みんなの議会

幕別町議会 令和7年第1回定例会 2025年3月11日

幕別町および忠類村の合併後の新しい町を創造していくための「基本方針及びそれを実現するための施策」について

2025年3月11日、幕別町議会の一般質問で、谷口和弥議員が「幕別町および忠類村の合併後の新しい町を創造していくための「基本方針及びそれを実現するための施策」について」質問し、町長 飯田晴義が答弁しました。

質問者
谷口和弥 議員
答弁者
町長 飯田晴義

議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。

質問 16番 谷口和弥

通告に従って、一般質問をさせていただきます。1、合併から 20 年目を迎えた新「幕別町」のさらなる発展に向けて。平成 18 年2月6日、忠類村が幕別町に編入合併する形で新「幕別町」が誕生しました。国の主導で推進された「平成の大合併」は、十勝管内においてもさまざまな組合せが検討されましたが、十勝管内 19 市町村で合併が成立したのは、幕別町、忠類村のみでありました。合併に当たっては、平成 16 年1月、幕別町、忠類村、更別村で「十勝中央合併協議会」を設置しましたが、1年たたずして更別村が離脱。その後は、「幕別町・忠類村合併協議会」による協議が再開され、平成 17 年2月に幕別町長、忠類村長が「合併協定書」に調印し、同年8月、総務大臣によって正式に告示がされるに至ったところであります。調印に当たって策定された「新町まちづくり計画」は、幕別町および忠類村の合併後の新しい町を創造していくための「基本方針及びそれを実現するための施策」について定め、「調和の取れた総合的かつ効果的な新町建設を推進することにより、地域の速やかな一体性の確立を図るとともに、新町の均衡ある発展と住民福祉の向上を目指す」こととしました。令和7年は、新「幕別町」が誕生して 20 年目の年、来年2月には、新「幕別町」が誕生して丸 20年の節目を迎えます。新「幕別町」が「住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する」という自治体の責務を更に強固に発揮していくことは、引き続き課題となります。ついては、以下の点を伺います。(1)「本計画」では、新町の将来像を「緑の大地に、人と人とが、子どもや若者からお年寄りまでが、住民と行政が、それぞれ一体となって、知恵を出し合いながら、農業をはじめとする産業が躍動する、人にやさしい、住みよい豊かな郷土を築いていく」という思いを込め、「人と大地が躍動し、みんなで築くふれあいの郷土」と設定しています。現時点での新「幕別町」の将来像に対する到達点をどのように考えているのでしょうか。(2)「本計画」の期間は、令和7年度とされています。今後の新町に関わる計画の策定予定は。(3)新「幕別町」の誕生の 20 周年記念事業の計画はありますか。また、同 10 周年記念事業として定めた「シンボルマーク」「ご当地ナンバープレート」「町の花・木・鳥」の浸透状況は。(4)新「幕別町史」の編さんを開始すべきと考えるが、いかがでしょうか。2、移住促進の取組の強化を。管内の自治体で移住促進対策に積極的に取り組み、新聞やテレビ報道などを通して「移住体験」から実際に移住者を迎えたなどという成功例が紹介されています。幕別町においても人口減少が続く中で、十勝管内からだけではなく、北海道の内外から移住者を迎えることは重要な課題であると考えます。ついては、以下の点を伺います。(1)幕別町の移住促進の取組は。(2)幕別町内の移住体験住宅の整備状況は。以上であります。

