赤平市議会 平成25年第2回定例会 2013年6月13日
教育行政について
2013年6月13日、赤平市議会の一般質問で、北市勲議員が「教育行政について」質問し、学校教育課長 相原弘幸、市長 高尾弘明が答弁しました。
- 質問者
- 北市勲 議員
- 答弁者
- 学校教育課長 相原弘幸、市長 高尾弘明
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
件名は会議録の議事日程の表記です。
質問 8番 北市勲
続きまして、大綱2の教育行政についてお尋ねをいたしたいと思います。①、廃校となった各学校の歴史資料等の保存についてお尋ねをいたします。赤平市における昭和20年以降学校の統廃合により消えていった学校が1970年、昭和45年の旭丘小学校を初めとして現在までに住吉小学校、中学校、この辺を含めて11校になっております。そこで、この赤平における各学校の歴史資料は、一体どのように保管、保存されているのかと。各学校には校章があったり、校旗があったり、校歌があったり、いわゆるその学校それぞれの歴史を刻んできたそういったものが残っているはずなのです。これについては、文書や写真としては赤平市史を読まれたらわかりますが、記載されております。私も読ませていただきました。しかし、実物は一体どうなっているのだと。これは、一度閉校によって保管というか、保存といいますか、されたものは恐らく二度と日の目を見ていないと。私どももそれを見る機会がない。実は、この4月に私どもの仕事で旧幌岡小学校、今の幼稚園です。ちょっと時間が早かったので、あそこの3階をちょっとのぞかせてもらいました。あそこに校歌、それから校舎の全景写真、それから歴代校長先生の肖像画といいますか、写真といいますか、を含め1カ所にありました。これは、残してあるだけで、ではどうするのだと、ついそういう疑問が湧いてきたわけです。調べてみたら、昭和45年以来40年近くたっても、私どもの記憶から消えていっているのでないかなと、そういうものが赤平に11校もあると。ましてや、来年は小学校2校がなくなるわけです。閉校記念だとかなんとかということでこのたびも補正予算上がっていますけれども、そういうものをどうするのだという議論は全くされないでいると。これは、非常に悲しいことであろうと。私も赤平小学校を卒業しました。赤平小学校のそういった校章やら校旗やら一体どこにあるのでしょうと、そういうことに誰も関心示さないと。本当に将来私どもの記憶からただ消えていくだけなのかなと。そういうことで今まで11校の教育的歴史の資料をどういう形でどこに保管されているのか、わかる範囲内で結構です。ご答弁願いたいと思います。よろしくお願いいたします。
答弁 学校教育課長 相原弘幸(学校教育課長は2015年12月まで)
本市の人口、昭和35年にピークを迎えて、その後減少を続けていまして、児童生徒数についても減少したということで昭和45年の旭丘小学校初め11校が閉校となっております。閉校となった学校の資料施設ですが、引き継ぎを受けた統合先の学校に保管されることとなっているところです。以上です。
質問 8番 北市勲
教育委員会で把握しているのですと思っていますけれども、それぞれ引き継がれた学校に保管されていると、そういうことでありますけれども、そうであれば私どもの記憶がなくならないうちにそういうことをひとつこれからの保存の中でも考えてもらわなければならぬかなと思っております。それで、関連して2番目の②の赤平教育文化記念館(仮称)の設置についてお尋ねをいたしたいと思います。今まで各学校の保存品は、おのおの引き継がれたところで保管されておるということでございますけれども、保管はされていても先ほど申しました100%見る機会がない、各学校の同窓会あるいは同期会があってもそういうことが話題にもならなかったかもしれませんけれども、全く赤平の一体どこにあるのだろうと単純にやっぱり不思議に思う気持ちがあります。それで、できれば閉校となった各学校に残された保存品、全部とは申しません。しかし、最低その学校があったのだという、存在したのだという実物の資料を一堂で会せるような、そういった施設を考えるべきでないかと、それが私どもの赤平教育文化記念館(仮称)の設置の考え方です。これについて教育委員会としての見解をお聞かせ願いたいと思います。よろしくお願いします。
答弁 学校教育課長 相原弘幸(学校教育課長は2015年12月まで)
