浦河町議会 令和3年第2回定例会 2021年3月17日
(1)町長の4選出馬はあるか/(2)日高線の廃止記念式典はあるか
2021年3月17日、浦河町議会の一般質問で、神原富三夫議員が「町長の4選出馬はあるか」「日高線の廃止記念式典はあるか」について質問し、町長 池田拓、企画課長 伊藤雅教が答弁しました。
- 質問者
- 神原富三夫 議員
- 答弁者
- 町長 池田拓、企画課長 伊藤雅教
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
議員が最初の質問で述べた件名は 2 件あります。1回の登壇で続けて質問しており、議事録の中に件名ごとの区切りが無いため、1件の中に並べています。件名は議員の発言から取ったものです。
質問 5番 神原富三夫
それでは、2問について質問いたします。それでは、第1問目、町長の4選出馬はあるかという表題で質問いたします。日高管内では今年二つの町で選挙が行われますが、浦河も含めると三つになるかもしれませんが。ごめんなさい、四つだそうです。無投票や現職優先が言われ、近年では全国的に副町長の出馬が多いようです。私は、2009年6月議会で、さきの町長に多選自粛条例の制定を提言しましたが、職業の選択の自由、つまり憲法に抵触するおそれがあることを理由に退けられました。しかし、現在この条例制定は道内でも珍しいことではありません。話は変えて、1月20日に第46代アメリカ大統領にバイデン氏78歳が、前トランプ大統領76を破り就任されました。世界のリーダーを2人の高齢者が争い、どちらが就任しても高齢者が就任したことに多くの国民が驚いたことと思います。それは、世界の指導者は男女を問わず若い人たちが就任するのが流れだからです。アメリカのすごさは、何事においてもこのように挑戦する力だと思います。特に大統領選挙では、1期4年、2期を限度とする決まりがあるので予備選挙があり、早くから準備ができるからだと思います。基本的に、立候補において私は年齢の高低差、制限がないと思っておりますが、日本は法の下では自由であるので、やる気のある人がいればいいと思っているからです。選ぶのは住民だからです。NHKの朝ドラマを見ていると、お父さん役が、実行しないで後悔するより、実行して後悔したほうがよいと思っているというせりふがありましたが、私もそのとおりだと思っております。話はまた変わりますが、今年は町長選挙の年です。池田町長の初出馬は2005年(平成17年)で、54歳で課長職を捨てて立候補しました。54歳といえば、子育てに多額の資金が必要です。ですから、多くの町民はその勇気に大いに期待したと思います。残念ながら三つどもえの戦いでしたが、惜しくも敗れましたが、他人には理解できない人生において貴重な体験をしたと思います。2代前の町長は9期36年の在職、さきの町長は5期在職20年、そして現町長は3期12年と、最初の公約どおり公約が守られるか、今、町民の関心が寄せられています。町長の対抗馬が出るときは、いつも決まったように新しい風を吹かそうと言われ、2期目は普通の風になり、3期目は古い風になり、対抗馬が出るときはまた新しい風を吹かそうと言います。自分が当事者になると、世間では古い風になっているのに気がつかないのは本人だけで、恩恵を受けた支持者からはまた出てほしいというのはいつの時代でも同じなのに、当事者である本人が気がついていても知らないふりを決め込んでいるのか、町民に夢や希望を持たせるのは町長の大きな仕事です。その夢や希望というのが公約なのです。出たからには一度は当選したい、そして公約を達成したいというのは純粋な気持ちだと思います。種をまき、花を咲かせて、実を収穫したい、その気持ちは本心かと思いますが、3期12年の公約を守れなければ、それが能力の限界だと悟るべきだと思います。それ以上続けることは、過去の町長と同じことを繰り返し、浦河町の発展を阻害することになると思います。所信であった公約を破棄し、また出たいというのは、一度権力の座にあった者のおごりなのか、欲望なのか、私にはトップの経験がないため分かりません。池田町長の初当選は12年前の2009年の平成21年でした。「新しい風を吹かそう」の合言葉で町民の心を大いに揺さぶり、大きな盛り上がりを見せ、見事に当選されました。ここで池田町長の公約について述べたいと思います。「浦河を変えよう池田拓六つの約束(ローカルマニフェスト)」が私のかばんの中にはいつも入っております。2期目と3期目の公約は手元にありませんので、1期目の町長の公約を読んでみました。12年前の公約を何を今さらと言う人も中にはあると思いますが、政治家にとって公約を守ることは、その人の人格を問われる大きな試練だと思います。我々議員も公約を守れなければ、生涯、公約を守らなかったとしてレッテルを貼られることになり、誇りを持って人生を歩むことはできないと思います。ただ、町長と議員の公約では重みが違います。町長には、予算とそれを実行できる執行権があり、議会が認めれば実行できますが、議員は執行権がないため、単なる努力目標です。ここが首長と議員の大きな公約の違いだと思います。1期目の公約は50個あり、私なりにこの公約を検証しました。町長の最初の公約は50個ありますが、実行したものは10個、実行されなかったものは15個、残りの25個は判定できなかったものです。そこで、主なものを述べたいと思います。実行したものの一つとしては、町長の報酬や退職金を大幅に削減するとともに、町長公用車を減らし、民間委託するなど、率先垂範で財政健全化に取り組みます。これは町長個人の問題ですから、80万円を70万円に即座に実行しました。