浦河町議会 令和元年第9回定例会 2019年12月10日
(1)日高線の活用について/(2)みどり橋から向別に至る歩道の設置について
2019年12月10日、浦河町議会の一般質問で、神原富三夫議員が「日高線の活用について」「みどり橋から向別に至る歩道の設置について」について質問し、企画課参事 芝田武生、教育委員会管理課長 三浦良一、建設課技術長 大宮寛、副町長 松田有宏が答弁しました。
- 質問者
- 神原富三夫 議員
- 答弁者
- 企画課参事 芝田武生、教育委員会管理課長 三浦良一、建設課技術長 大宮寛、副町長 松田有宏
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
議員が最初の質問で述べた件名は 2 件あります。1回の登壇で続けて質問しており、議事録の中に件名ごとの区切りが無いため、1件の中に並べています。件名は議員の発言から取ったものです。
質問 5番 神原富三夫
それでは、2問について質問をいたします。最初の1問目は、日高線の活用についてです。私が初めて日高線の質問をしたのは20年前の平成11年9月議会でした。そのときの詳細は、浦河駅の改築についてで、当時、既に日高三石駅や静内駅が新しくなっていました。質問の趣旨は、古くなった浦河駅を建てかえなければ将来、日高線の廃止が問題化したとき、反対運動ができなくなりますよとのことでした。32年前の昭和62年に、日本国有鉄道が民営化されJR北海道となり、富内線が廃止になりました。浦河駅の開業は昭和10年10月24日で、ことしで84年がたちました。私が浦河駅に着任したのは50年前の昭和44年4月6日で、中途退職する昭和52年3月までの8年間お世話になりました。32歳でした。当時を振り返ると自家用車もなく、鉄道が主体の社会でしたから観光バスもなく、休日には観光客を自分で募集に歩き、集めた観光客を列車に乗せ、添乗員として洞爺湖温泉の花火大会や弘前城の花火見物に何度も行きました。弘前に行くには、函館駅から函館の青函連絡船に乗る桟橋までの距離が大変長く、今は廃止になっている赤帽が荷物を運ぶ姿が見られ、青函連絡線のどらの音に見送られ、時には五色のカラーテープの見送りを受けて、函館港を出発する姿は今でも懐かしく当時を思い起こします。自家用車も少なく、観光バスもない時代ですから、お盆や正月の急行えりも号の指定席はすぐ満席になり、途中の駅はどうして乗ったのだろうかと思い起こします。それが昭和48年ごろからモーターリレーションのこともはやり、急激に自動車の発展があり、国道の整備とともにバスや自家用車が急激にふえ、それとともに鉄道の乗客が著しく減少し出しました。当時、蒸気機関車が牽引していた貨物列車には、競走馬や昆布、魚、原木などが主体に発送していましたが、その列車も昭和50年代には姿を消しました。ことしになって、当時働いていた、旧日本通運浦河支店のおじさんと懐かしく昔話をしたことでした。50年前と現在の変化と言えば、私が着任したときは現在の消防署は、まだ海の中でした。その名残が今でも現在の国道と駅用地の境にコンクリートの消波壁が現存しています。国道は駅前を走り、浦河駅におりた人は私を初め大方の人々がびっくりしたものです。なぜ、何がびっくりしたかというと、列車から下車し玄関を出たら突然目前に山が立ちふさがったからです。私は、道内の多くの駅を見てきましたが、このような駅は浦河駅と本輪西駅ぐらいのものです。昔、駅はその町の玄関とか、町の顔と言われたものでした。駅前は広々として発展し、その町の一等地として栄えたものでした。それが鉄道の車両化に伴い、鉄道の役割をバスに譲りました。私が勤務していた50年前の駅には、中ホームや信号預かり所、当直室がありましたが、それがいつの間にかなくなり、変わったところと言えば、玄関の戸がサッシになり、玄関フードがつき、トイレが新しくなったところでしょうか。屋根は赤くさび、雨漏りがしないのが不思議なぐらいです。駅前も日本通運の浦河支店、旅館の菊水館、民家や古い倉庫がなくなりましたが、駅前食堂や妙龍寺の山門が今でも残っています。町内の方は時間をつくり、ぜひ一度駅前の妙龍寺の境内を散策していただきたいと思います。50年前の駅前の周辺の一端をお話ししました。11月12日13時30分から15時30分まで、新ひだか町静内の公民館で、管内の臨時町長会議がJR問題で開催され、16時から7町長が出席し、別室で記者会見が行われました。日高町村会長の坂下様似町長の司会で、時間無制限で17時30分まで行われました。会場には、30名を超える報道関係者と日高線廃止の団体と私のような一般人が数名おりました。坂下会長は、日高線鵡川様似間116キロ、バス転換の方向で多数決で決めた。