みんなの議会

深川市議会 平成24年第4回定例会 2012年12月11日

「本年10月下旬から1カ月半の間に、3度の台風並み、いわゆる爆…」

2012年12月11日、深川市議会の一般質問で、東出治通議員が質問し、市長 山下貴史が答弁しました。

質問者
東出治通 議員
答弁者
市長 山下貴史

議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。

質問 12番 東出治通

本年10月下旬から1カ月半の間に、3度の台風並み、いわゆる爆弾低気圧による暴風が吹き荒れ、道内では送電線の鉄塔が倒壊し、停電となる地域も発生し、道民の生活に大きな影響を与えました。深川市内においても、行政報告にもありましたが、リンゴの落下、タマネギ用の越冬ハウスに被害があったと聞いております。被害に遭われた皆さんに、心からお見舞いを申し上げるものであります。11月28日の暴風によるリンゴ落下の際には、農政課を初めとするJAの皆さんなどに、いち早く現地の状況を確認いただき、「友愛りんご」として道の駅での販売や関係機関での取りまとめをいただき、仄聞すると市役所など、職員の皆さんに4.5キロケースで500ケースを超える購入をいただいたということでございます。また、新聞で報道されたように、東高ではジュースの加工用原料として例年の3倍の量を購入していただきました。ほかにも多くの市民の皆さんが被害農家に来られて、直接購入されていかれたということもお聞きいたしております。生産者の1人として、皆さんの温かい心遣いに心から感謝を申し上げるものであります。さて先月、11月14日、私は福岡県柳川市にある北原白秋の生家と記念館を訪れる機会に恵まれました。白秋は大正14年、深川市を訪れ、医師で歌人でもあった鬼川俊蔵氏の案内で音江のリンゴ園を訪ね、「青き林檎」という短文と何首かの歌を残されております。今からちょうど40年前、白秋が訪ねたリンゴ園のその土地を私の家で買い取ることになり、北原白秋記念館を訪れることは、私にとってそのときからの念願でもありました。入館すると、館長の姉川さんがおられて、「北海道の深川から来ました。」と申し上げると、即座に「遠くからおいでをいただきありがとうございます。深川には白秋の石碑がありますね。」、そう言われると一度姿を消して、すぐに1冊の小冊子を手にして戻ってこられました。この小冊子が、館長さんが手にしてこられた小冊子であります。この本は、北原白秋の生誕100年記念、節目の年です。「白秋の文学碑」という小冊子、昭和60年当時、白秋の生誕100年記念事業として、この本を編さんするに当たり全国3,270の市町村すべて、石碑等、歌碑、そういうものを調査し、62基の文学碑が全国で確認されてまとめられたものであります。日本の北から掲載されているため、丸山公園の歌碑が一番最初に紹介されております。「一已の屯田兵の村ならし ややに夕づくこの眺望を」という歌が刻まれております。紹介文には、この石碑は深川市開基80年、市制施行10周年の協賛事業として昭和48年8月に建立したものであることなどが記されております。姉川館長さんの対応のよさに驚かされながらも、お願いついでに白秋が音江のリンゴ園で書いた短文、「青き林檎」の白秋の自筆原稿を見せていただけないかとお尋ねいたしました。これまた即座に職員に指示をし、段ボール箱におさめられた自筆横額を出してきていただきました。「北海道深川町の郊外、音江村にさる林檎園あり。たまたま町のK氏を訪ぬるに、今は人妻ながらそのKのそのかみの恋人なりと言う女性ありて茶を供し、まだ青き林檎などむく、我もただ庭を見、池をながめて、言葉なくゐぬ。」、このような短文ですけれども、私はこの原文に、まさにそのかみの恋人に出会ったような気分で対面をさせていただきました。さらに館長に促されて、その横額を持って写真まで写していただきました。ちなみに、私がこの白秋の自筆原稿、この存在を知ったのは、学生時代の昭和48年、発刊された深川市果樹植栽80年、果樹協会創立10周年の記念誌にある「青き林檎」の記載であります。もう1点、同48年、執筆が始まり上川道路開削90年の記念の年に刊行された「深川市史」の自筆原稿の写真、これが福岡県柳川市北原白秋記念館所蔵というふうにあったからであります。九州から帰宅して数日後、姉川館長さんから手紙と写真、そして小冊子が送られてまいりました。私が記念館を出るときに、記帳ノートに「北海道深川市 東出」と記帳してきたため、館長さんはネットで検索して、議員であることを知ったということ、議員名簿で住所を調べて手紙をくださったということであります。その手紙には、白秋は床についた死の直前にもリンゴを食した。白秋とリンゴのエピソードを幾つもしたため、横額を持った写真は「北海道から白秋の『青き林檎』の自筆原稿を訪ねてきた人あり」と記して、記念館のロビーに展示させていただいているなどというようなことをつづった内容であります。