これは当然といえば当然ですが、見事でした。2番目にできたものは、浦河日赤病院の改築に全面的に協力いたしました。これは見事に実現しましたが、陰では各議員が何度も日赤と懇談したことを忘れてはならないと思います。3番目には、浦河港に設置する荷さばき施設の建設を支援する。これも見事に実行いたしました。おかげで浦河の町民は大変助かったと思います。四つ目、中学校卒業までの医療費の無料化等も、高校生までは実質的に無料といたしました。これもすばらしいことだと思います。また、公約以外に実行したものとして、公衆浴場の無料化は今も町民から大変好評です。これも素直に評価しなければなりません。まだほかにもありますけれども、時間の関係上割愛します。50個の公約のうち10個も達成したのですから、私は立派なものだと思います。最初の選挙にはあれもこれもと考えつくことは何でも書きたくなるものです。これは、町民の支持を受けるためには致し方がない面もあります。次に、実行されていない主な公約3個です。一つ目は、自治体の憲法と言われる自治基本条例を制定し、自治体の仕組みの基本ルールを明確にします。この項目は公約の第1番目に書かれていますが、いまだに実行されていません。12年たっても実行されないのはなぜなのでしょうか。二つ目は、アエルの指定管理者へのこれ以上の町費投入はしませんと書かれておりますが、アエルの支援は、1期目は1,500万円、2期目は2,500万円、3期目は3,500万円と増え続けました。今回はコロナがあり、例外的にまた増えそうですが、この公約は既に破棄されていますが、どのようにお考えでしょうか。この1と2の今のお話は事前通告しておりませんので、答える気がなければ答えなくても結構です。3番目に、道の駅の設置のことです。これは今まで、ほかの議員からも度々重ねて質問のあったところですが、町民待望のこの公約に対する質問に対してどのようにお考えなのか。先日、同僚議員の質問にはお答えになっていまして、品ぞろえなど維持管理が大変難しいと、そういうような答弁でした。しかし、これはできなかったというのか、する気がないのか、よく分かりませんけれども、ぜひこのことについても答えていただきたいと思います。人間、前にもお話ししましたように、やる気がなければ断る理由ばかり考えるのですよ。けれども、いいことはやはりやったほうがいいと思うのですね。いろいろ困難はありますよ。お金の問題とか、人の問題とか、いろいろありますけれども、やる理由を考えれば絶対できるのです。ただし、来年とか再来年の問題ではないと思いますよ。でも、やる理由を考えなかったら。そういうのを発想の転換というのです。いいことはやると考えたら、役場には140人を超えるスタッフがいるのだから、自分一人で政治をやっているわけではありませんから。あるいは、民間の人に、今はSNSとかいろいろありますから、そういうところに発信して、いいアイデアを募集する。民間に委託する。あるいは、昨日も質問の中にありましたから、地域おこし協力隊を採用するとか、いろいろな方法を考えつくと思うのですよ。ぜひ浦河駅の跡地を再活用する。日高線の廃止をチャンスと取り替えて、それをいいほうに考えつく、そういうようなことを考えるべきだと思います。その次、肝心の判断のできない者が4選出馬があるかないかです。財政の硬直化や活力低下を防ぐため、最大限で3期12年を限度とする多選禁止を約束します。常に清新な町政を心がけます。これが今町民が注目の項目で、町長が公約を守るか、破棄するか、人格が問われるところです。4選出馬ですが、昨年の12月定例会で同僚議員の答弁では、しかるべきときに発表するということでしたが、しかるべきときとは6月定例会で意思表明をするということなのでしょうか。しかし、それでは遅いのです。どのような組織も大なり小なりトップの交代は、いなくなれば必ず誰かが出ます。本当に公約を守る気があれば、心配しないでお辞めになって結構だと思います。ただ、漏れ伝わるところによれば、出る人がいなければまた出るとかということも耳にしますので、6月議会の答弁からも再度出馬をにおわす答弁でしたので、町民の間では出るつもりだと専らのうわさです。選挙となれば、新人は現職と争うことになると、かなりリスクが高くなるし、尻込みします。だからこそ、池田町長が最初に出たときは54歳でしたから、私は感心したものでした。しかし、もう約束の期間になりました。もうご自身も承知のとおり古い風なのです。いま一度3期12年の公約を思い起こしてください。新人同士となると立候補する人も出ると思います。この際、池田町長には、浦河町を愛し、そして発展を願うならば、公約を実施いただき、新しい風同士で夢と希望をかけて選挙を戦ってほしいと思います。多くの町民も望んでいると思います。質問をまとめます。一つは、長期政権に対する弊害についてどのように考えているか。2番目、公約は守らなくてもいいものなのか。3番目、道の駅は設置は無理か。浦河駅を活用すべきだと思います。四つ目、4選の出馬はあるか。以上、お答え願いたいと思います。次に2問目です。日高線の廃止記念式典はあるかという表題で質問いたします。3月27日土曜日に浦河駅で、日高線の歴史を振り返る写真展が郷土博物館の主催で開催されました。4月1日に廃止となるので、ちょうどよい時期に企画され、大変ありがたく、担当者には感謝を述べたところでした。9時30分頃出かけていき、30分ほどで帰ろうと思っていたら、その後続々見学者が現われ、懐かしい人々や知人にもお会いできました。その中に線路を歩こう会の人がいて、私もその場で入会をお願いいたしました。