洞爺湖町議会 平成27年3月会議 2015年3月6日
洞爺診療所の活用
2015年3月6日、洞爺湖町議会の一般質問で、沼田松夫議員が「洞爺診療所の活用」について質問し、庶務課長 藤川栄治、産業振興課長 佐藤孝之、環境課長 室田米男、観光振興課長 澤登勝義、管理課長 天野英樹、企画防災課長 鈴木清隆、副町長 八木橋隆、町長 真屋敏春、総務部長 遠藤秀男が答えました。
- 聞いた人
- 沼田松夫 議員
- 答えた人
- 庶務課長 藤川栄治、産業振興課長 佐藤孝之、環境課長 室田米男、観光振興課長 澤登勝義、管理課長 天野英樹、企画防災課長 鈴木清隆、副町長 八木橋隆、町長 真屋敏春、総務部長 遠藤秀男
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
議員の質問 11番 沼田松夫
次に、2番目に入ります。執行方針の中でも遊休施設になっている洞爺診療所の活用ということに触れております。そういう中で、買い物弱者支援として、早期に活用できるようにしたいという旨のことが書かれているのですが、先ほど来、ちらちら町長の言葉の中にもそれに近いような話が出ておりましたけれども、私は、洞爺地区の生活基盤となり得る流通がなければいけないと。前にも触れましたけれども、おい、俺、沼田君なと、室蘭のあるところから冷凍食品を届けてもらって、冷凍食品で生きているのだぞというようなことを温泉の方に言われたことがございますが、今考えられている買い物弱者の支援策というのは、生活の基盤をなし得るものだと思っていらっしゃいますかどうか、お願いしたいと思います。
町の答え 庶務課長 藤川栄治(庶務課長は2015年3月まで)
ご質問の洞爺診療所の関係でございますけれども、現在、洞爺湖農協の店舗閉鎖後につきましては、洞爺地区の買い物弱者の支援策といたしましては、アンケート調査でも要望の多かった移動販売車を、民間事業者の協力を得まして、水曜日と土曜日の週2回、巡回場所を決めていただいて、10カ所回っていただいているところでございます。現在、30人から40人程度の利用がされているところでございます。今回、質問にございます今後の支援策といたしましては、洞爺地区振興策検討委員会の提言にもございますけれども、遊休施設となっています洞爺診療所を活用いたしまして、高齢者が気軽に集まっていただける場として、高齢者サロンとしての利用を計画しているところでございます。洞爺地区のコミュニティバスの停車場所として、移動販売車も立ち寄っていただくことで買い物ができれば、現在、移動販売車の区域外となっています高台地区の方の利用や、足の悪い方でも天候を気にすることなく移動販売車を待つことができ、ふだん家に閉じこもりがちな高齢者の方々の外出の機会がふえるなど、支援ができると考えているところでございます。今後とも住民の要望を聞きながら、まずはできるところから対策を講じてまいりたいと思っているところでございます。以上です。
議員の質問 11番 沼田松夫
そうすると、移動販売車をそこへ立ち寄らせて、何時に来るよと。だから、そういうところに来てくださいと言って、ゆっくりして待っていられる施設ということで考えているということなのでしょうか。この移動販売車というのは、どこのかはわかりませんが、今、移動販売車として、実際に、結構な金額がするのですが、300品目ぐらい入れられるという軽四輪ができています。これで大体1,000点から1,500点の品物を積んでこられるというようなことで、移動販売車を開発しているところがありますが、やはり、お年寄りも、お年寄りと言ったら申しわけない人もいますけれども、選んで買えるようなスタイルにしてあげなければ楽しみがないということがありますので、ぜひそういうところにも気をつけて見てください。次に、3番目の大磯漁港に……。
議員の質問 11番 沼田松夫
ええ。もう少しきちんとした移動販売車で、たくさんのアイテムを積んで来てくださいというのは私の希望ですから。今、北海道にあるかどうかはちょっとわかりません。
議員の質問 11番 沼田松夫
大磯漁港についてでございますが、大磯漁港についても施政方針では触れております。いよいよ秋には供用できるのではないかということで私も思ってございますが、私が議員になったときには、これは既に漁港としてつくるということが決まっていまして、再三、最近余り言われなくなったのですが、以前は、海にあれだけの金をぶち込んで、何で丘に金を使わないのだというお叱りをいただいたこともございます。大磯漁港の未来というのはどういうふうにお考えなのでしょうか、お聞きしたいと思います。
町の答え 産業振興課長 佐藤孝之(産業振興課長は2019年3月まで)
大磯漁港が整備された経過というのは、もう何度もご説明している経過もございますが、有珠山噴火によって作業ができなくなったということで、大磯漁港のほうで何とかできるような、そういう施策ということで大磯のほうに漁港をつくったわけでございますけれども、今現在、大磯漁港については、まだ正式な完成ということにはなってございませんけれども、あくまでも道路が海岸通線とつながったときに完成というようなことになってございます。それで、今は北海道のほうもいろいろ工事をしていただいて、完成に向けて進んでおりますけれども、あくまでも漁港の今後の考え方としては、当初の考え方は、そういった避難漁港という面もございましたが、やはり整備もいろいろな面で、漁業者が利用できるような施設も整備をしておりますし、そういった中で、そちらのほうを利用して漁業活動をきちんとしてもらうと。そして、それとともに、いろいろな、例えば防災の関係についても、当初計画がございますが、その辺も含めて、今後もさらなる計画も検討しながら進めていかなければならないというふうには思ってございます。