これからは、各町がJRと個別協議に入る、来年3月までの最終合意を目指すが、廃止が決定したわけではない。各町が条件に合わなければ、合わない場合もあると含みを持たせました。心配していた池田町長は、全員協議会の意見を尊重し、退席しないで最後までぶれないで日高線の全面復旧をじょっぱり通ししました。ただ、日高線の全面復旧は、池田町長の個人的意見で、全員協議会では5人が町長の意見に賛成でしたが、残りはバス展開に決断すべきでした。さて、議長は議会の意見を町長会議に反映する要請しましたが、池田町長は議員の多数の意見を無視し、たびたび自分の意見を通したために、他町からは日高線の全面復旧は浦河町民の意思かと誤解されてきました。報道機関の質問が一段落したところで、私が質問の手を挙げたら報道機関でないとして、質問を拒絶されました。私は町内外に4,300部の新聞を発行していると、なぜだめなのだ、民主主義の国で税金で運営しているのに、会議が非公開なのだから住民の一人として質問したいと発言しましたが、拒否されました。記者会見の最後に、日高町村会長の様似町長は、さまざまな要請活動を行ったが、何一つ守られなかったのは私を含め乗らなかったからだと言いました。私は、この言葉を聞いてぐぐっと来ました。他の町長も様似の町長の後について、私も乗らなかったと言ってほしかった。特に、議会の意思を尊重しないで全面復旧を叫んでいた池田町長には一番先に言ってほしかった。私は、元国鉄職員として、廃止は本当に残念だが、5年前の浦河駅からの乗車客は1日に一人しか乗らないし、鵡川・様似間の1日の平均一個列車の平均乗車数は13人でした。学生なら朝夕の往復乗るわけだから、昼間は当然、空の列車もあるわけです。また、100円の収入を得るのに1,476円もの経費がかかるなど、日高線を残すには大変無理がありました。町長も町民も鉄道を利用しなかったし、住民も乗らなかったし、乗せる努力も乗る努力もしなかったからです。しかし、これも自動車の増加で時代の流れで仕方がなかったのです。32年前に当時の国鉄が民営化された時点で、国は現在の姿を予期した結果なのです。そのときに総理大臣が先日亡くなった中曽根康弘氏で、彼は当時、電電公社、現NTT、専売公社、現日本たばこ産業、JTの民営化も断行しました。現在、JRが黒字なのは、JR東日本とJR西日本の新幹線だけと承知しています。ですから、人口減が進む中で、日高線だけを特別扱いはできなかったのです。日高線を特別扱いするということは、全国の鉄道を元の国鉄に戻すことを意味します。そんなことは現実的に無理です。だから、国会議員も政府も動かなかったのです。この際は、バス転換を認め、JRからの8項目の支援を受け、鉄道財産を引き継ぎ、これらを活用することで町の発展を図るべきと考えます。近ごろでは、生活が豊かになったせいか、全国的に政治に無関心な方がふえ、新聞を購読しない家庭が多いようですが、政治や経済は自分たちの生活に大いに関係しています。ぜひ、テレビや新聞で政治や経済も関心を寄せていただきたいと思います。JR日高線の詳しい状況は、11月13日の新聞を読んでいただきたいと思います。記者会見の中で、池田町長はJRから話は聞くが、JRの方の出方をうかがいながら、町議会や住民の意向を踏まえつつ、廃止・転換に向けた本格協議に入るか判断をすると新聞は伝えています。日高線が不通になり、あけると5年になります。この間、日高管内7町長による復旧の臨時町長会議が何度開催されたでしょうか。しかし、何の結論も得ないまま、むなしく時間だけが過ぎ去りました。様似町長の話では、この間、50回を超える主張を繰り返しやっていると言っていましたが、その間道議会議員も国会議員も動いてはくれなかったと悔やんでいました。この際、池田町長には町長会議の決定を素直に受け、JRの出方をうかがいながらと言わず、これからは条件を示し、各町の連携を密にしながら、積極的に得をするような行動を示してほしいと思います。ここで、私の日高線の活用について述べたいと思いますので、ぜひ参考にしてほしいと思います。日高線が不通になって困っていることは、通学生の利便性と通院・通勤対策と承知していますが、通学生対策はどのようになっているのか。通院は2カ月に20名ほどいると言われて、私は何度か苫小牧駅のバスの新設を提案しました。この前、私は鉄道遺産を活用した地域の発展を強く望み提案します。日高管内全体の問題としては、一つとして、苫小牧駅の路線バスの新設、この意見は何度も発言してきました。国道から遠い駅は、国道に移転し苫小牧駅まで時間を短縮する、この場合、乗客数に適合した規模のバスを運転し、シルバーシートを設置し、障害者に優しい乗降ステップバスを導入する。