みんなの議会

津別町議会 令和5年第3回定例会 2023年3月14日

まちおこし大学について

2023年3月14日、津別町議会の一般質問で、小林教行議員が「まちおこし大学について」質問し、町長 佐藤多一が答弁しました。

質問者
小林教行 議員
答弁者
町長 佐藤多一

議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。

質問 3番 小林教行

〔登壇〕 ただいま、議長より発言のお許しをいただきましたので、次の点について一般質問させていただきます。まちおこし大学についてであります。少子高齢化社会において、津別町もさまざまな問題を抱えており、その中の一つに、― 69 ―未来の津別町のまちづくりに携わるための人づくりがあると考えます。津別町議会は、議会活性化のため2月 10 日に「若者と議会がつながるまちへ」~まちづくりについて、議会に言いたいこと~と題して町内の青年団体との意見交換会を行いました。若い人たちから、さまざまな建設的な意見が出され、我が町には素晴らしい人材がいると感じた反面、今の津別には楽しくまちづくりを学ぶ機会が足りていないのではないかという思いに至りました。30 年以上前の話ですが、当時「まちおこしは人づくり」をテーマに立ち上げた「まちおこし大学」で学んだ方たちが、卒業後、さまざまな分野で津別町のまちづくりに貢献していると伺いました。そこで、以下の点について伺いたいと思います。一つ目に、まちおこし大学の発端はどのようなことであり、どのように進められたのか。二つ目に、どのようなことを学ばれ、どのようにまちづくりに影響を与えたのか。以上、よろしくお願いいたします。

