浜中町議会 令和3年第4回定例会 2021年12月8日
準備すべき物をいつでも車に積むだけになっているか等々について
2021年12月8日、浜中町議会の一般質問で、加藤弘二議員が「準備すべき物をいつでも車に積むだけになっているか等々について」質問し、防災対策室長 石塚豊、副町長 齊藤清隆、保育所長 中山和生、管理課長 舟橋正誉、高校事務長 中田昌浩が答弁しました。
- 質問者
- 加藤弘二 議員
- 答弁者
- 防災対策室長 石塚豊、副町長 齊藤清隆、保育所長 中山和生、管理課長 舟橋正誉、高校事務長 中田昌浩
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
質問 5番 加藤弘二
一般質問を始めます。題材は、寒い冬に向かう今、地震、津波、即避難所へ各家庭で持ち込みの防寒着や寝具など、準備すべき物をいつでも車に積むだけになっているか等々について、町として普段から町民に徹底を図るべきではないか。こういう表題で質問しようと思っています。私この1年間の中で考えてみたら、地震津波の問題を近い4年間の中でも、2回から3回質問しています。なぜまた今回こういうことになったのかといえば、先日10月でしたか9月の末でしたか避難訓練がございました。あの参加率を見て全然緊張感がないなと。いつものように2011年の3.11のような突然ああいう地震が起きたときに、町民はちゃんと逃げられるだろうか。準備を進めている役場の担当者、本当に至れり尽くせりのことを考えながら、計画を練っておられますが、しかし町民の意識が本当に高まっていないようにしか感じられないので、私はまたもう一度のここの質問の場に立つことにいたしました。私の生まれは1941年、現在80歳です。戦争が始まって80年、終わって76年、そしてこの間戦争ばかりでなくて、大きな地震、津波を10年に1回くらいずつ経験してきております。そういう中で、我が浜中町でも大きな地震を経験しながら、今、当然起こったならば、子供たちやお年寄りや車を持っていない方々はどうするのだろうかと心配しながら、3.11のときには犠牲者はありませんでした。今度もまたあのような大きな地震が起きても、きちっと役場の指導のもとに町民が本気になって犠牲者にならないような、そういう状況を是非つくっていっていただければなと思いながら、質問いたします。寒い冬に向かう今、地震、津波、即避難所へ各家庭で持ち込みの防寒着や家具など準備すべき物をいつでも車に積むだけになっているか普段から町民に徹底を図るべきでないのか。そういう大きな地震が来たら、それぞれの家庭がどうやって自分たちはこの津波から逃げることができるか。役場から一々拡声器で放送されるまでもなく、自分の家庭ではこうやって逃げると。こうやって避難所に行くというような準備をやはりどこの家庭でもすべきではないかと。それが昭和27年の十勝沖地震や35年のチリ津波で犠牲になった方々から教訓を学ばせていただいてどんなに大きな地震や津波が来ても、みんなが助け合って逃げられる状況を作っていきたいものだなと思って質問に立ちました。自分の昭和27年の十勝沖地震、昭和35年のチリ津波による大きな被害を2メートルもある水かさの中で、泳いで大きな柱につかまって一命を取りとめた経験もありまして、本当に地震津波は甘く見てはいけないことをひしひしと感じております。地震、津波といってもやってくる方法が違うのです。私は函館やここで経験した津波や地震はどこであったのか知らなかった、あるいは、3.11のように地震が東日本で発生したことを知っていたが、津波が来るのか来ないのかはっきりわかるまで20分もかかったという状況もありまして、議会中の2時46分という時刻でしたけれども、地震の最初の揺れと横揺れの時間の長さの感じで、これは津波来るなということを何とか見つけて地震が来てから津波が来るか来ないかわかる程度の経験はみんなで感じて、気象庁に頼ることはもちろんなのですけれども、自分自身で津波の程度を図るというそういうことが私はとても大切なことだと思っております。2011年3月11日の14時46分東日本大震災が起きました。あの時の津波は浜中町にどんな形で押し寄せてきたか。大きな波となって押し寄せてきたか。津波の水嵩がのんのんのんのんと大きくなって襲ってきたか。それから、地震の縦揺れの段階と、その後の横揺れの段階で、どこで津波が来るなと感じるようになったか。気象庁のこれは津波が発生するかしないかわかるようになっているそうなのですけれども、津波の押し寄せる程度の問題とそれから、津波が来る場合はどういう場合なのか、担当課としてどのように押さえておりますか。
