にするわけですから、なかなか思うような事務的なような作業ばかりではいかないという現実にあるので、勢いこの勤務時間外が多い。多いからいいというのではなくて、今そういうことで、健康の、心身の健康の問題だとか、あるいは家族の犠牲だとか、そんなことも非常に学校の中で、これは教員だけでないと思いますけれども、そういうある種の克服しなければならない問題が表出されてきておりますので、一層これから実効性のある、先生方が勤務の加重な負担にならないような軽減策を校長会議、あるいは教頭会議を通して、協議連携を図っていかなければならないなと、そんなふうに考えておりますので、よろしくお願いをいたします。
質問 7番 田利正文
教育新聞に載っていたのですけれども、民間企業出身の方を今度は学校や教員委員会の、私なりに紹介すると正しいかどうかわかりません。無駄を省く、無駄なところをなくしてスリム化して、もうちょっと残業時間を減らすということにするために、そういう人を雇って指導に当たらせるということを文科省なのかな、どこかでしたという記事を見ましたけれども。例えば今教育長が言われたように、先生方に時間がないというぐらいあると、そうしたらそのときに払う時間外手当を使って、民間委託したらどうだと、その方は言うのですよ。その民間から来た方がそうやって言うのですけれども、そんな方法だってあるのではないか。そうして、学校の中で教員としての専門性を発揮できる場をしっかりとやっぱり保障してあげると。でないと、結局は教員が教員としてやるべきこと以外のことに、すごく時間を割かれているのではないのかと。それはその人いわく、民間でもほかに委託してでも、それはできるのではないのかと。そうすればもっと先生方がもっと熱を入れて自分たちの自分のクラスの子供たちのこと、あるいは保護者との対応のことなどについても時間をとれる、自分なりにもうちょっと具体的に考えることができるのではないかというのですね。そんなのがひとつありました。それで、学校現場に教師集団と、教育集団として、例えばの話ですけれども、あすの私の国語の授業をどうしようかということで、ここで迷っているのだけれども、あるいは校長先生から保護者の対応について、あなたここ間違ってますよ、こういうふうにしたほうがいいですよとかと言われたのだけれども、どう考えたらいいだろうか、なんてことになった場合に、それを学び合えるというか、教え合えるというか、議論できる場なんていうのがあるのでしょうか。ということは、例えば小学校の運動会に文教委員長の代行で行ったのですけれども、校長がいらっしゃって、ちょっと話しする時間があったのですけれども、中堅の先生が少ないという、20代の若い先生が多い。そうするとやっぱりベテラン教員がいないということだと思うのですよね。そういった中で、足寄の場合はどうなのか、ちょっと私わかりませんけれども、そうなった場合に、今言ったような、本当にこんな問題があるのだけれどもといったことで、教え合えるとか、学べるとか、指導してもらえるとかいうようなスペースというか場所というのでしょうか、あるいは、職員会議というのでしょうか、そういうのがあるのでしょうか。
答弁 教育長 藤代和昭(教育長は2022年6月まで)
お答えをいたします。とりあえず先ほどから申し上げてますように、今学校は非常に期待を背負って、先生方は非常に勤務状態が過酷な状況下にある、いい悪い別にしましてですね、それを何とかしなければならないという、そういう現況下にあるということについては、これは皆さん共通して理解しているところだと思うのですが、そこで、今、子供たちを、もっと言うと、学校を地域総がかりで支えようと、そういう仕組みが国段階のほうから下りてきております。いわゆる俗に言うコミュニティスクールなんかそうですよね。地域の人たちが、PTAの保護者だけでなくて地域の人たちが学校教育を側面から支えていこうと。そのことは、先生方の負担軽減にも陰に陽につながることだろうと思っているのですが、そういう今動きがあって、本町も今年度から行政報告しましたように、螺湾小学校でコミュニティスクールを試行実施をして、先行実施をしております。そういう組織があります。