答弁 町長 佐藤多一

それでは、まちおこし大学についてお答えいたします。はじめに、まちおこし大学開校の発端と設立に至る経過についてですが、私自身関わっていましたので当時を振り返りながらお話しさせていただきます。開校は平成2年 10 月 14 日でしたが、昭和の時代から津別町は保革対決といわれる「政争の町」と言われていました。私は、昭和 49 年に津別町役場に奉職し、労働組合の役員を 16 年ほど務めました。昭和 58 年に公務員の労働組合組織である自治労中央本部が大変厳めしい名称ですが、「地域生活圏闘争」という方針を打ち出し、各自治体で町の現状と課題に対する住民アンケート調査を行うことが決定されました。これがスタートでした。住んでいる町をよくしたいと考えるのは、保守であれ、革新であれ思いは同じと考え、考えが必ずしも同じ円にならなくとも重なる部分を広げていければよいのではな― 70 ―いかと考えました。その考えに基づき、地元の商工会長、林協、農民同盟などの代表者から現状と課題を聞く「まちづくり討論会」や、商工会青年部と横路知事が打ち出した「北海道新計画」の勉強会なども行いました。昭和 60 年の人事院勧告値切り分を獲得した際には、組合で商品券を発行し獲得金を町内の商店で使う取り組みなども行いました。こうしたつながりから「河岸公園まつり」で行っていた川下り大会も初めて共同で行えるようになりました。その後、役場内に職員による「過疎を逆手にとる委員会」を組織し、北見工業大学の白樫先生のもとで、まちづくりの勉強会を続け、昭和 61 年にこの取り組みを自治労の全国紙に発表したところ、長崎総合科学大学の日比野正巳先生の目に留まり、先生から1枚のはがきが届きました。全国の幾つかの町で開催している社会人大学を津別町で開講してみませんかというお誘いでした。そして、平成元年 10 月に函館市で開催された「全国地方自治研究集会」に白樫先生を含む9名で参加し、そこで初めて日比野先生とお会いすることができました。早速意気投合し、津別町にも「まちおこし大学」をつくろうと、2カ月後の 12 月に先生に来町願い、まちづくり講演会を開催し、開設の打ち合わせを行いました。当時、昭和 63 年から平成元年にかけて竹下総理が提唱した「ふるさと創生事業」により、全国の自治体に1億円が交付されていました。これを活用して平成2年4月から2年間、「津別町まちおこし大学」の開校を望む町民 17 名が署名運動を始めようとしたことから、当時の町長である小南町長は、学生数をもう少し増やすことと、公開講座を取り入れることなどを条件に3月定例会に新年度予算の1事業として 610 万円が上程されました。しかし、ギリギリに予算化したこの予算について、事前に委員会に説明がなかったとして議員から猛反発を受け、町長は拙速であったと謝罪答弁を行い予算凍結という事態となりました。ところがその後、道新に「ユニークなまちおこし大学」と題した記事が掲載され、4月に全員協議会が開催されました。津別病院の院長先生などもこの大学に興味を示していたこともあってか、全員協議会では「だめだとは言っていない。手続きが間違っただけだ。」といった発言が相次ぎ、6月定例会までに社会文教常任委員会と総務財政常任委員会で十分議論を行い、補正予算を提出することとなりま― 71 ―した。ところが、この補正予算において日比野先生の毎月のゼミが年に1、2回であったことから、入校希望者たちは、それでは廃品回収でも何でもして「私立」で開校することを切り札に要請活動を行いました。これが再び議員の反発するところとなりましたが、結果としては入校希望者の意見が取り入れられ半年分の予算を減額し、9月議会を経て翌 10 月に開校の運びとなり、27 名が入学しました。当時担当の企画係長であった現山内議員さんも大変苦労されたことと思います。まちおこし大学のゼミ授業の目的は大きく三つありました。一つは「ブレーンストーミング法の習得」です。頭の中に浮かんだものを全て出す会議法で、他人を批判しない、自己規制をしない、量を多く述べる、他人の意見に啓発されるという4項目を学ぶことを基本としています。二つ目は「KJ法A型とB型を学ぶ」ことで、A型は図解、B型は文章により表現力を養うものです。三つ目は「HM法」を身につけることです。これは日比野先生が考案した発想法で、ハンディキャップとモビリティの研究法、ほがらかでまじめになるための人生修行法、ホットミルクのような栄養豊富な大脳健康法、そしてヒューマンメソッドともいうべき人間らしい生活や空間を創造する方法のことであり、いずれも頭文字をとって「HM法」と名付け、日比野正巳先生の頭文字でもあります。次に、大学で学んだ内容とまちづくりへの影響についてですが、平成2年 10 月 14日に開催の入学式兼開校記念講演会を第1講座として、平成4年3月卒業までに全 21講座のカリキュラムが組まれました。「津別町を 10 倍楽しくする方法」のA型・B型発表、「木の魅力とデザイン…林業の発展のために」と題した公開講座、「自由勝手に学ぶ法」のA型・B型発表、「津別町の喜怒哀楽・愛」をテーマにしたいろはかるたづくり、「女たちによる町おこし戦略」と題した公開講座、1日町おこし町長体験、カメラウォッチング、ポスター討論公開講座、「パブリックデザインの将来性・自治体が儲ける時代」と題した公開講座、津別町の魅力発見ツアー、分かりやすい文章・論文のコツ、おまつり学、「雪国とまちづくり」と題した公開講座、400 字詰め原稿用紙 100枚の提出を求められた卒業研究の個別指導と提出、魅力的な話術の学び、プレゼンテーション技術の学び、卒業式と津別まちおこしシンポジウムの開催などでした。この― 72 ―ほか、毎月 5,000 円を積み立てし、九州への移動まちおこし大学という名の修学旅行を行い、移動中のバスの中でも講義を受けるなど、九州でまちおこしを行うさまざまな方たちとの交流も行っています。このようなことを行ったまちおこし大学の学びから、その後、まちづくりにどのような影響があったかについては、入学前に日比野学長から示された「津別町まちおこし 10 大戦略」の達成度もバロメーターになると思います。その戦略全てが達成されたわけではありませんが、「まちおこし大学と大学院の設立」、「北海道でてこいランドの建設」、現在進めている「都心のある過疎地づくり」が成果としてあげられると思います。さらに、まちおこし大学で学んだ建築士や木材会社社長などが加わり、平成4年3月に策定した「HOPE計画」といわれる津別町地域住宅計画にも影響を与えています。地域に根ざした住まいづくりを目指し、景観形成や豊永の戸建て公住などの建設も行われています。また、卒業生の中から女性を含む4名の町議会議員と町長を輩出したことから、結果として、いわば松下政経塾的な要素もあったのではと感じているところです。以上、答弁とさせていただきます。