議員の質問 11番 沼田松夫
こちらの入り江にある漁港、虻田漁港が危ないということで、お隣の町に漁船なども避難させたというようなことでこちらへつくったということなのですが、先ほど町長も触れていましたけれども、漁家が大変減っております。そういう中で、本当にこれだけお金をかけた漁港をどう活用していくのかということが見えているのでしょうかということでございます。改めてもう1回その辺をお聞きしたいと思います。後背地なんかも恐らく未利用になってしまうのではないのかという思いでいるのでございます。
町の答え 産業振興課長 佐藤孝之(産業振興課長は2019年3月まで)
後背地ということは、恐らく町が埋め立てした土地のことだと思うのですけれども、これは当初、漁家団地というような形の中で整備を進めてきたところでございますが、ご存じのとおり、東日本大震災で津波が発生しまして、その場所も浸水したということから、震災後の計画も変更に向けていろいろ協議しております。それで、まず、危険が伴うような、そういった、実際に津波が上がったところを住宅として分譲するのはやはり問題があるのかなということで、今後、それらの利用について、漁業者、漁協とも協議しながら、今計画を進めているところなのですけれども、考え方としては、やはり、漁業者の資材置き場が不足していると。岸壁においては、ホタテ貝の作業ですとか、そういったもので利用するのですけれども、それに使った、いろいろ、漁業資材だとかの保管場所だとか、そういったものについて利用したいという要望もございます。あと、岸壁において作業をしているプレハブだとか、そういったものの保管場所もないということで、そういったものの保管場所についての検討もしていきたいなということで、今、漁業者ともその辺で詰めているところでございます。
議員の質問 11番 沼田松夫
わかりました。多分、最初に考えた漁家は、もう建たないのではないかなというふうに思いますので、ぜひ次のきちんとした使い道を検討していかれることを望んでおきます。それから、次に、4番目に入りますが、ウニの放流事業を支援するとなっております。今までのウニの放流事業について、ちょっとお聞きをしたいと思います。
町の答え 産業振興課長 佐藤孝之(産業振興課長は2019年3月まで)
ウニの放流事業でございますが、これは、漁協の浅海部会より、ウニの資源増大に取り組みたいというようなことで、種苗購入費用として、毎年2万粒の町の補助をしております。平成25年度から27年度までの3カ年ということで補助をしているところでございます。
議員の質問 11番 沼田松夫
これは、ウニばかりではなくて、ナマコもあったのではないかと思うのですが、ナマコについては、私、通告していなかったのですが、わかればお願いしたいと思います。
町の答え 産業振興課長 佐藤孝之(産業振興課長は2019年3月まで)
ナマコについては、以前、大割石といいますか、大きな石を現在の離岸堤の前に入れて、漁場づくりということで実施しております。それで、ナマコも放流しているのですけれども、ただ、その効果の調査もしておりますが、実はナマコのDNA調査ということで、実際にまいたナマコが、それが揚がってきたときに、放流したナマコなのかという調査でございますが、実際に揚がってきたナマコは放流しているものではないというような中もございまして、それらがどこに行ったのかと、そういった調査も今後詰めていかなければならないという部分もございまして、当初、豊浦から室蘭まで、ナマコの放流ということで取り組む予定でございましたが、ナマコについては、今現在、室蘭が指導所の指導を受けながら、そして調査を進めるということで、その効果を見なければ今後取り組めないということで、指導所のほうからも、今現在お金をかけてまでやるのはどうなのかと。まずは調査を見てくださいというような段階でございます。
議員の質問 11番 沼田松夫
ナマコというのも、よそのナマコを持ってきて入れているというのもあるのかなと、今聞いたら。前に、福島に行ったときに、日本のナマコでないものは使ってはいけないということになっているということで、在来種の遺伝子がなければやれないのかなと思いますが、いずれにしても、ホタテにかわるもの、先ほど町長も言っていましたけれども、今、ホタテの単価は非常によくて、結構なのですが、以前、ホタテの単価が非常に悪くなって、困ったなというときに、ホタテにかわる代物として、ウニというものに目をつけてやってきたはずなのです。ですから、その辺、なり得るのかどうなのか、見通しはどうなのでしょうか。
町の答え 産業振興課長 佐藤孝之(産業振興課長は2019年3月まで)
ホタテにかわるということでございますが、そういう形の中で考えると、やはり少し弱い部分はあるのかなというふうには思ってございます。あくまでもウニですとか、それから浅海の海草類ですとか、そういったものについては、ホタテ養殖業を取り組めなくなったような年配の方ですとか、そういった方が、今後もやはりある程度の収入を得るための対策として必要なのかなというふうには思っておりますけれども、ホタテにかわってのということになると、やはり少し難しい部分があるのかなというふうには思っております。
議員の質問 11番 沼田松夫
