みんなの議会

猿払村議会 平成18年第4回定例会 2006年12月19日

教育問題について

2006年12月19日、猿払村議会の一般質問で、山須田清一議員が「教育問題について」質問し、教育長 上島賢司が答弁しました。

質問者
山須田清一 議員
答弁者
教育長 上島賢司

議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。

件名は質問の本文をもとに当サイトで付けたものです

質問 山須田清一

次に教育問題ということについてお尋ねをしたい。今年に入りましてここ数ヶ月前よりテレビ・新聞というものでもって取り上げられている問題の中でいじめが原因でもって自殺している。それも相次ぐ、子を持つ親御さんはもちろんの事、我々子育てを終えた年代の人間でも大変驚いているわけでございます。前途ある人間の一生、自分の命に終止符を打って訴えた。それだけ子供は悩みそしてまた苦しみ、そして最後は自分の命をもってみんなに訴えなければならない。本当にやるせない気持ちでいっぱいです。いじめにあい自殺までの間、友達にも言えない、先生にも相談しても十分取り組んで貰えない。その末の結末だったのだろうと思います。その間周りがそして学校が何をしていたのだと、一番先に考えるわけでございます。私は当猿払村は無縁の事と思っております。確認のためのお尋ねです。猿払村での小中学校でのいじめの存在というものをまず先にお尋ねするわけでございますが、この問題は小さなうちに見つけ手立てをする事が大事な事なのだろうと思います。自殺する事に対しての命の尊さ、命の大事さ、このことに対しての指導の在り方というものに対しては当然教育員会は学校側にしているのだろうと思いますけれども、この問題と合わせてお尋ねをしたいと思います。

答弁 教育長 上島賢司(教育長は2011年3月まで)

それでは山須田議員さんからのご質問に対しましてご答弁申し上げます。今山須田議員さんからもお話ございましたけれども、いじめにより児童生徒が自らその命を断つという痛ましい事件が全国で相次いで発生しているということは、本当は極めて遺憾なことでありまして、子供達が自らの命を断つということは理由はどうであれ、理由の如何を問わずあってはならない事だと深刻に受け止めておりまして、またいじめの未然防止や早期解決、早期対応のための取り組みの充実が求められるというふうに痛感しておりまして、この件につきましては議員さんと同様の気持ちでございます。ご質問にあります村内でいじめがあるのかないのかというお答えをする前に、いじめ問題に関しての事としまして、まず把握しておくことはいじめは決して許されない事であり、またどの学校でもどの子にも起こりうる問題であるということを学校は元より家庭においても地域においても、また当然ながら私共教育委員会においてもそれこそみんなが十分認識しておく必要が大事でございます。このどの学校でもどの子にも起こりうるのだよという認識を持つことが議員がご心配されておりますいじめの早期発見、早期対応に繋がるという事をしっかりと抑えておかなければならないということで、まず私の方で肝に銘じたいということで今先に申し上げた次第でございます。そこでご質問の村内でいじめがあるのかないのかと問われますとあるというのが答えでございまして、それでは今その学校の状況どうなのかと言いますと、今その学校では各学校では学校現場での適切な対応等により今落ちつきを取り戻しております。また、子供達に対しての指導の在り方というご質問でございますけれども、いじめ問題に対する教育委員会の対応としましては、文部科学省や道教委から示された事柄を各学校に通知すると共に年に1度の児童生徒に関する調査によってその発生件数の把握や指導状況について確認しております。しかしながら、いじめにより児童生徒が自らその命を断つという痛ましい事件が相次いでいる中で、猿払村教育委員会としてもただ単に文科省あるいは道教委から来た通知を出していいのかということに止まることなく、いじめ問題に対する教育委員会としての体制をチェックしたところでございます。そういった中ではそうした対応だけでは不十分であるのだというふうに痛感しましたことから、猿払村教育委員会としまして新たにいじめ問題に対する独自の方針を制定し各学校長にも説明協議した上で、これを学校に通知をしたところでございます。この方針におきましては如何なる理由があってもいじめという行為は許されないということを基本としまして、議員がお話した部分ございますけれども、豊かな心や命を大切にする教育の充実からいじめを許さない学校づくりに取り組むとしております。また他方ではいじめは何回もいいますけれども、どの学校でもどの子にも起こりうる問題であるということを認識しまして、いじめの早期発見、対応のために児童生徒の発するサインを見逃すことの無いよう努力していくということも重要な問題として捉えております。さらにはいじめの基本的認識を共通するものとして、いじめとした判断を明確にした上で当事者に対する指導集中的に行い、いじめは絶対に許されない事なのだということを広く理解をさせる事としております。こうした対応に当たっては学校と教育委員会が常に情報を共有することが大切でありますし、また当然に個人情報を含めました取扱いも十分配慮しながら世間で言う所の決して事実を隠ぺいする事無いようにしなければならないと考えております。保護者との共通理解はもちろんの事、地域の皆さんとの連携も必要と考えておりますのでよろしくご理解をお願いし、答弁をさせていただきます。以上でございます。