私の自宅の前は日高線がありますが、既に雪道に人が歩いた跡があって、私も正直言ってどこまで行けるか歩きたいと思っておりましたが、やはりためらいがあり、いいところでよい人に出会ったと感謝したところです。日高線には129年の歴史があります。膨大な人力と財源、そして年月が投入され、北海道の発展と地域住民に多くの幸せをもたらしてくれました。日高線を造った皆さんに本当にありがとうと、先人の皆さんに心から感謝とお礼の言葉を述べたいと思います。ここで日高線の歴史を少し振り返りたいと思います。明治25年8月1日に苫小牧駅が北海道炭礦鉄道の駅として開業いたしました。そして飛びますが、昭和10年10月24日、浦河駅が開業、ここに来るまで57年かかりました。最初の頃は客貨混合列車で、機関車が牽引しており、貨物では原木があり、途中から軽種馬の積込みがあり、苫小牧まで随分時間がかかったようです。この頃には交通機関としてバスもありましたが、鉄道頼りの時代でした。私は子供の頃、親に連れられて佐瑠太、今の富川からですが、苫小牧まで何度か乗りましたが、原木を積んだ貨物列車を連結するため、各駅で随分停車していた記憶があります。様似から苫小牧まで何時間かかったのでしょうか。そして、昭和32年4月10日、客貨混合列車廃止に伴って完全客貨分離、当初の運用は機動車、ディーゼルカーともいいますけれども、7往復、貨物列車が3往復、これにより様似・苫小牧間最大6時間40分が4時間程度に短縮されたと記録されております。昭和41年、急行ひだかが急行えりもに統合され、そんな中、私は昭和44年に浦河に着任いたしました。以来52年間浦河に住んでいますけれども、私が着任した当時は蒸気機関車の貨物列車はまだありましたけれども、人や荷物は機動車で運行されており、銀行の給料も新聞も雑誌も同じ列車で運ばれていました。新聞の原稿は、まだファクスのない時代だったので、急行の車掌に頼んで運んでいました。急行えりもには、繁忙期には指定席もあり、お盆と正月は浦河駅で満席になりました。転勤のときは、見送り人で中ホームの人間がホームに落ちるのではないかと思うぐらい多くの人でにぎわったものです。私は昭和48年に運転免許証を取りましたが、将来あんな高い自動車に乗るとは思っていませんでしたが、翌年の秋には中古自動車に乗っていました。その数年前からモータリゼーションという言葉が聞かれるようになっていましたが、まさか自分も車に乗れるとは思ってはいませんでした。後になって思うと、これが鉄道の斜陽化の始まりだとは当時考えもつきませんでした。昭和49年、蒸気機関車がさようなら運転し、同じ年、私は国鉄を退職しますが、10年後に国鉄が民営化になる、そんなことは予想だにしていませんでした。昭和61年11月、急行えりもは廃止、そして昭和62年、国鉄分割・民営化に伴って全線JRが承継しました。平成27年1月8日、厚賀・大狩部間、高波で路盤の土砂が流出し、鵡川・様似間116キロが不通になりました。そして、昨年10月27日、鵡川・様似間の廃止に合意、そして今年4月1日、日高線の廃止になります。過日、私は「日高線の記憶」という記念誌を読みました。日高線の廃止の期日が近づいてきました。見送り列車もなく、寂しいさよなら日高線になってしまいました。本来ならば、ありがとう、万歳、地域の住民に送られながら最後の列車を見送るはずでしたが、残念ながら、今回は災害のため線路が復旧されない箇所があるため、列車は運転できません。そのため、さよなら列車はありません。せめて町を預かる町長として、最後まで廃止を訴えた町長として、先人のご苦労や日高線に対してねぎらいの言葉をお願いしたいと思っていますが、いかがでしょうか。まず、日高管内7町の町長として、最後の1人になるまで反対してきた池田町長の思いをお尋ねしたいと思います。繰り返しますが、通常の廃止ならばセレモニーがあって、地域住民にありがとうと最後の列車が見送られるところですが、それもなく寂しい廃止ですが、日高線129年の歴史に、先人のご苦労に感謝の気持ちがあってもよいのではないかと思うのですが、町長はいかなる考えをお持ちでしょうか。お別れセレモニーは考えていますか。以上です。
答弁 町長 池田拓
神原さんのご質問、感慨を持ちながらお聞きをしておりました。私が最初の選挙に落ちて、その後、神原議員とお話をする機会があって、そのときに議員や首長のどのくらいやったらいいか、そういったようなことで珍しく意気投合して、その後の2回目の選挙のときには神原さん等のご意見も参考にしながら、今ご質問のあった公約のうたい込みをさせていただきました。私も、改めて神原議員のほうから、3期12年について、その公約についてご質問を受ける立場になりましたし、そのときの神原議員も、今も議員として、議会の重鎮としてご活躍をされている。なかなか言っていることとやっていることというのはお互いに難しいものだなという思いをしながらお聞きをしていたところであります。その前に4点の質問がありましたけれども、答えられるかということで、公約の関係、改めてお答えをしたいと思います。私は、自治基本条例の関係、それについては何とか具現化したいということで、いろいろ試みをしたのですけれども、なかなか議会に提案するまでには至らなかった。そこのところは実現できなかったということでは今でも考えておりますけれども、当時12年前の頃、日高管内でも何町かの町村で基本条例を設定しておりますけれども、今は、それぞれ条例を設けた自治体が、その条例の活用になかなかご苦労されている。