これらの出会いの糸を結びつけてくれたこういった節目の年に、記念誌あるいは記念碑、そういうものをつくられてきた先人の残した記録、節目の取り組みに心から敬意と感謝を申し上げて、質問に入らせていただきます。初めに、深川市開村120年・市制施行50年についてお伺いいたします。記念式典、記念事業の取り組みについては、昨年の第4回定例会で同僚の鶴岡議員、ことしの予特では私から、さらにことしの第2回定例会では辻本議員から質問させていただいております。これらの答弁の中から明らかになったことは、式典あるいは記念事業に準備不足の面、あるいは時間的な制約、こういうものがあったことは否定できない結果になった感がいたしております。通常どんな小さな団体でも周年行事に取り組むときは、少なくとも1年あるいは2年前から準備を始めるというのが常套であります。式典については、「多度志太鼓」のオープニングから全体的に非常によい流れで、参加された皆さんの声は、私も同感の思いですけれども、華美にならなかったことも含め、非常に高い評価をいただいていると私は認識いたしております。ただ、案内状の発送が遅かったことにより、参加される方々の日程調整が非常に大変だったという話も聞いていますし、残念ながら日程調整ができずに出席ができなかったという方もおられる、その点は非常に残念な思いがいたします。さて、功労者表彰として「ふるさと大賞」についてでありますが、この表彰について、私自身、異論があるわけではありません。当初、議会答弁で言われていた表彰とは内容を異にするものであったという認識でございます。また、表彰者を公募することによって推薦していただくという手法がとられたようでありますけれども、比較的ここ二、三年の功績に目がいって、受賞者と同等あるいはそれ以上の功績を残した方、そういう方に対する10年間というスパンの中で見た場合に、漏れた方、そういう方がほかにもおられたのではないかという感が率直にいたしました。「ふるさと大賞」の選考における基準とその選考過程について、あわせて当初の功労者表彰が長年の開拓功労・自治功労という考え、そういう考え方を示されていたことから、公募という手法に表彰の内容が変わったその経緯についてお伺いしておきたいと思います。次に、記念誌についてお伺いいたします。既にでき上がり、全戸配布もされております。限られた時間の中で努力されたとは思いますが、内容には多くの疑問が残ります。ある先輩議員のOBがふんまんやる方ない様子で、「すべてにおいて恥ずかしい、回収すべきだ。」とまで言い切って、私のところに電話をかけてこられました。私もこの記念誌を手にしたときに、その先輩議員と同じような思いがいたしました。今昔写真集として、中に54枚の写真が掲載されています。うち17枚が「撮影時期不詳」、そういう表記であります。表紙を開いた巻頭の、巻頭というほどの厚さはありませんけれども、「深川小史」、これについては10年前の生い立ちと発展の歴史、一字一句違わず、全く同じ文章です。過去の歴史ですから、内容が変わるのはおかしいかもしれないけれども、丸写しです。しかも中の表記に、10年前のものに間違いがある。そこも訂正されずに、今回も同じ間違いが繰り返されている。華族組合農場が開墾を試みようとした面積、実際は5万ヘクタールです。これが500万ヘクタールと誤ったまま記載をされている。5万ヘクタールという面積は、当時の北海道全体の耕地面積であります。深川市の全面積に匹敵をするような面積です。それが100倍の面積で、誤って記載されている。非常に残念だと思います。こういう指摘をしなければならないというのは、私にとっても非常に気の重い、気分のよいものではありません。この分だと、10年後もまた500万ヘクタールになるのかなと。そんなことにならないために、あえて苦言を呈する思いで申し上げさせていただいています。次に、10年史としての年表です。カナダに公式訪問に行った、庁内禁煙にした、そんなことも含めて年表に書かれています。この部分だけです。この10年の記録として残されている部分は、この年表のこの部分だけです。残りの部分は過去の歴史と現在の深川ということで、項目別に分かれていますけれども、10年間の歴史はこの部分だけです。あえて持ってきましたけれども、広報ふかがわのダイジェスト版と言ったではないですか。これが平成15年からことしまでの10年分の広報です。そのダイジェストが、わずかこれだけです。しかも、年表に記されている内容。私は、例えば逼迫した財政の中で3年間緊急プロジェクトに取り組んだ、あるいは財政収支改善、本当に議会でも真剣な議論を繰り返した中で取り組んだ、そういうものが一切この年表に記されていない。