音更町議会 平成29年第2回定例会 2017年6月27日
町内の小中学校におけるいじめの実態と対策について
2017年6月27日、音更町議会の一般質問で、加藤治夫議員が「町内の小中学校におけるいじめの実態と対策について」質問し、教育長 宮原達史が答弁しました。
- 質問者
- 加藤治夫 議員
- 答弁者
- 教育長 宮原達史
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
件名は、議員が最初の質問で述べた言葉から取ったものです。
質問 10番 加藤治夫
通告に従いまして質問させていただきます。町内の小中学校におけるいじめの実態と対策について。昨今、新聞、テレビ等でいじめによる痛ましい自殺が報道されております。きのうも新潟県で1人が自殺したと報道されました。この問題は、いつでもどこでも起こり得る問題であります。それは人間の心の問題だからであります。人間は、生を受けて、誰しもが途中で生きることを断念しようとは思わないでしょう。あえて生きることを断念しなければならなかった子どもたちを追い込んだいじめは、加害者、被害者ともに心の闇であります。そこで、次の点についてお伺いいたします。1、音更町におけるいじめの事例は。2、現在、町が把握している不登校児童生徒の数は。3、不登校児童生徒といじめの関連は。4、実態を踏まえた上での対策は。以上、よろしくお願いいたします。
答弁 教育長 宮原達史(教育長は2020年3月まで)
町内の小中学校におけるいじめの実態と対策についての御質問にお答えいたします。平成23年に滋賀県大津市で起きたいじめによる自殺事件をきっかけとして、国が、いじめ問題は社会全体に関する国民全体の課題であるとし、社会総がかりで対策を進めるため、平成25年にいじめ防止対策推進法を制定し、北海道においては、平成26年に北海道いじめ防止等に関する条例を制定いたしました。これらを受けて、本町におきましては、平成26年から平成28年にかけて、各小中学校及び町がいじめ防止基本方針を策定したところであります。いじめ防止対策推進法では、基本理念として、いじめは全ての児童生徒に関係する問題であり、学校の内外を問わずいじめが行われなくなるようにすること、全ての児童生徒がいじめを行わないよう、いじめの問題に関する児童生徒の理解を深めること、いじめを受けた児童生徒の生命及び心身を保護するため、社会全体でいじめの問題を克服することなどを規定しております。初めに、音更町におけるいじめの事例についてでありますが、本町では、全児童生徒を対象に、いじめの把握のためのアンケート調査を、毎年5月から6月と10月から11月の年2回実施しているほか、各学校でも独自に実施しているところであります。今年度の調査につきましては、現在1回目を実施中でありますが、平成28年度の状況といたしましては、2回の調査と指導を経て継続指導となった小学校における事案1件が、その後、解消に向けて学級全体への指導を継続した結果、2学期後半から落ちついた状況が続き、現在は解消しているところであります。次に、現在町が把握している不登校児童生徒の人数についてでありますが、文部科学省における不登校の定義は、何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しない、あるいはしたくともできない状況にある者のうち、病気や経済的理由による者を除き、年度間に連続または断続して30日以上欠席した児童生徒となっております。この定義による本町における平成28年度の不登校児童生徒数は、小学生が12名、中学生が71名の合計83名となっております。次に、不登校児童生徒といじめの関連についてでありますが、不登校児童生徒の欠席理由につきましては、家庭事情や身体の不調など多岐にわたっており、各学校において児童生徒や保護者の状況などの確認や教育相談を行っておりますが、現在のところ、いじめが理由による不登校はないものと考えております。最後に、実態を踏まえた上での対策についてでありますが、学校でいじめが発見された場合は、いじめ防止基本方針に基づき、教育委員会と連携しながら、各校のいじめ対応チームが組織的かつ迅速に解決に向けて対応します。さらに、児童生徒の生命などへの被害や不登校などの重大事態があった場合は、教育委員会が町長に報告し、調査を行うことになります。教育委員会といたしましては、いじめや不登校については、未然防止、早期発見・早期解消が重要であると考えておりますので、引き続き学校や家庭と連携してこれらに取り組んでまいります。以上、答弁とさせていただきます。
質問 10番 加藤治夫