そして最近では、基本条例の関係というのはほとんどニュースにもならないというか、熱が冷めたといいましょうか、そういったような状態にはなっておりますけれども、なかなかそこのところについては実現できなかったなというふうに考えております。マニフェストの関係でありますけれども、3期12年というお約束というのは今でも生きているかと思いますけれども、選挙の公約というのは、1期4年間やって、その次新たに町民の皆さんから審判を受けるときは、また新しい公約を掲げて審判を受ける、それが公約ではないのかなと思っています。3期12年という公約は今でも生きているというふうに私自身は受け止めておりますけれども、選挙をくぐるたびに公約というのは、その時代時代、時々に合わせて変えていくものではないのかな、そのように考えているところであります。そのいい例が、私は1回目の選挙のときにごみの無料化を打ち出しました。今でも覚えておりますけれども、平成22年の3月議会だったと思いますけれども、今日早退された岡崎議員のほうから、1回目のときにはごみ無料化だったけれども、2回目のときには半額というふうになったけれども、どうなっているのだというご質問を受けたことを記憶しております。そのときに私が答えたのは、1回目のときの選挙で、それは町民の皆さんが受け入れられないという判断だったので、2回目はそこのところは変えましたというふうにお答えをさせてもらった記憶があります。というように、3期12年を別にすれば、公約というのは、その都度その都度議会や町民の皆さんの声をお聞きしながら弾力的にやっていくものが公約ではないかなというふうに自分自身は考えております。もちろん、守ることが最善であることは言うまでもないというふうに考えております。アエルの部分は、マニフェストにうたっている部分と指定管理料とは違うのではないのかなというふうに私自身は考えています。あのときの、時代の一番の争点は、その年の末に赤字になるから何ぼ出してくれ、赤字になるから何ぼ出してくれというのが町民の皆さんから厳しいご意見をいただいたのではないのかな。それを指定管理料という法にきちんとうたわれた制度を利用して、指定管理料の中でもって運営している、そこのところはぜひともご理解をいただきたいなというふうに思います。それから道の駅の関係、これは質問の3番目でありますけれども、私自身は、何回もお話ししていますけれども、何とか実現をしたいなというふうに考えています。これは今も思いとしては変わっていません。ただ、今浦河の駅、土地はJRのほうでは売却すると言っているのです。そうすると、億とまでは言いませんけれども、かなり高額な金額で土地を買わなければいけません。それはJRのほうの理屈づけとしては、JRにも株主がいるよ、売ったら売れるものを無料で提供するということはなかなか難しいよと。それはそれで会社としては当然の考え方だと思いますけれども、そういったようなことでもって、かなり高額な金額で買わなければならない。そこの土地を買ってまで、そして建てれば運営だとかそういったような部分に苦労する、そこのところが十分想定される中でもって、新たに町民の皆さんに負担をお願いするような施設ができるかどうか。それをなるべくできない形で、昨日、櫛桁議員のお尋ねにもありましたけれども、道の駅ではなくて、何とかもう少しコンパクトな、トイレとかあって、寄りやすくてコンパクトな形のものができないのかな、そういうことも含めてもう少しそこのところは、今までも検討してまいりましたけれども、検討してみたいと思います。質問の1点目です。長期政権に対する弊害をどのように考えるか。やはり一番大きな弊害は、物事や人物に対する評価が変わらない、変えるように心がけていますけれども、やはり変わらない部分がある。そのことが閉塞感につながりがちなのではないかなというふうに私自身は捉えています。これは一般論としてでありますけれども、そういうふうに捉えています。2点目、これは今答弁させてもらいましたけれども、公約はできるだけ守ったほうがいい。ただし、議会とかの関係でもって実現がかなわない部分もある。この点についてもご理解をいただきたいと思います。3点目は答えさせていただきました。4点目については、私自身、当時神原さんと意気投合したときの気持ちというのは、この前の議会の櫛桁さんにもお答えさせていただきましたけれども、変わっていません。ですけれども、今この世界全体未曽有の大疾病がはやっている中で、いってみれば放り出すようなことがあっていいのかどうか、そういうことも含めてしっかりと自分自身でもって、3か月から6か月ぐらい前までに表明するのが一般的なようでありますから、その中でもって十分吟味をしたいと思いますし、そのときにもし仮に私が出ることになれば、当然お約束をした3期12年というのが大きな選挙の争点になるのだろうなということは十分自分自身は自覚をしておりますし、そして、それを超えて、支持するか支持しないか、それは有権者たる町民の皆さんがご判断すること、このように考えておりますので、ご理解をお願いしたいと思います。それから、浦河駅のセレモニーの関係。神原議員は念願かなって廃線ということで、おめでとうございます。それで、管内5町ありますけれども、5町の中で、駅でもって町が主体的に何らかのことをやっているのは、浦河駅のみであります。ほかの駅ではしていませんので、そのことはまず踏まえておいていただきたいと思います。駅にああやって、ありがとう日高線というのを掲示して、懐かしの写真展、小ぢんまりではありますけれども、そういったようなことを町が主体になってやっているのは浦河町。もちろん、庁舎のほうにもかけておりますけれども、ほかの町では、例えば様似町などは、民間の方がセレモニーをやるという話はありますけれども、他町ではやっていない、このことはご理解をいただきたいというふうに思います。