トイレは、国道筋の駅や道の駅を活用する。2番目としては、鉄道跡を日本一長いサイクリングロードとして活用し、地域の発展を目指し、この案はJRの支援策の中で、例えばとして書かれております。この案が実現できれば、日高線が存在したことを後世の人々に引き継ぐことができるし、日高管内と各町の宣伝ができます。各駅やホームは残し、休憩所や地域のコミュニティセンターとして活用できると思います。この二案は、管内7町長が合意しなければ解決できない問題と思い提案しております。次に、提案する案は、浦河町の問題としてです。浦河駅跡地を鉄道村として活用します。一つは、浦河駅は改築し、鉄道資料館として残す。私は3年前に、廃線になった富内線の各駅を訪問しましたが、富内駅、穂別駅、振内駅はかつて使われていた駅構内に線路が残り、振内駅が蒸気機関車や客車などを残し、また、立派な鉄道資料館があります。ただ、このままではお客さんが来ないので、来客を誘導する必要があります。そのためには、駅構内に物産館の建設やコンビニの誘致、畑のうたを移転し、堺町と大通地区のドッキングなどを図る必要があると思います。2番目、鉄道財産を主に地域の発展へ活用する。この場合、鉄道財産活用委員会なるものを設置して、町民から委員を募集し、町民とともに考えます。例えば駅舎の改築、そして駅前広場はイベント会場や駐車場、それから駅ホームの活用としては、これは野外ステージなど。跨線橋は展示場、それからレールはもしサイクリングロードがならない場合ですけれども、この場合、トロッコ列車を活用する。それから、保線区の詰所はゲストハウスに転用し、絵笛、荻伏、東町、幌別の各駅はサイクルロードなどの休憩所として活用し、各駅のホームを延ばし、我が町に鉄道が走っていたことの証明として残してはどうでしょうか。3番目として、トロッコ電車を活用した場合は、運営会社を募集する。これは、その町にやる気のある方がいなければ、なかなかできない問題です。私は、浦河町にこれをやるといっているのではありません。多くの意見を活用して、そういうことを考えたらどうかと言っております。以上で私のJRの8項目の支援を受けた鉄道遺産の活用方法です。参考にしていただきたいと思います。質問をまとめます。一つ、5年間の管内町長会議の成果は何だったのか。二つ目、通学生や苫小牧行きの通院バスを第一優先に考えるべき。3番目として、管内町長会議を一本化し、鵡川・様似間を日本初の駅巡り「日本一長いサイクリングロード」を実現し、日高の魅力を発信すべき。4番目に、浦河駅を中心とした鉄道用地を後世のために活用すべき、その計画はあるのか。町民とともに考えるべきだということです。続いて、2問目です。2問目は、みどり橋から向別に至る歩道の設置についてです。みどり橋というのは、ベスト電器から牧場を右側に見ながら、緑町に至る橋がみどり橋と言います。行き着いたところが丁字交差点になっています。国道からのこの地点までは立派な歩道が設置されておりますが、この地点から向別方面の日高小型までの1.1キロの区間が設置されていません。この先の人口の少ない向別方面は立派な歩道が設置されています。人口の多少多い緑町方面を飛び越して、向別方面が先に設置されたのはそれなりの理由があったと思われますが、通学生や高齢者を交通事故から守るために早急に対策を講じる必要があります。高齢化が進み、免許証の返上も進み、歩行者がふえる可能性もあります。三輪自転車の普及もふえる可能性があります。何といっても、学生の自転車や小中学生の弱者が交通事故に巻き込まれる可能性が高くなります。また、冬になると除雪した雪が道路を狭くし、道路を歩く歩行者が多くなります。質問をまとめますと、一つには、みどり橋から向別方面の通学生は何人ぐらいいるのか。2番目には、通学生や高齢者を交通事故から守るために、歩道の整備は急を要します。計画はどうなっているのか、お尋ねいたします。以上です。
答弁 企画課参事 芝田武生(企画課参事は2020年3月まで)