答弁 町長 飯田晴義

谷口議員のご質問にお答えいたします。はじめに、「合併から 20 年目を迎えた新「幕別町」のさらなる発展に向けて」についてであります。国は、国の構造改革の大きな柱である地方分権を進めるためには、市町村の体力向上が不可欠であるとして、平成9年、地方分権推進委員会の第2次勧告に関する対処方針を閣議決定して市町村の合併を推進、平成 11 年には「市町村の合併の特例に関する法律」いわゆる合併特例法を改正し、合併特例債などの財政優遇措置を講じたことで、全国各地で合併に向けた協議が進められました。合併特例法の一部が改正された平成 11 年4月の全国の市町村数は 3,229 でしたが、法律による特例措置の期限である 18 年3月末には 1,821 まで減少し、いわゆる「平成の合併」が進む中、本町は 18年2月6日に、十勝管内で唯一、忠類村が幕別町に編入する形で新「幕別町」が誕生することとなりました。市町村の合併には、合併前のそれぞれの市町村が歩んできた歴史を大切にしながら、合併後の新しい町として、一つの目標に向かって進むために、バランスを取りながら施策を進めていく必要があり、新「幕別町」では、旧忠類村と旧幕別町が調和の取れた総合的かつ効果的な新町建設を推進することにより、新町の一体感の醸成を図るとともに、新町の均衡ある発展と住民福祉の向上を目的として「新町まちづくり計画」を策定し、合併後のまちづくりを進めることとされました。令和8年2月には合併 20 周年を迎えますが、合併協議に携わった者の一人として、これまで、思いを一つにし、まさに互恵互譲の精神で、新町のまちづくりを共に進めていただいた両地域の住民の方々に感謝申し上げるとともに、これから先も「この町に暮らしてよかった」と思っていただけるまちづくりを進めていかなければならないものと、改めて意を強くしているところであります。ご質問の1点目、「現時点で新「幕別町」の将来像に対する到達点をどのように考えているか」と、ご質問の2点目、「今後の新町に関わる計画の策定予定は」については、関連がありますので併せて答弁させていただきます。「新町まちづくり計画」は、合併特例法により、合併協定書の一部をなすものとして、合併協議会に策定が義務付けられていた計画で、旧幕別町と旧忠類村の合併に際し、合併後の新しい町を創造していくための基本方針として、基本理念や将来像の実現に向けた五つの基本目標のほか、地域別の整備方針、新町の主要施策を定め、地域の速やかな一体感の醸成を図るとともに、新町の均衡ある発展と住民福祉の向上を目的として、平成 17 年2月に策定されました。「新町まちづくり計画」に定めた主要施策は、基本目標ごとに個別施策、主要事業等を具体的に盛り込んでおり、合併市町村がまちづくり計画の目的を達成するためのこれら事業に要する経費に当てるために、国の財政支援の一つとして、合併特例債の発行が特別に配慮されたところであります。合併特例債の発行可能期間は、当初、合併後 10 年度までとされていたものが、平成 24 年6月に東日本大震災に関する特例で5年間延長され 32 年度まで、さらに熊本地震等の大規模災害などを受けて期間が再度延長され、令和7年度までとされたことから、本町の「新町まちづくり計画」も、合併特例債の発行可能期間を確保するため、計画期間や人口推計等を見直したところであります。平成 17 年2月に、合併後の新しい町についてのビジョンを共有するために策定された「新町まちづくり計画」でありますが、合併後の平成 20 年3月には、「新町まちづくり計画」の理念を継承し、「新町まちづくり計画」と同じく「人と大地が躍動し、みんなで築くふれあいの郷土」を町の将来像として定めた「第5期幕別町総合計画」を策定したところであり、さらに現在は「第6期幕別町総合計画」に受け継がれ、まちづくりを推進しているところであります。このように、合併時の「新町まちづくり計画」で描いた町の将来像は、時代の変遷とともに「言葉」としての表現は変わりながらも、現在においても「第6期幕別町総合計画」の中で、さらには、この先将来においても普遍的に生き続けていくものと認識いたしております。なお、「新町まちづくり計画」は、合併特例債の発行可能期間である令和7年度までを計画期間として延長してまいりましたが、この計画に基づく国の財政的な支援がなくなることから、計画も終期を迎えることとなるものであります。ご質問の3点目、「新「幕別町」の誕生の 20 周年記念事業の計画はあるか。また、同 10 周年記念事業として定めた「シンボルマーク」「ご当地ナンバープレート」「町の花・木・鳥」の浸透状況は」についてであります。平成 18 年2月に合併し、令和8年2月には 20 年を迎えることになりますが、新「幕別町」で暮らす全ての住民が、合併を特別なものとして意識せずとも「幕別町民」であることを日常的なものとして感じられるよう、一体感の醸成・住民融和を念頭に、旧忠類村と旧幕別町が調和の取れたまちづくりを進めてまいりました。平成 28 年2月に合併 10 周年を迎えた際には、幕別町開町 120 年、町制施行 70 周年を迎える大きな節目でもあったことから、合併記念式典をはじめ、シンボルマークの作成、原動機付自転車等の新課税標識、いわゆるご当地ナンバーの導入、町歌の再録音や記念 DVD の作成など、歴史を振り返り、町の魅力の再発見とともに、未来に向けた郷土愛を育むことを目的とした記念事業を行いました。合併 10 周年記念事業で作成した「シンボルマーク」は、職員用のピンバッジ、小学3、4年生の社会科副読本へ掲載するなどして活用しているほか、町内外の企業や個人から使用申請を受け、名刺やネームプレート、共同募金のピンバッジ、幕別町商工会の配布雑誌や幕別町応援大使で鹿児島ユナイテッド FC に所属する圓道選手の応援用フラッグへの印刷などを承認しているところであり、さまざまな場面で「シンボルマーク」を活用いただいております。また、「ご当地ナンバープレート」は、平成 28 年4月1日から排気量 50 ㏄以下、90 ㏄以下、125㏄以下のそれぞれ原動機付自転車用、ミニカー用、農耕用等の小型特殊自動車用の5種類のナンバーの交付を行っており、本年2月までの総登録台数は 2,311 台で、このうち 1,246 台の車両に「ご当地ナンバープレート」が取り付けられており、普及率は 53.92 パーセントとなっております。さらに「町の花・木・鳥」は、町の封筒や記者会見等で活用しているバックパネルへの印刷、職員のネームプレートのデザイン、町内のマンホールの蓋にも使用されるほか、町の花であるシバザクラは、役場庁舎周囲や札内コミュニティプラザ、白人小学校などの花壇のほか、協働のまちづくり支援事業を活用して町内会等による花壇への植栽も行われておりますことから、広く住民に認識されていると考えております。令和8年2月に合併 20 周年を迎えるに当たり、合併 10 周年のような記念式典や記念事業は考えておりませんが、改めてここまでの歴史や歩みを振り返るために、広報やホームページなどにおける特集記事を掲載するほか、町内で開催されるさまざまなお祭り、イベントに合併 20 周年記念を掲げ、住民が改めて喜びを共有できる場をつくってまいります。