わかりました。私もこれにかかわっていたころにはそのぐらいの意気込みでやってきたつもりですけれども、どうもそこまで育っていないのだなという思いをしております。次に、公園整備についてでございます。公園整備で遊具の更新というのが出ているのでございますけれども、この遊具の更新というのは何を指しているのでございましょうか。
町の答え 環境課長 室田米男(環境課長は2015年3月まで)
町政執行方針にあります高砂公園の遊具更新、これにつきましては、所管が私ども建設課の27年度事業で予定されているものでございます。平成27年度の国の補助事業であります社会資本整備総合交付金を活用するものでありまして、このメニューの中に、公園施設の長寿命化支援事業というのがございます。これに高砂公園が該当するということで実施をさせていただくということでございます。
議員の質問 11番 沼田松夫
わかりました。私は、長寿命化のあれはきょうは持ってきていませんけれども、立木という表現で出ていると思いましたけれども、立木なども公園の整備に含まれると、こういうことで、私は前からてんぐ巣病と言っておりますけれども、私どもの町は桜を植えたらいいのではないかということで、桜を大分植えた記憶もございます。そういうことですけれども、例えば泉北公園の桜の木なんかは、かなり傷んでいると思います。これの現状はご承知でしょうか。
町の答え 環境課長 室田米男(環境課長は2015年3月まで)
泉北公園を初め町内には多くの桜公園、桜を植栽させていただいている公園につきまして、この2年ほど徹底した剪定作業等を続けてきておりますが、泉の北公園に限って申し上げれば、やはり、土が非常に悪い。下のほうが粘土であって、特に幼木を植えた場合については、そのほとんどがやはり負けてしまうということでございます。また、場所的にネズミ等の被害もございまして、冬であっても立木、特に幼木については被害を受けておりまして、かなりの本数を植えてございますけれども、思い入れのある植栽の木がございます。そういったものにつきましては、順次ほかの公園に移設をさせていただいたところでございます。今後につきましても、できるだけほかの公園に移設を進めたいというふうに考えておりますが、余りひどいものにつきましては、やはり徹底した剪定でも追いつかないという部分がございます。この部分については、やはり抜根しかないのかなというふうに考えてございます。
議員の質問 11番 沼田松夫
ここに2月21日の新聞記事があるのですけれども、これは松前公園の記事なのです。松前公園には210種類の1万本の桜があると。それで、この日から住民で3月の中ごろまで手入れしていくと、こういうことでございます。桜は本当に手がかかるなということで思っております。ですから、桜は春はきれいなのですけれども、非常に手間のかかるものでございます。ですから、今、泉北公園の思い出のある桜、箱根からもらったような桜もあるはずですから、順次、いいものは移動して、別なところへ植えるということです。大事にしてやってください。それから、話は変わりますけれども、私は行ったことがないのです。青梅公園という木の病気の話をしたいと思っております。てんぐ巣病をないがしろにしたらとんでもないことになってしまいますから。それで、青梅公園の梅の話を申し上げますが、日本一の梅公園ということで言われているそうでございますけれども、この青梅公園の梅の木1,266本、去年全部切ったそうです。私がテレビを見たときにえっと思ったのは、一般市民が、公園は町が税金で切るからいいさと、民間の木も切れというのは金を出してほしいという騒ぎが起きているという記事をテレビで見たのです。2万6,000本ほど、市の木、大体周りにある木は全部切ったそうです。そういうことで、今、水戸の偕楽園ですか、これにウイルスが飛んでこないかということで、大変戦々恐々としているそうで、これ、1回入ってしまったらもう、完全に切って捨てて、何年か置いてということで、もう1回再開できるには50年は黙ってかかるというふうに言われているのです。せっかく残っている桜です。一生懸命手入れしていただきたいと思います。それで、話はまたちょっと変わりますが、私、噴水公園で去年、遊んでいる子供を見ていたのです、たまたま行ったことがありまして。そうすると、大変天気のいい日で、お母さんたちが暑くて困っているわけです。そうしたら、わずかばかりの湖水ぶちにある木だとか、こちらにある木の陰に入っているのです。そういうことで、あの公園はもう少し木を植えたらいいのではないかと、大きい木。そういうふうな思いをしました。そのときに、私は、桜でなしに秋のもみじの名所にでもできるように、もみじでも植えたらいいのではないかという思いをしたのでございますが、あそこの公園に木陰が欲しいというような話はありませんか。
町の答え 観光振興課長 澤登勝義(観光振興課長は2015年3月まで)
噴水公園につきましては、以前、別な議員のほうから、あずまや等の提案をいただいたところでございます。ただ、全体的な植栽に関する部分で、私どものほうに直接、お母さん方のほうから、木陰になるような、そういうような申し出といったものは届いてはおりません。
議員の質問 11番 沼田松夫