私のほうからは、質問の1問目、日高線の活用についてのほうを答弁させていただきます。まず、1-1なのですが、5年間の管内町長会議の成果は何だったのか、こちらでございます。全面復旧、鉄路プラスバス、バス転換、BRT、DMVの5案から絞った全面復旧、鉄路プラスバス、バス転換の3案について議論し、浦河町としては全面復旧を目指したところではありましたが、最終的に多数決によりバス転換について、各町が正式にJR北海道と個別協議に入ることになったことが結果となっております。こちらのほうは、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。2点目です。通学生の利便と苫小牧行きの通院バスを第一優先に考えるべき。こちらなのですが、バス転換時には、通学生と苫小牧行きについては、最優先事項と捉えJR北海道に要望してまいります。3点目、管内町長会議が一本化し、鵡川・様似間を日本初の駅巡り「日本一長いサイクリングロード」を実現し、日高の魅力を発信すべき。こちらなのですが、JR日高線の鉄軌道用地の利用については、各町がこれからJR北海道と個別協議に入るため、各町の考えは承知しておりません。各町がそれぞれの振興策に沿って整備されるものと考えておりますので、貴重なご意見をいただいたところではありますが、鵡川・様似間を一体とした整備の実現は難しいと考えますので、ご理解のほどお願いいたします。4点目、浦河駅を中心とした鉄道用地を後世のために活用すべきだ。その計画はあるか。町民とともに考えるべきだ。こちらなのですが、浦河駅を含め、JR北海道の資産に関しては、利用方法や修繕費などのランニングコストのことも考え、慎重に検討したいと考えております。また、町が独断で判断するものとは考えておりませんので、ご理解のほどお願いいたします。以上です。
答弁 教育委員会管理課長 三浦良一(教育委員会管理課長は2021年3月まで)
私のほうからは、議員ご質問の2点目のみどり橋から向別に至るに歩道の設置をという部分の1点目のみどり橋から向別方面の通学生は何人いるかという点について、ご答弁申し上げます。現在、当該事由に該当する堺小に通う小学生は7名、浦河第一中学校に通う中学生は4名、合わせて合計11名となっております。以上です。
答弁 建設課技術長 大宮寛(建設課技術長は2020年3月まで)
ご質問のうちの2点目の2件目、歩道整備の計画につきましてご答弁いたします。当道路は、緑町1号線の路線名で、昭和58年に町道認定されており、国道235号と道道静内浦河線を接続する延長約2.6キロメートルの幹線道路であります。緑町の宅地造成による住宅の増加や向が丘、堺町地区から市街地へ抜ける車両の通行により、近年は交通量も多くなっております。このことから、国道より町道緑町向が丘線のT字交差点までの約1.4キロメートルの区間におきまして、歩道整備を含めた道路拡幅事業を平成26年に完了しております。また、平成22年までには、終点側の道道静内浦河線付近においても約0.2キロメートルの歩道を整備している状況です。現在のこの路線の歩道の未整備区間は、約1キロメートルとなっており、この区間が議員ご指摘の歩道整備を要する区間であります。未整備区間の計画につきましては、延長が長く、費用の面からも町単独費による事業化は困難であり、また、歩道を含めた拡幅事業として国の交付金事業の対象となる可能性も低いものと考えております。現在の第7次総合計画前期5カ年計画におきましても、この路線は計画路線として対象としておらず、他路線の拡幅事業や橋梁整備を優先して整備してきた状況にありますので、ご理解のほどお願いします。
再質問 5番 神原富三夫
それでは再質問なのですが、1問目の5年間の管内町長会議の成果は何だったのかということですけれども、つまり5年間かかって結論としては何もできなかったと、様似の町長も悔しがっていましたけれども、結果的にはそうだと思うのです。結局、その間、5年間の間、先ほどお話ししましたけれども、町民の間には苫小牧駅の通院を通いたくても、なかなかそれが思うようにできなかったということで、結局、大変町民の多くの町民ではないのですけれども、それでも町民の皆さんに5年間、迷惑をかけてきたということです。それから、私もそうでしたけれども、町民のそういう不便をなくすために、苫小牧駅の仮称です、通院バスをつくったらどうだということを三度ぐらい提案しました。ほかの同僚議員の方もそういうことを言っている方がおりましたけれども。だから、確かにそういう交渉中だったからと言えばそれまでですけれども、結果的に交渉中だと、そのために5年間、町民の皆さんにご迷惑をかけてきたということを私は言いたいわけですよ。本当に、そういう人たちを救ってやろうと思うのだったら、7町の町長が相談して、そういうバスを一つ、何とかバスというのが今、いろいろあるではないですか。経費を負担して、バスを運転したらどうだったのでしょうか。私はそう思うのですよ。二月で20名、一月で10名、通勤バスはともかくとして、通院専門のバスでもいい、わかりやすく言えば。そういう人たちのために、各町分担してやったって、大した経費でないと思いますよ、苫小牧。朝行って、帰り、夕方帰ってくるだけの1往復だけでもいい。そうすると、管内の町長はよくやってくれたという、本当に感謝の気持ちがあったと思うのです。でも、この5年間で何もしてこなかったのです。