質問 3番 小林教行

〔登壇〕 今、まちおこし大学についてご説明いただきました。町長も卒業生ということで、成果の部分、大分控えめに言われたのではないかなというところが私の第一印象でございます。まず、この本日の一般質問にしようとするに至った経緯ですけども、冒頭に申し上げましたように、議会改革ということで、若者との意見交換会がその発端でございます。そこでアドバイザーとして新潟大学の田口先生に来ていただいて、このような意見交換会というのは、ぜひぜひ輪を大きくして続けていくべきだというところから始まりまして、そこで懇親会の席で、昔まちおこし大学というのがあって、すごい成果を残しているんだというところに発展しまして、その場所で、これが行われたのが 30年以上前の話であるから、ぜひ今の時代の若い人たちにもやってほしいというところから私も興味が湧きまして調べさせていただきました。― 73 ―まず住民企画課長のところに行ったら、ちょっと古過ぎて内容がわからないということで町長のところに話を伺いに行きましたら、嬉しそうに当時のことを話されるわけなんですけれども、町長のほかにも議長やほかの議員さん、まちおこし大学を卒業された方々は、非常に大変だったけども嬉々として楽しそうに話されて、まずそこでまちおこし大学というのは、やはり今の津別町をつくっていく上で非常に大事なことであったんだなというのが私の感想でございました。その中で、これを進めていくにあたって、意見交換会の時にもそうだったんですけれども、なかなか若い人というところが夜の時間にしろ仕事もされておりますので出てくるのが大変である、当時もやはりもちろん仕事をされている方が学び直しといったところの社会人の大学ということで、出てくるのが大変になるのかなと思いましたけれども、その中で年齢層はどのような人たちが来られたのか、開催されていた時間帯、そういったところはどうであったのか、やはり仕事もありますので出られる時、出れない時というのもあったかと思うのですけども、それをどのように対応されたのか、今回、議会のほうでは若いお母さんたちにも声をかけて出席の承諾は得ていたんですけども、当日は子どもたちがインフルエンザにかかってしまったということで、2名とも出れなくなってしまった経緯もございます。その辺りの女性の社会進出といったところでも非常にそこが今後課題にもなるのかなと思うのですけれども、この辺りについて町長、当時のことを思い出しながら、どのように対応されたのかということを伺いたいと思います。

答弁 町長 佐藤多一

33 年前の話なものですから、詳しくは全部覚えておりませんけれども、基本的には開催は夜でした。仕事が終わってからということでありまして、年齢的には私の前後、当時私 39 歳でしたけれども、その構成の中では私よりさらに年下の人が多かったというふうに思いますけれども、1番この中で年齢が高かったのは現山内議員さんではないかなというふうに思いますけれども、それでも 40 代の前半でしたから、ほぼ 30 代と 40 代のちょっといったところという形で進めていました。内容が内容だったものですから、やはり途中で中退された方もおります。そして当時の記録を見ますと、卒業には 100 単位以上必要になっておりまして、単位が全部決― 74 ―められております。総数 138 単位の中で 100 単位以上とらなければ卒業できないということで、この中では、先ほどの修学旅行も 20 単位入っていますので、行けなかった人はちょっと厳しい状況になったかなというふうにも思います。あと卒論なんかも 100 枚はなかなか厳しくて卒業できなかった方もいるのですけれども、それでもお互いに助け合いながら何とか卒業してきたという状況です。当時、最後には卒論の発表を簡単にまとめてポスターにして町民向けに中央公民館で発表会をやったんですけれども、その資料だけがちょっと残っていなかったものですから、どこかにないかなと思ったら議長が持っていまして、議長もメンバーでしたのでいただきまして、それぞれの方がこんな形で発表したというのも当時を懐かしく思いながら見させていただいたという状況です。

