みんなの議会

洞爺湖町議会 平成29年9月会議 2017年9月11日

町主催の戦没者追悼式は、子供たちとともに平和の誓いを新たにする機会としてはどうか

2017年9月11日、洞爺湖町議会の一般質問で、立野広志議員が「町主催の戦没者追悼式は、子供たちとともに平和の誓いを新たにする機会としてはどうか」について質問し、町長 真屋敏春、総務部長 佐々木清志、健康福祉課長 皆見亨、副町長 森寿浩が答えました。

聞いた人
立野広志 議員
答えた人
町長 真屋敏春、総務部長 佐々木清志、健康福祉課長 皆見亨、副町長 森寿浩

議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。

議員の質問 6番 立野広志

おはようございます。それでは、一般質問を行わせていただきます。3件通告させていただきましたが、まず、1件目は、町主催の戦没者追悼式は、子供たちとともに平和の誓いを新たにする機会としてはどうかことで質問をさせていただきたいと思います。初めに、終戦から72年を迎えた先月8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれました。ここには5,000人の戦没者遺族らが、さきの大戦で犠牲になった約310万人を悼み、平和への誓いを新たにしたというふうに報じられております。そもそもこれら戦争は、1931年の当時、満州と呼ばれた中国東北地方への侵略に始まり、37年からの日中全面戦争、41年からの東南アジアや太平洋地域への戦争の拡大と15年にわたりました。2,000万人を超すアジア・太平洋地域の人々を犠牲にしたことは、侵略戦争の悲惨さを浮き彫りするものです。朝鮮や中国など日本が植民地として支配した人たちも徴兵や強制労働、あるいは日本軍慰安婦として駆り出され犠牲になりました。310万人以上の日本国民の犠牲は、軍人・軍属ばかりでなく、大都市をねらった無差別爆撃や非人道的な原爆投下によって生命や財産を奪われた多くの一般市民も含まれます。とりわけ、戦争末期の1944年から45年に、当時、天皇周辺では終結の声が上がったにもかかわらず、もう一度戦果を上げてからと、こういう発言があったなどが報じられ、東京など各地の大空襲や沖縄での地上戦、広島と長崎への原爆投下など、失われなくてもよい多くの人命が失われたことは見過ごすことのできない事実です。戦争を推進した当時の指導者の責任は重大でありますが、ところが安倍真三首相は、この式辞で、戦争の惨禍を二度と繰り返してはならないと述べたものの、歴代首相が盛り込んできたアジアへの課題と反省には5年連続で触れませんでした。そのことに対して、遺族代表の渡辺一さんという方は、追悼の辞で、「私たち遺族は、さきの大戦から学んだ戦争の悲惨さと平和のとうとさを次の世代にしっかりと伝え、二度と戦争をしなさい日本と、国際社会の建設に向かって邁進していく」と誓ったのであります。さて、8月2日、これに先だって洞爺湖町主催の戦没者追悼式が開かれました。遺族や町長らが参列しました。会場の虻田ふれ合いセンターには10名ほどの遺族も集い、不戦の誓いを引き継ぐ決意を新たにしたところでありますが、追悼される戦没者は、日中戦争と第二次世界大戦で犠牲となった町民で、虻田地区では193名、洞爺地区では92名となっています。戦死されたところがわかっているだけでも、本土では62名、沖縄やアジア南西諸島などでは223名の合計283名に及びます。この追悼式、残念なことは、この式典に若い世代の参列者の姿が見受けられなかったことであります。戦争は過去のものではありません。戦争の惨禍を繰り返させないためにも、若い世代に戦争の記憶を引き継ぐものとなるよう、非核平和の町宣言をした町として、行政行為のあらゆる場面で、この平和を希求する認識と政治姿勢が必要ではないでしょうか。こういう立場で、平和を守る町長の政治姿勢と実際の活動として行われている、この戦没者追悼式の持ち方、また、職員の平和憲章の活用などについて質問をさせていただきます。最初に、最近の平和をめぐる国内・国際情勢について、真屋町長の認識がどういうものなのか承りたいと思います。