質問 山須田清一

非常に残念な答えなのですけどあるのだと、私は無いというふうに言って欲しかったなと、そういう猿払村であって欲しかったなという気持ちも持っているわけでございます。有無の確認ということにも色んな方法があるのだろうと、みんなの前で言えないけど私はいじめられているのだと、俺はいじめているのだというような事もあるのだろう。先日の新聞なのですけれども留萌管内の見ている人もいるかも分かりませんけれども、羽幌町新聞見ると全校生徒176人という、いじめに関する教育相談の面談の中で無記名でアンケートを取ったということが報じられておりました。単純な今質問の設定なのですけれども、いじめている、私はいじめられている、私はいじめている。そういうような質問であったと思うのですけれども、この全校生徒も大体1割ぐらいがあるようなのです。この羽幌中学校もそういういじめの対処としていじめられている側に立って、全教職員で守るという認識の元に生徒指導に当たるということを再度学校全体でもって認識したと、これが議会の一般質問の中で教育長が答弁をしたという事が新聞記事であったわけでございます。新聞以外に私は情報が無いので新聞を見ると各地・各学校あらゆる角度で真剣に対応しているのが現状かなと思います。大きいところになりますと、兵庫県のこの新聞に出ていたのですけど、消防支署長には関係無いけど兵庫県に小野市というのがあるのです。そこではいじめ担当課というものを設置したと、非常に大きな問題と取り上げての対応だと思うのです。いじめの有無というのもまだ指導は1回終わって良いのだというばかりでなく、先程も言いました命の尊さとそれでまた学校側には早期発見、早期手立てということに対しては鋭意努力をしてもらわなければならないとこれからも、そういう訳でございます。毎年12月になると今年の世相を象徴する一文字漢字というのがそれに今年は「命」という字が決定されたようです。全国から9万2,500通ぐらいの応募があったようです。その9%の9,360通が「命」という事で一番多かったようでございます。今年は天皇陛下のお孫さんに当たる秋篠宮家に長男悠仁さんというのですね、誕生された、生まれてくる命です。注目が一番集まったようです。それとまた反面暗い一面ではいじめによる自殺、虐待による死、命を命と思ってない。人の生命を命と思ってない。また先程も質問でも触れましたけれども飲酒運転による死亡、命を落とした事件、ひとつしか無い命の重みに大切さ、痛感したのがこの命と一字に表れた理由のようです。生徒へは機会ある事に強く指導もしていると思います。また学校側にも同じ事も言っているだろうと思いますけれども、具体的に有る・無いの判断というものも答弁として述べれるのであればこういう形で持って確認したのだということと合わせて再度お尋ねしたいと思います。

答弁 教育長 上島賢司(教育長は2011年3月まで)

お答えいたします。まず命の関係でございますけれども、本当にこの部分についてはかけがえのないのは命でございまして、常日頃から学校我々もそうですけれども、道徳あるいは総合学習の中で命の事については絶えずお話をしてきちっと理解をしてもらうような取り組みをしております。これからも続けていかなければならないし、ずっと続けていく必要があるのかなとそういうふうに思ってます。また、いじめの部分の関係でございますけれども、残念ながらこのあるというのは、さっきも申し上げましたとおり、いじめというのは議員が心配されるとおり本当にどの子供にも残念なのだけども、どの子供にもどの学校でも起こりうるのだということをきちっと認識しておく必要があるのかなと思います。その上で議員がお話しておりました対応について速やかにすべきだというふうに思ってます。いじめがあるといった部分では村内1校の中学校でこの問題につきましては勇気をもって学校だよりにも村内に周知して情報を共有してもらうということで、そういった事からいじめの部分については村内的にはあるというふうになってますけれども、そういった部分の学校側としての全体で山須田議員もお話しておりましたけれども、羽幌町においても学校全体で守っていくのだというのを大切だという部分ありまして、今村内での私も中学校の話しましたけれども、この中学校におきましても学校全体で守っていくという形で出されていますので、それで私が村内にはあると申し上げた次第でございます。その辺のところよろしくご理解を願いたいと思います。以上でございます。