ただ、反対運動ばかりで。私は、それはないと思うのです。私は、何回も言いましたよね。政治の仕事というのは、弱い者を助けるのが政治の仕事ではないかと言ってきました。しかし、それは全然報われなく、本当にその辺は残念に持っているのです。私は、こういう答弁、聞くときに、担当課長からでなくて、町長からじかに、済まなかった、私、何もできなかったと一言町民の皆さんにおわびの言葉は欲しかったな、私はそう思うのです。様似の町長みたく、私も乗らなかったと素直に、そういうふうに言ってほしかった。だから、こんなことになって5年間も放置したのですよ、言葉は悪いけれども。終わったことは、あんまりくどくど言いたくないけれども、町長は余り答弁したがらないで担当課長ばかりだからかわいそうだけれども、課長。だけれども、町長はトップなのだから、これだけの私、何回も言いました。日高線の大問題ですよ。これを実際に交渉に臨んでいる町長の言葉から聞けないというのは、本当に残念だね。本当は町長のじかの言葉を、真実の目というのはあると思うので、聞きたかった。この件は、これ以上言っても始まらないから、もうやめますけれども、本当に残念だね、そういう面では。それで、2番目です、今度は。通学生の利便と苫小牧通院バス、これ、先ほどのとちょっと重なる部分がありますけれども。これ、この間、私のところにはがきをしたのですよ。脳梗塞で緊急搬送した家族が入院した方がおったのだけれども、それでお見舞いに行くのにタクシーを使ったこともあると、これ、町長のところに手紙を出したと書いていますけれども、町長にお手紙をさしあげたけれども、余り期待しないでくださいと言われたと書いているのです。町長ではなくて、担当課長ではないかと、間違ったらごめんね。余り期待しないでくださいと、こんな冷たいことを書かれて、町民から、私のところにこうやって手紙が来ているのです。先ほども言ったように、5年間放置したのだから、もう少し優しい言葉をかけてやれなかったのかなと私は本当に残念だな。もう少し書きようがあったのではないかと思うのだけれども。これもそうだ。もうとにかく私もこれからバスのほうに町長も一生懸命やってくれそうだから、そっちのほうで期待しますけれども。過ぎ去ったことをごてごて言ったって、全然改善にならないから、これもこの辺でやめます。言いたいだけ言って。それから、次の3番目ですけれども。(発言する者あり)いや、答弁ないから、どうせしたくないだろうから。(発言する者あり)そうですか。それでは、何か答弁ありますか。今、後ろで答弁を求めろというから。何か町長でもいいし、担当課長でも何かあります、返す言葉、なければ行きますよ、先に。ないですか、そうですよね。ないですよね。それでは、3番目の質問です。管内町長会議が一本化して、鵡川・様似間を日本初の駅巡り「日本一長いサイクリングロード」を実現し、日高の魅力を発信すべきと、こういう質問なのですけれども。先ほどの担当課長の答弁だと、端的に言うと、これは各町の問題で難しいと、こういうような答弁だったのですけれども。これは、私が言っているのは、町長会議でこれを提案してくれと言っているのですね、難しいから。各町の問題だから、各町の皆さんの町長が代表している中で、この問題を提起してくれと、こういうことを言っているのですよ。それが、最初から難しいなどと、そんな言う前からそんなふうな投げやりのことで問題解決できるわけないでしょう、また5年もかかるよ、何やるにしても。もう少し積極的に、ここで結論を出てしまうのだから、およそ、あと、町長次第なのだから。だから、先ほども言ったように、JRからの提案を待つのではなくて、こちらから提案を進んでやっていかないから、5年間もかかったのですよ。だから、私、町長に言っているのです、私、担当課長の答弁は聞きたくない、実際に折衝するのは町長なのだから。町長にお願いしているのです、私、それを担当課長に任せるなど、そんな消極的なことでは、また町長の3年も4年も先にかかったら、その前に死んでしまうよ、私、高齢化社会なのだから。町長、黙っていないで何か答えてくださいよ。
答弁 副町長 松田有宏