町の答え 町長 真屋敏春(町長は2022年3月まで)

議員、さきに、冒頭述べていただいたとおり、全国各地、あるいは戦没者追悼式が行われているわけでございますが、歴代の総理大臣の発言内容と現総理大臣の発言内容がここ数年、ちょっと違ってきているなという感じはしております。今の現総理大臣には、国民総意の願い、あるいは現在思っている声がなかなか届いていないのではないだろうかという気がしてなりません。そのことは非常に残念だなというふうに思っているところでございますが、私どもの町は、非核平和の町宣言もさせていただいております。平和こそとうといものはないのだということを、やはり町民の皆様とともに歩んでいかなければならないなというふうに思っているところでございます。また、行政だけでなくて、民間レベルでも戦争の悲惨さを考える、また、いろいろな展示を、あるいは町民の皆様にお越しをいただいて、戦時を思い浮かべながら、また、戦禍に倒れた方々を敬いながら、語り部あるいは当時の体験談等々を若い世代にもお話をしていただいている。こういうことはやはり継続していかなければならないなというふうに考えているところでございます。また、町長に就任して早々だったと思いますが、虻田高校の生徒さんが広島のほうへ修学旅行で行かれる、そのときには、広島に在住の方々にもお願いをして、私どもの高校生が広島のほうを訪問するので、ぜひ平和記念堂を見せてもらいたいということもお願いして、向こうの方々に大変お世話になっていたわけでございますが、帰ってきた方々のお話を聞かせていただきますと、本当に戦争というのは悲惨なものだということをまざまざと体験してきたというお話も聞かせていただいて、この思いというのは、我々ここに住んでいる者としてしっかり享受していかなければならないな、それをまた、町民の皆様とともにしっかり思いを次世代へもやはりつないでいかなければならないなという思いでございます。

議員の質問 6番 立野広志

最近の政府の対応というのは、今、町長が述べられた点で理解したいと思います。それでは、国際的な状況から言いますと、例えば人類史上初めての核兵器を違法化する核兵器禁止条約というのが7月7日、国連会議によって採択されました。国連加盟国の3分の2の122カ国の賛成で採択されましたが、このことについては、先だって開かれました長崎原爆の大会でも、長崎での式典で参加した市長や知事、あるいは国連の代表なども、全ての人がこの核兵器禁止条約を喜び、歓迎するという状況であります。一方で、これに対して日本政府はどういう態度をとっているかというと、唯一の戦争被爆国でもあるにもかかわらず会議にも参加しない。安倍首相は、署名、批准を行う考えはないと、これ朝日新聞の8月10日付に載っていますが、そう述べております。ですから、被爆者や自治体関係者からも、到底理解できないという失望の怒りもありますし、それから、「あなたはどこの国の総理なのですか」ということで、直接被爆者が首相に抗議をすると、こういう場面もあったわけでありますが、このことについて町長はどのようにお考えでしょうか。

町の答え 総務部長 佐々木清志(総務部長は2020年3月まで)

今のご質問でございますけれども、本年7月に国連で採択された核兵器のない世界を目指しと、核の日を、開発、保有などを禁止する核兵器禁止条約に、世界で唯一の被爆国である日本は不参加という方針でございます。不参加の理由としては、核兵器保有国と非核兵器保有国の一層の対立を深めるおそれがあるという国の発表ではございますが、核兵器の恐ろしさ、悲惨さを経験している日本が条約に不参加ということにつきましては、外交問題などさまざまな事情はあろうかと思いますが、町としても少し疑問の残る対応ではないかというふうに思っております。以上でございます。