ご質問の4点目、「新「幕別町史」の編さんを開始すべきと考えるがどうか」についてであります。本町における町の歴史を記した町史は、開基 70 年記念に昭和 42 年に発刊した「幕別町史」、開基100 年記念に平成8年に発刊した「幕別町百年史」のほか、旧忠類村では、開村 50 周年を記念して 12年に「忠類村史」も発刊されており、それぞれの町・村の歴史をひもとき、先人の偉業をしのび、郷土の歩みを知ることで郷土愛を再認識し、次の世代へ残すものとして有益な資料であると考えております。現在、最も新しい「幕別町百年史」は、平成2年度から町史編さん員を雇用した上で作業を進めており、6年度に学識経験者、町議会議員および町職員で組織する幕別町史編さん委員会を設置し、町民の皆さんやかつて本町に住んでいた方などたくさんの方から貴重な写真や資料を提供いただき、町史編さん員が執筆した原稿をベースにして、必要な調査および内容の精査を行いました。また、「幕別町百年史」は、昭和 42 年に発刊した「幕別町史」を基に作成したことから、「幕別町史」と同じく「自然と風土・先住民族」「行政」「産業経済」「教育社会」の4本の柱で構成しており、「幕別町史」に記載のある内容以降の 30 年について追記する形で編さんしたものであります。新しい町史を編さんする場合につきましては、歴史的な大きな転換点等がない限りは、前回の手法と同様に、「幕別町百年史」への追記が基本となりますことから、既に町では、平成8年以降の資料の収集・保存について、図書館において購読している新聞7紙の本町関連記事を毎日スクラップしているほか、広報紙のバックナンバーも、昭和 35 年2月号から保管しております。また、令和元年度からホームページに掲載しております「町長フォトレポート」では、私が出席した行事等を記録しているとともに、町の1年間の出来事を写真で振り返ることができるよう、毎月、記録用の資料を作成しております。新たな「幕別町史」の編さんについて具体的な計画はありませんが、これまでの町史はいずれも、開基・開町の節目を記念事業として発刊しておりますので、費用や発刊の間隔、デジタル化の進捗による写真や資料の保存状況の向上や収集の容易さから考えますと、開町 150 年の際に発刊するのがふさわしいものと考えており、引き続き関連資料等の収集・保存に努めてまいります。次に、「移住促進の取組の強化を」についてであります。全国の日本人の人口は、総務省が昨年7月に公表した「住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数」によりますと、令和6年1月1日現在、1億 2,156 万人余りであり、平成 21 年をピークに15 年連続で減少しております。そうした中においても、東京圏への一極集中の傾向は依然として続いており、地方圏では、若年層の転出による地域社会の担い手不足が深刻な課題となっていることから、地方への人の流れをつくるために、若い世代の就労・結婚・子育ての充実を図り、移住、そして定住へとつなげ、人口構造の若返りを図っていくことが重要であります。そのような中、本町では第6期幕別町総合計画において、地域資源を最大限に活用し、町の魅力の向上を図り、移住・定住施策を推進するという基本方針の下、子育て世帯をはじめとした多くの若年層に住んでもらうことにより、町の持続的な発展を図るため、各種施策に取り組んでいるところであります。ご質問の1点目、「幕別町の移住促進の取組は」とご質問の2点目、「幕別町内の移住体験住宅の整備状況は」については、関連がありますので、併せて答弁させていただきます。本町では、人口構造の若返りを図るため、子育て世代をはじめとした若年層をメインターゲットに移住・定住施策を展開しており、空き地・空き家バンクや UIJ ターン新規就業支援事業、マイホーム応援事業、結婚新生活支援事業、おためし暮らしなどを実施しております。空き地・空き家バンクについては、宅建事業者や所有者との連携の下、町内の空き地・空き家の物件を登録し、町ホームページや北海道空き家情報バンク、全国版空き家・空き地バンクを通じて購入や賃貸を希望される方へ情報提供しており、平成 29 年度からこれまでに、土地 70 件、建物 15 件が成約に至っております。UIJ ターン新規就業支援事業については、東京都の特別区に居住または通勤しているなど一定の要件を満たす方を対象に、就業等に伴う町内への移住者の取り込みを図るため、移住支援金を交付するものであり、令和3年度からこれまでに、5世帯 10 人の方が本事業を活用しており、このうち3世帯が 18 歳未満の子どもを伴って移住されております。マイホーム応援事業については、町外者の移住および町内在住者の定住に資することを目的として、町内に住宅を新築または購入する方に補助金を交付するものであり、平成 24 年度から 26 年度まで実施した定住促進住宅建設費補助制度を拡充した事業として、27 年度から新たにスタートしたものであります。これまでに 878 世帯、2,722 人の方の定住につながったところであり、このうち 398 世帯、1,102人の方が町外からの転入者であり、589 世帯が 18 歳未満の子どもがいる子育て世帯となっております。結婚新生活支援事業については、国の地域少子化対策重点推進交付金を活用し、新生活における住宅費用および引越費用の一部を補助するもので、令和元年度からこれまでに 31 世帯、62 人の方が活用し、このうち 33 人の方が結婚を機に町外から転入しております。おためし暮らしについては、忠類白銀台宿泊ロッジを移住体験住宅として活用し、本町への移住を希望する方を対象に、町の自然、気候、生活スタイルなど、町内における日常生活を低廉な料金で体験できる機会を提供しており、平成 27 年度からこれまでに、62 世帯 106 人、延べ 2,495 日の利用があり、うち1人が 30 年に忠類地区に移住されております。これらの移住・定住施策については、本年3月にリニューアルした町ホームページにおいて、移住・定住を検討している方向けに特化したページを開設し、各施策に関する情報の検索性を高めるとともに、各種支援制度の掲載、物件情報サイトへの誘導など、移住に関し必要な情報の効果的な発信に努めております。本町としては、永続的な町の発展につなげるという考えの下、子育て世代にターゲットを絞り、子ども医療費の無料化、修学旅行費の支援、保育所から中学校までのエアコン整備などの子育て支援策といった幕別町の「売り」と併せて、移住・定住を検討している方に支援策を訴えかけることにより、若年層に幕別町を選んでもらえるよう全力で取り組んでまいりました。定住人口はピークでありました、平成 26 年4月末の2万 7,714 人から本年1月末までに 2,484 人減少しておりますが、この間の子育て世代の社会増減は、令和6年3月末時点において、642 人の転入超過となっており、年齢構造の若返りが図られておりますことから、これまで取り組んでまいりました、移住・定住施策と子育て支援策を一つのパッケージ施策として捉え、施策の展開を継続して進めてまいりたいと考えております。以上で、谷口議員のご質問への答弁とさせていただきます。