今後の保管方法ということも含めてだと思いますが、将来的には1カ所にまとめるというような保存をしていきたいとは考えているところです。ただし、その場所というのは現在特に決まったものでありませんので、期限を切るということは、これを明示することは今現在できません。それで、赤平高校の件も含めてのことということでありますので、今後の閉鎖施設を学校の資料施設とか教育関係の資料館ということだと思いますが、またさらに文化活動も含めた施設に再利用できないかとのご指摘ですけれども、高校の跡利用などは本市の小中学校の適正配置計画の策定時にも質問があって説明しておりますので、既に耐用年数の半分過ぎている古い建築物で、かつ規模も非常に大きいということで、この後の維持費用を考慮しますと本市にとっては慎重に検討しなければならないと考えているところです。また、今後このまま人口が減少して学校初め公共施設の統廃合が避けられないことから、新たな施設の活用には市当局との協議も重ねて十分な検討が必要と思っているところです。このような時代の中に市教委としては数々の歴史を示す資料の保存はどうあるべきかは思案しているところであります。このままでよいとは考えておりませんけれども、いずれにしても郷土赤平の資料保存、この全体をどうするか、その問題の中で検討していくべきと考えているところです。以上です。
質問 8番 北市勲
どうもありがとうございます。ちょっと高校の話まで行きましたけれども、実は私が仮称として言っている教育文化記念館という、仮称ですけれども、この名称は教育関係だけの記録を残すのであれば文化なんて名前要らないのですけれども、文化を入れたというのは、私どもの中で先日も赤平に来ていただきました石飛先生の書の作品を展示する場所がないだろうかという話が二、三年前から上がっております。それで、正式に議題に上がったわけでないのですけれども、私はそういう意味で代表的な著名人とすれば赤平出身の石飛先生の作品をやはり展示する場所もあっていいのでないかなと。それと、もう一つ、文化の面でそれを展示するような場所がないものだろうかと、つくれないものだろうかと。決して新しくつくれなんては申しませんけれども、しかしこれだけ公共用地といいますか、公共施設といいますか、学校が閉校していく建物がある中でそういった活用も、これは2年後に閉校する赤平高等学校も含めて考えるべきでないのかなと、考えていただきたいというのが私どもの考えです。ぜひこれを提案いたしますので、ひとつ教育委員会としての答えが出なければ高尾市長なりの考え方も改めてお聞きしたいなと思っています。決してこれは我々の記憶の中から記録をなくしていくなんていうことは、どっちも、記録も記憶もなくしていきたくないと。これは、多くの市民が感じている部分だと思いますので、もしこれについてのご見解があれば市長さんのほうからでもひとつお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
答弁 市長 高尾弘明(市長は2015年3月まで)
今の質問のスタートは、教育関係になりますが、総体でということで私のほうからも改めてお答えをさせていただきますが、設置の必要性は私個人としても感じてはおります。ただ単に閉校した学校の資料だとか、個々にでなくて、例えば郷土館も廃止をしまして旧公民館に保存といってもしまってあるだけの話です。炭鉱の資料もこのたび閉校を予定しております住友赤平小学校の校舎1線全部使って、これをどうするかという問題もございます。それと、これも赤校のほうから、同窓会のほうから含めて何とかならないかと。私どもは、ただ単に資料を残すだけで、市の財産さえ余しているのに、あえて道の財産をまたもらってまで、正直言って管理をどうするのだと、いつ来るかわからないために人も置かないで、ただそれだけのために財産を譲り受けるというのは、これは現実的には非常に難しいというお話はしています。ただ、どうするかという課題は残っています。そこで、今それと郷土出身の芸術家の方々の書ですとか絵画だとか、これも意見をいただいておりますし、私も感じております。したがって、これ個々ばらばらにやるのではなくて、郷土館、炭鉱歴史資料、それと今言ったこういう学校のも含めて総合的なやはり施設が必要ではないのかと。加えて文化会館も廃止をいたしましたので、「みらい」の百二、三十人のホールしかないという、これまた文化団体のほうから市長何とかしてほしいと、今回の住民懇談会でもどうだという、すぐとは言わないけれどもという具体的なやはり提案もいただいております。こうして考えてみますと、私どもは必要だなということは考えていますが、順番からいくと私が言っているのはまず病院を絶対しなければだめだと、それと消防本部庁舎も早急にやらなければだめ、学校統合がありますので、学校の校舎整備もやらなければだめだと。