答弁 防災対策室長 石塚豊(防災対策室長は2023年9月まで)
まず地震と津波の関係でございますけれども、この道東沖については千島海溝がございまして、それは太平洋プレートが北海道の下に沈み込んでいて年間1cm程度動いているということで、その沈み込みが段々歪を生んで、それが破裂というか元に戻った時に海水が動いて、それで津波を起こす形になっていますので、これは海溝型地震による津波ということでよく知られています。それでこの津波の地震でございますけれども、やはり、まず一つ特徴としては長い時間揺れが続くと。それで津波が発生しやすくなるとのだと思いますけれども、実際に津波が発生するかしないかの予測は気象庁で行っていますので、私どもとしてはこの気象庁の発表に基づいて素早い対応をしていくことが基本だと考えてございます。以上です。
質問 5番 加藤弘二
ありがとうございます。気象庁の判断を待つということですね。気象庁は前回3.11のときには、地震があって震度は何度ですと早くに出ていたと思いますが、こちらまで津波が押し寄せるというのは私が議場から逃げて20分くらいしてから大きな津波が来るようだと東北地方で津波の襲来があるというのを聞いてみんなが逃げていく、その映像も見ました。現在、気象庁は地震の縦揺れがあり、それから、大きな横揺れがありどの時点で津波の襲来が明らかになるかというのは知らされておりますか。
答弁 防災対策室長 石塚豊(防災対策室長は2023年9月まで)
お答えいたします。まず、地震でございますけれども、気象庁では比較的大きい地震が発生した場合には1分半後には地震情報発表する形になっています。震度が幾つかを地震情報として発表し、その後、気象庁で色々計測いたしまして、地震発生の3分後を目標に津波のありなしを含めて発表していく形になってございます。ですので東日本大震災のときは14時46分に地震が発生して、14時49分に実は津波注意報、ここは北海道太平洋東部でありますけれども、3分後に津波注意報が出されました。ただこの時は最初50cmの津波という情報でございました。ただ、その後、津波注意報の25分後に津波警報に変更がされ、津波警報で1m、その後、さらに16分後には大津波警報が発表されて3mの津波が来ますよと。さらに、それから38分後に同じ大津波警報ですけれども、今度は6mということで徐々に発表が変わってきたという状況がございました。これについては当時、確か記憶では地震の規模が東日本大震災はマグニチュード9でした。これが最初に気象庁が捉えたのがマグニチュード7.9かそこらへんの規模の地震だという捉え方をしたものですから津波の規模を小さく発表してしまったと。そういうような当時の反省があると伺っております。以上です。
質問 5番 加藤弘二
ありがとうございます。2011年の3.11の地震と津波の時間帯について今報告がありました。全くそのとおりだったと思います。それで、あれから10年経った現在、まだそのように地震が起きて25分後、35分後に津波がやってくる。ちょっとこれ時間長過ぎると思うのです。縦揺れがあって横揺れも経験したことのないような状況の中で津波が来るかどうかっていうのは極めて大事なことなのです。先日私、用事があって斜里町のウトロで朝方に写真を撮りたかったのでそこに駐車して布団を持って行って車の中で寝ました。はっと気がついたら、その駐車場のすぐそばに坂がありまして、地震で横揺れが1分間続いたときには、この坂を上って高台に避難してくださいという看板があって、これは具体的ですごくいいなと思いました。地震があって気象庁がどうのこうのではないのです。横揺れが1分間続いたらとにかく逃げると。上の方に私前に行ったことがあります。小学校中学校が上にありまして、広いグラウンドがあり若者がスポーツできるくらいの広場もあり、なるほどと。1分揺れたら逃げろと。そういう具体的な看板がありました。私が言いたいのは1分でもいいのです。揺れが3分この前の3.11の時は3分何十秒という時間揺れていましたけれども、1分でもいいのです。3分ならもっと可能性はあるのですけれども。私は揺れの具合で浜中町から気象庁の前に津波のおそれがあるということを言えるかどうかについてどのように考えていますか。