いずれにしましても、構造改革以来学校も、学校の構造改革ということで、開かれた学校ということで地域を含めて全てに先生方の意識や学校の実践を開こうということで、そういう流れになっておりますので、何かそういう町民の要望や意見等があれば、それを吸い上げる窓口は学校だけではなくて、例えば評議委員制度というのもありますから、評議委員の人でもそうですし、先ほど言いましたように地域運営協議会といって、コミュニティスクールを推進する母体になるのですけれども、そこでも吸い上げていけますし、実際そういう事例で地域運営協議会をつくって、校長から頼まれて、そして地域運営委員会の地域の委員長がその例えば不登校の家に行って、保護者と話してくるなんていう事例も北海道でも、そういう事例も見られることを聞いてはいます。そういうことで、その辺の状況、御理解いただければなと思っております。
質問 7番 田利正文
わかりました。ある地域においての学校の中で、職員会議を廃止したという学校があるというふうに聞いているのですけれども、その辺は足寄ではどうなのでしょうか。
答弁 教育長 藤代和昭(教育長は2022年6月まで)
職員会議の根拠は、学校管理規則に載っているのですが、これはあくまでも管理規則ということですので、その服務監督権者、市町村教育委員会がそういうことで学校の要望を受けてしませんよと言われたら、そういうことは可能ですけれども、実際、学校の勤務の特殊性からいいまして、共有化を図る、学校文化というのは一番あれはやっぱり会議を通しての共有化なのですよね。我々行政は同じ文字ですけれども、書いた文章を通しての共有化なのですけれども、学校の文化というのはどちらかというと、会議を通しての共有化を図ると、そういう文化をずっと長きにわたってきてますので、勢いその職員会議を廃止して、今流の電子機器を通して、そういう時間を生み出すということについては、いろいろな面から考えていかなければならないのかなと思っております。そういうこともあり得るということですね。御理解をお願いいたします。
質問 7番 田利正文
今は職員会議はあるというふうに。わかりました。こんなことがあるのですけれども、あるというか、聞いた話ですけれども、ある新任の小学校の先生が担任をしているクラスが、朝礼ありますね、そのときに子供並ばせる、そのときにびしっと並ばないということで、いわば管理職の方から注意を受けたと。それで悩んでいた。管理職の方、どういうふうに言ったかというと、初めが肝心だぞ、びしっと押さえて言うことをきかせるべきだというふうに言われた。でもそうやって並ばされている子供たちの表情はかたく閉ざされているというふうにその先生は感じているのですね。そんなクラスにしたくないと。子供との率直なつき合いを通じて、つき合いを通じてというか、大事にして和気あいあいとした人間、子供という人間と教師という人間とちゃんと触れ合える、そういうクラスをつくりたいと思って悩んでいるというのですね。もう一つは、ある若い先生は、自由奔放なクラスづくりで子供たちから慕われていると。いわば、よき姉貴分だというのですよ、女の先生なのですね。学校スタンダードに反していることが、発見されるたびに校長室に呼ばれて、校長から叱責と指導が行われると。そのたびにその先生は、わかりましたと言って、舌をぺろっと出して、笑顔でまた教室に帰っていって、また自由奔放なクラス運営をやるんだそうです。というふうな、自由な雰囲気があって、先生方が生き生きと活動できているのかなという思いがあったもので、その辺ちょっとお聞きしたいと思います。
答弁 教育長 藤代和昭(教育長は2022年6月まで)