町内において、今のところ特別いじめというものが起きていないという回答でありますが、このいじめによる自殺、本当に痛ましいものであります。しかし、今のように陰湿なものではなかったんですが、私たちの子供のころも、ないというんでなくて、ありました。なぜ今みずからの命を絶つのか。それは、原因の一つには子供の心の脆弱化にあるのではないだろうかと。これは一つには、昔は兄弟が多くて、家庭で兄弟げんかから始まって、殴られるというか鍛えられたというか、殴られてみて痛みがある程度わかるわけであります。そうすると、殴るとき、この程度だなという程度がわかったと思います。ところが今、その程度というのがわからなくなってきた。徹底的にやってしまってから、「死ぬとは思わなかった」という談話が結構あるんですけれども。それと、今子供が少なくなって、地域による、地域社会に子供社会がなくなった。学校を横社会とすると、地域は縦社会でありました。そこには高学年から低学年、いろいろおりまして、当然リーダーは餓鬼大将です。悪いこともいろいろそんな中でやったけれども、しかし、そんな中でまた知恵も受け継いだ。例えば、昔、十勝川あたりに氷が張るんだけれども、上級生がその氷を渡るときに、まず大きい石を持っていってぺんと投げて、氷の割れぐあいで渡っていいか悪いかということを、いわゆる知恵を受け継いできて、そういうものを伝えた、そういうことがあるし、また、横社会、学校でいじめられても、地域社会の要するにリーダーにというか餓鬼大将にいつでも言えるというどこか安心感があった、それが一つにはなくなってしまったなと、そういうことが一つあるんでないかなと私は思うんですが、教育の中に知育、体育、徳育、これがあるんですが、何かこのごろ知育偏重になっているんじゃないでしょうか。命の教育がされていない。カブトムシを飼っていた都会の子供が、カブトムシが死んだら、「電池が切れちゃった」、それから、かつて、疑似生命体というんですか、たまごっち。遊びの中でその疑似生命体を育てていくんだけれども、ときにそれが死ぬということがあった場合に、電池をオンすれば、スイッチオンすればまた生き返ると、こういう中で命そのものが見えていない。昔は家庭教育の中で、じいさん、ばあさんという中から命の大切さというものを教えてもらったはずなんですけれども、今核家族になってしまった、それが一つには大きいんでないかなと、こう思うんです。名古屋大学の女子大生、国立の名古屋大学の才媛が、「人を殺してみたくなった」と言っておばあさんを殺しちゃった。それから高校時代にも同級生に毒薬を飲み物に混入して、今でもその後遺症に苦しんでいるんでしょうけれども、そんな中でやっぱり命の教育が何かおろそかになっているんじゃないかなと、こう思うんですけれども、それについてはどう思われますでしょうか。
答弁 教育長 宮原達史(教育長は2020年3月まで)
今加藤議員から、昔のお話とか今と比べてのお話たくさんいただきましたけれども、私も、今はなぜちょっとしたことで自殺するのかという論調も結構あります。ただ、これは、心の脆弱化というお話もありましたけれども、今学校現場でそういう心の脆弱化に対する教育というのはなかなか難しいものがありまして、命の大切さとかそういうものを改めて教えましょうというのが道徳を中心に、理科であるとかいろんなものに入ってきますけれども、実は昔はこういうのはもう学校に入るころには身についていたものではないかと思います。おっしゃられるように、核家族化、少子化で兄弟がいない、それから祖父母がいない中で育って、例えば小さいころに身内の例えば誰かが亡くなってお葬式に出るとかそういう経験が少なくなってきたとか、地域コミュニティがなくなってきて、子供の周りにそういう状況がなかなか生まれなくなってきた、そういう体験がなくなってきたと言うんですか。それで心の脆弱化につながっているのかなとは思います。また、地域でほかの子供たちと遊ぶことがなくなって、私も小さいころ確かに外に遊びに出たらいろんな学年の人たちがいて、けんかもありましたし、遊んでいたのは覚えています。そういう状況も余りないということで、何か学校のクラスの中、それから少年団の中、そういう中だけの関係、それ以上広がらない中で、少年団でもやっていればまあいいんでしょうけれども、そういう狭い中で、いろんな体験ができない中で育ってきているというのがもちろん原因の一つなのではないかなとはよく言われていることですが、私もそう思います。今いろんな事件のお話もありましたけれども、今、小中学校、特に小学校の中でいろいろ教えたいと思っているのは、学習指導要領の範囲内で、先ほどもちょっと申し上げましたが、命の大切さ、それから人の尊厳、それから自然を愛する心、こういうものを新しい今度の特別の教科道徳などを中心に入れていこうというのはそういう状況から来たものだと思っています。これは学習指導要領ですから、学校の中でも指導要領に沿って教えていくことになるのではないかと思います。それに家庭のほうも御協力していただいて、どうしても学校だけでは限界があります、こういうものは。どうしてもやはり家庭教育というものが大事になってきますので、その辺はやはり社会の風潮に負けずに家庭教育もしっかりやっていただければと学校側としては思うと思います。以上です。