答弁 防災対策室長 石塚豊(防災対策室長は2023年9月まで)
お答えいたします。浜中町主導で発表という部分でございます。現在、町の緊急避難の放送につきましては、地震の発生する情報、あるいは津波の情報、これは夜間休日含めて24時間、全国瞬時警報システムJアラートがあります。これの情報を受けまして自動的に防災無線が起動して屋外拡声器あるいは個別受信で放送を行う仕組みになっています。それで先ほど1分半ぐらいで地震情報でるのですけれども、浜中町におきましては釧路、根室管内、震度4以上を観測した場合放送を流すことになっておりまして、さらに震度5弱以上の地震が発生した場合は防災無線では大きな地震がありました。火の元を確認し海岸近くの方は津波の恐れがありますので、十分注意してくださいという放送が入ります。震度5弱以上の場合ですね。その後、3分をめどに津波のあるなし発表になりますので津波がある場合は即時津波注意報なり警報なりが発表されますので、現実的に考えますと手動で放送するだとか、1分以上地震が続いたから流すだとかはちょっと難しいのかなと思っています。現在の放送の関係でございますけれどもやはり正確な情報を早く短くわかりやすく伝えることが必要でありますので、今の放送体制、内容については維持していきたいと考えてございますのです。
質問 5番 加藤弘二
今担当課長が言われたとおりJアラートで震度によって津波のおそれがありますからと、それが1分以内なのか3分以内なのか5分後なのか、そこのところはちょっと難しいところですけれども、自動的に津波の恐れがあるということがJアラートでわかるようになってきたというのが3.11のときとはちょっと違うのではないかなと思います。そういう装置が付いているのですけれども、そのとおり働いてくれるかどうかの問題については、どうなっているでしょうか。
答弁 防災対策室長 石塚豊(防災対策室長は2023年9月まで)
お答えいたします。町の防災無線でございますけれども、これは今の新庁舎の中にございます。当然、放送を流す場合は電源が必要でございますけれども、これについては町のこの施設に対して、自家発の非常用電源もございます。また屋外拡声器こちらについても、それぞれの拡声器に蓄電池バッテリーを搭載していますので、私どもとしてはJアラートから流れてくる情報については、発信できるものと考えてございます。以上です。
質問 5番 加藤弘二
そういう装置がついて大丈夫かという話をしましたけれども、そのような状況になってきちっと作動するという答弁をいただきました。続いて今までは地震が起きたときにほぼ正確に地震、即津波避難という行動ができるかどうかということで質問いたしました。次に進みます。次はその放送を聞いた町民ですが、この中で逃げる人と逃げない人がいるのですよ。多くの方々はすぐ逃げます。終わって、3.11の時には翌日でなくて2日後の朝に避難の解除があったと思います。私、翌日に避難解除があったと思ったのですけれども、私、途中で標茶に妻の実家があるのでまだ避難解除になっていないから、ここにいてもしょうがないから標茶行こうとなって標茶に1泊して、帰ってきたときに避難解除がありました。それで1日目ずっと避難の場所に午前9時までいました。ところが200人ほど浜から避難していた家族が夜の9時になったらどんどんどんどん少なくなっていきました。朝方の4時になったらほとんどいなくて、9時まで残っていたのは私の家の2人と、その当時課長になっていたかどうかわかりませんが、今課長になっている人の奥さんと女の子2人連れた3人の役場職員の家族が一緒になって朝の9時までいました。