残念ながら今言った課題は順番からいけばその後になるだろうなと。図書館も今のままでいいかどうか、老朽化してきていると、隣に消防本部庁舎が建つと、これもやはり検討課題になるのかなというふうに思っていますので、そういう意味ではやはり総合的な施設を計画的に将来を見越してやらなければ。書も石飛先生物すごく大きい作品あるのです。個展やって学校の体育館ぐらいのスペースでないと張れない書もあるのですが、場所がないので、外して丸めて表具屋に預けているという話を先生言っていました。市長、どこか場所ないですかという、学校体育館、先生、温度調整要らないのですかと。当然冷暖房ある程度なっていなければだめだという、したがってただ単にそれにぼたっと張っておくわけにいかないなと。市長、これ管理難しいよと、したがってどこかできたときに管理人がいるときにやっていただけるのが一番現実的ではないでしょうかという、これは石飛先生の雑談ですが、やはりただ単に学校があるからそこに書をぶら下げれば済むということではなさそうでありますので、この辺十分そうした設備も、多分照明含めて、美術もそうですが、やはり相当な費用を要するということでありますので、総合的な郷土文化保存含めて私はどこかの時点ではぜひともしなければならないだろうというふうには考えておりますが、現状ちょっと順番つけたくないのですが、現状の状況からいきますとどうしてもつけざるを得ないということで、十分必要だということは認識しておりますので、ご理解いただきたいと思います。
質問 8番 北市勲
市長さんからそういう前向きのお答えはいただきました。ただ、いろいろと条件があってなかなか前へ進まないのだと、順番も含めてということなのですが、実はこの春に隣のまちの芦別市の新城小学校を見てきました。新城ですから、はっきり言って山の中にあります。あれも閉校した学校なのです。あそこどんなふうに使っているか、たまたま行く機会があって見てきたのですが、主に絵画展示です。今市長さんがおっしゃるような確かに空調だとか必要でしょうけれども、それもしないかわりにどうぞという形で展示をされていると。冬期間は、全くあけていないと。あけるのは、5月の1日ですか、このぐらいから秋口までという話で、なおかつその小学校の跡地は展示もするけれども、まちのそういった文化活動する、特に芸術活動する方々の活動の場所として提供していると。そういう形で、決して私は先ほども申し上げました新しくつくるなんてさらさら言う気ありません。やっぱりそういった今まで使ったものをこれから先も有効に使いたいと、こういう気持ちから今回も提案しているわけで、市長さんのおっしゃるのも十分承知しております。優先順位もあります。しかし、今ここで最初の閉校から四十何年もたって本当に病院の病棟と同じぐらいの古さになってきているところをせめて一堂に残せるようなものができればという形で提案させていただきました。いずれにしても、検討していただくことをお願いいたしたいと思います。別に答弁要りません。以上で私の2つの大綱の質問は終わらせていただきますけれども、私どもの大綱1の安心して暮らせるまちづくり、これは2040年で人口は半分ですから、もうそんなに時間的余裕はないはずなのです。ですから、今からできることから手をつけていかなければならないと。もちろんやっていただいています。皆様方つくられる計画でも十分理解しますが、さらに突き詰めていったきめの細かい計画をつくっていただいて、それを実行に移していくと、こういうことをしていかないと結局赤平というまちが本当にどうなるのだろうという市民の不安は払拭できないと、このように思っておりますので、どうかこの辺を踏まえて今後の計画の中でぜひ生かされるような計画をつくっていただきたいとお願いするだけです。それと、教育問題につきましては、今申し上げました私どもの過去の歴史、記憶が消えていくと、日の目を見ないというのはやっぱりちょっと忍びないなという感じがあります。地域の中でもただ残しているだけであって、意味があるのかということになると思います、見せなければ。見せなければ、悪いけれども、ごみとは申しませんけれども、残しているだけで何ら意味もないのでは困ると。やはりそういったおのおのの学校が赤平地区の中においてどういう学校の歴史を刻んできたのかといったものを、ある程度実物があるのであればそれを一堂に会して見るチャンスを与えていただきたいと、このように思っております。以上で私の思いも含めてお願いいたしました。以上をもって私の質問終わりたいと思います。どうもありがとうございました。