ぜひ、ひとつ考えてあげたらいいのではないかなと。なまじあそこに小さなツツジが植えられているのですけれども、かなり傷んでしまっているのです。ですから、小さいものは案外だめなのかもしれないなと。そうすると、大きくなる木をお考えになったらいいのではないかと。そういうことで、私は、春の桜もいいけれども、秋のもみじもいいのではないかと思うので、そのうちに、また何かの機会に考えていただければと思います。町長部局のほうの質問は、これで終わりにしたいと思います。もみじがいいというのは私の好みですから、これ以上は押しつけるつもりはありません。それで、次に、教育行政のほうに移りたいと思います。初めて私は聞いたので、こういうふうに簡単に書いておいたのですが、小学校の町単独の観点別学力検査を継続実施すると、こういうことですけれども、簡単に口で言うとあれかもしれませんが、どのような効果があって継続するということで言っておられるのかなと思ったのです。よろしくお願いします。
町の答え 管理課長 天野英樹(管理課長は2022年5月まで)
観点別学力検査というのはどのようなものかというご質問でございますけれども、この検査は、基礎的学力の定着度を把握するための学力検査でございまして、学習指導要領や教科書の内容に基づき、観点別学習状況の各観点項目に沿って問題が編成されており、この検査により児童一人一人の各観点の学習状況を把握することにより、教科指導などの参考として学習のつまずきの解消を図り、学力の向上につなげることを目的に、平成21年度から町内の全小学校において実施をするということで導入されたものでございます。観点別とは、国語を例にしますと、話す・聞く能力、それから書く能力及び読む能力などの観点項目、それから、算数では、数学的な考え方や知識、理解など、理科では科学的な思考や観察、実験などの観点項目に沿って、基礎学力の定着度を把握することができるようになっているものでございます。この観点別学力検査ですが、国語及び算数については全学年、1年生から6年生まで、理科につきましては3年生以上を対象として実施してございまして、実施時期は年度末の1月から2月ごろということで実施しているものでございます。各小学校におきましては、この検査で得られました結果をもとに、日常の授業における指導の工夫や補充的な学習の取り組み、さらには家庭学習の実施や家庭への働きかけなど、さまざまな学力向上に資する取り組みに活用しているというところでございます。
議員の質問 11番 沼田松夫
ぜひ、前にも私言ったかと思うのですが、小学校のときの学力が後々、中学、高校と響いてくるということで、小学校の教育、大体3、4年生が非常に大事だと言われていると思っております。ぜひ、こういうものを生かしてでも、学力というのはどうしたって子供の将来にかかわります。それをひとつ念頭に置いてやっていただければと思います。次に、簡単に言うと虻中の鉄骨でできた、網のフェンスだったのですが、前に言いまして、これは撤去されたということなのですが、その後について、教育施設は順次やっていきますというような書き方になっているのです。これについてどうなったかという思いで通告をさせていただきました。あと、同時に言いましたでんでんチビッ子広場のフェンスのことについても、わかれば教えていただければと思います。
町の答え 管理課長 天野英樹(管理課長は2022年5月まで)
虻田中学校の、昨年、議会でも指摘を受けまして、230号線側のところと校舎側というところが非常に危ないということで、本年に入りまして補正をさせていただきまして、本年撤去したというところでございます。それと、その後の、何か学校の子供たちが使うときのために、あとの何かのものはいるかということも現場と相談しながらやっていきますというご答弁をさせていただいておりましたが、学校との話では、野球の球があそこまでほとんどまず行かないと、行ってもころころだということなので、撤去後の措置はいらないということでお話をいただきましたので、撤去したところの後はそのままということにさせていただいているところでございます。それから、後段の虻中フェンスはどうなっているかというところもお話もさせていただきますが、入江保育所側のグラウンドの向こう側、保育所側なのですが、そこについてはフェンスがございません。現状を学校側に確認しまして、当然、現場も見てございますが、フェンスがないということで、めったにないことでありますが、蹴ったサッカーボールがグラウンドから道路に転がり、落ちるということはありますと。このときに、走行中の車に当たる可能性もないわけではないので、差し迫った必要性ということではないけれども、でき得るならばフェンスの設置というような学校の現場のお話でございました。確かに見てございますので、注意しながらクラブ活動をやっていただいているのかなということでお話もしたのですが、教育施設につきましては、現在、耐震化工事を順次進めてございまして、本年度及び来年度の2カ年をもって虻田中学校の耐震化工事が完了し、これをもって町内小中学校の耐震化工事が全て完了することとなってございます。教育委員会が今後において、大がかりな教育施設の改修等の必要性のある主なものとして現在考えておりますものが、昭和56年の建設以来、一度も大がかりな修繕を行っていない虻田小学校の大規模修繕、それから、洞爺中学校体育館のつり天井の改修、あるいは、温泉小学校及び温泉中学校を除く町内小中学校のグラウンドの暗渠排水の機能低下に伴う大規模改修などが必要ということで認識しているところでございます。これらの改修等に多額に費用と年数を要することから、今後、これらの大がかりな教育施設の改修等をどのように進めるのか、教育委員会内部で検討を進める中で、グラウンドの暗渠排水の改修に、ご質問の虻田中学校の入江保育所側のフェンス設置も含めて検討をしていきたいということで考えているところでございます。