学校ってある意味特殊な場で、基本的には集団で安全・安心に学んだり、育んだり、鍛えたりするわけです。したがって、そこには一定程度の規律だとか、秩序だとか、節度を守るための、いわゆる学習の決まりだとか、生活の約束事みたいな今でいう学校スタンダードというのですか、そんなものは私は当然あって必要なのだろうなと思っています。ただ、先ほど来申し上げましたように、学校というのは間違いが堂々と認められるような場所でないとならない、そういうある意味でのそういう場ですから、何といってもやっぱり土台石として、やっぱり子供たちの伸びやかさが保障される。そして指導者の、教師のいわゆる創造性だとか主体性だとか、そういうのがきちっと保たれている。そういう中での一定の約束事になる学校スタンダードというのは、やっぱり必要だと、そういうふうに思っています。先ほど議員が御指摘いただいたまっすぐ並ばされることで子供たちが、何というか、元気がないのか、それはちょっと違うのではないかなと、私は思っています。同時に、その指導にも手法がありまして、鉄は熱いうちに打てではありませんけれども、最初の段階で、いわゆるある種の社会性を陶冶するための集団訓練を最初の段階できちっとしつけるということは、これは当然のことなのだろうなと、そういうふうに押さえておりますので、その辺を含めて、御理解を願いたいと同時に、本町の四つの小学校と一つの中学校において、そういう何というか、ぎすぎすしたような教師と生徒の関係、たびたび指導訪問等で私も巡回しますけれども、そういう場面は校長からも聞いておりませんし、見受けられないと、そういうふうに理解をしておりますので、あわせてよろしくお願いをいたします。
質問 7番 田利正文
わかりました。足寄中学校の校長先生にお会いして、うちの生徒で何かあったら、直接俺らのところに来てくれという話をされたのですね。すごく頼もしかったのですが、それともう一つは、議長の代行の代行で大誉地の小学校の卒業式に参加させてもらいました。もう何十年ぶり小学校に参加、卒業式に参加したのですけれども、すごい感動的だったのですね。何かというと、卒業生一人です。送る子供たちが全員で卒業生のために歌を歌って、今度は返答で一人でソロで歌うのですよね。そして1年生から6年生までの子供全部一人一人の名前を挙げて、足寄町長がこうだったよとかといって、いいこと全部言うのですよ。最後は、先生一人一人の名前を出して、先生はこうだったと全部言うのです。先生の顔見たら、先生もうるうるしているのです。なるほどやっぱり小さい学校というか、に来るとこんなふうになっているのだという思いがありまして、先生のうるうる見ているとこっちもうるうるしそうになりましたけれどもね。そんなのがあります。それで、学校スタンダードは必要だと今おっしゃいましたけれども、例えばこんなのがありますね。研究指定校になったということで、若い先生が学習するところを校長なり教頭なりが見ると、見てその後、こういうことが問題だよとメモを置いていくと。そのメモの中にどんなことが書いてあるかというと、授業開始時間に机の上は筆箱と教科書、ノートだけにする。手を挙げるときは、はいと一回言って手を挙げさせる。発言している子供のほうに体を向かせる、ほかの子供ですね。それから、自分の意見の前に○○さんと同じで、あるいは違っていて、似ていてと、つけてから自分の意見を言う。机の中は、時間割の順番にそろえる。発言で立つときは椅子を引いてから立ち上がって、椅子を中に入れて、それから発言をする。ペア学習のときはお互いの目を見て話をさせる。などというメモが先生のところに回ってくると。子供の様子とか教材の扱い方とかは全然言ってくれなくて、何のための授業をしているのかと。メモや後で言われたことについては間違っていないと。確かにそうなのだけれども、何か違うのですよね。何か意味もなくいらいらするのですねと、この先生は言っているのですよ。その辺のところというのは、どうなのでしょうかと思って、教育長にお聞きしたいなと思った。
答弁 教育長 藤代和昭(教育長は2022年6月まで)
基本的にその問題につきましては、先ほど来学校スタンダードということで、議員の言われるところの学校にはある。そこまでこまくあるかどうかは、日本全国いわゆる義務教育の学校は大体そういう類いのものあると思います。あると思います。今のことにつきましては、基本的には個人の問題だなと思っているのですが、今いろいろな背景がありまして、言い出すとちょっと時間かかるのですけれども、学習規律というのが非常に学校では大事にしてやっています。点数とれば、わかれば、どんな態度をとっても、どんな言動をとってもいいのか、そうじゃない。例えば本町でもちょっと生涯学習研究所でたたいてもらって、そういう一定の学習の準備や約束事つくってもらいました。