議員の質問 6番 立野広志

本当は町長に答えていただきたいなと、この中身は。部長が答えて、町長が、そのとおりだと後押ししてくれるならまだしも、町長はどうお考えなのかということが全然わからないので。しかし、行政としては、これについては疑問視をしているということなのです。疑問視どころか、政府が言っている、核兵器を持つ国と持たない国の橋渡し役を努めると言いながら、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢、これは、被爆地や被爆者自身も到底理解できないということを言っているわけです。だからこそ、長崎の被爆者の代表は、そんな安倍首相に「あなたはどこの国の総理ですか」と、怒りを持って詰め寄ったと。これもテレビで報道されておりますからご存じだと思います。そういう意味で言いますと、日本政府が従来の立場を抜本的に再検討して、核兵器禁止条約に参加することを真剣に検討すること。このことを地方の行政や自治体から国に向かって申し入れること、要望することも大事だと思うのです。実は、地方議会などでは、3月、6月議会でも既に、国連がこういう決議を上げることが見通されている中で、日本政府の参加と条例実現への努力を求める意見書などが相次いで採択されております。秋田などでは、25市町村中16市町村、64%で採択されているということでありますし、先だって、当町に訪れた国民平和大行進の行進者からの訴えによって、真屋町長は、被爆者国際署名にも署名をされております。そういう立場から言いますと、この洞爺湖町の町長としても、非核自体の協議会に参加している立場もありますし、積極的に核廃絶に向かって、日本政府が核兵器禁止条約に参加すべきだということを機会あるごとに、あるいは直接要望等を上げるということも大事なのではないかと思うのですが、その点はいかがお考えでしょうか。

町の答え 町長 真屋敏春(町長は2022年3月まで)

私どもの町は、先ほども申しましたが、平成20年3月に、洞爺湖町非核平和の町宣言をさせていただいております。その中では、非核三原則を守り、恒久平和の実現を願って、非核平和の町宣言をしているところでございまして、それは、町の理事者を初め町民の皆様の多くの願いではないかなというふうに思っております。特に、私たちは「核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず」、これは本当に大原則だなというふうに思っております。先ほどもちょっと述べさせていただきましたが、歴代総理の発言と現総理の発言が若干食い違って、食い違うというのか、違ってきているということを鑑みると、非常に残念でなりません。私どもの町は、本当に事あるごとに、こういうことを訴えていく。そして、関係する方々にも、平和のまちづくり、または平和な日本をつくりましょうということは、事あるごとに訴えてまいりたいというふうに考えております。

議員の質問 6番 立野広志

それでは、次、追悼式のことについて伺いたいと思いますが、これまでも戦没者追悼式、繰り返し、毎年開催されてきておりましたが、この追悼式の始まりや由来等について簡単に説明いただけませんか。

町の答え 健康福祉課長 皆見亨(健康福祉課長は2018年3月まで)

戦没者追悼式は、苛烈を極めた戦争という戦いの中で、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に倒れ、戦禍の犠牲となられた方々のみたまに追悼の誠をささげ、恒久平和の誓いを後世に伝えるため、また、戦後の厳しく不安な世相の中、貧困に耐えながら生き抜いてこられたご遺族の悲しみとご苦労に対し、敬意の誠をささげるためのものであると認識しておりますが、由来につきましては、初めに、全国戦没者追悼式についてでございますが、昭和27年4月8日に閣議決定された全国戦没者追悼式の実施に関する件によれば、同年4月28日の平和条約の発効による独立に際し、国を挙げて戦没者を追悼するために実施されることとされており、昭和57年4月13日に閣議決定された、戦没者を追悼し、平和を祈念する日についてによれば、さきの大戦において亡くなられ方々を追悼し、平和を祈念するため、戦没者を追悼し、平和を祈念する日を設けて、その日を8月15日とし、その日に政府は、昭和38年以降毎年、全国戦没者追悼式を実施するものとしたものでございます。その後、国は各都道府県に対し、戦没者追悼式をとり行うことを通達いたしましたが、旧虻田町でいえば、既に昭和15年より、毎年5月10日の、町の開基祭の際に招魂祭を実施しており、終戦後は一時中止してございましたが、昭和30年から戦没者追悼式に改め、町主催でとり行っているところでございます。これまでの経緯でございますけれども、平成18年に旧虻田町と旧洞爺村が合併し、洞爺湖町が新たに誕生いたしましたが、戦没者追悼式は合併前からそれぞれの町と村におきまして実施しており、その開催は合併した後の今もそれぞれの地区において、ご遺族の皆様やご来賓の皆様をお招きして開催しているところでございます。

