猿払村議会 平成24年第2回定例会 2012年6月27日
村史第2巻の発刊について
2012年6月27日、猿払村議会の一般質問で、太田宏司議員が「村史第2巻の発刊について」質問し、村長 巽昭、副村長 三浦高志が答弁しました。
- 質問者
- 太田宏司 議員
- 答弁者
- 村長 巽昭、副村長 三浦高志
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
件名は質問の本文をもとに当サイトで付けたものです
質問 太田宏司
それでは次の質問に移ります。同じく、平成24年度村政執行方針において、来年度、村政施行90周年を迎える当たり、今までの村の歴史をしっかりと学び、未来の猿払村のために郷土愛、連帯感を深める契機となるように、本年度より準備に入る。また、開村90周年となる平成25年度へ向けた『猿払村史~第2巻』の発刊業務を進めていく、と述べています。1924年、大正13年1月1日より宗谷村、現在の稚内市から分村し、二級町村制を施行し猿払村が生まれ、来年度、開村90周年を迎えることとなるわけですが、現在の猿払村の漁業、農業、そしてその他の産業を通して豊かな村の基礎を築いてきた多くの先人の方々の努力に敬意を表するとともに、その功績、努力を後世に語り継ぎ、残していくのも、現在の私たちの役割ではないかと考えます。今回の村史編さんへ向け、平成22年から準備し、本年度も村史編さん事業発行業務委託料として617万円予算計上されております。1点目の質問です。本年度の執行方針において、今年度から本格的な原稿執筆に取りかかることから、村史編さん発行委員会委員をはじめ、村民の協力をいただきながら作業を進めたい、と述べていますが、『猿払村史~第2巻』発行へ向けた現状はどのようになっているのか。発行予定部数、発刊に係わる総費用、販売価格を質問いたします。
答弁 村長 巽昭(村長は2013年9月まで)
ただ今の質問にお答えいたします。発行に向けての現状については、開村90周年となる平成25年度へ向け、平成22年4月4日に、株式会社ぎょうせいと4年間の業務委託契約を結び、発行へ向けた準備作業を進めております。村民7名による村史編さん発行委員会により、これまで5回の委員会を開催し、基本方針、振興計画の確認、執筆体制、文字ポイントの決定、組見本の選択、目次案の協議等を行っております。平成23年度までは資料の収集と調査を行い、平成24年度からは本格的な原稿の執筆作業が進められ、随時、原稿が提出され始め、村史編さん発行委員会及び職員により内容の校閲を進めているところであります。また執筆に当たり、不足する資料の調査、収集も、あわせて行っているところでございます。質問にございました発行に係る総費用につきましては、平成22年4月4日に契約を締結し、平成26年3月31日までの4年間の契約総額は、本年度当初予算にも資料を添付しておりますが、総額で1995万円、本年度は議員の指摘にもございましたが、本年度は617万4千円となっております。年度別契約金額は、平成22年度が 220万5千円、平成23年度で308万7千円、平成25年度が852万6千円となっております。発行部数及び販売価格につきましては、第2巻の発行部数は800部とし、販売価格はまだ決定しておりませんが、前巻が3千円に設定されていることから、大きな変動はないかと思っております。以上でございます。
質問 太田宏司
今の答弁の中に、平成23年度まで資料の収集をしてきたということでございます。次の質問に入りますが、前巻の村史は昭和51年、1976年に発行されています。その年に生まれた方は現在36歳になります。1924年、大正13年、宗谷村から分村し、猿払村が誕生した年に生まれた方は現在88歳になります。翌年1925年、大正14年の第2回国勢調査によりますと、猿払村の人口は6,697名、現在の人口の2倍以上の人口で賑わっていました。戦後、開拓地入植の始まり、国の燃料政策による炭鉱の開坑に伴い、人口が昭和31年から昭和35年には1万人に肉薄するほど増加したと前巻の村史には記載されています。