鉄道跡地の利用についてですけれども、先般、日高町村会としては、方向性としてはバス転換を前提に各町が個別に交渉に入っていくと、そういったところが決まったところでございまして、当然、その跡地をどうしていくかといったところは、まず個別交渉の中で各町がJR北海道の話を聞いて、どういったプランが持てるのか、そういったことをやった上で、では、管内統一でできるものがあるのかないのか、そういうふうに進んでいくものだというふうに理解をしております。現段階でというか、これまでの町長会議の中で、もしくは各町の例えば議会ですとか、そういった公の場で、どの町も跡地をこういうふうに使っていこうとか、こういうプランがあるという話は出ていないというふうに思っておりますので、もし各町で温めているものがあれば、今後、出てくるでしょうし、その中では何度も言いますが、管内で統一で例えば今、ご提案のサイクリングロード、そういったものも取り組む余地があるのかないのか、そういったことも出てくると思いますので、決して全てのプランをご提案いただいたものを最初から捨てるという意味ではなくて、まず最初にやるべきことは、バス転換して、再三の質問をいただいている地域間交通をどうしていくか、それが最優先でありますから、それをやりつつ、その後、残った鉄道敷地についてはどうしていくか、それが話し合われていくものというふうに思っておりますので、そういったご理解いただければと思います。
再質問 5番 神原富三夫
私、町長が答弁を聞かせてくれるのだと思ったら、副町長の答弁だからちょっと不満なのだけれども。やはり、副町長が言っているバス転換を最優先すると、そうかもしれないよ、だけれども、それをやって、これをやって、これなどとやっていたら、また何年もかかるでしょう。先ほども言ったように、同時進行でやっていかなければならない、町長。そんなのんきなことを言っていたら、町長の任期だって、再来年か、あと2年です、町長の任期。任期で終わるの、まだ出るというの。公約は、あと2年になっているのです。こんなことをやっていたら、また5年もかかると、副町長、しっかりしなければだめです。今度の問題だけで5年もかかって、何をやっているのだと町民から批判を受けているのに、これからまだ浦河町の発展する上で、また5年もかけるつもりですか。そんなものやれるときから、どんどんやっていかなければだめでしょう。そんなのんきなことをやっているから、公務員だと言われるのです。本当にしっかりやらないと。だめだ、そんなことをやっていたら。何で提案することができないの。各町、いろいろな考えを持っているのは当たり前でしょう、そんなことは。私、先ほども言ったように、この問題は各町の問題ではなくて、各町が全員、全町長の問題だから、だから提案しているのです。皆さんの前で、提案しなければ話は進まないから、それでだめなら仕方ないよ。それで進まないのは自分たちの各町は各町のことでやればいいのだから。このサイクリングロードは、7町がかかわる全体会議で結論を出さなければならない問題だから、いや、提案いたしますと言えば、それだけのことです。何で、そんな提案することができないのですか。浦河町が代表して町長、行っているのでしょう。どうしてそんなことできないの。簡単なことでしょう、そんなこと。いや、皆さんがその問題については、もう少し先送りにするなら、それは仕方ないです。浦河町だけで決める問題ではないから、それは仕方ないです。提案することぐらい、いつ言ったっていいでしょう。そのために7町の会議なのだから。どうしてできない。副町長のほうが積極的だから、副町長、答えて。全然、町長だってやる気ないもの。
答弁 副町長 松田有宏
管内の町長会議で、浦河町として提案をする。提案をするということになれば、それは浦河町の方針を決めてということになります。申しわけございませんが、現時点で浦河町として、跡地をサイクリングロードとしてやっていこうということは決め切れないと思います。ですから、ある形とすれば、浦河町の中で跡地利用については、サイクリングロードという案が提案されている、そういった話題提供といいますか、将来に向けた議論のネタの提供、そういった形はあろうかと思います。ただ、何度も言うように、浦河町としての提案、提案となれば浦河はそれでいこうという決定をしなければなりませんけれども、申しわけございませんが、今の状況で跡地をサイクリングロードとして浦河町は強力に推し進めていこうと、そう判断する材料はまだちょっと足りないのかなというふうに思っております。逆に言えば、神原議員のご提案は、それだけ壮大なご提案だというふうに思っておりますので、そこはやはり提案するからにはしっかりと裏づけなり、町の考えを固めないと提案という形はできないのかなというふうに思っております。
再質問 5番 神原富三夫
なかなか副町長はうまいこと答弁するなと感心していましたけれども、まだ、浦河町の方針として決めるというのは、浦河町の方針は、いつ決めるのですか。そういう腹案とか何とかは持っていると、普通思うよ。何もなくて、そのものだけで人間といえば、話をしないでしょう。いろいろなものを腹案を持って会議に行くわけでしょう。それでは、話にまだ、言い方変えるけれども、方針は決めていないというのだったら、いつ方針を決めるの。早く方針を決めなかったら、なかなか先ほど言ったように、まだ時間がかかって、いつまででもどうしようもないよ、こんなことをのろのろしていたら。
