厚岸町議会 令和7年第4回定例会 2025年12月10日
厚岸町の歴史的建造物の管理と保護、そして今後の伝承について
2025年12月10日、厚岸町議会の一般質問で、金橋康裕議員が「厚岸町の歴史的建造物の管理と保護、そして今後の伝承について」質問し、教育長 滝川、生涯学習課長 車塚が答弁しました。
- 質問者
- 金橋康裕 議員
- 答弁者
- 教育長 滝川、生涯学習課長 車塚
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
件名は、議員が最初の質問で述べた言葉から取ったものです。
質問 金橋
それでは、質問いたします。1、厚岸町の歴史的建造物の管理と保護、そして今後の伝承について。(1)国泰寺について。ア、北海道遺産蝦夷三官寺の一つである国泰寺が建立された文化元年(1804年)の時代背景と、江戸時代から令和の時代にかけて、厚岸町教育委員会として、どのように管理と保護をされてきたのですか。また、後世の人たちにどのように伝えていくことが理想と考えますか。(2)厚岸神社について。ア、最上徳内が、寛政3年(1791年)、現在の国泰寺境内の神明宮(現在の厚岸神社の前身)を造営し、その後、寛政10年(1798年)、近藤重蔵により再建されてきた経緯の説明と、歴史的建造物として、現在の厚岸神社の管理と保護はどのようになっているのですか。また、歴史的文化としての徳内囃子の経緯と、今後の伝承をどのように考えますか。以上であります。こうやってみると、半数は湖南地区、本町側の出身の議員がいる中で大変僭越ではありますが、質問させていただきます。以上です。
答弁 教育長 滝川
12番、金橋議員の質問にお答えいたします。1点目の厚岸町の歴史的建造物の管理と保護、そして今後の伝承についてのうち、(1)の北海道遺産蝦夷三官寺の一つである国泰寺が建立された当時の時代背景と、教育委員会としてどのように管理と保護をしてきたのかについてでありますが、江戸時代、国泰寺が創建された当時は、ロシアをはじめ外国船が来航してくるような情勢にありました。その対策として、江戸幕府が蝦夷地の統治を示すために建立したのが国泰寺であります。また、現在の建物や境内地につきましては、宗教法人国泰寺が管理しております。教育委員会による管理と保護につきましては、文化財保護の観点から、国や北海道の指導を仰ぎながら、国指定史跡国泰寺跡の適切な保存と活用を図るとともに、国指定重要文化財蝦夷三官寺国泰寺関係資料の修繕を行うなど、貴重な文化財を後世に伝えるよう努めているところであります。また、後世の人たちにどのように伝えていくことが理想と考えているかについてでありますが、国泰寺に関する文化財や歴史資料については、説明板の設置や学芸員による解説、特別展の開催など、多くの方々に厚岸の歴史に興味を持っていただけるよう努めるとともに、これからの厚岸町を担う小・中学生に向けての学校出前授業も開催するなど、国泰寺をはじめとした厚岸の歴史をしっかりと後世の人たちへ伝えてまいりたいと考えております。次に、(2)の厚岸神社についてのうち、神社造営の経緯と歴史的建造物としての現在の管理と保護はどのようになっているのかについてでありますが、江戸時代、幕府の蝦夷地調査団の一員であった現在の山形県村山市出身の最上徳内が、北方四島の調査後、厚岸に立ち寄った際に、バラサン岬近くに神明宮という社を建立したのが厚岸神社の先駆けとされております。その後、寛政10年に最上徳内とともに、厚岸を訪れた近藤重蔵は、この社が倒壊しているのを知り、これを再建したということであります。明治8年には、名称を厚岸神社へ改め、大正2年に現在の場所に移転し、現在、社殿は昭和48年に改築されたもので、宗教法人厚岸神社が管理しております。教育委員会といたしましては、文化財に指定されていないことから、管理や保存の対応をしておりませんが、厚岸町の貴重な歴史を今に伝える場所でありますので、海事記念館事業等で現地説明するなど、その歴史の啓発に努めております。また、歴史的文化としての徳内囃子の経緯と、今後の伝承をどのように考えるかについてでありますが、徳内囃子の経緯につきましては、厚岸町の祭りを友好都市である山形県村山市で披露した際、そのお囃子に感激した有志の方々が、市内各地に呼びかけ、発足したことに由来するもので、現在、村山市のお囃子として根づいております。海事記念館には、村山市との交流を紹介するコーナーがあり、最上徳内と厚岸町の関わりや、友好都市子ども交流事業の活動紹介などとともに、徳内囃子が披露されている村山徳内祭りの写真を展示しております。引き続き、この村山市と厚岸町をつなげる歴史の一つとして、町民及び来館者へ周知し、厚岸町の歴史を広く伝えていきたいと考えております。
質問 金橋