質問 16番 谷口和弥

初回質問にありましたように、20 年目を迎えている、そういう中で、主に忠類地域の住民の方などとお話しする中で、この合併がどうだったのかな、そういうことで思いが聞かれる。そんな中で、また新聞報道などでも平成の大合併が 20 年となって、既に 20 年を迎えるところもあって、それらの自治体がどうなったのだということの特集などもあって、今回この質問を町長にお尋ねしてみようと思いました。町長がこの幕別町と忠類村との合併においては、企画室参事として中心的な役割を果たしている、そのことも存じ上げております。そのこともあって、これはきっといい話が聞けるだろう、そんな思いでいるところでありました。少し旧忠類村の住民と旧幕別町の住民との間では、思いにギャップがやっぱりあるのだなと思います。20 年たつ中では、以前のようにこの合併がどうだったのだということの話については、大分聞かれなくなったのかと思うのですけれども、やはり残っている声としては、旧忠類村の方にとっては、合併が本当によかったのだろうかというような声が聞かれるし、旧幕別町の方からは、この合併は何のためにやったのだろうと。要するに、私たちにあまり関係ないよねと、そういう十分な意識のなさ、意識の低さが聞こえてくる。そういう中で、表題にありますように、合併によってそのことがどうだったかということではなくて、さらに一つの町として強いものにしていきたい、そういう立場で今日の質問はさせていただきたいなと思っているところであります。私は、平成 19 年4月の地方統一選挙で議員になったものですから、合併についての議論については、議員としての参加はできていないのです。その後のいろいろな合併特例債を使ったことについてはいろいろ勉強させてもらってきましたけれども、選挙のほうも選挙の特例、幕別地区は旧幕別地区が 18人、旧忠類村が2人という、そういう特例の中で選挙が行われた、そのときに議員を始めさせてもらった、そういう一人であります。いろいろとこの合併に関わる資料についても、一定読み解かせていただいているところであります。この合併が自治体のほうで合併していきたいよと、積極的に上がったなんていうことはなくて、国の手法の中でどうするかというさまざまな検討がされる中で至ったと。忠類村との合併になったわけだけれども、そこに至るまでは道が示した、幕別町は東部4町での合併が最初に示され、忠類村は南部5町の中の一つとして示されて、そういう中で住民のさまざまな意見の中から、そこから離れて幕別町、それから更別村、忠類村の3町で合併協議を始めた。その中で更別村が抜けていくということの中で、忠類村との合併になるわけですけれども、私の感想ですけれども、引き寄せられたなと、そういうことが、今となってはそういう運命であったのかなと、そんなような思いでいるところです。この合併については、住民投票があればもっとはっきりしたと思うのだけれども、間違った方法ではなかったのではないか、そのときの状況ではそういう道が一番最善だったのだろうなと思っているところであります。その新まちづくりについて、いろいろなことを行ってきましたよということは分かりました。これについては再質問の答弁はよろしかったです。二つ目のところになりますけれども、新まちづくりに当たってはいろいろあるのですけれども、人口減のところがすごく著しくデータとしてあるのではないかなと思うのですよ。新まちづくり計画の中では、平成 12 年の合併時の総人口、幕別町2万 4,276 人、忠類村 1,804 人なのですけれども、先月出た幕別町人口ビジョンでは、令和 32 年、25 年後ですね、幕別町は2万 145 人、旧忠類村、現忠類地区ですね、1,080 人。幕別地区が 83 パーセントの人口が維持できることになっているのですけれども、忠類地区は 60 パーセントになっている。合併したところの小さい町のところが人口が減ってくるのだということは、ほかの自治体でもあるのですけれども、やっぱりこの現象はゆゆしきことなのだろうなと思うのです。この人口問題について、人口の広がりの問題についての見解を、まずは町長にお聞きしたいと思います。