町の答え 環境課長 室田米男(環境課長は2015年3月まで)
関連しまして、でんでんチビッ子広場の関係でちょっとお話がありましたので、私のほうからお答えさせていただきます。,9月会議におきまして、でんでんチビッ子広場のご指摘をいただきました。町内の各公園等4カ所ほどで破損している箇所がわかっておりまして、春先に補修を実施する予定でしたが、今年度は雪解けが早かったということで、今、4カ所のうちの2カ所は既に終了してございます。また、1カ所につきましては補修のレベルにないということから、27年度の事業におきまして、公園柵の取りかえ工事を計画してございます。でんでんチビッ子広場につきましては、これからということになりますが、既に部品等々、ちょっと調査をしておりまして、交換できるところはできるだけ早く交換したいということで、春先に実施したいというふうに存じます。よろしくお願いいたします。
議員の質問 11番 沼田松夫
子供の、万が一けがなどされたらとんでもないあれになりますので、できるだけ早くやってあげていただきたいと思っております。虻中のフェンスについては、校長先生、その後どうなっていますかと言ったら、できることなら、今、課長が言ったような、保育所側のほうに欲しいのですよねということですので、ぜひ、その辺のきちんと打ち合わせをした上でやっていただければいいなと思っております。次に、3番目の、2000年の噴火の後、いろいろなことをやってきたわけでございますが、私の質問の中で、「噴火後15年を迎える今、噴火の際、国や道などの復興策として示され」というのを、「復興策が」に直していただきたいと思います。私のミスでございます。それで、一丸となって頑張って再建に当たってきたが、次の噴火が近づいていると言われている今、これだけの大事業の検証をするべきではないのかという気でいるわけです。それは、私は当時、1977年の噴火のときは、おやじがおりまして、いろいろなことはおやじのあれでしたけれども、2000年の噴火は私自身が本当に見ているわけでございます。そういう中で、私自身から言わせますと、本当にこれでよかったのかということをやっぱりやるべきではないかと。例えば国道37号線を通行どめにしましたよね。本当にあれは必要だったのだろうかだとか、避難指示の仕方が本当にあれでよかったのか。どのような指示を出したか、もうお忘れになっている、担当者がいればわかるかもしれませんが、はっきり言って、だまし討ちで出したようなものです。スナックのおねえさんが、着がえがないという状態で避難させられたのです。あしたになったら帰ってこれるというような印象で避難命令をかけたのです。ですから、いろいろな人がもちろんいらっしゃいます。次の日に帰れると思ったら、全く帰れないと。あしたの生活にも困ると言って、お金をかりるにしても金がない、貯金を出すにしても通帳がないと。やっぱりきちんと準備させておくべきではなかったのかなと。そういうことというのは本当に考えているのだろうか、この次のためにと。いつの時点で避難準備をしてくださいと言うのか。言うつもりがあるのか、いきなり前みたくやるのか。それだとか、役場の機能を全部豊浦へ持っていってしまったと。私の記憶では、役場に石一つ当たったとは思っていないのです。うちの町を空っぽにして、本当にこれでよかったのだろうか。ここにも書いてございますが、ゾーニングという手法は、本当にうちの町のためになったのだろうか。町は町民の生命と財産を守ると、こういうのが最大のお題目になっていますが、私の目から言わせますと、1977年の噴火、大変な噴火でした。この世の終わりかと思うぐらい灰も降ったのも承知しております。あるところの新聞の旗を持ったら入れていただいたので、私、全部、新聞記者の方、道がわからないから、よし、私が乗せてやるといって、ずっと町のなかを走りましたけれども、いや、すごいことだなという思いで。それで、その後、泥流が起きて、お三人の方が亡くなられているわけでございますけれども、その後の復興の仕方と2000年の復興の仕方で、町というのは大きく違うのではないかと。私の印象はそうなのです。1977年の噴火、昭和52年の噴火はそこそこ復興したのではないかと思うけれども、私は、この2000年の噴火の復興は、復興したと思っていないのです。幸いにして、宿泊客が大分戻ってきたということで、町長も先ほど来言っていますけれども、52年の噴火のときには、そこそこ町内の温泉街の復興にもなったと思いますが、私は、今度の2000年の噴火の、15年たっての温泉の町というのは、壊滅的ではないかと。そういうふうな印象を持っているのです。本当に胸を張って2000年の噴火の後始末ができたというふうに思っておられるのかどうか。私は総括をすべきではないかと思うのですが、お考えを聞かせていただきたいと思います。
町の答え 企画防災課長 鈴木清隆(企画防災課長は2017年3月まで)