質問 10番 加藤治夫
文科省の教育指導要領というかそんな中で、今回新たに道徳教育というものに力を入れるようになったんですけれども、その中に、学校の先生、教師というばかりでなく、地域の古老の語り部とした苦労話、それから、今は何でも機械化されておりますが、昔は確実に手仕事でした。その大変さを語ってもらったり、それから、そういう古老の人たちの父親、母親、じいさん、ばあさんたちの開拓期の生活ぶり、今これだけ音更も開拓されて広い畑になったんでしょうが、昔はそれこそ大きな木が、それを1本1本我々の先達が切り倒し抜根して、そして畑を広げていった、そういうことをやはり子供たちに教えれるような、そういう制度はないのかなと。小野町長の町政執行方針の中にも、今音更町があるというのは多くの先人たちの苦労によるおかげだと。その人たちの恩を忘れないということは大切なことであると、そう言われました。また、そのギネンシとして先住民族の人たちの権利が奪われたということを、土地、言葉、名前、誇りが奪われたというこの開拓してきた、移住してきた側のもう一つ痛みというものを感じ、それを子供たちにも教える、こういうことがやはり大事ではないかなと思うんですけれども、ただ、教育指導要領の中にそういう地域の経験者というか古老のそういうものを先生として迎えるという、そういうことはできないものなのかなと、こう思うんですけれども、いかがでしょうか。
答弁 教育長 宮原達史(教育長は2020年3月まで)
今のお話ですけれども、ふるさと教育という枠内で道徳であるとかそういう指導要領にあるんですけれども、総合的学習の時間というのも別にありまして、これは学校でいろいろカリキュラムを組んでいるんですけれども、聞いたところによりますと、全部の学校ではないんですが、そういう郷土の歴史を学ぶ時間つくっている小学校あります。聞いたところ、そこに住んでいる高齢の方、先ほど古老の方という表現ですけれども、そういう方をお呼びして、子供たちの前で、この小学校がどういうふうにしてできて、昔どういう保護者が苦労してこの小学校を運営していたか、それから戦争時代のこと、それから移転したこと、そして、小学校の前の二宮金次郎の像がなぜコンクリートでできているかと、金属でなくて。そういう話とかいろんな変遷の話をしている小学校もありまして、そして、それに対して子供たちが手紙を書いて感想を送ってくるそうですけれども、それには本当に、知らなかったとか、親とか家族はそういう話してくれなかったとか、いろんな感動の言葉があるそうです。おっしゃられるようなそういう郷土の歴史といいますか身近な郷土の、身近な歴史なんですけれども、そういうのを知ることは大変重要なことだと思いますし、もちろんその地域によって学校によっていろんなやり方があると思います。全くない、やっていないわけではありませんので、その辺は各学校で地域の実情に合わせた時間のとり方をしてやっているものだと思っています。以上です。
質問 10番 加藤治夫
昔は教育のことを学問と言いました。文字どおり問いを学ぶ。なぜそうなるのかという答えを出すプロセスが大事だと思うのですが、ところがいっとき、暗記第一というのか、答えを学ぶ、学問でなくて学答になってしまった。オウム事件を起こしたあの教団の青年たちの多くが最高学府を出た人たちであったが、教団の教組の言うことに何も疑問を持たず、やすやすとそれに従ってしまった。これが学答という、それの結果じゃないのかなと、こう思いますが、これは、戦争で日本が敗戦したときに、公教育の場から特定の宗教というものが禁止された。ある意味じゃ当然でありますけれども、あつものに懲りて……。
質問 10番 加藤治夫
はい。ただ、私が言いたいのは、余りにも知育偏重になっている中でやはりこういうことが起きるんでないかなと、こう思っております。そんな中で、単に人は経済だけに生きるものでない、やはり生きる意味を求めながら生きている、そんな中を知らない中で、ただ単に知育を偏重していく中でやはりどこか曲がってしまったというか、そういうものが起きているんでないかなと、こう思うのであります。正直言って質問の趣旨から多くそれちゃったと、こう批判されましたので、ただ、ここで終わりますけれども、ただ単に私たち、経済が全てでない、もっと心というものを大事にしなかったら、そのことが子供たちにもやはり伝わっていくんじゃないかなと、私はこのように思う次第であります。これで質問を終わります。