答弁 企画課長 伊藤雅教(企画課長は2023年3月まで)
2問目について、セレモニーの関係ですけれども、町長がほとんどお話ししたのですけれども、ペーパーがありますので、お話しします。間もなく日高線の様似から鵡川駅116キロが長い歴史に幕を閉じます。現在浦河駅では、日高線の歴史を振り返っていただく写真展「日高本線の軌跡」を開催しており、初日から多くの方に足を運んでいただき、特に週末になると代行バスに多くの方が乗車し、浦河駅などを訪れているところであります。この写真展は2月27日から4月4日まで開催することになっております。また、浦河駅の営業日については、記念切符を購入する姿も多く見られるところであります。浦河駅は水曜日と土曜日の12時から16時20分に営業しているのですけれども、その日は、結構記念切符という形で買いにくる方が多く訪れています。ご質問のセレモニーにつきましては、JRや日高町村会主催での開催の予定はされていません。当町としてもセレモニーの開催は予定していないところであります。以上です。
再質問 5番 神原富三夫
それでは、再質問いたします。質問の第1は、長期政権に対する弊害についてどのように考えているかという質問だったのだけれども、どうも今の町長の答弁だと、何だかよく分からないのですね。もう少し分かりやすく説明してほしいと思うのだよね。長期政権に対する弊害というのは、一般的には、町民も、職員も、町長自身にも緊張感がなくなる。一般的にそう言われているし、今国会では閣僚と企業との接待問題が問題になっていますよね。監督官庁の主要官僚がこれで辞任した、今そういうふうになっています。浦河のこんな小さな役場で、許認可団体でもないから、そんなことはよもやあるとは思っていないのだけれども、でも、毎年道内の自治体からでは何件か、要するに業者との贈収賄が問題になって、中には逮捕されているというのも散見しますよね。だから、長い間政権につくとそういう緊張感が緩んで、表現は悪いかもしれませんが、堕落するというのかな、そういうことが、この広い北海道ではたまに起きるのですね。ということも要するに長期政権の一つの現われだと思うのですよ。それと今、町長自らお話しになったように、同じ人が長く就いていると閉塞感も出てくるし、それから緊張感をいつまでも人間持つわけにいかないから、慣れてしまって、改革意欲も薄れてくるし、だから改革が必要だし、長期政権に対する弊害というのが、今言ったようなことのほかにもあるかもしれないけれども、そういうことが心配されているわけですね。だから、町長も本当は当初、先ほどちらっと触れたけれども、町長になったら、なったからには1期はやりたいと普通思いますよね。それが2期やって、3期目は無投票当選と、こういうふうになると慣れなのですよ、やはり。緊張感が緩んでしまっている。もう一回やれるのではないか、3期までやったのだから、もう対抗馬は出ないだろうと安心感があるのです。出ないですよ。だって現職が絶対有利だもの。新人は知名度もないし。だからそれに甘んじて、4期も5期も、長い人はそれ以上もやったりするのですよ。でも、弊害というのは、先ほど言ったように、町民の皆さんにはもう飽きられてしまって、あれ交代してくれよと思っていても、本人はもちろん言えないけれども、出る人がいないですよ、なかなか。リスクを負ってまで。本当は若い人に出てもらいたいけれども、議員と違って、職業をなげうってまで出るということはできませんから。だから、私は池田町長は大したものだと言うのですよ。54歳で、子供に金のかかるときに、それをぶん投げて出たから、だから大したものだと。私のような、もう議員も辞めるようなものが出ても全然意味がないのだよ、これは。54歳で出たから意味がある。だから池田町長の評価は高いし、だから当選できたと思うのですよ。長期政権はやはりよくないのさ。だから私は、池田町長に公約を守って、ここで名誉ある撤退をしてほしいわけだ。だけれども、先ほどの答弁と去年の櫛桁さんの答弁によると、まだやる気があるのではないかと思わせるような答弁だから、だから、ちまたでは、まだやるよ、あれは、まだ3期、まだまだやるよ、あれと思わせるの。当然ですよ、それは。そうなるのですよ。だから、区切りをここで、撤退すれば、池田さんは大したものだったと。私が先ほど言ったように、前町長も、その前の町長も、何十年もやるわけでしょう。対抗できないもの。だからやれるわけだ。私、冒頭にアメリカ大統領の話をしたでしょう。これなぜそんな話をしているかといったら、意味があるのですよ。それは、彼らには任期があって、守らなければならない。公約と違うから、決まりだから、憲法だから。だから事前に辞めるのが分かっているから、必ず辞めると分かっているから選挙運動ができるわけです。だけれども、今急に辞めると言われても、対抗でないのが分かっているから誰も出ないのですよ。それは結局浦河町の発展のためにならない。それが言っている質問の1の弊害なのです。弊害。これを見ている人たちも、弊害は何があるのだと、急に言われてもなかなか分かりにくいかもしれないけれども、弊害の一番強い意味はそこなのですよ。だから約束は守ってほしい。私、池田さんを尊敬していますよ。池田さんとは酒を飲んだこともないけれども、今度酒を飲みましょう。私招待もされたことないから、酒の飲みようもないけれども。だから、弊害の意味をしっかり、先ほどの町長の答弁は僅か20秒ぐらいの答弁だったから、私ちょっと寂しかったのね。弊害についてきちっと述べられない。