答弁 副町長 松田有宏
方針を決めていく、それはサイクリングロードとして使うかどうかという、跡地をどうするかということもありますけれども、今後、これからJR北海道と個別交渉に入っていくと、個別協議に入っていくということになりますから、その中で跡地利用のことだけではなくて、バスはではどうしていくのですか、そういったものをいろいろとやりとりをした上で、町としての方向性を決めていくということになりますから。今の時点で、跡地利用のことだけ先にこれはこう決めて進めましょうということはならないというふうに思っていますし、では、いつまでだといったことも、今後、JR北海道との交渉、協議の過程によって、ではいつごろまでと、そういった町村会では、一応、来年3月を一つの目途として進めようというふうにはなっているところでございます。
再質問 5番 神原富三夫
だから、副町長、何回も言うようだけれども、相手の出方を待っていたら、また5年もかかるでしょうと、こっちから先ほども言ったでしょう。積極的に意見を提示していかなければ、その後に、その場合、私、死んでしまうよ、そんなのんきなことをしていたら。積極的にどんどんやらないと、だめだと、そんなのんきなことを言っていたら。だって、方針も決まっていないとか何とかと言っていたら、町長だって、浦河町議会で全面復旧などと決めていないのに、全面復旧とずっと言ってきたでしょう。そうではないの、浦河町議会として全面復旧などと決めていないよ、あなたもわかっているでしょう。そんな全面復旧だと一人でやっていたから、よその町から浦河町民は全面復旧となると私はあちこちから、よその町から質問を受けたよ。そんな言いわけしないで、もう少し時間をかけないでどんどんやっていかなければだめなのだ、それが期待される公務員なのです。そんなのんきなことを言っていたら、また何年もかかってしまうでしょう。だけれども、あなたは全然やる気はないのだから、どうしようもないもの。浦河町の役場の職員が全員そうだと私は決して思っていないけれども、もう少しやはり町長の補佐役なのだから、町長のケツをたたいて、もう少し積極的にやるようにしなければだめだって。将来ポスト、池田の後なのだから、頑張ってもう少し積極的にやって町民にアピールしなければだめです。これ、何回言ってもそういうやる気ない者にそんなことを言ったって、どうしようもないもの。そうしたら、次に行きます。4番目。4番目の問題も、私は浦河駅の跡地を活用すべきだということも、そうしたら結局、これも3番目と同じ状況なの、そういうことになるのかい、副町長。もう少し町民に、町長がよく言うでしょう、夢は希望だという言葉。あなたももう少し、将来託されるような人だったら、夢や希望を与えてよ、浦河町の発展のために。私はこれだけ質問をしているのだから。これはがっくりくるよ、こんな答弁を聞かされたのでは。どうですか、少し生きのいいところ、ちょっと発言くださいよ。
答弁 副町長 松田有宏
まず最初に、これからJR北海道と交渉して、できるだけ早く結論を出して進めていかなければならないのは、まずなくなった鉄道の代替交通をどうしていくか、それが優先順位としては第一だと思っております。跡地利用のことを放っておくということではなくて、同時にできればそれが一番いいでしょうけれども、条件が整わないのであれば跡地利用は置いてでも、先に交通の確保をする、それが町の方針だというふうに私は思っております。四番目の浦河駅の利用、当然跡地利用について使えるもの、町にとって有益な使えるものであれば、それは活用すべきだと思っておりますし、浦河駅ということであれば浦河町、ある意味、町民の皆さんに直接かかわる利用方法というものがあるのかなと思っておりますので、そちらは管内統一でやるよりかは、できるだけスピード感を持って検討をして、ご提案のあった、例えば、あそこに物産館を併設するとか、そういった部分については浦河町にとっても、施設としては必要なものだと思っておりますので、あの場所でそういう展開ができるかどうかといったことは、しっかりと積極的に検討はすべきだというふうに思っております。
再質問 5番 神原富三夫
