新得町議会 令和3年第4回定例会 2021年12月15日
新得町指定文化財「旧狩勝線鉄道遺構群」を「北海道遺産」に
2021年12月15日、新得町議会の一般質問で、森本洋子議員が「新得町指定文化財「旧狩勝線鉄道遺構群」を「北海道遺産」に」について質問し、教育長 武田芳秋、町長 浜田正利が答弁しました。
- 質問者
- 森本洋子 議員
- 答弁者
- 教育長 武田芳秋、町長 浜田正利
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
件名は、議員が最初の質問で述べた言葉から取ったものです。
質問 森本洋子
午後、今日のトリということで、私1人のために集まっていただいておりましてすみません。申し訳ありません。5項目くらい用意してくればよかったのですけれども、2項目、頑張ってやりたいと思います。それでは、まず1項目目になりますが、新得町指定文化財「旧狩勝線鉄道遺構群」を「北海道遺産」にという項目です。1.新得町指定文化財「旧狩勝線鉄道遺構群」を「北海道遺産」に新得町は、町のホームページで町の概要の中にも記載しているように「鉄道の町」です。鉄道としての歴史は北海道開拓に伴い、道東と道央を結ぶべく選定された旧狩勝線の歴史に始まりました。1901年に落合-新得間の工事に着手、1907年9月8日に新得駅の開業となりました。この120年の歴史ある今なお現存する遺構群を語り継いでいく必要があると思います。ぜひ、新得町指定文化財「旧狩勝線鉄道遺構群」を「北海道遺産」に申請していただきたいと思いますが、町の考えをお聞かせください。
答弁 教育長 武田芳秋(教育長は2023年3月まで)
森本議員のご質問にお答えいたします。旧狩勝線は、北海道の東西を結ぶ幹線鉄道として、落合-新得間の工事が明治34年から始められ、6年の歳月をかけて完成した路線であります。この区間に建設された石積みやレンガ積みのアーチ橋や、隧道(ずいどう)、石積み築堤など、当時の鉄道輸送に貢献した土木遺産が今もなお現存しており、明治期における北海道の鉄道建設事業を知る上で、必要不可欠な歴史的遺産となっております。本町では、平成24年度から、町内に所在する文化財を保護することを目的に、「文化財の保護に関する条例」を制定し、現在まで文化財価値が高いと認められる4件を町の文化財に指定しており、「旧狩勝線鉄道遺構群」は令和2年1月23日に有形文化財の指定をしたところであります。さらに、狩勝峠から新得間に建設された大築堤群、新内隧道(ずいどう)、小笹川橋りょうは歴史的な遺構群として高く評価されており、平成15年に公益社団法人土木学会の選奨土木遺産に認定され、平成21年には「旧狩勝線」として、経済産業省の近代化産業遺産に認定されているところであります。ご質問にあります「北海道遺産」の目的は、有形・無形のさまざまな遺産を、多様な人々が共有する仕組みを作ることで、北海道の宝物を次世代に継承することとなっており、現在、NPO法人北海道遺産協議会が選定や普及を担い、既に全道で67件が選定されております。その上で、本町の「旧狩勝線鉄道遺構群」は、その目的に資するものであると認識しており、登録の申請に向け、関係団体等のご意見をいただきながら、取り組んでまいりたいと考えております。以上であります。[武田芳秋教育長 降壇]
再質問 森本洋子
ご答弁ありがとうございます。再質問させていただきます。今、答弁ありましたように、「北海道遺産」とはホームページを見ますと、次の世代に引き継ぎたい有形・無形の財産の中から、北海道民全体の宝物として選ばれたもので、北海道の豊かな自然、生きてきた人々の歴史や文化、生活、産業など、各分野から道民参加によって選ばれたとあります。そして、その掘り起こされた宝物を地域で守り、育て、活用していく中から新しい魅力を持って北海道を創造し、人づくりや地域づくり、観光促進をはじめとする経済の活性化へとつなげるとあります。この「旧狩勝線鉄道遺構群」については、今から20年ほど前、国鉄清算事業団から町が購入した廃線跡の利活用を探るべく行われた、確かヘルシーロード建設計画という会議だったと思いますが、そういった会議の中で、会議、ワークショップ、現地調査をした中で、埋もれつつあったトンネルや築堤を歴史的に残していく必要があると、そういう認識が生まれました。そんな中で、「旧狩勝線を楽しむ会」が発足し、草刈りや遺構群を巡るツアー、ガイドマップなどの作成をして保存活動をしてきました。土木遺産、近代化産業遺産、町指定文化財にもしていただきました。「北海道遺産」は十勝からはばんえい競馬、モール温泉、旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋りょう群、ラワンブキなどが既に認定されております。