質問 山須田清一

これ次2番となっているのですけれども3番目先に質問させて欲しい、その後に2番。今答弁もいただいたのですけれども、いじめの芽というのはどこにあるのかなということでもって、先月なのですけれども、僕札幌に先月に末頃なのですけれども札幌に居たときの出来事なのですけれども、その時札幌も雪がほどほど積もりまして、表面は水分を含んで雪玉を作るのに丁度雪玉、雪だるまというのは丁度良い状態であったのですけど、時間的にして3時頃の出来事なのですけれども、男の子3人が下校途中だったのです。丁度そこに僕がぶつかりまして、するとその3人でもって雪玉を作って一人を標的にしてぶつけていた。それを離れた状態から近づくまでの間しつこいぐらい見ていたのです。そしてそばに来たのであんた方何年生だと聞いたら4年生だって、そういうふうに人をいじめたりケンカしたらダメだということを言ったら、おじさん、いじめでもケンカでも無いのだと、遊んでいるのだというような子供からの答弁があった。当人達は遊び心でもってやっているのだとその辺分かりますが、見る目にはいじめに近い状態と僕は判断したというのが3人の中で一番体格が良くなかった。雪が降った割にして服装というのですか賄いが良くなかった。非常に雪玉が顔でもどこでも当たることによってというような事を期待しての出来事だったのかなと思うのです。そういう遊びながらでもいじめという芽があるのだなと、その時は痛感したわけでございます。一面考えてみるとスポーツでもあるのかなと、チームプレイを重視する中でもいじめがあるのだろうということも考えたわけでございます。これがあらゆる角度でのいじめの芽というのはあるのだけれど、単純な学校側でもどこでも目の届かないところでのいじめのひとつなのだなということなのです。そういう所まで目配りをしながら未然に防ぐということも非常に学校側としても難しい事なのだろうと思います。このいじめを無くする指導体制のどういう形で持って網羅していくのだということもこれは検討に値する事なのだろうと思います。そのことに対して教育長の単純な見解を一つお聞きしたいと思います。

答弁 教育長 上島賢司(教育長は2011年3月まで)

それではいじめの芽はどこにあるのかという部分でご答弁させていただきます。いじめの芽はどこからという事なのですけれども、非常に難しいご質問でありまして、いじめの芽というのはどの子の心にもあると思いますし、子供だけでなく大人にもあるのかなとそういうふうに思っております。児童生徒間のいじめの問題というのは本当に極めて深刻な社会問題、敢えて社会問題と言いますけれども、その原因や背景としましてこれまでの核家族化・少子家族化といった家庭環境の変化や人口の都市集中化、あるいは受験戦争の激化など、様々な要因が指摘されてきましたけれども、議員がお話しておりますとおり、いじめにはいじめられる子供がその心に深い傷を受けているのにいじめる子供はその事に気が付かないでむしろいじめを楽しむ傾向すら見られ、そういったいじめの根底には他人に対する思いやりや労るといった人権意識の未熟さがあるのではないかなとそういうふうに言われております。実は私は日頃いじめの問題でいじめQ&Aということで子供の人権を守ると実はこれ平成6年のものなのですけれども、今の時代にも全く変わらずマッチすると、マッチしない部分は更に陰湿な部分では携帯やメールを使って個別のあれが出てきていると、これが平成6年の時の無かった部分でございます。ちょっと横に反りましたけれども、人権意識の未熟さというのはあるのかなと思ってます。今議員の方から雪の話が出ましたけども、最近テレビなんかでは意見が違うだけで大勢のタレントなのですけれども一人を攻撃する場面もありますし、またお笑いを題材とする番組では暴力的な表現が日常的になっておりまして、大人の人達に取ってはそういった番組の内容をこういうものだと理解しているから良いと思うのですけれども、子供からすれば何も分からなくて表面の行為だけ見ていると、そういうふうに思いますので、そういうふうになったらただ自分の意見が正しいから相手を攻撃したり、面白いからっていう理由で暴力振るったりすることがもしかするとあるかもしれません。そういった事で家庭においても何気ない両親の会話や行動から子供達いじめの芽が生まれているのかもしれないなとそういうふうに考えております。いじめについてなのですけれども、定義といってあえて言うのはおこがましいのですけど、一般的には自分より弱いものに対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加える。相手が深刻な苦痛を感じているものとされておりますけれども、要するにいじめかどうか判断するのはいじめられた側の立場に立って行うこと、これが何よりも重要だということです。先程雪玉がありましたけどいじめとかあると関係ないのだよと言いますけど、実際その子が本当にいじめられて苦しいのだというふうになれば何もどうあれそれはいじめだというふうに判断してよろしいかと思います。知らず知らずのうちに自分より力や立場の弱い者をいじめている事もありますし、こうした事への対応としまして今一度学校のみならず家庭・地域との連携の中でいじめ根絶の取り組みが必要であると申し上げまして、答弁とさせていただきたいと思います。よろしくご理解願いたいと思います。