昭和31年から昭和35年に生まれた方々は、現在52歳から56歳になります。少なくとも70歳くらいの方々は賑やかだった村の当時を記憶していると思います。町並みも激変していると思います。前巻の『猿払村史』の発行に当たっても、当時の様子、体験、思い出話等を聞き取りしていると思いますが、齢を重ねますと記憶も曖昧になります。村内外の、できるだけ多くの方々から当時の様子を聞き取り、正確に記する必要があると思います。先ほど、平成23年度までに資料を収集してきたとお伺いしましたが、猿払村が歩んできた激動の変遷を後世に語り継ぐ、記録に残すことは非常に大切なことだと思いますし、必要です。村の歴史は村民の方々が歩んできた歴史でもあると思います。今回の村史編さんに当たり、体験、思い出話を集めるために、どのような方々から聞き取りをしたのか。また、地域において座談会は催されたのか、質問いたします。
答弁 村長 巽昭(村長は2013年9月まで)
ただ今の質問にお答えいたします。私は昭和29年生まれでございます。もちろん猿払村で生まれております。猿払村の人口が一番多いころに私は生まれたわけでございます。それから、先ほど議員も述べましたように、炭鉱の閉山、木材の不振、その他いろいろなことがございまして、人口が減少していくという、その経過は私も幼いながらもしっかりと見てきております。小学校のころは、毎年転校生がいると。その当時は、まだ天北線がございましたから、天北線へ毎年見送りに行くというのを経験してきております。確かに、もう私も60歳近くになりますけれども、だんだん記憶というものが薄れてきているというのも事実でございます。そのようなことを踏まえましてですね、ただ今の太田議員の質問にお答えしたいと思います。「村民と暮らし」の執筆に当たり、昨年6月に村内在住の女性数名の参加をいただき、昭和50年以降から今日までを通し、衣食住、冠婚葬祭、家族構成、住民活動等について、急激な変動があった事項を主として聞き取りがなされ、執筆に反映されております。また、集落の歴史に関しては資料が少なく、執筆担当者が編さんに苦慮していることから、各集落での聞き取りを行うことを検討しております。蛇足ではございますが、私も様々な会合では村の歴史の話をするようにしております。本年度も、ふれあい学級でもホタテ、水産業の歴史を高齢者の方にお話しをいたしました。話のついでで、来年は農業の歴史をお話しをすると、つい勢いで喋ってしまいましたけれども、この歴史を調べようと思いますと、なかなか資料がないと。確かに資料、書物がないのに、今、困っているところでございます。そのような書物があれば、ぜひ教えていただきたいなと思っております。以上でございます。
質問 太田宏司
村長の思い出も語っていただきましたが、先ほども言ったとおり、村の歴史というのは、村民の方々が苦労して築き上げた歴史だと思います。いろいろな思い出等があると思います。再質問をさせていただきます。何人かの年配の方にお聞きしたのですが、猿骨地区の現在の 238号線の、さらに海側にもう1本道路があり、集落があった。上猿骨地区、現在のシェルターの海側にも、かなりの方が住んでいた。集落が形成されていた。前巻の『猿払村史』には部落としての記載はないのですが、神社の記載の中で「猿骨神社」という記載があります。現在は芦野神社に合祀されているとのことですが、ホタテ漁に従事する石川県人の来住によって栄え始め、大正中期を過ぎたときに200戸、700人を数えたとあります。そのときの賑わいは知らないかもしれませんが、その地域で生まれ育った方も、まだ村内にいらっしゃいます。小石地区の賑わいを知っていらっしゃる方もいらっしゃると思います。年表も大事でしょうし、しかし実際に時代の変化、時代の流れを体験してきた住民の証言は貴重ではないかと思いますが、いかが考えますか。
答弁 副村長 三浦高志(副村長は2013年9月まで)
