雄武町議会 平成18年9月議会 2006年9月12日
歴史的・文化的物体の評価について
2006年9月12日、雄武町議会の一般質問で、三浦壽太郎議員が「歴史的・文化的物体の評価について」質問し、町長 田原賢一が答弁しました。
- 質問者
- 三浦壽太郎 議員
- 答弁者
- 町長 田原賢一
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
件名は会議録の目次の表記です。
質問 8番 三浦寿太郎
最後の質問をさせて頂きます。歴史的、文化的物体の評価についてなんて、良いタイトルがなかったものですから、このように書かせて頂きました。言うまでもなく大いかりでございます。私写真撮って来ましたんで、こういう写真なんでございますけれども。これはですね、8月12日の土曜日に私、ちょうど前の晩に敬老会のお話が花田さんの連合自治会の方から、おいおいいかりのでっかいの上がったぞって言うから、次の日行ったら鍛冶屋さんがおりまして、間もなく解体するんだと。慌てて私も家に帰ってカメラを取ってきてこれは写しておこうと思いました。多くを語らずとも何を言わんとしてるか、分かって頂けるだろうと思います。巨大いかりの廃棄処分について100年広場にでも置いて欲しかったというのが本音ではありました。これ競売に掛けたら買うっていう人もおりましたし、またどうして廃棄したのっていう町民の皆様の声も非常に多ございます。それで8月18日、北海道新聞の記事でございますけれども、昭和初期に操業していた北隆鉱山の輸送船のものではないかと見られたが、確証が得られずホタテ等の水揚げ作業の支障になりかねないため廃棄処分されたと。町は北隆鉱山ゆかりのいかりであれば保存したいと考えていたが、具体的な資料が残っておらず、確証が得られなかった。町は港に置いたままではホタテ等水揚げの邪魔になるし、他に保管場所もなく、早急に処分する必要があったと報道されております。確かにこの場所ではですね、港はすぐですからホタテの作業には、ここに置いては邪魔になることは論を待たないところでございますけれども、どうも確証が得られずというところと他に保管場所がなくというところが引っかかるんでございますけれども、まずお尋ね申し上げます。
答弁 町長 田原賢一(町長は2011年9月まで)
私も非常にこの巨大いかりに関しては残念に思っております。今、ご質問の中にもありましたけども、元稲府漁港で事業をやっております西村組さんの浚渫船がこれを引き揚げたんですけども、ご質問の通りですね、これは北隆鉱山の運搬船の遺物ではないかということで担当者の方もその調査をしたんですけど、やっぱり確証が得られないんですね。ただ未だに当時携わってた会社の系列ではそうでないかというところまでは辿り着くんですけども、従って資料としてこれを明記することはなかなか難しい。ただ我が町も漁業の町ですから、これはそんなにお目にかかれる程のものでもないんで、非常にインパクトもあります。従ってモニュメントとしても遜色ないわけですから、是非私も活用したいなと思って漁組さんに相談に行った時にはもう解体が終わってたというところでございまして、一方では漁民の方から漁港のエリアですから作業員に支障があるんで早期に片づけてくれという要望と、また漁民の中にも折角のこういう物についてはですね、是非モニュメントとしてどこかに保管して頂きたいという思いと交錯してたみたいですけども、なかなか時間的な余裕が無かったと。これは確か8月の夏休み期間中のことでございまして、なかなか具体的に処置が出来なかったということで、若干、私も残念に思っております。
質問 8番 三浦寿太郎
所有物というの漁組さんになるんですか。拾得物。実は北隆鉱山というふうに設定するのが如何なものかというふうに思うんです、私は。ということはですね、ご承知の通りあの場所にはですね、有名な小樽木材株式会社雄武工場というのがありまして、この代表者はかの有名な大倉喜八郎でございます。大倉財閥を一代にして築いた。雄武町史に全部載っておりますから、これらは。今でもあの土地が小樽の人だっというのは私はそこから来たんですが、明治41年、明治39年、41年と43年に実は北見のピアソンが来てるんですよ、雄武に。これも雄武町史には載っておりませんけど、ピアソンの本にはちゃんと書いてあるんです。ご承知の通り小樽回りでもって稚内、枝幸、雄武、紋別、湧別、常呂、網走というふうに定期航路がありましてね、その時にピアソンが来てるんでございますが、これ明治41年でございまして、北隆鉱山は昭和の時代ですから、例の摘み取り船でですね、莫大な木材が元稲府、あるいは幌内から出ているんですよ。天塩川の方が一番だったんですけど、そちらの方がなくなって全部オホーツク海の方に入ってくるんですけれども、この魚田の音稲府というふうに本に書いてるんですが、そこの工場長がご承知の通り、皆さんご承知の通り、新渡戸稲造の甥っ子なんですよ。この人がですね、ピアソンの奥さんというのは、アイダさんと言って、札幌農学校で英語とドイツ語教えていたものですか。そこでちょっと習っててこちらの方に。これもちゃんと書いてあるんですよ。有島一郎なんかもちらっと写っておりましてね。多分、この時来ていた時の色んな船が来ておりまして、上丸太六千石を積んで小樽の増田久五郎の幸運丸が神戸に向かったと。その当時搬出請負業というのは狩野松治さんって、狩野五郎さんの親父さんですね。これ雄武町史にこれ載ってるんですよ。ですからね、私はそちらの可能性もあるのではないかなと、確証が得られないのは全て歴史のなせる業ですけども、北隆鉱山だけではないのかなと、百年広場に磯舟ありますけれども、ちょっと運んでいってあそこに置いてくれれば、そういうロマンがあったのではないかと。あるいは子供達の選択肢の情操教育の一環になったのではないだろうかと。前にも申し上げました通り皆既日食の台座、アインシュタイン望遠鏡と言うんですけどね。あれ何で皆さん方の時代でないんでしょうか、もっと上の方の課長、たいした邪魔にもならない、何であれ壊してしまったのかというのも常々思ってるんですけども、やはりこういうものに対する考え方と言いましょうか、大変残念であったなというふうに思ってございます。如何でございますか、これで終わりますけれども、時間でございますから。
答弁 町長 田原賢一(町長は2011年9月まで)
ご質問の通り感性の範囲でございますけども、やはり日本人は元々そういう感性が細やかでございますから、そういう文化面では近年若干欠如しているところがあるかなというふうに思っております。これからはそういう面では地方の地域の、その安定した持続的な町づくりの一つとしてもやはり文化の方にもう少し軸足を置く必要もあろうかなというふうに思っております。三浦議員が残念だと思う気持ちと合い通じるものがあるということでございます。
質問 8番 三浦寿太郎
ありがとうございました。終わります。