ありがとうございます。今、お答えいただいたとおり、私も調べてみて、大体そのとおりだと思います。あえて、ここに本町地区の議員たちもたくさんいる中で、一般質問として出したのは、歴史ということについて、ちょっと忘れかけている時代ではないかなと思ったからであります。私なりにちょっと調べてみて、まず、国泰寺からちょっと遡りの部分を調べてみて、北海道に人類が到達したのが、ちょっと飛躍します、約3万年前。それから、縄文時代に入り、その後にアイヌ文化とありますけれども、アイヌ文化ではなくて、突如アイヌ文化のそういうものが現れたのではなくて、それから、周辺文化、オホーツク文化などを吸収しながら、擦文文化を経て、緩やかに連続的に発展してきたと。それで、擦文文化というのは、大体7世紀から12世紀、それが、アイヌ文化の母体となっていると書き物にはありました。ただ、この辺の部分は、やはり国泰寺以前ですから、なかなか分からないですけれども、それこそ、海事記念館の学芸員の研究しているところだと思います。ただ、そういうことを知っているということも必要ではないのかなとは思っていますので。その後、アイヌ文化がありまして、その後のいよいよ国泰寺の建立に向かっていくわけですけども、1600年、皆さんご存じの天下分け目の関ヶ原。その後の、松前藩は、調べると1604年頃に松前藩の成立、ご存じのどおり松前藩ができて、その出先がと言ったらちょっと語弊がありますけれども、それが厚岸の厚岸場所になります。1804年に、今、繰り返しになりますけれども、こちらのほうの国泰寺が江戸三官寺として、おっしゃったとおり建立されたわけです。この近辺でいくと、根室市が、1792年にロシアの施設、アダム・ラクスマンの来航が1792年、寛政4年にありまして、これについていくと、根室市は、現在ではこの歴史を生かした町おこしが進められていますとあります。この観点からいくと、厚岸は、国泰寺をもうちょっと歴史的なものとしてアピールしていいのではないかと思います。それはなぜかというと、「花と味覚と歴史のまち あっけし」と、そして、道東の要所たる厚岸町でした、過去形です。ただ、歴史があるのは事実ですから、それをどうやって事実をもうちょっと、かえって厚岸町の方よりも釧路市とか近隣の標茶町の方のほうが、蝦夷三官寺、そのことについては非常に重く捉えております。標茶の知り合いは、厚岸がなかったら、標茶はなかったというようなことも言っております。それは、標茶町は、集治監が明治時代になって初めてできて、それから、標茶のほうが発展していったわけです。それで戻りますけれども、花と味覚、これはもう十分に周知されています。それで、歴史のまちというこのアピールで観光との、ちょっと飛躍しますが、観光との結びつけは、どのように今後、また、子どもたちにはそれでいいのですけれども、そちらの方面はどのようにお考えか、ちょっとだけでいいです、具体的でなくていいです、お願いします。
質問 金橋
質問は取り下げます。次は、厚岸神社ですが、厚岸神社のお答えをいただいたのですけれども、今後については、それは宗教法人の扱いでということでいいのですね。
答弁 生涯学習課長 車塚
ちょっとご質問の趣旨に沿わないかもしれないのですが、海事記念館、今、文化財係を所管しておりまして、厚岸神社に関しましては、指定文化財には建物自体になっておりませんので、特に文化財として何か保存とか、活用ということは考えておりません。通常の神社の運営の中で、厚岸神社のほうで行っていると。ただ、教育長の答弁にもございましたとおり、貴重な歴史を持っている神社でありますので、海事記念館で行う開設業務とか、現地の開設の依頼とか、そういうものに対しては、学芸員のほうが対応しているという現状にございます。以上です。
質問 金橋
そのことについては理解しました。あと、3番目の徳内囃子のことですけれども、今後、町内でもご存じのリズムですけれども、村山市と、それからつながりがあって、交流があって、そういうようなことを今後どういうような形で、というのは、交流はもちろんありますけれども、それは、はっきり言うと山車だとか、そういう交流がありますけれども、そのことについてどうやって、これについては教育委員会とは違うかもしれないですね。もし違うのであれば、後ほど、またそれについては質問します。いいですか。町のほうでは、それについては答えるということにはなりませんか。山車だとかその関係は、そのこととは別になりますから。
答弁 生涯学習課長 車塚
今のご質問等にお答えいたしますが、そういう山車の保存とか活用、そういうことは文化財のほうでは対応しておりません。ただ、答弁の繰り返しになりますが、村山市のほうから、徳内まつりの関係者がお見えになったときには、海事記念館を見学していただいたり、村山市と厚岸町の歴史を今につなげる貴重なお話ということで、徳内囃子のほうも、厚岸町の海事記念館でご紹介させていただいておりますということで、村山市の方にも、逆にPRさせていただいて、お互いの友好を深めているというところですので、ご理解いただければと思います。
質問 金橋
今、教育委員会について質問した全体については、歴史的な部分と建物を守る、あとは、無形の部分のそれを守って、どうやって次の世代につなげていくかという質問です。今後については、それが、町のお祭りだとかというのは別の部分でありますので、今後も、私もちょっと精査して、きちんと内容を整えて、そちらはそちらの形で質問していきますので。あと、今後については、今回は国泰寺、厚岸神社、そのほかに歴史的残すべきチャシの問題もあります。それについては、今日は質問しませんけれども、また次の部分で、もう一度、厚岸町の必要な、歴史的なものをどうやっていくかということを質問させていただきますので、今回はこれで終わらせていただきます。