1977年、昭和52年8月7日の有珠山噴火のときと、また、2000年、平成10年の有珠山の噴火の復興、違うのではないかというお話かと思います。まず一つは、1977年の有珠山噴火のときでありますけれども、まだ私も学生でありましたけれども、やはり町民の方々がシャベルを手にし、町を復興していくという部分があったかと思います。そうした時代の中では、一つにはやっぱり災害に関しての法律、また、砂防ダムとかの整備とか、そういう部分がまだしっかりと国ができていない中で、逆に有珠山の災害が国の災害対策の礎になってきたのではないかなと。また、先輩方のお話を聞いても、そのように聞いているところでございます。そうした中、また、奥尻での地震・津波災害、また、阪神・淡路大震災、そうした災害を国で受けている中での平成12年、2000年の噴火であったかと思います。そうした中では、噴火前から国、道がこちらのほうに入って、いろいろな指導をしてきたところであるかと思います。先ほど議員がお話をしました国道37号、道路を通行どめにしなくてもよかったのではないかという部分でありますけれども、やはり住民の生命、これをまず第一に守るという部分ではよかったのかなと。私、今、防災の担当をして、そういうふうに思っているところであります。ただ、その復興の中で、やはり国、道のいろいろな指導の中で、2000年は整備が行われてきたところかと思います。議員がおっしゃるとおり、飲食業についても、やはり砂防ダム等の整備によって、なかなか住民が住まなくなっている中での、温泉がちょっと衰退してきているという部分も事実であるのかなとは思っております。ただ、国の、この四十数年間の災害政策の中で、しっかりと、77年の有珠山噴火をもとに、いろいろな復興策を考えてきたのではないかなと思っています。そうした中で、2011年に発生いたしました東日本大震災の経験をまた通じて、不測の事態に対する社会経済のシステムの微弱さが明らかに改めてなったところであります。そのときに、今後想定される大規模自然災害への備えが国家的に重要な課題と認識されておりまして、事前防災及び減災に係る施設を総合的に推進するために、強くしなやかな国民生活の実現を図るための防災・減災等に資する国土強靱化計画基本法が2013年12月に施行されました。国土強靱化とは、いかなる災害が発生しようとも、人命の保護、重要な機能が致命的な障害を受けず維持され、災害を最小限にとどめ、迅速な復旧・復興を行うことが基本目標となっております。その中で、復旧・復興の部分でありますが、想定される災害の状況を事前に検証し、地方公共団体内の関係部署にとどまらず、自治会や地域住民、経済団体など、広範な関係者と連携、協力しながら進めるものとなっております。この強靱化につきましては、北海道においても強靱化計画の現在素案を作成しているところでございまして、今後、洞爺湖町としての強靱化計画を策定していかなければならないところでございます。洞爺湖町で今後起こるであろう災害に対して、地域住民の被害を事前に、最小限にとどめることができるよう、今後、復旧・復興策を検討してまいりたいと考えております。
議員の質問 11番 沼田松夫
視点を変えたら全く違う意見が出てくるのは当たり前な話ですが、37号線については、あのとき、ここを全部とめてしまったために、どれだけの迷惑が、町民ばかりでなしにかかったかと。本当にとめなければならないほどのものはなかったのです。今なんかなら特にそうですけれども、豊浦と長和で危ないとなったらとめれば、中へ入ってこられないわけです。そうすると、出てしまえと、こういうことになるわけで。私、本当にとめられてしまいまして、私は大岸に一軒家を借りていたのですが、長万部まで自動車の更新の判こをもらいに行ったのですが、本当に大変な思いをしてみんな避難してきているのだなと。そういうことで、この次に同じようなことが起きたらどうするのだろうと。私もだんだん年をとってきまして、今は70です。今度は絶対大岸には行かないよと。いち早く室蘭のほうに行くよと、うちの者には言っております。それは、自分の体力がそれをそうさせるわけです。だんだん高齢化になって、いち早く、私ばかりでなしに、病院のある伊達だ、室蘭だと行きたいのは、僕は人情だと思います。そのときに、37号線が詰まってしまったら、協会病院の患者だってどこへ運ぶのだろうか。協会病院の前の、温泉のときに避難した様子は、知っている方はいらっしゃいますでしょうか。
町の答え 副町長 八木橋隆(副町長は2015年9月まで)
当時、私も消防のほうにいまして、そういう避難誘導関係、タッチしましたので、消防は直接タッチしておりませんので簡単に申し上げますと、歩行が困難な方については自衛隊の応援を得まして救急車で搬送、その他の方について、症状が軽い程度の方については、たしかマイクロバスでそれぞれの自宅にお送りしたと、そういうふうな状況だったと思っています。
議員の質問 11番 沼田松夫
当時200人いたそうです、入院患者が。一番受け入れてもらったのが倶知安と言っていたと思いました。それらについて、防災関係者から病院の避難などということについて相談はありますかと、この間、事務長にお聞きしました。今のところないと言っていましたが、今後するつもりでしょうか。
町の答え 企画防災課長 鈴木清隆(企画防災課長は2017年3月まで)
次期起こるであろう有珠山噴火の部分でございます。まず一つは、協会病院、今、高砂のところにございます。そちらの部分に関しましては、避難する場所という部分では考えておりません。逆に、今後、町内で医療機関の必要な方が病院を利用する部分での災害的な福祉の、医療機関としての避難場所としての対応をしていただこうとは考えている場所ではあります。
議員の質問 11番 沼田松夫