答弁 町長 飯田晴義

人口については、これ全国的な傾向でありますけれども、この先、増えていくということはほとんどないだろうと私は思っているのです。それなぜかというと、合計特殊出生率が減少していることにあるわけで、ともかく亡くなる方は一定数で亡くなっていきますけれども、それに対して生まれる方が、夫婦2人について1人ちょっとしか生まれないということですから、これが 2.0何人生まれて初めて人口が維持できるという科学的数字になっていますけれども、これが1人ちょっとしか生まれない、1.2 人ぐらいしか生まれないということが、これはもう人口減少の根本的な底流になることであろうと思っています。そんな中で幕別町は地域的に言うと、本町地域があって、札内地域があって忠類地域があると。三つの市街地があるわけでありますけれども、この中でも札内は少子高齢化があまり進んでいない。それに比べて、本町地域、忠類地域は少子高齢化が非常に進んでいる。とりわけ、今、忠類が減っているというようなお話がありましたけれども、少子高齢化という観点で言うと、幕別本町がもっとひどいというか著しい数字、傾向を見せているわけであります。ですから、我が町としては、人口が減るのは致し方ないけれども、これまでなるべく年齢構成の若返りを図っていこうという観点から、施策を展開してきたところでありますから、そこはどこまでその魅力を感じていただいて、幕別町を選んで住んでいただけるかということに尽きるわけなのですけれども、やはりどうしてもその立地性というのが大きく関わるわけであります。というのは、子育て世代は教育ということを非常に考えるわけで、教育を考えたときにはやはり進学校と言われるところに近いところ、あるいはその進学校に向かうための塾がそろっているところ、そこをどうしても選ばざるを得ない。そしてその距離感も、やはり近いほうがいいだろうということがありますので、これはやっぱりなかなか逆らえるものではないのですけれども、ただ、田舎には田舎のよさもありますので、そこもしっかり訴えていきながら、なるべく将来における過疎・過密、過密はないですけれども、過疎化が一地域において進まないような、そこは配慮していかなければならないなと思っております。

質問 16番 谷口和弥

今、子どもさんのいる関係、進学その他との意見もありました。人口が減っていくのは、これも何せ子どもたちが生まれてこないということがあるものですから仕方ない。その中で、いかに両方の地区がいい関係でやっていくかという中では、人口が減っていかないようなちゃんとした配慮が必要だということが、私の述べたかったところであります。忠類村のことを軽んじているというようなことは決してないわけですけれども、そういうふうに捉えるような印象を、そういうふうな印象を持たれるようなことのないように、くれぐれも注意をしていくことが重要かなと思います。丁寧な表現していっていく中で、この人口減の問題、新まちづくり残り、今年度で終わりになりますけれども、成果を最後まで追求していっていただきたいなと思うところであります。三つ目に行きたいと思います。シンボルマークなどの考え、10 周年記念事業についてであります。思ったよりも使われているのだなということが分かりました。特にシンボルマークではなくて、ご当地ナンバープレートですね。実際、私自身の注意力が足りないのか、あまり見たことがなかったものですから、その後どうなっているかなと。この質問は、私自身が以前に、平成 30 年6月議会でさせていただいたところであります。その中で、まだ十分なものになっていなかった。でも、かなりの数字が上がっているということが分かったわけですけれども、あまり見ないなと。皆さんどうなのでしょうかね。大いに目立ってもらいたいものですけれども。それは主観ですけれども。それで、このシンボルマークですけれども、申請を受けて許可を受けると、そして発行すると。営利目的は駄目ですよと、そういったことなどがいろいろと使用規則の中で書かれているわけであります。こういったやり方でもって、このマークは使えるのですよということをもっともっと広めていくことというのが、できるのではないかなと思いました。例えば、町内会の総会の議案書の中にもこれが出たっていいわけですよね。さまざまな幕別町の町民生活をよくしていくための団体が、そう願う団体があるわけで、そういったところの総会資料の中にも出てきてもいいわけですよね。そういったところに積極的にアピールして、そのことは何度もやりますように、幕別地区と忠類地区のより連帯感が強まることにつながると思うものだから、そういうところからやっていただきたい、そのことをまず訴えたいと思います。そして、町の花・木・鳥のことなのですけれども、実際、幕別町の鳥は何ですかと町民に聞いて、すぐぱっと答えられるかと言ったならば、私はちょっと難しいのではないかというケースが多いのではないかなと思うのです。まだまだいろいろと施策は練っているけれども、もっとできる、そういうふうに思うのですけれども、どうでしょう。シンボルマーク、それからこの花・木・鳥、そういったことの中では、何かさらに浸透させる上での方法など考えていることはありませんか。