今回、つい最近なんですが、4回目の選定という記事を北海道新聞で見つけました。ぜひ、町として次世代に語り継ぐ歴史あるこの遺構群を「北海道遺産」に申請していただきたいと思います。選定基準には客観的な評価基準だけではなく、地域が保全・活用に取り組んでいるものというのがありますが、この辺は私は大丈夫じゃないかと思うんですけれども、今後の取り組みに期待できるものなどの思い入れ価値がウエートを占めるとありました。思い入れです。そこで、平成19年に狩勝線100周年祭というシンポジウムが行われました。そのとき、パネリストとして町長と私も参加いたしました。その記録の中で町長は、「大先輩たちがつくっていただいた財産というのは、あらためて見直しながらなんとか町の財産として、これからもぜひ利用していきながら町の宝として次の世代につなげていきたい」と言われておりました。ぜひ、町長の今の考え、お聞きしたいと思います。今もその考えに変わりはありませんでしょうか。
答弁 町長 浜田正利(町長は2025年6月まで)
うちの桂田課長から、議員から2回目、私のほうにということでいただきました。早速、当時の狩勝線100周年祭、取ってあったのですけれども、当時のこと、メモしかなかったのですけれども、あらためて思い出しながら見させていただきました。発言という中であらためて思ったのが、今回の、平成19年のときももちろんですが、この中の資料に、開通した後、明治41年に石川啄木がそこを通りまして、歌を歌っていたのをあらためて今、見つけました。その後、昭和2年には日本新八景という、そういう積み重ねがあって、先般、12月9日に道新の記事で、今、大河ドラマで話題になっている渋沢栄一さんの記事を読みまして、この方も「狩勝」というものを切り口に思いを話されていたんだなというふうに思いました。あらためて先人の方々が築いてきた「狩勝」が、本当に存在感が大きいなという認識をしておりまして、その上で次、どうするかなんですけれども、平成19年のときの思いも今も変わらないんですけれども、では、具体的に何がどう進んでいるかと言われたら、まだ、物足りなさももしかしたらあるのかなという、そんな感じがしております。亡くなった方ですけれども、竹田さんが一生懸命やっていた記憶もありますので、なんとかそういった思いを胸に、「狩勝」というものをこれからも大切にしていきたいなというふうに思っていますし、併せて、やはり新得の歴史の重みは私、たくさんあるというふうに認識していますので、ぜひ、そういったところも含めて、なんとか今を生きるものとして歴史の重みを大切にしながら次の世代につなぐと、あらためて前に進めていきたいなという、今、そういう思いでいますので、決して揺るぎないというふうに思っていますので、これからも努力していきたいなというふうに思っています。以上です。
再質問 森本洋子
ご答弁ありがとうございます。町長のお言葉を聞けたのでよかったと思っております。この「狩勝」という名前は、日本初の水力発電所や琵琶湖から京都へ水を運ぶ琵琶湖疏水(そすい)という事業があったのですが、それを造った土木技師の田辺朔郎さんという方が北海道の官設鉄道を着手した際に、この「狩勝」という名前を名付けたのが、その田辺朔郎さんという方だといわれております。今、町長も言われましたけれども、清水町などは今、渋沢栄一さんで盛り上がっております。新得町もこのような歴史のある人物の方たちが関わったところでもありますので、この辺も頭に入れておいていただければなと思っておりますし、多くの労働者や犠牲者の方、技術者によって造られたこの歴史ある新得町の、私、これは宝だと思いますし、まして、北海道の宝、もしかしたら日本の宝かもしれないというふうにも思っております。鉄道ファンの間で今でもこのあたりを日本三大車窓の1つと、これは鉄道マニアは今でもここを日本三大車窓と言っております。なので、そういった意味からも、ここを「北海道遺産」に申請していただければなと思っております。以前も、実をいいますと、先ほど竹田さんのお名前も出ましたけれども、「北海道遺産」に申請をしようかなと思ったこともありました。ただ、そのときはまだ、町の協力も得られずに、整備やなんかもまだ追いついていなかったということもありまして、私たち自身も断念したということもあります。ただ今回は、町のほうからもいろいろと整備に対して、流れた築堤を直していただいたりとか、そういうこともありましたので、今回は思い切って申請をやりたいなというふうに私たちも思っておりますし、町のほうも今回、ぜひ協力していただければなと。取り組んでいただけるという前向きなお話しもいただきましたので、答弁はいらないのでよろしくお願いしたいと思います。