つまり、これはまだやる気だなと、そういうふうに思ったのです。全然真面目に答えていないなと。これはいいです。これ以上言ったってどうもならないから言わないけれども。それと公約。これも先ほど町長が言ったように、公約はやはり守らなければ駄目ですよ。だから守ってほしい。公約を守らなかった最大の影響というのはどういうところにあると思いますか。私、町長に一方的にしゃべっているけれども、一番悪いのは、約束は守らなくていいのだという、子供に対する影響力だと思います。大人も子供も約束は約束で同じなのだけれども、政治家の約束は、それだけ影響力が大きいということなのですよ。子供や社会に対する影響力。なんだ、町長だって約束破って守らないのだから、俺たちはそんなの知らないや、こういうことなのですよ。今、国会で問題になっているのは、要するに大臣、末は博士か大臣かというのは今の若い人は知らないかもしれないけれども、そういう言葉がある。内閣総理大臣、そういう人たちが約束を守らないというのはとんでもない。だからといって、地方の町長や村長さんが右に倣えというものではない。約束は約束なのですよ。やはり約束は守ってほしいのだよ、町長さん。そして、いい道筋、辞めた後は誇り高く、俺は約束は守ったぞと、そうやって生きてほしい。それでなかったら、池田町長も約束に反して、ああ言えばこう言うとうまいことばかり言ってとうとう逃げ切ったな、結局そういうふうに言われてしまうのです。ちまたはいろいろな人がいるから、いろいろなことを言ってくれるから。でも、そんなことを一々気にしなければいいのだといえば、それはそれまで。人間どこかで死ぬから。そう言うけれども、そういう問題ではないのだね。どういう生き方をしたか、どういう死に方をしたかというのが私は大事だと思っている。だから私は、尊敬する池田町長にそういうふうな悪い言われ方はしたくない、されたくない。一時私も池田さんに一生懸命肩入れした一人として、誇りを持って生涯を全うしてほしいし、奥さんも随分苦労されたと思うのだ、きっと。うちの奥さんと同じで、おたくの奥さんも随分旦那には苦労したのではないかと思うのだよ。だから約束を守って、私は奥さんを安心させてやってほしい。この公約は守らなくてもいいのかといったら、聞いたら、当然公約は守ります、守らなければならんと言うでしょう。守らなくていいなんて、そんなことを言ったら、とんでもない話だ。だから、それ答弁は要らないですけれども。決まっているから、こんなの。守らなければならないは当たり前の話だから。2番目の質問、公約は、これは守らなくてもいいのか、これは答弁要りません。守らなければならんものだから。守らなくてもいいなんて言ったら、町長すぐ辞めなければならない。そうでしょう。だからこれはいいです。それから3番目の質問、道の駅の設置は無理か。そうしたら町長は、これはJRのかまどのことを考えれば、恐らくJRはどこかに買ってくれときっと言うだろうから、そうなったら、そんな金ないから・・・ない、こういう話だと思うのです。だけれども、町長、そういうことを言うなら、今まで私日高線の問題は13回やってきたのだよ。その途中で、判こをつく前に並行して条件闘争をやれと私言ったよ。だけれども、企画課長はそう答える立場ではないから、企画課長はいいけれども、そのときに担当の企画課長の答弁だと、いろいろな問題、線路の問題、トンネルの問題検討しますと言ったけれども、具体的なことを全然、検討するだけで質問をはぐらかされてきたのだよ。そして、今になってそういうような答弁をしているのです。浦河駅の活用については考えなければならんと答弁していましたけれども、それはそれでいいのだけれども、今になったら今度は、それはJRが売るとなったら買わなければならない、お金がかかるという話です。だから私は、話を戻すようだけれども、条件闘争して同時並行でいかなかったら、判こをついてしまったらもう終わりだよと。廃線の同意書に判こをついてしまったら、もうJRは万歳ですよ。やったというようなものです。後のことは何でもいい。そんなものに応じなくてもいいわけだから。だから、同時並行で条件闘争しなければ駄目ですよと私は言ってきたのだけれども、いつも検討中ばかりで、検討中ばかりだから、そのうちにまた検討してくれると思って言ったら、また検討中、検討中。何回も検討中ではぐらかされて今日まで来てしまっている。そういうことになると、道の駅というのは町長の公約なのだからね。それを今になって、ああだからこうだからと、できない理由ばかり並べられても、そんなこと信じられる?私は町長の立場になって考えようもないけれども、町長だって我々議員から今までいろいろなことを言われてきたわけだから、たまには議員の立場になってものを考えてほしいのだね。道の駅について、もう少し突っ込んだ発展的な答弁できない。どうですか。
答弁 町長 池田拓