質問 3番 小林教行

〔登壇〕 当時やはり大変な中ですけども、答弁の最初のほうに「政争の町」ということで、ちょっと物騒なところもあったのですけれども、津別町民はやはりお祭り好きというところもあったかと思われます。みんなでワイワイ大変な中でも学ぶという楽しさ、それがあったからこそ続けられたのかなとも思うところでございました。もう1点なんですけれども、このまちおこし大学の費用対効果について伺いたいと思います。予算が最初 610 万円ということでした。ふるさと創生事業の中から 610 万円、これは1事業2年単位ですから 610 万円の2カ年計画で 1,220 万円で、予算が半年凍結されたから、900 万円程度が合計予算だったのかなと考えるところですけども、そのあたり2年かけた約 1,000 万円の予算、これを卒業された町長に聞くのもなかなか難しいことかもしれませんけれども、これに対する費用対効果というのは私はものすごくあったのかなと思うところです。このことについてなんですけども、1人の町長や1人の議会議員が出るだけでももう十分にもとがとれるような効果があったのかなと思うところですけども、卒業の方々のメンバーの顔を見ますと、すごい方たちだなと思うし、この町の顔になっている方たちがすごく出ているなというふうに思いまして、あえて町長に伺いたいと思うんですけれども、この費用対効果というのがすごかったこ― 75 ―とについて、それと、これが結構皆さん第1期生ということで書かれているんですけれども、費用対効果が大きかったのに第2期にならなかった要因が何かあれば伺いたいと思います。

答弁 町長 佐藤多一

費用対効果については、私からちょっとどうこうというのもなかなか言いづらい部分がありますけれども、先ほど1回目の答弁でもお話ししましたとおり、さまざまなところで議員さんが生まれて、残念ながら4人の中の1人は既にお亡くなりになられていますので残念なこともありましたけれども、そういったことだとか、それからさまざまな計画、そこを卒業した方がまた別のシンポジウムを開いたりとかいろんなことをやっておりましたので、効果としては、やはりかけた部分はあったのではないかなと思います。当時の手元資料でいけば、610 万円というのは委託料なんですけれども、何せ遠い九州から毎月やってくるということでありますので、毎月ですので1年分として 12 回は来るわけですけれども、加えてアシスタントの方も一緒に見えられますので、これをみますと旅費で 15 万 660 円の 15 人分を計上しています。アシスタントの方は3回入れてということで、1 カ月プラス3カ月という状況です。それから授業料です、これは大学ですので1人 25 万円ということで、これもしっかり納めて、それらが中心となっていましたけれども、結果的に 610 万円で半年遅れになりましたから 400 万円ぐらいでスタートしたというふうに思っております。2年目はまたしっかり予算を組んでさせていただいたということなんですけれども、なかなか当時としてはやっぱり金額も金額なものですから、そう続けていくのもなかなか当時の町長も苦しい部分もあったのかなというふうに認識しています。そこで、ただ、学びたいという方たちがまだいましたので、そこは今度自費になります。大学院をつくりまして、これも2年間ということで、これは町立のまちおこし大学でしたけれども、今度は志立まちおこし大学ということで、志立のまちおこし大学院ということで、これは1人年間 15 万円、2年間ですか 30 万円掛ける6人の方が学びましたので、それを先生にお渡しして、毎月とはなりませんでしたけれども、引き続いて大学院を開講していた経過があります。そこでの学びは、今もテレビでやっていますけれども、10 時になりますとニュースステ― 76 ―ーションが始まりますけれども、当時は久米宏さんがニュースステーションの番組を担当していましたけれども、津別町ニュースステーションということで、それぞれ皆さんが新聞だとか週刊誌を題材にして、今のトレンドを1カ月間勉強して、それをまとめて、どうつなげていくかというのを先生が来た時にそれぞれキャスターになったつもりで話をすると、それをまた文章化必ずしていくというやり方を2年間続けてやってきました。そんなようなことで、公費に頼った部分と、自費でやった部分とそれぞれありますけれども、先ほど申し上げましたとおり北海道でてこいランドもできあがりましたし、これは修学旅行で長崎でてこいランドを見学させていただいて、それを北海道にもつくらないかということで、長崎の諫早にあるんですけれども、大きく長崎というネーミングをつけています。北海道も津別でてこいランドではちょっと小さく感じるので、北海道というのをつけようということで、その後京都にもできるんですけれども、京都は亀岡なんですけれども、これも大きく府の名前の京都というのをつけて、それぞれまだ三つとも動いているということで、津別でも三つのででこいランドのシンポジウムを開いたりとか、そのようなことも開催しておりましたけれども、さまざまな形で費用対効果という部分ではあったのではないかなというふうに認識しているところです。