答弁 町長 飯田晴義

これはシンボルマークにつきましては公募をして、そして選ばれたものがこれであります。ただ、今言われたように、確かに浸透度、長い時間かかることは承知しているのですが、やはりもう少し折に触れ PR する必要があったのだろうな、これからもしっかりと粘り強く PR していく必要がある。そのことによって町民の皆さんが認識してもらう、あるいは今言われた、町内会の議案に使ってもらえるとかということであろうと思います。町としては、できるだけいろんなものに使っていることは、折に触れ見られているかと思いますけれども、そこをやっぱり住民レベルまで落とし込んでいないと、広まっていないということがありましょうから、そこは今後も折に触れて、町内会連絡会議もありますし、いろんな団体の会議もありますから、そういった中で使えますよということを PR してまいりたいと思います。それと、オオハクチョウについては、これは合併前の幕別町がずっとこれ、忠類もそうだったかな、何せ長い間ずっと町の鳥、村の鳥になっているのですが、なかなかこれ、鳥になっているだけであって積極的な PR も不足していたと思いますので、せっかく定めたものをやはりシンボルマークにしろ、町の花、木、鳥にしろ、こういうものを町の花、木、鳥にしているのだよということの PR はしっかりと進めていきたいと。シバザクラも同じでありますけれども、定めたものは定めっ放しであることはやはり好ましくありませんので、しっかりとそこは広めてまいりたいと思います。

質問 16番 谷口和弥

分かりました。その平成 30 年の議会のときには、それぞれその花、木、鳥を選んだ理由をちゃんとホームページなどいろいろ説明資料に載せることを私は求めていて、そのときに具体的に言ったことがあるのですけれども、それらについては大体反映させてもらえている、反映しているということになっています。シバザクラについては、どういう花言葉があって選んだかということの理由が分かったほうがいいだろうと。ただ、ここで残念なというか思ったのは、昭和 60 年から平成7年までの間、シバザクラ祭りを開催していましたなんていうことが出てくる。平成7年というと、もう 30 年前になってくるわけです。そのときにこういったことがあったから選んだよということでない、今、町の花としてあるのだということの理由を、ちゃんとつけたほうがいいのではないかと思う。三つともそうですけれども、このものを選んだのは町のこういう願いがあるのだということをちゃんと明らかにする、説明できるようにしたもののほうがいいのだというふうに思うのです。30 年前にシバザクラ祭りやっていましたよとなってくると、ちょっと、ちょっと……。それから、カシワで言うと、カシワの葉が落ちない大変丈夫なそういう葉を持つ、そういうことの縁起がいいのだということを言ったとおりの文言がここに出されているわけですけれども、ここで思ったことは、映画「愛よ星と共に」のロケ地に使われたということがあります。新田牧場さん、チーズ工房さんの前に行くと、今もそのときの木はもちろんあるし、こういうものがロケ地としてありますよというそういう看板は残っているのです。やっぱり新田牧場さんにしたら大変名誉なことで、それはこれからも誇りに思っていっていただいていいのだけれども、1947 年、昭和 22 年の映画なのです。どんな映画だろうと思って見たいと思っても、私はちょっと見ることができなかった。町長はご覧になったことがあるのですか。そして、その感想がもしあれば、ちょっとお聞かせください。

答弁 町長 飯田晴義

私が生まれるちょっと前よりももうちょっと前なので、なかなかそういう見る機会がなかったわけで、私もよく分かりません。ただ、NEEDS の工場のところに行くと、そういうロケをしたのだなということが分かります。でも、分かりますけれども、なかなかそこに誘導ができていないということがありますから、やはり先ほど来おっしゃっているように、いわれというものをしっかり説明した中で、それを PR していくということが必要であろうと思いますので、そういった鳥にしろ木にしろ花にしろ、しっかりそこは単に幕別町の花、木、鳥ですよということではなくて、分かるような、親しみを持てるような説明も必要だろうと思っております。

質問 16番 谷口和弥

親しみが持てる説明、そのとおりなのだと思うのですよね。ちょっと分からなくて、これ DVD にもなっていなくて、見る方法が恐らくないのだろうと思うのですよ。以前にね……(見れますの発言あり)

質問 16番 谷口和弥

見れた。勝手に発言しないで。ユーチューブでね、ちょっとだけ流れたことがあるのです。急に出て、急に消えたのですけれども、白黒の映画という中では、カシワの云々ということがなかなか分かりづらい映画であった。内容はもちろん分かりません。いや、説明はあります。拳銃の殺人事件の中で2人が愛を育んだと、そういう映画なのだけれども、むしろ NEEDS さんとしては、その後、ロケ地となった「糸」、そっちのほうが、NEEDS の工房の中に入ると、たくさんあって面白いです。オオハクチョウ、もう少し書いていただきたいな。繰り返しになりますけれども、丁寧な説明ということの中では、旧途別川周辺をはじめ町内の多くの場所で見ることができます、だから町の鳥ですということでは、もっと説明の仕方があるだろう。ちょっと工夫していただきたい。丁寧な説明が必要だということでご答弁をいただいているので、ここでまた繰り返しの答弁求めませんけれども、忠類地区と幕別地区の合併の意識を強める、そういったものになると思うものですから、決して変える必要もないのだと思うのです。宣伝に努めていっていただきたいなと思います。映画については近々見に行ってみたいと思います。町長もご覧になってください。四つ目、新幕別町史の編さんを開始するべきと考えるがどうかですけれども、以前も私はこの質問をしたことがあって、そのときも 150 年ということの目安が出されました。どうしても町長、150 年という、そういうものにこだわりたいだろうか、そこにこだわっている理由がちょっとまだ私にはこの説明の中では理解できていなくて、改めてお願いしたいなと思います。