言っていました。津波のときに5人か6人の受け入れはという、その相談はされましたので受けましたと言いましたけれども、噴火となったら、これはそんなわけにはいかないのです。その辺のことを相談されなければだめではないでしょうか。実際に、私が言ったように室蘭へ行きたい、伊達へ行きたいという人ばかりになったらどうするのだと、こういう思いで私はいるのです。ですから、私は先ほども言いましたように、いち早く行くぞと、そう思っていますけれども、私の体力からいったら、豊浦、大岸、あちらのほうには無理ですから、そういうことで、ぜひ、津波の相談は受けましたと事務長は言っていました。やはり、次に一番大きいであろう噴火については、津波は協会病院も全く問題ないと思いますが、噴火はやっぱり、早く患者を搬送しなければいけない。そういう中で、協会病院の隣にあった雇用促進事業団の建物がなくなりました。そういうことから、あそこにヘリポートをつくったらどうなのかなと。その必要性はありますかということで事務長にお聞きしましたら、ヘリポートは虻田高校のところを万が一のときは考えておりますというお言葉でしたが、やっぱり、今度、緊急ヘリも函館で飛ぶようになりましたから、そういうことは頭にあるでしょうか、ヘリポートの考えなどというのは。
町の答え 企画防災課長 鈴木清隆(企画防災課長は2017年3月まで)
災害時の自衛隊の緊急のヘリポートの場所ですけれども、この部分に関しては、自衛隊のほうで、町内のほうで着陸する場所が現在決まっているところです。また、ドクターヘリにつきましては、緊急時、やはり着陸できるところにおりて患者を搬送するという話は聞いていますけれども、基本的にはおりる場所等、今はもうしっかりと決まっている部分でありまして、議員がお話ししている旧かっこう台跡のところのヘリポートという部分では、考えているところではございません。
議員の質問 11番 沼田松夫
町長は何度も、住んでよかったまちづくりというものを目指すのだと言っておられます。私も温泉は大分前から歩いていますからわかるのですが、本当に住んでよかった町に今後なるだろうかという思いを正直言ってしています。本当に、最後になりますが、今、ゾーニングについて、きちんと説明できる方はいらっしゃるのでしょうか。Aゾーン、Bゾーン、Xゾーン、Cゾーン。いらっしゃれば、お聞きしたいと思います。
町の答え 町長 真屋敏春(町長は2022年3月まで)
2000年噴火時のゾーニングの話でございますけれども、国、道のほうで入ってまいりまして、砂防工事、あるいはそれに準ずる施設の構築をするときに、内閣の危機管理室、あるいは北海道、さらには地元首長との協議があったように聞いております。当時、私どもの首長は、ゾーニングには徹底して反対するという立場をとっていたというふうに聞いておりますが、A、B、C、そしてXゾーン等々が国、道のほうで示され、結果的にはCゾーンというのは撤廃されたわけでございますが、Xゾーン、あるいはAゾーンについて、砂防指定地域、あるいは遊砂地、沈砂池等の施設ができ上がったというふうにも聞いておりますが、当時、話が出たその土地、ゾーニングについては、やはりそれなりの影響が私は皆さんの心の中にあったのかなというふうにも思っているところでございます。しかし、結果としては、それがなくなったということでございます。また、次の有珠山噴火災害に特化しての話でございますけれども、今、平成27年度、これから予算審議をいただくわけでございますけれども、まずは防災力の強化、これを目指してまいりたいというふうに考えております。そして、私ども、時間との闘いになろうかと思いますけれども、刻々と状況は変化してまいりますが、極力、時間的な中で、まずは避難勧告を出していきたい。避難勧告が出た段階で、地域住民の皆さんは避難の準備、あるいは避難態勢に入ってくださいという啓蒙、啓発、これは住民にやはりしっかり知ってもらう必要があるのかなというふうにも思っております。そして、避難指示が発令された段階で、速やかに避難所のほうに避難をしていただく。いろいろな問題がありますけれども、要支援者対策ですとか地域住民の皆さんのご協力をいただいてだとか、2000年噴火災害の反省のもと、いろいろな角度から調整をして、本当に1人の犠牲者も出さない、そういう体制づくりをつくっていかなければならないなというふうにも思っております。また、いろいろご質問の出ていた室蘭地方へ避難をするというのは、避難指示が出てからでは残念ながら遅い状況にあろうかと思います。避難指示が発令されますと、関係機関のほうに全てその指示が伝達されます。そのときに、国道37号線につきましては、避難指示の出た段階で、町内の人が国道37号線を通ること、これについて、避難をすることについては可能ですが、ほかのほうに出ていくと、有珠山を抱えて、その有珠山の周辺で行動するということについては、制約がある程度出てくると思われますので、できるだけ避難勧告、これが発令されたときに、みずからが行動に移せられるようにしていっていただきたいなというふうにも思っております。特にゾーニングの関係については、ゾーニングそのものは撤廃されましたけれども、当時のお話を聞いてみますと、かなりやっぱりご苦労があったのかなということは感じておりますが、今現在は、特にCゾーンについては、当時、結果的に話し合われたけれども、そのゾーニングはなかったというふうに理解しております。
議員の質問 11番 沼田松夫