そしたら夫は地震の係をしているので普段からおれは地震になったら帰ってこないからなと。おまえは子供を連れて逃げろと言われているのかと聞いたら、はいそうですと。そして、ずっとそこにいて9時になっても解除にならないけれども、俺は帰るからと言って帰ってきました。その家族は帰ったかどうかわかりません。非常にその役場の職員の奥さんとして忠実にやっていた姿が印象に残っています。そのときの2日過ぎて役場に来ました。総務課にきたところ、2泊3日全然寝てなくてそこにいたという職員が町長室の前の課のところにいらっしゃいまして2泊3日帰らずにいたんだという精神は私はもう本当にすばらしい精神で仕事をやってくれているなと思いました。担当する側はそうやって、きちっとやっているにも関わらず町民は非常に勝手なことをやっている。私はもう本当に腹が立ちました。俺は逃げないで流れた資材を拾って歩いたと。本当に悔しい話、悲しい話、命かけて、みんなを守ろうとしているのにこういう状況とはなんなのだと。その辺のところをどうやって町民にわかってもらったらいいのかということで、ちょっと難しいかもしれませんが、副町長いかがでしょうか。
答弁 副町長 齊藤清隆(副町長は2023年9月まで)
ただいまの御質問にお答えしたいと思います。3.11当時私福祉保健課の方におりまして、福祉係で町内の独居老人等の方を乗せて、茶内にある野いちごに送迎業務に当たっておりました。避難させるために。町内の中でも、やはり霧多布地区におきましても、今議員言われたとおり私はこの家を死守しますという方もおりました。これはいくら行政の方から避難するよと言っても、その人の意志でありますから何ともそれ以上のことを強制することを出来ずにそのまま家にいてもらったという経緯もございます。ですから浜中町民におきましては避難する意識が高い町でもあるのですけれども、中にはやはり避難したくないという方がいることも存じておりますので、そういった面も含めまして、毎年こう避難訓練しておりますけれども、意識改革をまたさらに強化していきたいと行政としては思っています。以上です。
質問 5番 加藤弘二
町の職員がみんな一丸となって、いざ、津波対策と言ったら一糸乱れぬ形で一生懸命やっている。それにやはり答えるくらいの町民になってもらいたいというか、元々そうなのだろうけどそうなるとどうなのかというその辺のところが私はせっかく一生懸命やっているのに、そういう体制を乱す者がいるというのは本当に悲しいことではないのかなと思いますが、何とかそういうことがなくなるようにしてもらいたいと。それから避難所に行ったときも自分勝手に帰るのではなくて解除になった時点で帰るというこの辺のところも私は大切だと思います。私はチリ津波のときに太平洋側にやってきた津波は2波、3波、4波ときましたが、チリ津波が北アメリカ南アメリカの海岸にぶつかってそれがはね返って、また大きな津波が来るのでないかなという予想を勝手にしちゃったのですけれども、終わったと思っているところに2日もしてまた津波がやってくるみたいなことも想定されるので町民の勝手な行動は私は厳に慎むべきだと思います。それでは8ページに移ります。8ページの質問1のところで、近所に住むお年寄りで、1人で避難できないお年寄りの避難にはあらかじめ町内会の約束に従って援助をお願いしますと。各町内会で強い地震来たら私、車ないから迎えに来てとかそういうことを隣近所喋り合って、いいよ乗せて行くという約束ができていればありがたいかなと思うのですけれども、その辺の取り組みはいかがなっているでしょうか。
答弁 防災対策室長 石塚豊(防災対策室長は2023年9月まで)