太田議員から御指摘のありますように、村の歴史を取りまとめ、今、発行しようとしておりますけれども、限られた資料しかないという現状の中では、やはり住民の方々から、いろいろな情報をいただく、というしか方法はないのだろうと思います。昨年の6月には高齢者の方々を中心に集まっていただいて、執筆を生活担当だとか、いろいろな執筆担当を分けておりますけれども、専門の方々も同行していただいて、一緒にその話をお伺いをしていただいて、執筆をいただくと。(聞取不可)いただくという形で進んでいるわけですが、今、御指摘のあったように、なかなか範囲として掴み切れないところというのがあるというのは事実だと思いますので、執筆担当の方と、それから、いろいろ、さらに相談をしてですね、村長も、まだまだ、これからそういった場を作る、という考え方もあるということでございますので、是非そのような掘り起こしを、もう少し時間をかけて取り組んでまいりたいというふうに思います。
質問 太田宏司
村史編さん委員会には職員が1名配置されています。今、副村長からの答弁がありましたが、職員が、埋もれている村民の歴史を掘り起こす努力というのが必要ではないかと考えます。次の質問に入ります。故きを温ね新しきを知る。こうした諺にもありますように、猿払村が歩んできた激動の変遷を垣間見ることで新たなものを構築していくことが、今、改めて私たちには必要ではないかと思います。また、いずれ次代を担っていく住民にとっても必要なことと思います。この度の村史発行に当たっては、多くの方々の協力、そして多額の費用が掛かったものと思います。この村史がこれから広く村民の方々、そして次代を担う子どもたちに活用されてこそ、意義があるものと思います。しかし、村史となると、先人の足跡を史実に基づき正確に伝えることが目的です。村史は分厚く、専門的で親しみづらい、というイメージがあります。質問です。せっかく集められた資料、写真。有効に活用するために、この度の村史、小中学生でも理解できるダイジェスト版あるいはDVDにして村民に配布する考えはありませんか。質問いたします。
答弁 村長 巽昭(村長は2013年9月まで)
ただ今の質問にお答えいたします。来年の90周年に当たりましてですね、御存じのように今、石川県の内灘町、ホタテを最初に開拓した人々たちの町でございますが、そこと友好姉妹提携を結ぶ予定となっております。そのこともございまして、今年がですね、内灘町の町制施行50周年記念に当たりまして、私と議長とが出席してまいりました。その折にですね、内灘町のDVDをいただいてまいりまして、先日それを見ておりましたけれども、やはり良いですね。本村がやるか、やらないかは、あとで答えますけれども、1時間ぐらいに収録されていたのですが、非常に素晴らしいなと思って見ておりました。これは私の感想でございます。『猿払村史~第2巻』のですね、ダイジェスト版につきましては、契約に当たり協議をしておりませんが、編集作業の終了後に、年表を基に編集することは可能と考えております。また昨年、契約業者との協議の際、データ化の可否について確認いたしましたが、データは提供できる旨の回答をいただいておりますので、DVD化は可能と考えておりますが、作成に当たってはダイジェスト版とあわせ、今後検討して参ります。以上でございます。
質問 太田宏司
是非、前向きに検討していただきたいと思います。昭和51年発行の村史、そして、この度発行の第2巻を完成させるのに、膨大な資料、貴重な資料、写真等、集まったことと思います。また、この度の村史に収録できなかったものもあると思います。これらの資料は、一度失ったら戻すことはできません。これらの資料の整理、保存はどのようにするのか、お尋ねいたします。
答弁 村長 巽昭(村長は2013年9月まで)
ただ今の質問にお答えいたします。長い時間と費用を掛けて収集した資料でありますので、資料ごと台帳整備を行い、可能なものはデータ化を図りながら、行政資料室などで逸失を避けるため一括保存することを考えております。以上でございます。
質問 太田宏司
先ほど村長も、村史を作るに当たって、その当時の資料が全く少ない、そのような答弁もありました。是非これから、この村が発展していくためにも、今の資料を大事に保存しておいていただければと思います。