さきの答弁よりは少しはよくなったけれども、私から言わせると、ちょっと寂しいな、やはり。もう少し夢や希望を与えてほしいよね。それと、もう少し迅速に、町長ね。この問題に5年間も費やしてきたのですよ、ここまで来るのに。そうしたら最後は加速して、JRの、議論するのは当然のことですよ。だから私先ほどから言っているように、待っているのではなくて、こちらからこういう希望があるけれども、あなたたち8項目の支援があるでしょうって。できたら浦河町の独自として、こういう案を一つ実現させてほしいと。少しは自分から積極的に、相手が来るのを待っているのではなくて、みずから飛び込んでいくぐらいの、やはり行動力を示してほしいな。町長、挨拶をするといつもすごく立派な挨拶をしていて、私は感心するのだけれども、この問題については全然避けて通って、神原には全然質問には答えたくないという、何かそんな感じがするよ。もう少し、いつも夢と希望を語る町長らしくないもの。町民の皆さんに、もう少し、ではこれからもしかしたらこう変わるぞと、そういうような夢や希望を与えてくださいよ。町長はいつも言っているでしょう。残念だけれども、これ以上言ったってどうしようもないものな、話が発展できないもの。いや、残念だけれども、全然かみ合わないし。私はこの辺でやめますので、もう私は正直に言って失望した。議長、これで終わります。2問目があった、済みません。2問目です。先ほどの課長の答弁を聞いていたら、これも余り、何か失望のほうが大き過ぎて、さっぱり質問をする気もなくなってきてしまった、本当に。今のところは、全く計画の上がりようがないというか、そういう状況ですよね。ですけれども、先ほど来、質問の中にもありましたように、ことしは浦河町、すごく交通事故が多かったでしょう。15件ですか、死亡事故1件。私は、先ほどの答弁の中では小学校と一緒に通う人の人数11人でしたっけ、できましたけれども、高校生の通学の自転車もあるのですよね。だから、私はあそこをたまたま通りかかったときに通学生が横断歩道を渡っている、自転車の通学生のことをちょっと目にしたものですから今回の質問になったのですけれども、本当にことし交通事故が多かったし、何とかここで交通事故なんかは起きないでほしいなと、もう本当に願っていたものですから、子供を持つ親の人にとっては本当に心配だと思うのです。それで、あそこら辺の自治会の人に聞いたら、今まで何度か町に要望が出ているのだそうですよね、歩道の問題がね。そうだと思いますよ、本当に。夏だって、あそこはこんな路肩が50センチぐらいあるのだろうか、もうそれも草をかぶったりして見えなくなって、こうなるのです。ですから、あちらのほうは大体通る人も、ウォーキングやっている人も、あちらは余り通らないのですよね。もう危ないのがわかっているから、通らないのです。それはそれでいいのかもしれないけれども、先ほど来お話のように、高齢者もどんどんふえてきていますし、やはり免許証を返上する人もこれから、何人か私も相談を受けたりして、質問もしているわけだけれども、そういう人になってきますと、どうしても歩かなくてはならん、あるいは自転車で通らなくてはならん。そういう人が出てきたときに、ほら見たかと言われないようにしておく必要があると思うのです。特に冬場は滑るし、除雪した雪が両側に当然ながら盛られるわけですから、当然歩道がないから車道に入ると。めったにないかもしれないのだけれども、そのめったにというのがそもそも問題なのです。嵐のときもそうだけれども、こんな日にと思うけれども、何か用があってどうしても歩かなくてはならんと、そういう人がたまたま災難に見舞われると、それが現実だと思うのです。ですから、これは地元の自治会からそういう要望が出て当然だと思うのです。だから、やはりこれを何とかしなくてはならないです。これは今言っても、担当課長が言ったって何とかなるわけでもないけれども、それでいいのかという話になるわけですけれども、それは当分は無理だとして、やはり防止するためには、そのための対策を、その辺の人にはやはり一生懸命啓蒙、啓発しなければならんと思うのですよね。夕方には歩かないようにとか、反射板をつけるとか、必ず電池を持って歩きなさいよとか、どうしても歩くときにはそういう注意を、やはり呼びかけていかなければ交通事故はなくならないと思います。ですから、その辺は町民課のほうかもしれないけれども、一生懸命やっていただいて、当面そういう改善策がないようだから。自治会の総会か何かに行って、当面そういう計画はありませんので、事故防止にはこういうところに気をつけてくださいというようなことをお知らせしてもらわなければだめだと思います。そうではなかったら、けがで済んでいる間はいいかも知らないけれども、命を落としたら大変ですから。そういうことで、ぜひこれは質問になっていないかもしれないけれども、どうせ言っても返ってくる答えは決まっているから、これ以上言ってもどうしようもないからやめますけれども、ぜひ交通事故の防止に少し力を入れてもらうようお願いして、質問を終わります。ありがとうございます。