あるいは国勢調査を実施して、その年、5年ごとの人口動静がどうなっているか、病院の経営改善に取り組んだ経過はどうか、何もないです。だれかがカナダへ行った、そっちのほうが大事ですか。まだあります。もうついでですから全部言います。誤字、「醤油」の「ゆ」が「油」ではなくて「酒」です。聞くと、深川市史にも「油」でなくて「酒」と書いてあった。だから、ここも「酒」と書いた。間違いに気づいたら直してください。米どころ深川、稲刈りの「かり」、ハンティング、狩猟の「狩り」です。本当に残念です。さっきから残念、何回も言っていますけれども。さらに、産業のページです。現在の深川市、何年前の田植え機ですか。会派の米づくりの皆さん方に聞きました。まあ10年前でもこの田植え機はないなと。4条の型枠、ないです。コンバイン、今はキャビンつきが普通だと、このコンバインも10年前以上だろうなと。もう1点申し上げます。この欄は産業です。現在の深川市、水田のラジコンヘリの散布、田植え・稲刈り・マイナリー、深川の産業は米しかないのですか。農業者はいいです。商工の皆さん、こういうのを見たらどう思うと思いますか。よく商工の皆さん、こういう言い方します。「まあ農家以外は、市民でないからな」、それぐらい厳しい言い方を商工の皆さんはされます。記念誌です、こういうところにこそ、私は配慮があってしかるべきだと思います。第2回定例会で会派の辻本議員の記念誌に対する思い、その提言内容を記憶されているでしょうか。それでも、簡素な中にも心のこもった内容で作成するという答弁で、理解をして質問を終えています。今回作成された記念誌との余りのギャップに言葉がない。以下、4点にわたって質問させていただきます。1点目、申し上げたような数字や漢字、誤った記述や誤字についてですけれども、単純な間違いなのでしょうけれども、これらのチェックをどのようにされたか。2点目、掲載されている写真の年次表記についてです。先ほど撮影時期不詳という写真が17枚という話をいたしましたけれども、この中には「開基100年記念誌」の中には同じ写真が使われているのです。きちんと年代が入っている写真があります。しかし、今回の記念誌には年代不詳です。それぐらいのチェックもできていない。ほかの残り37枚の写真、昭和三十何年、昭和二十何年、きちんと表記してあるもの13枚。昭和何十何年ごろ、平成12年ごろ、そういう表記の写真が12枚。明治末というような表記の記載が7枚。明治後半、前半、そういう書き方のものが1枚。何々時代という記載が1枚の合計54枚。54枚の写真の年代を表記するのに、表記の仕方が7通りです。どうしてこういうことになっているのか、その点についてもお伺いしたい。3点目、先ほど申し上げました掲載されている写真そのものについてです。道立図書館あるいは北海道大学附属図書館、土地改良区、個人の所蔵のものが非常に多いようです。しかし、これらの写真にはある程度年代がきちんと特定されている。したがって、撮影年不詳、そういう表記がされているもののほとんどの写真は、市の所蔵なのかと見させていただきました。だとするならば、市ではそういう資料写真等の保存、整理、そういうものはどうされているのか、お聞かせいただきたいと思います。さらに、「現在の深川」に使われた写真が、前時代的な農業機械の写真になっているのはどういう理由からなのか、そこら辺についてもお聞かせいただきたいと思います。4点目、記念誌の全体的な構成や編集についてであります。まず、装丁から申し上げます。この記念誌は、私が所属しているバドミントン協会のことしの40周年の記念誌です。少なくともこういう形の装丁になっていたら、見終わった後に本棚に挿す気になるのです。これはチラシと紛れてしまいます、残念ながら、うちの奥さんなんか落書きしています。落書きしたうちの奥さんも悪いのかもしれないけれども、そういう装丁になっているということです。さらに、加えて言えば、全体的な編集、構成がどうしてこういう形になったのか、そこら辺のことについてもお聞かせいただきたいと思います。最後にもう一言だけ申し上げておきたいと思います。枕の部分で、北原白秋記念館でのことに触れさせていただきました。白秋の生誕記念につくられた小冊子、あるいは市制10年の協賛事業の丸山公園の石碑、果樹植栽80年の記念誌、深川市史、さまざまな節目で、先人が記録として、記念として、これらは残してくれたものです。今回の記念誌、サブタイトル「築き上げた120年・開拓の精神を受け継ぎ、さらなる未来を切り開く」、「深川市 開村120年・市制施行50周年記念誌」、この記念誌については、開拓のくわを振った先人、あるいは時代を継承して額に汗して郷土を築いてこられた先輩たち、そして今の時代、厳しい時代を精いっぱい生きている市民に対して、当初、議会答弁であった心のこもった記念誌として発刊することができたと考えているのかどうかお聞きして、1回目の質問を終わらせていただきます。