お答えいたします。1人で避難できない方ですが、こういう方は避難行動要支援者と言われる形になります。避難行動要支援者につきましては、避難の基本で自助あるいは共助とありますけれども、やはり自力で避難できないとなりますと共助が重要となってくると、要は地域の助け合いで避難していただくことになります。それで3.11の震災の後にこの関係は非常に議論があったと承知しております。それで各自治会、町内会にお願いして、各自治会ごとにそれぞれ取り組みをしていただいていると承知しております。それで緊急放送の関係でございますけれども、放送については先ほど言いましたけれども、まず例えば地震がありましたよだとか、津波警報、大津波警報が出ましたかとか、そういう重要な情報をまずは流すと。これは自動起動で流すと考えておりますので、援助をお願いしますという放送については、町の防災無線の放送の中で流す予定はないということでございます。以上です。
質問 5番 加藤弘二
先ほどの副町長が福祉保健課の時代に、担当しているお年寄りがいて迎えに行くと。こういうのも地震で身寄りのない人のところには役場の中で面倒見るとかそういうこともやりながら今課長が言われたように隣近所、普段から支え合っていく取り組みも本当に大事だということでした。それと質問の2に移りますけれども、今の時期、そして春先の4月まで、夜はすごく冷えます。夏のように津波だといって着の身着のままで逃げるというのも大事なことなのですけれども、しかし避難所は例えば茶内のコミュニティセンターとかに避難するのですけれども、外観はすごく暖かいように見えるのですけれど、やはり一晩過ごすとなれば、寝袋か布団か毛布かそんなの持っていっても本当に寒くて寝られない。赤ん坊なんかはもうギャアギャアですよ。赤ちゃんだけ入るくらいのテントを張ってお母さんと一緒に寝かせるようなものが避難所にあればいいかなと私は思ったものでしたが、こういう特に夜に避難しなければならないときに避難所で面倒見てあげなければならないのは、赤ん坊、子ども、それからお年寄りだと思います。その点で避難所で用意できるものについては現在どんなふうになっていますか。
答弁 防災対策室長 石塚豊(防災対策室長は2023年9月まで)
避難等については避難者が避難生活を送ることを考えておりますので、避難所の中には簡易ベッド、あるいは段ボールベッド、間仕切り、寝袋、毛布といったものが備蓄されています。また、避難所には避難所運営マニュアルを作成しておりまして、この中でも乳幼児などは要配慮者でありますけれども、こういう方々については家族単位で暖房の設備のある部屋に優先的に収容したり、優先して別途間仕切りも使用していただくと考えてございます。以上です。
質問 5番 加藤弘二
3.11の反省から寒い思いをして過ごすよりも、赤ちゃん用の部屋を用意するとか大変行き届いたことができるようになっていると思います。質問の3つ目、保育所、小学校、中学校、高等学校の学校時間には保育所ごと学校ごと、色々あるのですけれども、保育時間に地震が来たときは保育所の子供たちはどういう体制をとっているでしょうか。お願いします。
答弁 保育所長 中山和生
質問にお答えします。10月に避難訓練をしております。その内容についてお知らせしたほうがわかりやすいかと思いますので説明させていただきます。10月15日に避難訓練を行っておりまして、まず、地震が来たということで、シェイクアウト、子どもたちは机の下に潜ります。それで頭上から落ちてくるものから身を守ります。そしてすぐに避難の準備をします。10時に地震が発生する想定で行いました。すぐにシェイクアウトして避難の準備、上着を着て帽子をかぶって10時5分には玄関前に整列して、あとは避難の号令を待つばかりになっておりました。そこから5歳児、4歳児、3歳児については走って、2歳児、1歳児についてはカートに乗せて先生たちが押して、新しくできた避難道路で避難しました。これからも地震津波の際には同じような体制で避難することになるかと思います。以上です。
質問 5番 加藤弘二
小さい子供が保育所から整列して走って行ったのはどの道を通って行ったのですか。
答弁 保育所長 中山和生
霧多布保育所の玄関を出まして、文化センターの建物沿いに霧多布五の通りまで真っすぐ走っていきます。五の通りを横断しまして、すぐ旧庁舎の駐車場があったあたりから今の新しい避難道路の下を通るトンネルがあります。そこを抜けてトンネル脇の階段を上って歩道を上がって役場までということです。カートについては、五の通りを渡った後、新しい避難道路を横断して歩道をずっと押して上がっております。以上です。