質問 3番 小林教行

〔登壇〕 素晴らしい費用対効果の施策だったと私は思います。大学の授業ということですので、当然多額のお金がかかるところでございます。1人 25 万円ですとか旅費とかも相当な金額になるんですけれども、これも最初のほうに日比野先生が長崎から1枚のはがきからのご縁でつながったところですので、近場の大学にしようということにはなかなかならなかったのかなと思うところでございます。また、内容が非常に難しい内容なので、大学ですので当然なのかもしれませんけれども、内容につきまして主に大きく目的三つあって、この内容があったかと思いますけれども、これが学びたいと思ったときに、これをやってすっと頭の中に入ってくるものなのか、それとも仕事をしながら学ぶことがすごく大変だったかと思うんですけ― 77 ―ども、そのあたりについて、この日比野先生というのは大学教授の方ですので、きっと上手にはやられたと思うんですけれども、このあたりの授業風景について伺いたいと思います。

答弁 町長 佐藤多一

結構ボリュームが多かったものですから、ちょっと話して終わるというのではなくて、言ったことは必ず原稿用紙に5枚ぐらい毎回毎回必ず書いて、いわゆるレポートみたいにして言ったことをきちんと書いて、それがKJ法のB型ですけれども、ポスターを必ず自分でデザインして、いろんな例えばトレンドをつけて、そして今で言うワークショップみたいな形で進めていって、そこで終わったものを自分で言ったことをきちんと文章化して論文化していくというか、それが結構大変でしたけれども、ずっとそれもきちっとやらないと単位がもらえませんので、それを進めてきたという状況です。当時の広報に載っているんですけれども、そこのところをコピーしてきたんですけれども、こんなように一面で載っていたんですけれども、この中に書いてあるのはポスターとしてつくってきた事柄を1人1人が発表、そして発表が終わるとみんなで批評するのですが、中には厳しい批評もあり、日比野学長につくり直しを命ぜられる生徒もいましたということも書いてあるんですけれども、結構厳しかったなと、その例が、やはり何とか1人卒業させたいと思って、いろいろ頼みに行ったりもしたんですけれども、それは頑として受け付けていただけなかったので、やることはやっぱりちゃんとしないとだめだよというのが、逆に教えられたというのですかね、そういう状況でありました。

