むかわ町議会 令和7年第2回定例会 2025年6月19日
平和なまちづくりについて
2025年6月19日、むかわ町議会の一般質問で、北村修議員が「平和なまちづくりについて」質問し、町長 竹中喜之が答弁しました。
- 質問者
- 北村修 議員
- 答弁者
- 町長 竹中喜之
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
質問 11番 北村修
4つ目の課題に入ります。平和なまちづくりについてであります。御存じのとおり、今年はあの戦争が終結して新しい日本国憲法が、平和憲法ができて、民主主義がつくられるようになって、そういう流れの中、戦後80年の年にあります。私はやっぱりこの年を大事にしていく、本当にこの間生きてこられた方もほとんど残り少なくなっているという状況の中で、この戦後80年を町としても考える必要があるんではないか。特に、非核平和宣言ということの掲げている町であります。その立場から、私は何らかの取組をやって、そして戦争での犠牲者、これは亡くなられた方だけではなくて、むかわ町には空爆もありました。そういう中での、いろんな思いをしている方々、その人たちを含めたものとして慰霊祭を一つ取ってみても、これまでとは違った、本当に平和の町宣言にふさわしい戦後80年、取組をしたいものだなというふうに思うんですけれども、この点について伺います。
答弁 町長 竹中喜之
むかわ町が2017年12月、非核平和の町宣言を行ってから7年と半経過しているところでございます。この宣言以降、議員も御案内のとおり、2018年、道から取組を初めております広島の平和記念式典、地元の両地区の中学生を派遣する広島平和の旅派遣、残念かな新型コロナの関係で中止した年度もありましたが、これまで34名の中学生の皆さんが平和の尊さ、現実というのを学んできております。今年度も7名の中学生を派遣する予定となっているんです。また、それと行きっ放しじゃないぞというところで、帰町後には、それぞれがそこで見て聞いて感じてきた、それぞれのことを町の広報誌だとか、あるいは町民文化祭、こういったところで皆さんに報告しながら、広く伝えていく取組というのも行ってきているところでございます。戦争・被爆経験者、先ほど議員のほうからも触れられておりますように、徐々に徐々に減少してきているのは、これは我が町もそうでございます。戦争の記憶というのが薄れつつある中で、これから次代を担っていく子どもたち、この子どもたちが戦争の悲惨さ、核の恐ろしさ、これをしっかり直に見てもらって学んでもらう取組は極めて重要と捉えているところでもございます。非核平和の町むかわ町として、こういったところも踏まえながら、それらも取組を重点にしながら、新たな角度というのも含めた中での、引き続きの非核平和の取組、進めていきたいと考えているところでございます。
質問 11番 北村修
思いは全く同じであります。そこで、これからも続けたいということなんだけれども、この戦後80年というこれを迎える年に、何らかのアクションを起こしたほうがいいんじゃないかと私は思うんです。例えば、今、述べられた子どもたちが、これまで述べ34名、私も何度か広島の記念式典にも参加をさせていただいて、本当に平和への思いを強くした一人でございますけれども、そういう実績を積み重ねる、歴史を積み重ねてきているわけですから、そうした参加者の感想文だとかをこの際まとめて、そして、何らかの形でそれを紹介することなど、あるいは昨年、非核平和、核兵器廃絶の問題では日本の被団協の皆さんがノーベル賞を受けました。これが全世界の多くの人々、一部の核にしがみつく人たち以外に、大きな希望と勇気を与えました。こうした代表の人たちを招いて講演会を行うとか、そういうような事業を行ったらどうかというふうに思うんですけれども、いかがでしょうか。時間の関係で、1つずつはやりません。もう一つ、戦後80年ということで、私は慰霊祭などをもうちょっと町民全体が参加をして、本当に多くの町民の皆さんが平和を考える日にしたほういいんではないかというふうに思っているんです。そういう意味で、むかわ町にも百数十名の犠牲者がおられますけれども、それだけではなくて、昭和20年、これは7月、その前にもあったようですけれども、町史に記されているだけで昭和20年の1945年7月、この鵡川沿岸、ここに空襲爆撃があったと。グラマンという戦闘機が爆撃をしたと。今の洋光団地のところに土管工場があって、その土管工場が襲撃された。たまたま私の義理の母になる人が、そのときに二区に住んでいて、どこへ逃げようかといって土管工場のほうに向かっていったら、そこがばりばりと爆撃されたという話を聞かされたことがあります。そういう歴史があります。私はそういう町の戦争の歴史なども紹介するような、そういう取組があっていいんではないかというふうに思っているんですけれども、改めてこの辺を伺います。
答弁 町長 竹中喜之
これも言わずもがなでございますが、戦争によい戦争、これよく中学生と帰ってきたときに話しするんです。悪い戦争、さらにはこんなものあり得ない。それと加害者、被害者、こういうんじゃなくて、みんな、みんな犠牲者なんだよといったところをいつも向き合わせていただいているんです。そして非核平和都市宣言、一度、町として宣言すれば終わり、そんなものじゃない、ご案内のとおりですよね。具体的な意識と意識を保って、どうこれからの行動に移して、継続的に活動していくことが、改めてですけれども重要と捉えております。それで、具体的にこれからどうするんだといったところも含めてでございますけれども、これまでも並行しております。平和教育の推進、教育ですね、平和教育の推進、これは教育委員会のほうにお任せします。それと、平和に関する情報の発信、今どうなっているんだ。平和団体との連携、平和の首長会議にも参加しておりますので。それと、身近でいけば、先日も御来町いただいております有森裕子さん、ハート・オブ・ゴールド、こういった運動も進められております。私もそこに加盟しております。それらと平和イベントの開催といったところの節目、節目、ちょうど平成、戦後80年といったところから、節目、節目での講演会、こういったところも今後どうなのかなと、今、思いをしているところでもございます。この間、そのほかの核兵器の根絶というのを訴える活動だとか、署名だとか、こういうことも積極的に参加させていただいておりますし、議会と連携した中の、平和の要請というのも、これまでも行ってきているところでございます。そこで、先ほど具体的に統治下のお話があったかと、ごめんなさい、空爆の話があったかと思います。それらも含めながら、今後においても、むかわにあります遺産というんでしょうか、これらにもしっかりと目を向けた中で、それと体験した世代というのは減少しておりますけれども、その戦争遺産、これらも戦争の記憶を風化させていかないぞといったところのためにも、子どもたちのために、むかわ町であった実際の戦争というんでしょうか、こういったところも伝えていく機会があれば大事にしていきたい。とりわけ、今、インターネットでもこういったところの発信できますので、記事、説明、ICTを活用して、今後に向けて伝えていければなと考えているところでございます。
質問 11番 北村修
本当にそういう点では、ぜひとも戦後80年という節目、なかなか私たちは日常的には考えないところなんですけれども、こういう、今、世情が、先日も中東のほうで核兵器までいくんじゃないかというくらい、今、この争いごとが勃発しています。こういう時代だからこそなお、やっぱり平和の、日本国憲法、平和憲法を持つ国として、そこに住む住民として、私はぜひともそういう活動をやってもらいたいというふうに思っています。もっと教育関係でもちょっと質問したいんですけれども、時間の関係で、次にいかせてもらいます。