質問 5番 加藤弘二
ありがとうございました。霧多布小学校の場合はどんなふうになりますか。
答弁 管理課長 舟橋正誉(管理課長は2024年3月まで)
霧多布小学校という話でしたが、海岸地区にあります各学校におきましては、学校の教育目標や目指す子供の姿などについて具体的な学校経営方針を策定しています。その中で危機管理の項目におきまして、児童生徒の事故、また校舎の火災、地震津波など対応のマニュアル化をしてございます。霧多布小学校につきましては裏山の避難道路を使用し、ゆうゆの方に徒歩で避難する形になってございます。以上です。
質問 5番 加藤弘二
霧多布中学校でお願いします。それと散布中学校も。
答弁 管理課長 舟橋正誉(管理課長は2024年3月まで)
まず霧多布中学校につきましては、スクールバスと教職員の自家用車数台に乗車して、MO-TTOかぜてに避難することとなってございます。また、散布小中学校につきましては、マニュアルの中では津波警報では校舎の3階あるいは屋上と大津波警報が発令した場合には、道道茶内分岐へ徒歩で避難する形をとっておりますが、実際には茶内の分岐点まで避難して訓練しているというような状況でございます。以上です。
質問 5番 加藤弘二
持ち物はどんなふうになっていますか。持たないで逃げるのか、その辺はいかがですか。
答弁 管理課長 舟橋正誉(管理課長は2024年3月まで)
これは緊急事態の場合ですので、物は一切持たないで速やかにバスに乗車し避難する形をとっています。以上です。
質問 5番 加藤弘二
霧多布高校の場合はどうなるでしょうか。
答弁 高校事務長 中田昌浩(高校事務長は2022年3月まで)
霧多布高等学校ではMO-TTOかぜてに避難いたします。避難の方法でありますけれども、生徒66名おりまして、スクールバスに26名、そして先生方の車10台に各4人乗車しまして40名でMO-TTOかぜてに避難することになっております。以上です。
質問 5番 加藤弘二
ありがとうございます。小中高等学校、保育所、この子供たちを安全に連れていくこと、それから父母との関係、全員避難所に誘導することができましたみたいなことが父母から問い合わせがあったときに、きちっと対応できるような、体制を作っておいていただきたいなと思います。質問の4、猛吹雪の最中に震度5以上の地震があり、津波発生の危険がある時でも車でなく防寒着をしっかり着て徒歩で小中高等学校や体育館、クリーンセンターに避難しなければならない。準備が必要です。夏でも水温が低い浜中町、生存時間10分と言われる冬の寒い時期に、海水に打ちのめされたくはない。備えあれば憂いなしで、最低限度の用意はしておきたいものだという最悪の事態を考えてそれぞれの学校で取り組んでいただきたいなと思うのですが。地震発生時等、どうやって避難するか。もう1人も落ちこぼれないで命が助かる。みんなでやっていきたいものだと思いますけれども、担当課として、今日話題になっている他に考えていることはたくさんあると思うのですがそのことを述べていただきたいと思います
答弁 防災対策室長 石塚豊(防災対策室長は2023年9月まで)
ご質問にお答えいたします。町では色々と防災対策をとっておりますけれども、やはりまず津波避難対策の基本となるものとして地域防災計画だとか、津波避難計画がございます。これに基づいて対策を実施していて、その中でやはり大切なのは先ほど来言っておりますけれども、避難者自身が率先して避難すること。自助と言われる部分でございます。そして避難することによって命を守ること。これがまず一つ大事だということ。もう一つは先ほど言いましたけれども、共助の関係、地域の助け合いによって、命を救っていくことも大切だと思っております。やはりこれについては自助、共助を含めて防災に対する啓発と言いますか、PR活動を含めて町民の皆さんにお知らせしていくと。あるいは防災教育で啓発していくことが重要になってきますので、そのことについてはこれからも積極的に進めていきたいと考えてございます。以上です。