議員の質問 6番 立野広志

全国の追悼式の話はよかったのですけれども、町が主催をして虻田地区で開催される追悼式が8月2日ということで、なぜ8月2日になったのかというあたりは説明いただけなかったのですが、いずれにしても、町が主催をして、戦没者追悼式ということで虻田地区では開催しているということなわけです。それでは、追悼式に参列される方々は、どのような方々を対象に案内をされているのか。そしてまた、追悼式そのものを、どういう内容のものにしようとされてきたのか、先ほど全国追悼式の中でも、それは、平和を祈念することも含めてお話がありましたが、当然町としても同様の内容ではあるのだろうと思うのですが、そういった事柄についてちょっとお答えをいただきたいと思います。

町の答え 健康福祉課長 皆見亨(健康福祉課長は2018年3月まで)

まず、参列者の皆様へのご案内でございますけれども、戦没者遺族の皆様を初め、町議会議員の皆様や各自治会長の皆様及び各団体・組織の代表の皆様などのご来賓の皆さんには、手紙によりご案内を差し上げ、さらに一般の町民の皆様へは、町広報紙により広くお知らせをしているところでございます。参列者の状況でございます。過去3年間の状況を言いますと、洞爺地区は、平成27年度が37名、平成28年度が33名、平成29年度が31名であり、虻田地区におきましては、平成27年度が44名、平成28年度が23名、平成29年度が37名でございました。虻田地区で申しますが、ご遺族の皆様も年々ご高齢となり、それに伴い、身体的理由等により参列したくてもなかなか会場までお越しいただけないというご遺族の方々がふえ、結果的に参列者が少なくなっているというような現状から、平成29年度におきましては、社会福祉協議会と役場とにおきまして、追悼式にご自身ではお越しいただけないご遺族の方々に対し、自宅から会場までの送迎サービスを実施したところ、14名のご参列をいただいたところでございます。追悼式の内容等につきましては、議員もご承知のとおり、来賓による祝辞、それから献花による追悼の誠をささげている状況でございます。以上でございます。

議員の質問 6番 立野広志

私もできるだけ毎年参加させていただけるようにしておりまして、その点で見ますと、当然遺族の方々が非常に年齢もいかれて、足腰も弱くて、本当に献花そのものも大変だなというような状況が見てとれるわけです。ですから、そんなこともあって、場所をふれ合いセンターに変えたということもあるのでしょうけれども、ただ、このままでいきますと、追悼式そのものの開催も危ぶまれるのではないかという気がしてなりません。先ほど遺族や議会や自治会や、あるいは各種団体、一般町民にも呼びかけていますということなのですけれども、実際に参加されている方々というのは、それほど多くはないなという気はします。どれだけ周知されているのだろうかと。そしてまた中身自身も、この追悼式をしっかりと、平和を祈念する、将来に向かって平和の町、そして、国を築いていく、そのことを、誓いを新たにするというようなものがもっと全面に押し出されながら、参加してその気持ちが高まっていく、確信する。そういうようなものになっていかなくてはいけないのではないかと思うのですが、そういうことについて、中身の検討をこれまでしたことがあるのでしょうか。

町の答え 健康福祉課長 皆見亨(健康福祉課長は2018年3月まで)