道の駅のご質問にお答えしたいと思います。まず、浦河駅の土地の関係。そこのところは、神原議員と私と基本的なやり方というか方法論が違うのだろうというふうには思うのですけれども、私自身はあくまでも日高線の復旧にこだわっていましたので。神原議員は日高線を廃止して条件闘争しろ、判こを構えて条件闘争せいというのが神原議員のご意見、そのように受け止めておりますけれども、私自身は、日高線を復旧させたい、それが思いでありますので、復旧させたいという旗印を掲げて、いやいや、だけれどもここでこうしてくれたら判こを押すよということは、それは逆に、町民に対する裏切りとまでは言いませんけれども、信頼に反することになるのではないかなというのが私の考えであります。この間、12年近くにわたって神原議員とは様々な場面で甲論乙駁をして、なかなか意見の一致を見ることが少なかったのですけれども、そのどちらかが意見が正しいか、正しくないかは、将来の有権者の皆さんが判断することというふうには思っておりますけれども、私自身は、日高線、これがなくなると、どうバスの便を踏ん張っても交通手段が一つ減るのは間違いないわけでありますから、日高が、浦河が不便になるよという思いは最後まで変わらなかったので、そこのところはなかなか意見がかみ合わないところもあったのかなというふうに思っています。ただ、繰り返しになりますけれども、どっちのほうが正しくて、どっちのほうが正しくなかったかというようなことにはなっていかないのだろうなというふうには思っていますけれども、ただ、仮に浦河駅のところを全部くれたら、うちが判こを押しますよというような条件闘争になっても、他の町の例を見ると、なかなかそこは難しかったのではないのかなというふうに判断しています。ほかの町がそういったようなことでもって有利な条件を浦河に比べて引き出し得ているのか。陰でもってやっている部分は分かりませんけれども、正面的に見た場合は、それは他の町も浦河町も変わらない条件で判こを押したのかなというふうに考えております。道の駅なのですけれども、そういった中で、あそこの部分では、なかなか難しいのかなというのが一つと、それから、今のコロナとか様々なものでもって財政をしている状況の中では、今の段階では難しいけれども、いつも言うように、私の代ではないかもしれないけれども、やはり浦河にとっては必要な施設の一つではあるのかなというような判断はしておりますけれども、なかなか、はい、分かりましたというふうには、その前にやらなければならない仕事が山積しているのかなというふうに考えております。
再質問 5番 神原富三夫
3問目の道の駅のことについては町長から今、あまり私には分かりにくい答弁だったのですけれども、これ以上話していても、町長と私意見が、何とかしたいという気持ちは一緒だと思うのですけれども、やり方についてちょっと違うなと。町長も、あそこの駅を発展的に何とかしたいという気持ちはあるのですか。前の私の日高線の問題では、活用したいというような答弁はいただいているのですけれども、そういう発展的な考えというものはあるのかないのか。あると考えていてよろしいのですか。
答弁 町長 池田拓
そこのところは、前に伊藤課長のほうからご答弁させていただきましたけれども、相手方の条件次第なのかなというふうに思っています。というのは、例えば今、神原さんからご提案があったように、建物を含めて、土地を含めて、町のほうでもって全部ただでやるから受けてくれや、そういったような条件であれば、当然あそこは、ご案内のように、陸橋には浦河の空襲の跡が残ったとか、そういう歴史的な建物でもありますし、そういったようなことがあろうかと思いますけれども、いずれにしても条件次第だと思います。建物を含めて売るから、全部耳そろえて買えやみたいな話になったら、そこはなかなか決断するのは難しいのかなと。今の段階の向こうの感触、今の段階の感触では、億とまでは言いませんけれども、かなり高額の土地代。だけれども、保線の建物だとか、あるいは線路の撤去だとか、そういったような部分を、撤去費用というのでしょうか、そういったようなものを相殺すれば、かなり低くなるのかなという見通しは持っておりますけれども、ご案内のように、あそこの土地は国道敷があって鉄道敷があるのですけれども、その間は港湾の堤防が残っているのですね。あれは二線堤という位置づけで国有財産になっていますので、そこも全部潰したり壊したりして国道から一面で使えるのではないかというのは、なかなか難しい。それは国と、財務局とも交渉しなければなりませんし、国交省の道路局、そっちのほうも絡んできますし、国交省の港湾局も絡んでくる。もちろん鉄道も絡んでくる。そういったような複雑な権利関係もありますので、はい、分かりましたと、ばっとやってばっとやれるのではないかというふうなことにはならないということも、併せてご理解をいただきたいなというふうに思います。
再質問 5番 神原富三夫
浦河駅の活用については、町長にも発展的な考えがあるのだということは分かりました。ひとついい方向で考えていただければと思うのですけれども、参考までにお話ししておきますと、浦河駅があそこに来たというときには、あそこの土地の所有者、名前は出せませんけれども、もう亡くなりましたけれども、あそこの所有者が当時の国鉄にその土地を寄附したから、ここに駅ができたのだということを私は直に聞いています。その方はもうお亡くなりになりましたけれども、その前のお父さんの時代に、あそこの土地を提供したのだそうです。ですから、もしそういう話があれば、何か交渉事のときに、もともとこの土地はただだったのではないかというようなことは言えると思うのですね。取引のときにね。ただ、残念なことに、62年に国鉄が民営化になったときに、皆さんご承知のように、今あそこに砂利を積んであるのですよ、構内に。それともう一つ、出っ張ったところに四角いコンクリの枠をはめて、そこに砂利を既に敷き締めているのですね。だから、当時の駅の構内から見たら、かなり狭くなっているのですね。だから、活用の方法についても、私が描いていた活用の仕方とは、ちょっと狭くなって大変だなという思いはしているのですけれども、いずれにしても、あそこに駅があって鉄道があったのだという印というか、何かそういうものがやはり、駅はそのまま残すのか、新しく建て替えるか、私今まで日高線のことを何回か言ってきましたけれども、やり方はいろいろあるけれども、皆さんの知恵を借りながら、何か思い出というか、ここに駅があったのだというものが欲しいなという気持ちは、個人的にそう思っているのですよ。