質問 山須田清一

このいじめという問題も現代では学力の向上という問題とあわせてまだそれ以上に重要な問題であるのだということも最後は人の命まで結びついていくのだということを認識していただいて対処して欲しいと思います。次にこのいじめに基づく自殺、この死ぬ人はいじめに基づいていじめられて自分の行き場所がなくて死んでいったのだろうと、その因果関係というのは最近のテレビ・新聞を見ると非常に教育現場というのが否定をすると、ずっと否定をし続けるとそして最後には実はと、非常にテレビの前に座って見てる人間としては非常にやるせないのですあの状態というのは、学校側・教育委員会の対応が非常に悪いのが放映されるわけでございます。僕はその対応は学校側の対応のまずさというのは学校には絶対にあるとあれは、テレビを見る限りですから、いうふうに考えるわけです。大変あの場面を見ると腹立たしい、自殺者を出した遺族に対して、ただただ同情して見ているわけでございます。その遺族側の言い分も責任を取れとか何とかと言う人もいるのですけれども、事実関係をはっきりしてもらって二度とこのような事故が起きないためにも真実を教えて欲しい。本当当たり前のこと言っているのです。そういうことを言っても学校側の対応というのがぱっとしないという学校に子供を預けた親としては本当にやるせない気持ちでいっぱいでないかなと思うのです。身近にある例としては、滝川の自殺の事故、学校側・教育委員会の対応が非常に悪い。1年後になってから実はそういうような形でもって表れた。本当にしっかりしてくれよと、これが率直な感想です。いじめを認めるという事が学校側・教育委員会そして当事者の責任になることが非常に嫌がっているのだなと、そうしか思えないのです。今、自殺があったらこういうふうに対応しなさいよと、そういう指導というものは総論かなと思います。このことに対して学校はその対しての指導は勿論いじめは無くするということが最大の課題です。第一目標です。言うことは言うまでもないのですけれども、一連の教育長は役場へ来て見ている時間も少ないかも分かりませんけど、この一連の自殺に基づく学校側・教育委員会の否定する態度というものに対して教育長はどのような感想を持って見ていたかなと、その辺をお尋ねしたいと思います。

答弁 教育長 上島賢司(教育長は2011年3月まで)