質問 3番 小林教行

〔登壇〕 卒論も 100 枚書かなきゃいけないですとか、単位も 138 単位中 100 単位とらなきゃいけないですとか、本当に大変だったなと思うところでございます。ですけれども、やはりこの大学でまちづくりに関して研究している先生がしっかりと教えてくださるというのは、やはりそれぐらい厳しいものであるのだなと思うところです。日本の大学は入るのは大変だけど、出るのは簡単と言われますけれども、海外の大学は入るのが簡単で、出るのが非常に大変だ、そういうところ― 78 ―も非常に似ているのかなと。より今後の人生に役立っていくのかなというふうにも感じました。議長のまちおこし大学の卒業論文の研究発表を見ましたら、これを見るだけでもすごく楽しくやっていたんだなと思うところと、あと終わった時の一言でほっとしたですとか、やっと終わったとかという感想も多かった中で、脳が覚醒したという内容もございました。頭の中のネジが何本か錆びていたんじゃないかと思うぐらいそれぐらい考え方が滑らかになったというような感想もございまして、やはりすごく勉強された成果が1年半でしたけれどもしっかり出ていたんだなというふうに私は感じました。そして、このまちづくりに感じた時に、いろんなたくさん素晴らしいところはあったんですけど、おーこれはと思ったところが一つ、農家さんも中にはおられましたので、語呂がいいなと思ったのが、「つくった味より旬の持ち味」というのがございまして、すごいこの研究成果のところはぜひ読みたいなと思ったんですけれども、これ北海道津別町に住んでいるとついつい忘れがちになってしまうんですけれども、この旬の持ち味というのは、やはりすごい破壊力がございまして、私も 10 年以上、北海道を離れてからこっちに戻ってきた時に、旬のアスパラですとかブロッコリーとかを持ってきていただき食べた時に、特にブロッコリーは苦手でして、マヨネーズで味を誤魔化さないと食べられないぐらい苦手だったんですけども、もうこっちで新鮮なブロッコリーを食べた時に、こんなブロッコリーって美味しかったっけ、新鮮なものは違うなと、またトウモロコシも今朝もいだやつだから早く食べてねと渡されたやつを茹でてもらって食べたんですけども、何だこの甘さはと、砂糖を入れたのかなと思うぐらい甘かったというのを 10 年前に戻ってきたときに思ったんです。もちろん砂糖を入れて茹でても甘くならないんですけれども、塩だけでものすごい甘くなるというのは、やはり旬の味なんだなというところをすごく思いました。それを農業と観光業に何とかつなげられないかなと、観光で来ていただいた人に味わっていただくとか、そういったほかにもまだまだたくさん美味しいものがあり過ぎて困るところなんですけれども、そういったところをやはり農業の若い世代と、観光業に携わるような若い世代、またほかの携わる世代の人たちと一緒に学んでいくと、いろいろなアイディアが出るのではないかというところで、今この 33 年前に行われましたまちおこし大学というのは、今― 79 ―また必要なのではないかなと、未来に対する先行投資として町長はまちおこし大学のような若い人たちがもう一度楽しく同じ世代の人たちが一緒に学べる場をつくる考えがあるかどうか伺いたいと思います。

答弁 町長 佐藤多一

行政が中心につくっていくべきかどうかというのはちょっと悩むところだと思います。やはりまちおこし大学のときも、やりたいという人はまずいて、団体というかそういう集団があって、それを町にお願いして非常に九州からですのでお金もかかる事業となりますので、それを理解していただいたということでありますので、町がこちらで用意をしてやりませんかということになると、やっぱり意気込みというのはちょっと違ってくるかなと、そういう動きが出ているので、ぜひやりたいという部分については、行政としてもぜひ支援をしていきたいなというふうに思います。そういうことをやっていくと、意識的にそういうやる気のある人たちがどんどん進んでいくと、また必ずいろんなネットワークが広がっていくんですよね、このまちおこし大学の前進の中で、僕らは逆手委員会と言っていましたけれども過疎を逆手にとる委員会というのは北見工大をもう定年になっておりますけど白樫先生の協力を得て、役場が終わったら北見工大に行って勉強をやっていました。その時のメンバーの中には山田議員さんも入っているわけですけれども、その中で白樫先生がある時津別に連れてきたのが大野先生でした。それが限界集落を出した大野先生で、こちらにそれがつながりで農協とつながって、そしていろんな法人化のことだとか、さまざま今日の農協に今の組合長や、それから参事や常務なんかに聞くと、みんなメンバーとして入っていましたので、農協のグループの中で、今のつべつtake actionミーティングみたいなものだと思いますけれども、勉強もしっかりされていました。それに農政担当がしっかり関わって支援もして、その農政係の担当者もみんな大野先生の学びの中に入っていったということがあります。そんなこともあって、やる気のある人たちが集まったときは、必ず何かが起きてくるんだろうと思いますので、その時には喜んで支援をしていきたいなと考えておりますので、先ほど田口先生のお話も出ていました。田口先生も私も皆さんがお呼びになって公開講座もやっていただいていますので、そういうのにも参加して聞いています― 80 ―けれども、大変おもしろいユニークな先生ですので、なかなかいい先生だなというふうに思っていますので、そういうところは小林議員さんもある意味中心になりながら頑張っていただければ町としても支援をしてまいりたいなというふうに考えております。