私も日高線が廃止問題になってから、道内の駅かなり歩きました。廃線をしたところも歩きました。富内線は、昭和62年に民営化になったときに廃止になったのですけれども、あそこも行ってきましたけれども、前にもお話ししたように、全然鉄道の軌跡が分からないということと、ただ残っているのは、富内と穂別と振内の駅、ここはちゃんと残っているのですよ。だけれども、最終の出発点になる昔の日高町駅、あそこは広い土地にこんなでっかい石が記念で残っているだけなのです。だから、あそこももう少しうまくやって、あの広い駅を、転車台を残すとか何とかすれば、観光資源になったのだろうなと思ったりするのですけれどもね。ですから、こういうマイナスイメージをチャンスに変えるという、発想の転換ということはよく言いますけれども、何かそういうふうなことで観光資源になるように考えてほしいのですよ。それが浦河町のためだと思うのですね。ぜひそういうふうな前向きの考えを出してほしいなと思います。最後、4番目ですけれども、町長の4選の出馬の話ですけれども、先ほどの答弁ですと、3か月前から6か月前というのは、前は6か月ぐらい前と言ったやつが今度は3か月前に出たら、いよいよ出るなという話になると思うのですね。私は、先ほど何度も言ったように、町長が54歳でなったときのことを思い起こしてほしいのですよ。私はすばらしいなと思う。子育て中の町長の立場を考えたら、できませんよ、普通の人は。恐らく、相当奥さんの反対もあったのではないかと思うのだけれども、すごい決断力だったと思うのですよ。そこにみんな心を動かされたと思いますよ。だから私は、町長のすばらしい決断力が今回3期12年、公約を実行していただいて、名誉ある撤退を考えてほしい。これが浦河町の将来のためだ。私は、池田町長は浦河町の歴史に名前を残すのではないかと思います、本当に。なかなかできませんよ。普通だったらまだやりますよ。恐らく、このままやればもう10年は絶対いきますよ。私は、そんなことを考えないできっちり辞めていただいて、私と農業をやりませんか。どうですか。
答弁 町長 池田拓
農業でなくて、農についてはぜひご指導いただきたいなというふうに思います。いろいろな考え方があって、神原さんのように貴重なご助言をいただいている半面、別なご助言もある。ただ、私がどうするこうするではなくて、この町をどうするのだ、こうするのだというとき、ご質問にもありましたけれども、町長が辞めれば出るのだ、そういうスタイルでどうなのですか。私はそう思いますよ。今のやり方は駄目だ、俺はこうやるのだ、そういう強い意志を持って手を挙げるのでないと、町長出るんだべ、出ないんだべ、出なかったら俺出るかなで、そういう人に町政を任せられますか。私はそう思います。それと私が出る出ないは別ですから、そこは誤解しないでくださいね。私、まだ時間ありますので、神原さんの意見も踏まえて、いろいろな方の意見も聞きながら、その次にもし出るとすれば声を、出ないとすれば、神原さんのご意見のとおり、そのことについては十分これからも熟慮して、しかるべきときに自分の考えを明らかにしたい、このように考えています。
再質問 5番 神原富三夫
今の町長の答弁はすごい説得力があったね。とにかく54歳で出た人にかなわないもの。俺に向かってこいと。50代の子育て中の人に、そんな気骨がないと町長なんかやれないよなんて言われたら、大体普通出られないものね。子育て中でで銭っ子もかかるのに、とにかく町長は勤め辞めなければ出られないから。我々と違って。出られないですよ。とても向かっていけないもの。先ほど来、お話ししたように、アメリカの大統領みたいに任期がきちっと決まっていれば、辞めるのははっきり分かっているから、早くから運動できるけれども、今のようにだらだらやられたら、いつまでたっても挑戦できないですよ。現職に立ち向かうということはそれぐらい大変なこと。だから、池田さんが54歳で立候補したということは尊敬に値するというのはそういうことなのですから。普通の人はまねできませんよね。だから、そのことはすごく説得力があって、私はいい答弁だったと思いますよ。とても普通の人は太刀打ちできない。当分、池田町政が続くものだと思います。私は最後に、先ほど農業をやりませんかと言ったけれども、私は議員を辞めたら農業をやろうと思っているのですよ。既にもう投資していますから。農業はすごく自由で平和なのですよ。危険もあまり少ないしね。馬屋さんは蹴られることがあるから、これはちょっと危険だから、誰にでもできませんけれども。だから、池田さんも農業をやりませんかというのはそういうことなのです。もう政治のことは忘れて、浦河町の発展のことだけを考えればいい。私は浦河町の発展を考えてやるのですから。だから、そういう意味で池田さんの4選出馬は、なるかならないか分からないうちの一つだったのですけれども、今の質問にお答えしたように、結局これは実行したのかといったら、しないし、するのかといったら、するようでもあるし、しないようでもあるし、どうも評価ができないと、最後まで。池田さんが立候補するかしないか決めるまで私も評価はできないと、こういう結論に達しました。あとは池田さんの人生ですから、名誉ある人生を選ぶか、汚名を着て選ぶか。政治家というのは便利なもので、どうでも言い訳できるものですから、公約の先ほどの見解についても何とでも言えるものですから、残念だけれども、恥ずかしい政治家にならないようにしていただいて、私の質問を終わります。ありがとうございます。