それではお答えいたします。本村におきましては、幸いにいじめにより子供達は自らの命を断つという痛ましい事件は発生しておりませんけれども、先程も言いました理由の如何を問わず児童生徒が自らの命を断つことはあってはならないことなのだと深刻に受け止める中で、私教育行政に携わる立場でいじめと自殺の因果関係を教育現場が否定する理由は何だということについてご質問に対しまして、それは他での出来事なのだと言うことで軽々しく推測的に話すことは出来るだけ避けていただきたいなとそういうふうに考えております。それほど深刻な問題なのだよというふうに受け止めているところでございます。しかしながら、議員お話のとおり新聞・テレビ等のマスコミと報道されている事としまして、道内外で起きたいじめによる児童生徒の自殺・事件からはいじめの発生から自殺に至るまで教育現場において適切な指導や対応がされていなかった事を避難されたくない心情が働き、特に校長などは自分自身の学校経営能力や管理能力・指導力といった点を批判される事は免れない事から、これを避けたいという思いもあったのかなと思われますけれども、その詳しい事実・状況等が見えない中では何とも言えないものの結果としましては、学校側の隠ぺい体質と指摘する声が上がっており、また同時に表面化しにくいいじめ問題の難しさもクローズアップされていることは私も十分に承知しております。そういった中でのこうしたいじめの問題にありまして、いじめに教師が加わってたという事例もあるようですけれども、多くの場合は弁解するつもりではございませんけれども、多くの場合は教育現場としても過去の事例や経験に基づいてその時点で出来る限りの対応していると思いますし、まさか自殺にまで至るということについては考えていなかったと、考えられなかったのではないのかというのが本音と思われまして、これは私の個人的感想ですけれども、一連のマスコミ報道から教育現場として見て見ぬ振りをしていたと、後は手を拱いていたかのようなイメージが残るというのは非常に残念な事として受け止めております。また、いじめがあったか、なかったかという判断ですけれども、先程ご答弁させていただきましたけれども、要はいじめられた児童生徒の立場に立って行うことが大事なのだということで、こうした事を日頃から十分に念頭において、更にはいじめ問題に関しては議員のご質問のとおり今教育現場・教育委員会も学校現場もそうですけれども、今教育現場が問われていることを本村においても十分に認識してこれを謙虚に受け止めて、いじめ防止に向けた対応をしてまいりますので、よろしくお願いし答弁とさせていただきます。よろしくお願いします。

質問 山須田清一

このことについて自殺する子供というものは誰にも相談しないでポックリ自殺したということは、僕は絶対無いと思うのです。大なり小なり相談の仕方もあろうかと思いますけど、先生にも言っているのだろうと、また友達にもあるのだろうと、先生に言ってもなかなか解決策に結びつけてくれない。またこれ悪い例なのですけれども、先生が生徒と一緒になっていじめているそういうその表現があったと聞きます。この辺の対応のまずさと言うことばっかしがマスコミですから良いことは絶対取り上げない。そういう事のようですけれども、最近は本当に教育委員会の不要論、教育委員会というのは無くてもいいのだと、この辺までの話がきているのです。言うことを考えると非常に大きな問題だと認識はしてもらわなければならないと、そのぐらい教育現場というのは揺れ動いているのだなと、大事は小事より起こる。大きいことは小さい事の積み重ねだとそういうようなことわざもあります。他人の大事ではないのです。もしかしたら本当に今現在心を引き締めて子供が安心して過ごせる学校・教育現場そうして欲しいというのが子供を持つ親としての最大の願いでないかというふうに思います。これだけ数字も出てました、数字は記憶してないのですけれども、今年1年間で学校・いじめによって自殺したのは半端な数字でないのですこれ。それだけ人間の命も簡単になってきたのかなという考えもあるのですけれども、そのことに対して本当に教育委員会・学校側一致団結して、この問題を対処して欲しいと最後に心意気を聞いて私の質問終わりたいと思います。

答弁 教育長 上島賢司(教育長は2011年3月まで)

お答えいたします。その心意気という事なのですけれども、当然の事ですけれども、小さい子供達が自らの命を断つということは本当に深刻の事だと私共受け止めておりますし、これからもその気持ちを忘れてはならないなと思ってます。また、学校現場もそうですけれども、教育委員会もそうですけれども、いじめの部分はいじめを許さない学校づくり、これは学校だけでなく教育委員会も勿論家庭も地域もみんなでやっていかないと悲惨な事件が起きてくるとそういうふうに強く認識しております。議員がお話いただきましたけれども、いじめは人間として絶対に許されないのだよ、その変わりいじめられている児童・生徒については学校が徹底して守り通すのだというのを常日頃から見せて安心感を与えると、その裏には学校の現場もそうですけれども、教育委員会もしっかりと後押しをしてやるとそういうことが必要だなと思ってます。また、教育委員会におきましても日頃からの学校の事情を把握、更にこれを努める必要がありますし、学校や保護者からのいじめの実態があった場合には、学校への支援と保護者への対応に万全を期すと、とにかく今私が言いましたとおりこの悲惨な事件が村内から起きないよう、後は全国的にも少なくなっていくことを願って決意ということではないのですけれども、有難い言葉としてこれを形にしていきたいなと思いますので、よろしくご理解願いたいと思います。以上でございます。

質問 山須田清一

終わります。

出典:猿払村議会 平成18年第4回定例会 2006年12月19日 議事録 PDF(8ページ) 間違いを知らせる