答弁 市長 山下貴史(市長は2022年12月まで)

ただいま東出議員から、大変耳の痛いご指摘をたくさんいただきましたが、開村120年・市制施行50年記念事業についてということでございました。お尋ねに、順次漏れなく答えるようにいたしたいと思います。今回の記念事業につきましては、開村120年、それから市制施行50年、この節目の年に当たりまして、先人のご苦労、功績を振り返り、その偉業をたたえ感謝し、さらに今後の深川市の一層の発展、それへの思いを新たにする、そういう機会にしようということで、文化交流ホール「み・らい」を会場といたしまして、「記念式典」、「記念講演」、それから「出張!なんでも鑑定団in深川市」の3事業に加えて「記念小冊子」の編集など、四つの事業を大きな柱として取り組んだところでございます。まず、ご指摘のありましたように、記念式典の準備などに時間を要しまして、案内状の発送が若干おくれたということはまさに事実でございまして、そのために参列できなかったという方がおられましたとすれば、これはまことに申しわけないことでございまして、おわびを申し上げなければいけないと思っております。そして、質問の1点目、ふるさと大賞についてでありますが、この「ふかがわふるさと大賞」は、開村120年・市制施行50年にふさわしい表彰内容について庁内で検討を重ねまして、この10年間に芸術・文化・スポーツの分野などで優秀な成績をおさめ、本市のイメージアップと知名度向上に大きく貢献していただいた個人、団体を表彰しようということにして取り進めたものでございます。表彰者の募集に当たりましては、議員も言われましたが、現在に近いところ、近年に限るといったことではなくて、過去10年間、前回の記念事業を行った節目の年からこっち側ということで、10年間を対象に広く市民の皆様方から、そういったことにふさわしい個人、団体について推薦をしていただくという公募方式をとりまして、それからまた念のため表彰内容の検討段階において、対象者となり得るのではないかと想定される団体等の皆さんには、直接事務局からそういった募集をしていますといったことの周知、あるいは情報提供も行ったところでございます。検討の当初では、10年前と同じように、高齢者を表彰する「開拓功労」でありますとか、産業振興、民生、教育といった分野の「自治功労」という表彰も考えなかったというわけではなくて、そういったことも考慮いたしましたけれども、開村120年を迎えるということで、現在の高齢の方々に対して「開拓功労者」というのは、やはりふさわしいものかどうなのか、大分時間がずれているのではないか、そういった考え、あるいは深川市の市政功労者、これは毎年11月3日に表彰させていただいておりますが、この市功労者とほぼ同趣旨、同内容の「自治功労」というのも果たして必要なものだろうかといった議論などなどを経まして、今回の形とさせていただいたところでございます。初めての試みでありましたが、手前みそかもしれませんが、受賞された皆様方や記念式典において表彰式をごらんいただいた市民の皆様方から、前向きな評価も数多くいただいているところでありまして、議員のご指摘がありましたようなことは念頭にはなかったわけでありますが、しかし今後も同様の取り組みを行うという機会には十分参照させていただきたいと考えているところであります。次に、記念誌についてであります。これも、るるご指摘がありましたとおりという面も多々ございます。記念誌の編集に当たりましては、当初「記念小冊子」という形で、10年前と同様に、広報ふかがわのデータ化された資料をもとに、この10年間の出来事をダイジェスト的に編集した内容で作成しようと考えていたところでございますが、これもご指摘がありましたように、6月、第2回定例会で、辻本議員から一般質問で、この1世紀の半分である50年、中間点である50年、市制施行50年ということに重きを置いて、やはり小冊子についても取り組むべきという趣旨の貴重な提言を受けましたことから、当初の想定を少し超えまして記念誌のページ数も増加させるとともに、新たに市制施行以降の歴代公職者等名簿の作成ということも、手がけることにしたものでございます。これは手前みそですが、やはりこの時期にきちんと名簿の整理をしておかないと、散逸してわからなくなるだろうという心配がありましたから、こういったことにも心がける、手がけるということで内容の充実を図ったところでございます。