質問 3番 小林教行

〔登壇〕 前向きな答弁ありがたいところですけども、なかなか人を集めてやるというのも大変なところでございます。また予算に関しましても、先ほど来、ふるさと納税で佐藤議員のときにもおっしゃっていましたけれども、やはり自由になるお金というのはなかなか用意しづらいという中でも、ぜひ未来に対する先行投資というのを実行していただきたいと思います。また、人づくりまちづくり活動支援事業というのもございますけれども、やはり上限額でいいますと、大学の教授を呼ぶまでのしっかりとした金額にはならないと思いますので、町からの支援、もちろん私たちがやりたいというところがあれば支援したいという考えはあるということでしたので、まずしっかりと私たちがやりたいという思いをまとめて進めていきたいと考えております。また、この進め方につきましても、やはり私も歴史の先生に言われたことを思い出しました。歴史を知ることは未来をつくることであると教えられたことがあります。このまちおこし大学もスタートがなかなかうまくいかなかったとこで予算が凍結された、議員の反対もあったということも伺っております。ですので、はじめるにあたっては、この二の轍を踏まないようにしっかりと話し合いながら予算がしっかり通るような、そういった進め方というのが必要であるのかなと思います。また、このまちおこし大学を起こしたいといったときに、例え話として三国志の話が出てきました、魏、呉 蜀で有名な話なんですけども、蜀の武将、劉備玄徳はすごく周りに有能な武将がたくさんいて、弱い国だったけれども、ほかの強い二つの国に立ち向かえるぐらい大きな国にできたというのは、周りの人たちがしっかりと国を支えてくれたからだというところで、その国が人づくりに失敗したということなんですけれども、息子の劉禅のときになると国がもう全然立ち行かなくなって滅びてしまった、今の津別町政にも町長、議長、議員さんと非常に当時学ばれた卒業生たちが活躍― 81 ―しているところでございます。ですが、これもしっかりと次世代をつくっていかなければ、私たちが頑張らなければいけないんですけども、あまりにも上の人たちが立派過ぎると、自分たちがなかなか出づらいということもございます。この次世代をつくっていくということを、ぜひ町長には先見の明をもって進めていただきたいと思います。

答弁 町長 佐藤多一

次の世代の人たちが、引き続いて町を活性化して、さらにさらにいい町にしていただくことは本当に期待するところであります。先ほども申し上げました農業青年たちが今、つべつtake actionミーティングということで、なかなか舌を噛みそうなんですけれども、そういう組織をつくっていろんな活動をされています。時々、この間はチミケップホテルで食事をしながら、津別産のものを活用して渡辺シェフにつくってもらってそういう集まりをやるので来てくれないかということで、道新の支局長とともに参加させてもらいましたけど、皆さん生き生きして、そしてそこにひと手間加える味付けだとか技量を見て、自分たちがつくったものがこんなふうに変化するんだというのをちょっと驚いていたり、感想をそれぞれ1人ずつ述べていましたけれども、そういう場所をみずからつくっていくのと、それから時々は行政もそういう場所を提供したりする中で、たくさんの方がやっぱりいろんな方面に関心を持って、地域を豊かなものにしていこうということに進んでいくことに対しては、どんどん応援していきたいと考えておりますので、議員ともども頑張ってまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

質問 3番 小林教行

〔登壇〕 最後になりますけども、先ほど来、申し上げておりますまちおこし大学、若者がしっかり学べる場といいますのは、10 年後、20 年後の未来の津別町を担う人材を発掘して育てる、また同じ世代の方が集まって横に広くということになりまして、ともに楽しく学ぶという場が必要であると考え、これからもぜひ私たちも学ぶ場所を自分たちでつくっていきたいとは思いますけれども、その時の支援については、ぜひ町長の支援のほう、町の支援もお願いしたいと思いまして、私の一般質問を終わらせていただきたいと思います。― 82 ―

出典:津別町議会 令和5年第3回定例会 2023年3月14日 議事録 PDF(69ページ) 間違いを知らせる