今各学校で徹底してやっています。私、非常に気になる一つに、今学校の先生もそうなのですけれども、鉛筆をまともに持てないのですよね。生徒もすごいのですよ。やっぱりこれは、日本語に残り姿が美しいなんていう言葉がありますけれども、やっぱりそういうきちっと靴をそろえるだとか、箸をちゃんと持つだとか、鉛筆をちゃんと持つという、確かに点数にはならないけれども、やっぱりこれは学んだ後のまさに教育文化なのだろうと、そういうことを残してやるんだろう。そういうふうに私個人的にも思っています。先ほども申しましたように、そういう規律や決まりに関するものは、でき得る限り最小限度にして、そしてその大事なものをみんなで、みんなで統一してやる。決して何でもかんでも一緒にする、画一ではない。統一性を持ってきちっとやる。あの先生は許すけれども、この先生は許さないよ。そういうことではなくて、そういう子供集団の人格形成に資するような統一性の指導については、そういう意味での決まりとか、学校スタンダードというのは必要だということ、先ほど来から述べているのですけれども、そういうことの一端ですので、御理解をよろしくお願いをいたします。
質問 7番 田利正文
いよいよ最後でなりますけれども、一番何か聞きたくない質問になるのですけれども。教育委員会あるいは学校にとって、学習指導要領というのはどういう位置づけになっているのでしょうか。先ほど教育長が、法律的な拘束力があるというふうに言っていましたけれども、その辺はどうなのでしょうか。
答弁 教育長 藤代和昭(教育長は2022年6月まで)
学習指導要領については、性格はこれは全国で義務教育ですから、皆さんのタックスペイヤーの税金を元にして、これは営んでいるわけで、したがって全国一律に、北海道の北であろうが沖縄の南であろうが、義務教育の生徒が機会均等の、教育の機会均等を保障する。さらには、全国一律的に北の子は同じ内容のときはできてないけれども、南の子はできる、それでは困りますので、一定程度の、全国的に一定程度の学力水準を維持する、こういう二つの側面が学習指導要領があって、いわゆるこれが学習指導要領の性格と言われているものですね。それに基づいて、各学校、年間の指導内容や時数を決めます。もちろんそのときに、その地域の実態もその中に幅としてあります。これが教育課程というのですが、学習指導要領については、過去これが法的に拘束力があるのかないのかということについては、最高裁で争っております。例えば直近でいうと、昭和51年の永山の学テ事件ですね。あるいはその前の福岡でしたか、福岡の伝習館の高校の問題だとか、そういうことで最高裁で学習指導要領については、必要かつ合理的なものについては、これは法的に拘束力がありますよ。そういう最高裁の判例があります。そういうことなので、市町村教育委員会としても、それに基づいて、その内容に基づいて、内容と指導の配慮事項とあるのですが、それに基づいて学習、教育課程を編成をしていると、そういうことですので、御理解をよろしくお願いいたします。
質問 7番 田利正文
この質問するに当たり、ちょっと調べてみたのですね。そうすると今教育長が言われたとおり、1976年の学力テストの裁判が起こされていて、それで最高裁の大法廷にかかっているのですね。そこで、判決が出ていて、学力テストの訴訟は負けてます。負けてますけれども、学習指導要領などについて、憲法19条、それから憲法26条について、最高裁の大法廷としては、こういうふうに考えますよというのが出ているのですよ。それ読むと、学習指導要領は法的拘束力はありませんというようになっているのですね、ある意味では。もう少し詳しく言ったほうがいいと、また時間がないと怒られるかもしれませんけれどもね、七つあるのですよ。その最高裁で示された中身、これは全ての日本全国の全ての学校や教育委員会に当てはまる、あるいは求められることだと思うのですけれども、学習指導要領体制という言い方もしますけれども、文科大臣の官報告示の掲示によって、法的拘束力の強化を指向しているというふうに言っているのですね。