戦没者追悼式では、さきの大戦で国の盾となり、戦禍に倒れ惨禍されました戦没者のみたまに対し追悼の誠をささげるものでございます。あわせて、戦争の悲惨さ、愚かさ、平和のとうとさ、大切さを、この戦没者追悼式を通じて再認識する場であるとも考えているところでございます。議員がご指摘の将来に向けた平和の誓いをより明確にするための具体的な検討がされてきたのかというご質問でございますが、他の町では戦没者追悼式挙行の後に、平和記念式典として、追悼式とは別に開催しているところもあり、平和のとうとさや大切さを後世に伝える活動している。例えば、ご遺族様による戦争体験の発表や平和アニメの上映、さらには、平和へのメッセージとして、小学生による作文コンクールの実施や発表など、さまざまな取り組みをされているところがあるようでございますが、当町におきましては、過去に戦没者追悼式の中で詩吟や短歌などにより、みたまを鎮める取り組みを行ったことはございますが、それ以外での検討はされてこなかったところでございます。

議員の質問 6番 立野広志

追悼式ですから、当然戦没者に対する哀悼の意を表すると、こういうことは当然なわけでありますが、それを同じ追悼式とあわせて、今のような平和の集いというような形で開催すると。これは、ほかの町を見ても、ちょうど8月の時期はどこの町でも大体こういう形で慰霊祭なり、あるいは平和の集いなどが開催されているようです。たまたま私、苫小牧の取り組みを伺ったときには、先ほどありましたけれども、遺族の方々が会場に来やすいように足の確保、バスを出したり、それから子供たち、若い世代がそれに参加できるように、例えば追悼式、あるいは、いわゆる平和の集いにあわせて、ちょうど夏休み期間中なのですけれども、その以前に、いわゆる平和に対する作文、あるいはこれからの社会の中で平和を築いていく、その誓いの言葉などを子供たちに作文として書いていただいて、その何名かを代表として、その場で発表していただくと。こういうようなことなどもやっているし、それから、生でピアノ演奏をやって、よくわからないけれども、流れているのですけれども、そういうことだけではなくて、本当に参加者自身が、もう既に戦争によって亡くしたその遺族の方々から、なくなった方々の思い入れや、あるいは戦争中どういう生活であったか。だからこそ平和な地域、平和な社会を築いていくことが大事なのだということを若い方々に語り継いでいく、そういう機会を設けるということも大事だと思うのです。何かそういう意味で、特に当町は、先ほど町長が言われたように、非核平和宣言をしている町であります。ですから、その宣言に即して、二度と過ちを繰り返さない、そして繰り返させない、平和の誓いを新たにするような、そういう内容としてこれを開催するというふうにすべきではないのかなと思います。そういう立場で、この慰霊祭を考えていく必要があるのではないかと思うのですが、その点についてはいかがでしょうか。

町の答え 健康福祉課長 皆見亨(健康福祉課長は2018年3月まで)

戦没者追悼式が平和恒久な場となるのではないのか、重要な機会となるものではないのかということでございます。先ほどから議員もお話をいただいております非核平和のまちづくり実行委員会では毎年、平和展や戦争を語り継ぐ集いを実施しており、恒久平和を後世に伝える活動を展開してございます。今年度も戦争を語り継ぐ集いにはおよそ50以上の参加があったというところでございます。洞爺湖町非核平和の町宣言を具現化する上で、戦没者追悼式は重要な機会でもあるというふうに私も思っております。非核平和の町宣言では、核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず、この非核三原則を守り、恒久平和の実現を願うということとされております。先ほども申しましたとおり、戦没者追悼式においても、平和のとうとさと平和を後世に引き継ぐということでは同じであるというふうに考えており、重要な機会でもあるというふうに思っておりますが、あくまでも戦没者追悼式は、戦禍の犠牲となられた方々のみたまに追悼の誠をささげ、ご遺族の悲しみとご苦労に対し、敬意の誠をささげるためのものであると認識しているところでございます。