町長、ゾーニングはなくなったのではないのですよ。Aゾーン、Bゾーン、Xゾーンは間違いなくあるのです。ただ、これは国が買い取ったのです。それで、ここに新聞記事がありますけれども、16年の2月28日の朝刊ですが、道が示した区分でCゾーンは、病院や社会福祉施設など弱者施設とともに住宅の将来移転を促す地域と設定と。この住宅については、安全な地域へ移転を視野に入れ、あり方を検討するとし、移転に当たっては、その支援策を検討するとしてきた。しかし、住宅移転の支援策は活動火山対策特別措置法の適用外となるため、国から困難であるとの見解が示されており、道と3市町の独自制度として検討を進めてきたが、この4年に及ぶ検討の中で成案は得られなかったと、こういうふうに載っているのです。それで、一方でこう言っているのです。この4年間で各種の砂防事業や治山事業、公園事業なとが行われ、学校、病院、社会福祉施設などの災害弱者施設や公営住宅の移転が済んだから、ある意味ゾーニングCゾーンの使命は果たしたと。これで洞爺湖温泉のど真ん中も全てCゾーンにされて、一時は、聞くところによると、月浦に温泉が出たらホテルを移すというような排除の理論で国はやってきたわけです。本当にこの議論がよかったのか悪かったのか、やっぱり僕は検討するべきではないのかと。そして、次の災害対策のためにも、ここのところはこうしなければいけないなとか、ここのところは悪かったなというのはちゃんとあれしておいてやるべきではないか。これは明らかに道のミスなのです。それで、その結果においてとんでもない後遺症が、僕はうちの町のなかにいっぱいあると思います。いきなりCゾーンの中に持っていた不動産屋が潰れてしまったとか、そういうのは簡単なことです。人が住めない土地に指定したのですから。本当に、国が、道が支援をしたことが、うちの町のためにどこがよくなって、どこがどうなのかというのを僕はすべきだと思いますが、見解を聞かせてください。それで終わりにします。
町の答え 副町長 八木橋隆(副町長は2015年9月まで)
Cゾーンのこと、ゾーニング全体で申し上げますと、先ほど町長も説明しましたA、B、X、これについては、北海道の考え方、うちの考え方と、これはイコールでした。Cゾーンについては、特に計画策定段階で、道の復興方針ができる段階で、私どもの担当課長がそこにオブザーバーとして出席させていただいて、町の考え方としては、いわゆる災害弱者施設と言われるもの、病院とかそういうものはやむを得ないけれども、住宅を移転させるというのはどうなのと。中長期的に取り組み対策をして、それは私ども決して容認できませんよねというお話も再三したわけでございますけれども、結果的に道に押し切られたという形でございます。それで、これに基づいて町もゾーニングを、同様な形で住宅については、将来的には移転をしてもらって、そこについては支援策を講じますというふうな記載になりました。その後、取り組みとして、Cゾーン対策としてどうやるのだと。住宅の関係については道の復興対策室が中心的になりまして、その支援策をさまざま検討して、火山対策措置法ですか、これとか土砂災害法とか、そういういろいろな法制度のもとで国がお金を投入できるということもさまざま検討してまいりましたけれども、やはり、そこを指定されることによって移転するということになれば、住宅もそうですし、土地だって買ってもらわなければ、それはできませんよねと。道の言っているのは、住宅については移転経費300万円程度は支援しますけれども、ほかについては自己努力でと、そういう話になりますものですから最終的に折り合わない。それでは私ども町としても納得できないということで、住宅の取り扱いにつきましては、今後は防災マップを基本に考えていくというふうに決着したところでございまして、まさしく今回の住宅のことに関しましては、やはり、私は今回の道の計画、うちの計画もそれに沿ってつくりましたけれども、やはり問題があったというふうに認識しているものでございます。
議員の質問 11番 沼田松夫
最後にしますけれども、結果として、温泉街に住民が5,000人ぐらいいたと。今は何ぼいるのですかね。900人切ったのですかね。(発言する者あり)では、答弁してください。
町の答え 総務部長 遠藤秀男(総務部長は2016年3月まで)
洞爺湖温泉街の人口ということでよろしいでしょうか。今現在、大体1,200人程度おります。
議員の質問 11番 沼田松夫
誰でもが見てわかるように、本当に、申しわけないけれども寂れてしまったなという思いなのです。65万の宿泊客が戻ってきてくれていると言うけれども、それが温泉街にリンクしているのだろうかというと、そうではないなというふうに私は思います。明らかに、これは道の政策の僕はミスだという思いでおります。ですから、かなりの部分で僕は後遺症は残っていると思いますし、商売にならなくなった店、本当にお気の毒だなというふうに、店を畳むにも畳めないというような状態になった人もいっぱいいるのだろうなということで、私、今回は温泉街の商店数がどのぐらい減ったのかというのは調べてきていませんので、これ以上は言いませんが、本当に、私は2000年の噴火は決して終わっていないというふうに思っております。そういう中で、今後どういう、本当に先ほど来からまちづくり、まちづくりと言われますけれども、人がいなくなったところのまちづくりなんかできるわけないのではないですかと、私はそう思います。それを強引に出してしまった。そういう政策がこの2000年のゾーニングではなかったのかと。ぜひその辺は、町長ひとりではだめでしょうけれども、改めて2000年の噴火というのは本当に、これで終わったのか終わらないのか、もう少しやるべきことがあるのではないのか。少なくても道の担当者に現状を見てもらっておいて、何らかの方策を考えてもらうようなことも、僕は高橋道政がもう1期やるとすれば、ぜひ高橋知事とその辺の話もしてもらえればという思いでおります。大変ありがとうございました。終わりにします。