そんな中にありまして、今の写真ということについては、保存状態のいい写真が少なかったということから、北海道立図書館や北海道大学の附属図書館などを初めとする関係機関・団体、それから個人の方に対して、借用する写真等の掲載許可をいただくといったことなどに、労力というか時間を要しましたことや、過去の資料を改めて確認する、あるいは新たな文献を探すといった作業時間、限られた人員の中で残念ながら大変厳しい、難しい状況にあったといったことで、ご指摘のように、残念ながら誤りに気づかないまま編集に至った点が多々あったということでございます。1点目の誤字について、どのようにチェックしたのかということでありますが、この記念誌、小冊子の作成の事務局を務めた総務課総務係の職員によりまして、一応交代で数次にわたって校正、点検を行ったということでございますが、本当に残念ながらご指摘の500万ヘクタールとか、あるいは「醤油」の「油」の字が間違っているとか、前回の資料の誤りを、残念ながら発見できないままに、そのままにしてしまったり、あるいは「稲刈り」といったような単純な誤植、これにも気づかなかったということで、これらのものが本当に残念なことに紛れ込んでしまった、編集されてしまったということでございます。全くこれは弁解の余地はなかろうと思っております。次に、写真の年次表記についてでありますが、本来であれば、せめて昭和何十年代とか、そういう統一した表記をしたかったところでありますが、現存する写真には、残念ながらそれもわからないものも多くあるということ、わかっているものについてはできるだけ詳しく記載をしようというふうに考えました結果、いろいろな形の表記が併存する不統一な表記形式になってしまったというものでございます。それから、市の資料写真の管理についてでございますが、これは教育委員会で、いわゆる郷土資料の整理に取り組んでおりまして、開基100年の記念誌あるいは「深川市史」の写真につきましても、昨年からデジタル化が進められておりまして、デジタル化されたものは生涯学習課において保存いたしております。また、広報ふかがわ用などとして撮影された写真につきましては、広報広聴係において、市制施行以降のものはネガのまま年代別に保管されておりますが、これらの資料の中から本当はもっといいものをたくさん選び出すことができればよかったわけでありますが、限られた人員、限られた作業時間で、残念ながら十分にそういったことができなかったということでございます。そして冊子の中にある「現在の深川市」に使われております農業機械の写真についてでありますが、この写真につきましては、昔の農耕馬による作業というものと対比して、近代的な機械農業、機械による農業の様子を掲載するというねらいを持って、この10年以内に撮影された写真の中から選定いたしたものでありますが、本当にどんどん変化、進化する農業機械の状況を考えますと、この時点というか、「現在の深川市」という表題にはそぐわない写真になってしまったと思っております。また、4枚とも米生産にかかわる写真になったということについては、これは本当に米だけが深川の産業ではございませんので、他の産業についても掲載するということも考えられたわけでありますが、ただこの場合は、言いわけに聞こえるかもしれませんが、取り上げる、ではどの企業、どの会社を選ぼうかとなりますと、若干気を使わなければならないという状況もありまして、4枚とも結果的には稲作の写真になってしまったと。他の業種の方々に対して配慮が足りなかったというご指摘があるとすれば、それは残念ながらそのとおりだと考えているところでございます。いずれにいたしましても、今回の記念誌につきましては、市民の皆様に「ふるさと深川」について理解を深めていただき、一層愛着を持っていただけるようにということを心がけて編集したものではありますが、今言ったような状況でございまして、本市の歴史を正確に記録として残すということの重要性に鑑みますと、やはり今回たくさんの誤りがあったという点につきましては真摯に反省いたしまして、一連のご指摘いただいた点などについて、次回の節目に編集されることになるかもしれない記念誌などにおいて、正確な記述がきちんと行われますように、現在のこの時点で速やかに原本に修正を加えまして、しっかり保存、継承して、これを生かしていくようにしたいと考えております。