議員の質問 6番 立野広志

ちょっと私、理解できないのです。というのは、確かに戦没者追悼式は、戦争によって亡くなられた、特に戦地で亡くなれた方々を追悼するということのためにやっているので、それ以外の目的を持ってやる考えはないというような、そういう意味あいに受け取ったのですけれども、非核平和の町宣言をしている、そして、それを平和行政として実施していくわけです。そうすると、今行っている、宣言に沿った形で今取り組んでいるのは何かといったら、非核平和のまちづくり実行委員会が行っている事業なのです。これは、事務局は町が事務局になっておりますが、多くは町民が参画して取り組んでいる事業だと。では、行政自身が行う事業の中で何をやっているのですかということなのです。その中で、一番かかわりのあるのは戦没者の追悼式ではないですか。この追悼式の中でも非核平和の町宣言を具現化する、具体化するような取り組みにしていく必要があるのではないかということなのです。行政自身の努力として何をするのかということなのです。実は余り言いたくなかったのですけれども、8月といったら、それこそ原爆投下の日でもあるし、敗戦の月でもある。そして、うちの町では、非核平和の町宣言をした町として、8月には、それを宣言したことを周知するといいますか、知らせる懸垂幕、毎年出ていたと思うのです。ことし、懸垂幕、役場の前のほうに出ましたか、非核平和の町宣言の町という懸垂幕を出しましたでしょうか、ちょっと聞きたいのですけれども。

町の答え 総務部長 佐々木清志(総務部長は2020年3月まで)

ことしにつきましては、掲示しておりません。

議員の質問 6番 立野広志

そういうことなのです。つまり、常に平和を希求する。特にこの町は、こういう宣言をした町だ。そして、8月といえば全国的にも、過去の侵略戦争を反省し、また、そこで亡くなった多くの戦死者、あるいは国民、この人たちを慰霊する、そういう場でもあるわけです。そういう場であるにもかかわらず、意識がそこに行っていないのです、この町の意識が。だから私は何回も言いたいのですけれども、懸垂幕を、せっかく金かけて、環境宣言と一緒に2列にして出していたわけですから、それを掲示しながら、本当にこの町は平和を希求していく町なのだということを町民にも広く知っていただく。そして、行政としてもそのことをしっかりと肝に据えて取り組んでいくということが大事だと思うのですけれども、ただ、そういう姿勢はちょっと弱かったのかなと。ジオパークの懸垂幕は出ていました。再審査もあって、そちらのほうに意識が行っているのでしょう、きっと。だから非核平和の町宣言のほうはちょっと遠慮させてもらったのだと思うのです。でも、そういうことではだめだなと。なぜ15年もの間、戦争が続いたのか、皆さんご存知だと思うのですけれども、無謀な戦争をなぜとめることができなかった。それは、当時、天皇絶対の専制政治が国民の自由な発言を認めなかった。治安維持法とか特効警察など、世界にもまれな弾圧体制を敷いて、戦争反対を封じ込めたのです。そのもとで、私どものような日本共産党以外の政党は解散して、戦争遂行のための大政翼賛会に参加していったのです。新聞、放送なども戦争賛美、翼賛しました。今、自民党政権で閣僚を務めたある政治家は、軍部の暴走とともに、世論本意の政治を行わざるしことということで行っていますが、要は、民主主義と平和主義、専制主義と軍国主義の対局が今、現に起こりつつあるわけです。そういうときに、平和宣言をしているこの町が平和を希求する。もたもたしていると、本当に日本の国内がどうなっていくか、町長だって、ちょっと国民の声を聞いていないのではないかというふうに、今の政治に対する苦言を述べておられたように、私自身が平和に対する自覚、そして、繰り返してはならないという責任、これを引き継いでいかなくてはいけないのだと思うのです。そういう意識を持って、この慰霊祭を進めていかなければ、単に戦地で亡くなった方を慰霊するというだけではなくて、それは結果として、将来にわたって平和な町をつくっていくのだということの誓いなのです。そのことを具現化する必要があるのではないでしょうか。そのことを改めてお答え願いたいと思います。