そのため、あたかも法律であるかのように遵守を迫る圧力が支配しているというふうに書いてあるのです。二つ目は、学習指導要領そのものを批判的な視点を含めて分析し、学校や教師集団が自分たちの頭で考えて、精選、選ぶということですね、選ぶ精選やつくりかえを行うことが難しくなっていると。三つ目は、その時点での教育政策に沿って、さらに強調点が特化されると。最近の例では伝統文化、国や郷土を愛する心、領土などに関する政府の見解に沿った主導などが求められると書いてある。四つ目、学習指導要領だけでなく、さらに細かい解説書、文科省作成の冊子に過ぎないものまでが学習指導要領と一体のものとして教育委員会、学校では扱われると。それから5点目、指導、それから指示のヒエラルキーの確立、その一方の流れは文科省、各都道府県、県教委、そして各自治体の教委、そして学校というふうな流れで来ると。もう一方の流れは、学校の中における校長、副校長、教頭あるいは主任教師、そして教員というふうな管理運営の上下関係であると。六つ目が、学習指導要領が事実上、その解説書を含めて教科書検定の基準、検定意見の根拠になっていると。七つ目、最後ですけれども、2007年実施されている文科省による全国一斉テスト、小学校6年生から中学校3年生の出題基準とされていると。その流れに沿って都道府県レベルの一斉テスト、さらには自治体レベルの一斉テストが実施されると。その結果、各学級の平均ってまず出されるようになって、学校や教師の評価への重すぎる数値として今は取り扱われているというふうにうたっているというか、出た判決の中身ということなのですが、いうふうになっているのですが、この辺についてはどうなのでしょうか。
答弁 教育長 藤代和昭(教育長は2022年6月まで)
大変難しい質問なのですが、まず冒頭申し上げておかなければならないのは、やはり日本のいわゆる文部科学行政の中で、学習指導要領については、これは法的拘束力があるという、これは大前提でここは揺るがないものだと思っております。もちろん、学習指導要領については、これは大綱的基準です。その学校の教育課程を収める大綱的基準と、こういう文言なのですよ。何をもって大綱的というのか。これは先ほど私申し上げましたように、このことは一日に必ずやりなさいよという部分と、このことについては学校裁量に委ねますよと。例えば選択する部分などがそうですよね。あるいは先生の専門性だとか、地域の実情だとか、こういうものを勘案して大綱的基準と言っているです。したがって、そういう行政のあれですから、法的基準なものについては、いわゆる学校教育法に基づいた施行規則で学習指導要領というのは告示されるのですよね。そういう意味での、最高裁の判例もあったように、最高裁の判例はいわゆる成文法と同等な対応ですから、そういう意味では法的。もちろん学習指導要領の指導の配慮等については、それはある種の行政指導ですから、行政指導ですから、行政指導ですから、それは完全に拘束があるとは言えない。そういう意味で、戦後この学習指導要領については、最高裁までも含めて、憲法学者なんかも含めて、いろいろ論議、論争があったところでもあることも事実なのですよね。ただ、はっきりしていることは、永山学テ事件でも最高裁判例が出たように、学習指導、文部科学大臣が告示をする学習指導要領については、これは法的拘束力がありますよと、そのことは明確に申し上げておきたいなと思ってますので、御理解を賜りますようよろしくお願いいたします。
質問 7番 田利正文
最後ですけれども、昔の話で申しわけないですけれども、学校が荒れた時期ってありましたよね、僕らが若いころですけれども。私が一番記憶に残っているのは、前にも言ったかと思うのですけれども、稚内の中学校だったと思うのですね。人殺し以外何でもあるとなんて言われた、事実かどうかわかりませんけれども、そんな話が流れたことがあって、民謡の伊藤多喜雄という歌手がいらっしゃるのですけれども、その方がその学校に行って、ソーラン節を教えると、踊りと歌と両方ですね。それで、子供たちが、これまでは学校に登校するときに、畑で仕事をしているお父さん、おじいちゃん、おばあちゃんがいても挨拶しないで帰っていきますよね、普通はそんなことないのかなと思いますけれども。