再質問 12番 東出治通

再質問です。私も終わったこと、あるいはもう既に発刊されたものに対して、何か自分自身でもいちゃもんをつけているようで、気分のよいものではないです。しかし、これだけ多くのことを指摘せざるを得ない私の気持ちも酌んでいただければと。恐らく市長も非常に苦しい思いの中で答弁いただいたのかなと思います。最初に、深川ふるさと大賞の部分ですけれども、正しい例かどうかわかりませんけれども、私のバドミントン協会でも2団体を推薦していただいて表彰いただいた。深川西高のバドミントンですとかそういう部分もあります。そういう事例から比べると、何年前ですか、深川東高のNHK全国放送コンテストですか、ドキュメンタリー部分の全国制覇、こういうものは、当然ほかの表彰と比べると、あってよかったのかと、そんな気もいたしますし、それは私の目線だけですから、いろいろな人の目線から見ると、この人などは同等以上の功績があるのではないかというような方もいると思うのです。公募された方も、その中で選考されて、こういう人がいるという、あるいはこういう団体があるということで公募してきた選考で、漏れた方もいると思うのです。それからすると、逆に公募ではなかったけれども、当然そういう団体、個人がいるとしたら、そこに引っ張り上げる、そういう選考委員の役割もあってよかったのではないかと思いますので、そこら辺のところをもう一度答弁いただければと思います。次に、記念誌の部分ですけれども、冒頭、辻本議員の提言によって内容が変わったのだと。本当に議事録の、辻本議員の提言を読み直してください。あの提言を読み直したら、あの提言によってこういう記念誌になったなんて、私は言ってほしくないのです。辻本議員の名誉のために。そのことがまず1点、これは答弁要らないです。ただ、先ほどの質問の項目ではなくて、前段触れて、年表の部分の話をさせていただきました。先ほどわざわざ広報ふかがわ10年分を持ってきてお示ししましたけれども、そのダイジェストの部分がこれだけなのかなと。そこのところに対して、市長は先ほどから非常に申しわけなさそうに答弁していただいているので、追い打ちをかけるのは恐縮なのですけれども、この部分に対してだけ、いま一度答弁をいただければと思います。

答弁 市長 山下貴史(市長は2022年12月まで)

再質問が何点かありましたので、簡単にお答えしたいと思います。ふるさと大賞の件でございますが、これは10年間をスパンにということで、冒頭、答弁申し上げましたように、淡々とというか、きちんと作業をやって、出てきたものを最後、庁議を開きまして取捨選択をしたと。1件だけ、実は大賞推薦が上がってまいりましたが、それは詳しくは申し上げませんが、北海道の社会貢献賞をいただいたということを主な契機として上がってきたものでございまして、それを拾うとたくさんほかにもあるものですから、いかがかということで、それは遠慮いただいた。それ以外は全部拾いました。それから、深川東高のビデオコンクールについては、これは全国優勝ですから、当然、もし推薦いただければ俎上に上るべきものだと私も思っておりますが、どういう事情があったのかよくわかりませんが、東高から推薦がなかったということです。それから、10年史について、辻本議員の質問があったので、それを私たちなりに受けとめて、それまで考えていたものの軌道修正を図ったというのは事実でございます。それから、10年史について、これも確かに議員の言われる点、理のあるところ、多々あろうかと思いますが、もともと1ページでやろうということになっていましたので、そうなると拾える項目はそうたくさんはなくて、例えば新聞のある年の重大ニュース的なものを拾うということに、ある意味でならざるを得なかった。その拾われた項目について、いろいろ見解は分かれるかもしれませんが、準備した側としては、基本的にはなから誤りがあったということで認識はしておりません。ただ、貴重なご意見がありましたので、次回以降、この10年先、20年先、こういった同種の作業が行われると仮になった場合には、十分そこに生かされるように、議員のご意見などもしっかり受けとめて、検証してまいりたいと思っております。

再質問 12番 東出治通

10年後の話ですので、ここにおられる方も10年後に何人おられるのかなという感もしますけれども、きちんとその部分は伝えて、10年後にいい形で反映されることを願ってやまないものです。

出典:深川市議会 平成24年第4回定例会 2012年12月11日 議事録 PDF(1ページ) 間違いを知らせる