答弁 町長 飯田晴義

これ、新しい町史を出すとなれば、やはり節目の年がふさわしいだろう、これは誰もが賛同していただける。そうなったときに、では 130 年がいいのか 140 年がいいのか 150 年がいいのか、そんなことになるわけでありますけれども、百年史を編さんしたときから比べると、非常に資料の保存状況がいいということがありまして、それと百年史以降、毎年ある程度これも蓄積もしてきているということがありますので、容易さ、難易度ということからすると、30 年分を編さんするのと 50 年分を編さんするのは、私はさほどかからない。むしろそんなにかからないのかなと。ただ、あとは人ですね。編さん員が、誰が編さんを主にやっていただけるのか、そこだけちょっと心配な面がありますけれども、私は資料の保存状況からすると、さほど苦労はないのかなと。あとは原稿を書く方が誰になるのか。150 年になると私も生きていないでしょうから、なかなか今から何も言えませんけれども、しっかりとした人ということが一番重要になるかなと思いますので、それの執筆者は誰がやるのだということを今からでも考えながら、この人がいいのではないかということを考えながら任せるような形に持っていければと思います。それで 150 年というのが資料の保存状況、容易さからしても、私は一番いい節目だろうと思っております。

質問 16番 谷口和弥

150 年ということは、節目としてはすごくいいのだと思うのです。いろいろ私も幕別町、それから忠類村、歴史を知りたいなと思って資料を探してみました。答弁の中では、忠類村史、それから幕別町百年史のことがありました。忠類村史は平成 12 年、忠類村史編集委員会が発行している。幕別町百年史については平成8年 10 月1日、幕別町が編さん、発行していると。そのほかに幕別町議会史、平成6年 10 月1日発行、幕別町議会史編さん特別委員会が作っていると、このようなものがあるのかなと。ほかにもう一つ、私がここで挙げたいのは、忠類村議会のあゆみというのが平成 19 年 10 月発行、幕別町議会史編さん特別委員会がやはり発行していると。さっきも言ったように、私、まさにこの時期に議会に上がるようになったのがこれですね。これがね、本当に面白い。これにははっきりこの合併という大きな町の事象が明確に述べられている。町長の今ご答弁の中では、大きなことがなければ 150 年だというのだけれども、忠類村との合併ね、十分過ぎるぐらい大きな事象であるのだと思うのですよ。この中でいろいろ血の通ったそういう町史にしてもらいたいなという思いがあるものですから、例えば旧忠類村最後の村長となった遠藤清一さんのことで言うと、忠類の歴史が遠藤で始まり、遠藤で終わるというのも不思議な思いがしたと、合併は進めなければならないことだったが、自分の育った村の名前が消えるというのはやはり情けないものがあったと。村の歴史がそれで終わると、こういう思いをね、これは合併協議会の資料とかではなくて、新聞報道で書かれている中身です。それから、この遠藤さんに関わってのことですけれども、更別村の離脱から間もなく開かれた2町村による初の合併協議会で、忠類村側が合併方式は編入と、新しい町の名前をつくるのではなくて、幕別町の中に忠類村が入るということを遠藤村長が提案してきたと。そのときの様子を見て、飯田晴義企画室参事は、遠藤村長の気持ちを押し殺して編入提案の原稿を読み上げるのを聞いているうちに涙が出たと、複数の委員の目も涙で濡れていたと、そういうコメントを新聞取材の中で述べられています。こういったことが生きる町史にしていただきたいなという思いがあります。旧忠類村の遠藤元村長のことも、このことで話す機会があったのだけれども、やはりもう年齢的にももう 80 を過ぎてということの中では、さっき町長も誰に書いてもらうのだということがありましたけれども、もう書けなくなっていると。だから作ってもらいたいなと、そういうことを漏らしていらっしゃいました。私はこの 150 年というのならば、まだ大分先だ。合併の 20 年ということは本当に町にとって大きな出来事だ。そして、今でないとそのことが書けない。そうした方々のさまざまな苦労を知ることが、忠類村との合併は何だったということを記せる、そういう基になるのだと思うのですよ。私はそのときに中心に関わっていた飯田町長に、この号令を出していただきたいなと、そういうふうに願っているのです。それが幕別町の 20 周年の記念事業の中に組み込められればいいなと思っています。改めてどうでしょう。こんな私の戯れ言になりますけれども、聞く中で、町長の思い、動くものがありませんか。

答弁 町長 飯田晴義

合併協議に関しましては、私も関わっていましたので、今のお話なんかも本当に思い出して、何か涙が出そうになりましたけれども。合併協議では、表での話と裏側の話といろいろありました。それは町史というレベルから見たら、合併の協議としては残しておく価値はあるかもしれませんけれども、町史というレベルで考えたときに、誰もそこまで載せられないというレベルのものも、面白い話、たくさんエピソードなどもありますので、それはそれで私は残すことは非常に意義あることだと思います。ただ、町史というレベルになってくると、それは別なものかなと思っていますので、町史のレベルで言うとやっぱり 150 年の気持ちは変わりません。ただ、分かっている、今生きている方の記憶が新しいうちに、そういった合併に関わるさまざまなエピソードを一つの書物というか、記録史として残すことについては意義があると思いますので、これはどういう形がいいか分かりませんけれども、何かそこは考えたいなと思います。