それが両方から、地域の大人からも子供たちからも挨拶をするようになったと。頑張ってこいよ、元気で行ってこいよと声がかかる。ありがとう、おはようございますという返事をするというような関係ができてきて、その学校が荒れていたのが、おさまったというのですかね、ちょっと言葉はわかりませんけれども、そんな実例があったという、実例がありました。厚岸でいえばバラサン岬の高校ですか、で「バラサン岬に吼えろ」なんて本も出した先生もいましたけれども、そんな時代があったのですけれども、そういったことも含めて、今の学校というか、教育ですね、教育産業といったほうがいいのでしょうか、それを民営化、市場化するというシステムを考えているというような話もあるのですね。それは私は初めて知ったのですけれども、そうすると企業の所有するデータやノウハウとして管理されてしまうと。それには著作権が使われて、それを使うためにはお金を払わなければ使えなくなると。今は公立の学校でそういったいろいろなデータやノウハウ、教育のノウハウなりいろいろなノウハウを蓄積しているのだけれども、それを民間企業に委託すると、そういう実態になってしまうと。そういうことを今度は利潤を追求することのために使われるという、いわば教育産業ということになっていくというようなことを危惧しているという話もあるのですけれども、その辺のことについては、どうかなという質問を聞きたいと思います。
答弁 教育長 藤代和昭(教育長は2022年6月まで)
お答えいたします。社会の流れとともに、学校も変わってどんどん行くということは、これ御案内のとおりだと思うのですが、いつの時代もまず先に経済が先導をし、これは私の考えなのですけれども、経済が先導して政治がついていって、一番最後に弱いところに教育が、しわ寄せが来る。こんな形の中で来ているのかなと。そういう意味でいったら、まさにこの政治だとか、社会、経済のそういうあれを教育というのはもろに映す、一面は映すと。それがゆえに、教育の不易と流行というのは、そういうことから来るのだろうなと思っています。もちろん、教育の使命として、本当にいつの、どんなに時代や社会が変わってもしっかりするものは一緒だと。それと同時に今の現代の課題を映して、それを教育していくと、そういう両面があることは、これはそうなのですけれども、そういう流れの中で、3年くらい前の法改正ですか、学校もそういう高校だけでなくて、民間で経営できるように法改正はされております。ただ、先ほど来言ってますように、学校という特殊な場を捉えたときに、私はそういう一方的に効率だとか、効果だとか、いわゆるそういう、何というのですかね、商業化というのですかね、そういうものについては学校というものはなじむものではないなと、そんなふうに思っております。その辺も含めて、御理解を願えればと思っております。
質問 7番 田利正文
本当に最後です。学校の現場で教師と子供が人間的な触れ合いというのでしょうか、本当に気楽に触れ合えると、いわば管理命令で、さっき言った一列に並べ、びっと並ばなかったら、たたくことはないでしょうけれども、そういうことをするのではなくて、先生の意向をちゃんと子供たちに伝えられる、そういう技量というのでしょうか、教育技術というのでしょうかね、そんなことも含めて学校の教師集団の中で、いわば校長先生をトップとする主導力というのでしょうか、そんなことも含めて、きちっとやってもらいたいなという思いを込めて、あと最後に教育長の意見ちょっといただければと思います。終わります。
答弁 教育長 藤代和昭(教育長は2022年6月まで)
学校はそういう、学校そのものはそういうシステムなのですけれども、どんな学校も、やはりスタッフとラインが機能して初めてそういう教育効果が生まれると、これは変わらないものだなと思っておりますので、先ほど来申しましたように、やっぱり子供たちが伸びやかで、そして先生たちが前向きである。このことだけはどうしてもやっぱり学校、機能化するために大切なことなのかなと思っておりますので、これからもそういう観点にのっとって、教育行政を進めていきたいなと思っておりますので、御理解を賜りますようよろしくお願いをいたします。