町の答え 副町長 森寿浩(副町長は2019年9月まで)

戦争の話で、議員のお話も当初からありましたけれども、第二次世界大戦までに日本の人が310万人犠牲になられたと。中国では1,000万人という数字もありますけれども、そういった中で、戦死された方を追悼し、平和を希求する。追悼式自体は、やはりそういった厳かな場であるというふうな認識はしております。今そのほかに、そういった式典の後に、全国でもいろいろな平和の取り組みの会合ですとかイベントが取り組まれているというお話でございますので、追悼式は追悼式として、そういった部分で、今お話ありました実行委員のほうでいろいろ、お盆過ぎぐらいに取り組みをしているところでございますけれども、町としても何かできるかということについては、いろいろな事例も参考にしながら検討させていただきたいというふうに思います。

議員の質問 6番 立野広志

ちょっと答弁に若干不満もあるのですが、余りやっていると時間がなくなってしまうので、まずそういうことを、追悼式、これは式典としては、その中でやるべきだと言っているわけではなくて、式典は式典として行いながら、その後、引き続いてこういった平和の集いなり、あるいは子供たちの、追悼式も本当は子供たち参加していただきたいのですけれども、そういう子供たちの代にも平和を引き継いでいくということをしっかりやっていただきたいと思うのです。それで、職員自身も実は戦争を体験していない方が大変多くなっています。戦後生まれの世代が大半を占めるようになってきているだけに、職員自身もこの平和の問題についてしっかりと考えていける、そういうものにしていかなくてはいけないと思うのですが、当町が加盟をしております日本非核宣言自治体協議会、ここが主催をするU40、アンダー40と言ったらいいのか、40歳以下の世代の、特に行政職員を中心として、このU40世代の交流が長崎で毎年行っているわけですが、これに当町としても積極に応募して、職員を毎年でも参加させるようにしてはどうかと、職員研修とあわせてはどうかと。人数的には大変少なくて、ことしも10月26日から10月28日の3日間、長崎で行われるのですが、参加人数は、募集人員は10名程度なのです。参加するのは、応募すればすぐできるわけではなくて、参加希望者はレポートを提出するのです、まず。そして、その所属している自治体では、どういう平和に対する取り組みが行われているのかと、そして本人が平和に対してどういう認識を持っているのかというようなことを、レポートを提出していただいて、そのレポートの内容で選考するということですので、そう簡単ではないのですが、しかし、10名程度。そのかわり宿泊費、それから食事代、交通費全てこれは協議会が負担をすると。その他の飲み食いものは当然自己負担ということで行われているようであります。ぜひこういったものにも、当町としても職員を派遣し、1人でも2人でも多くの方々が長崎での被爆体験の話を聞いたり、あるいはグループワークでいろいろ議論し合うそうですが、あるいは被爆地を回って歩くということもされているようですが、こういったことに参加をさせてはどうかと思うのですけれども、いかがでしょうか。

町の答え 総務部長 佐々木清志(総務部長は2020年3月まで)

今、議員おっしゃいましたU40ということでございまして、協議会で昨年度より実施している事業でございます。私どもも非核平和の町を宣言している町でございます。これらに参加し、被爆の実相に触れることで、平和への取り組みに結びつけばというふうに考えております。昨年度は北海道から1名、北見市から職員が派遣されてございます。次年度に向けまして、洞爺湖町としましても職員研修の一環として可能かどうかでありますけれども、検討してまいりたいというふうに考えております。以上です。

出典:洞爺湖町議会 平成29年9月会議 2017年9月11日 議事録 PDF(13ページ) 間違いを知らせる