質問 16番 谷口和弥

何か考えたい、ぜひ考えて進めていただきたい。繰り返しになりますけれども、忠類村との合併が、もうさまざまな方々の努力の中で、その国の状況では最善の選択肢であったのだ、そのことを私は明らかにしていって、この町の醸成につなげていきたいなと、そのように願っているところであります。大きな二つ目、移住促進の取組の強化についてであります。さまざまな施策を行って、若い人を中心に成果を上げているのだということのご答弁をいただいたところであります。思ったよりも多くの人たちが幕別町への移住につながっているのだと、そういうことの実態も分かりました。さきの答弁にありましたように、幕別町というのは十勝管内の中でも優位性というのがやっぱりあるのだと思うのです。教育の問題なんかはまさにそれなのだと思うのです。地方に行くと、自分の夢が実現できるようなところへ子どもを通わせられない、子どもがやっぱり中心の考え方になっていくでしょうから、そうなってきたときに各自治体でいろんなことをやっているわけだけれども、幕別町にはその優位性があるのだろうなと思うところであります。それで、今いろいろな施策がある中では、一つ、この二つ目に立てた忠類の白銀台の宿泊ロッジのことであります。5棟あって、いろいろと使われているのだということがありました。移住したいよということであれば、まずはここをお試しで暮らしてもらうと、そういうふうに導いているということで理解してよろしかったですか。

答弁 町長 飯田晴義

実際に忠類といっても、今、情報化社会ですので、いろいろ検索ができて、忠類ってどんなところなのというのは分かるでしょうけれども、ただ、実際に行ってみないと実態分からないな、実感を得てもらうためのものとしてのおためし住宅ということで設けてきたのでありますけれども、ただ、ちょっとこれは弊害的なものも出ておりまして、いわゆる安いホテル代わりに使われる傾向があるということなので、果たして今本当にこれが必要なのかどうなのかということは、一度立ち止まって考えなければならないと思っております。本当に田舎暮らしがしたいのであれば、そんなにずっと泊まっていなくても、1泊2日すれば大体回り切れるところですので、それは果たしておためし住宅が要るかどうかとうところまではいかないのではないのかなと、そんな感じもしておりますので、ここは内部でしっかり検討して、あるいは移住してきた人のお話も聞きながら、このあり方については検討したいなと思います。

質問 16番 谷口和弥

新聞報道ですけれども、士幌や上士幌などでは結局、自然豊かなところで暮らしたいという方たちなのでしょうか、この体験住宅が非常にうまく数多くの人が利用するなどということがありました。忠類のロッジについてはそれに匹敵するものがあるのだろうなと思うのですけれども、果たしてお試しで宿泊できるところが、忠類の5棟でいいのかということの話がしたいところなのです。さっきも何度も出ていますように、例えば札内地区、本町地区、これならば帯広市の学校にも自宅から通える、そういう範疇になってくるわけです。そういったところにお試しで入居できる、そういうことがあることは、非常に重要なのではないのかなと思うのですけれども、札内地区、それから本町地区にお試しで入居できるような、そういう住宅を持つということについてはいかがでしょうか。

答弁 町長 飯田晴義

実際にそこに行って、気候風土、肌で感じることというのは必要だと思います。ただそれは、ホテルがなくて泊まるところがなくて、実際に泊まって一晩寒さを実感してみたいけれども、分からないのだとかというところであれば、私はいいとは思うのですが、これだけ帯広市から近距離にあって、ほとんど帯広市も幕別町も変わらない、札内も変わらないということになれば、別にそこに泊まらなくても十分分かるのではないかなと思っていますので、そこは逆にその民間のホテルなりを利用してもらうことのほうが、いいのではないのかなと感じております。

質問 16番 谷口和弥

民間のホテルを利用するということに関しては、ちょっと異論を述べたいと思うのですけれども、内部で移住者を引き寄せるにはどうしたらいいかということはよく検討してください。最後に、さまざまな団体が首都圏などで移住フェア、要するに集まって、そして一つの大きな会場に集まって、各自治体がフロアを持って、どうぞ、うちの町を知ってくださいということでやっている、そういったフェアにいろんな参加している自治体というのがずんずん出てくる。そういう中では、幕別町の出ていないときが結構あるのではないかなと、私自身がネットで検索する中で感じているのです。その辺は実際どうなのでしょう。そして、十勝は結構参加しているのですよ。これには十勝の町はこれには参加しない、これには参加する、そういう基準をどういうふうに持っているのかを確かめさせていただきたいなと思います。

答弁 町長 飯田晴義

これ、数多くのいろんなイベントがありますので、それに全部出るということはしておりません。そういう中でも特に効果的なものを絞って出ているというのが実態であります。それともう一つは、それ実際に出てみてどれだけの効果がある、費用対効果という点もありますので、これだけ情報化社会、情報が非常に発達している社会においては、むしろ私は移住してきた人のネットワークを大切にして、そこから知り合い同士が来てもらえるような、そこを探ってみることのほうが私は効果的であろうと思います。ただ本州に行って PR することは、全く否定するものではありませんので、そこは絞りながらやるべきであろうと思います。

出典:幕別町議会 令和7年第1回定例会 2025年3月11日 議事録 PDF(40ページ) 間違いを知らせる