みんなの議会

音更町議会 令和2年第4回定例会 2020年12月11日

音更町長選挙へ再び出馬を

2020年12月11日、音更町議会の一般質問で、宮村哲議員が「音更町長選挙へ再び出馬を」について質問し、町長 小野信次が答弁しました。

質問者
宮村哲 議員
答弁者
町長 小野信次

議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。

件名は、議員が最初の質問で述べた言葉から取ったものです。

質問 20番 宮村哲

おはようございます。音更町長選挙へ再び出馬をということで質問をさせていただきます。来年4月9日をもって小野町政の1期目が任期満了となります。この際、私は、再び町政のかじ取り役として小野町長に2期目を目指して出馬していただきたいと願い、小野町長にその決意を伺うものであります。寺山憲二前町長が体調不良にみまわれ、予定していた町長選挙3期目の出馬の辞退を受け、多くの町民から信望が厚く、ぜひ町長にとの要請を受け、当時議長の職にあった小野町長が議長の職を辞して出馬され、見事当選し、今日に至っております。この4年間は音更町にとって大きな変革期でもありました。小野町長の実績をここで一々申し上げませんが、それは言わなくても周知の事実だと考えています。中でも今年は、長年の懸案事項であったスマートインターチェンジの事業採択、新しい道の駅の着工など、将来の音更の発展に欠かすことのできない事業の道筋をつけられました。小野町長も激務の中、一時期体調を崩し、不本意ながら公務を離れた時期もありました。町長にとっては、まさに断腸の思いであったに違いありません。町長の不屈の精神力、必ず復帰するとの強い意志で病をはね返し、今では健康そのもので、前より元気になったと私は思います。私と町長は、平成11年の統一地方選挙に当選した同期でもあります。同期として、町長の政治活動をそばで見ていた者として思うのは、常に現場に足を運び、自分の目で見て判断し、決して人の話をうのみにせず、どんな場所にも必ず顔を出して話を聞くという姿勢は一貫してぶれることがありませんでした。だからこそ多くの町民が信頼を寄せ、小野さんが町長になったんだと私は確信しております。ぜひ来る4月の町長選挙に出馬し、持続可能なまちづくりの先導役として、向こう4年間の町政のかじ取り役を担うという決意を表明していただきたいということをお願い申し上げて、私の質問を終わります。

答弁 町長 小野信次

おはようございます。町長選挙への再出馬についての御質問にお答えをいたします。多くの町民の皆さんの御支援をいただき、私が町政を担当させていただいてから早くも任期の4年を終えようとしております。この間、私自身が一時体調を崩して入院したことで、議員の皆さんをはじめ町民の皆さんに御心配をおかけしてしまい、改めておわびを申し上げる次第でございます。また、この4年の間には、台風による土砂崩れが発生し、避難指示を発令する事態となった大雨や、北海道胆振東部地震の発生による全道規模の停電がありました。そして、何より今年は新型コロナウイルス感染症の発生により、我が町のみならず、国民の多くが生活に不安を抱え、医療現場のひっ迫やこれまで順調に推移していた経済活動にもストップがかかるなど、かつてない困難な状況に直面をしております。自然災害の恐ろしさや未知のウイルスの脅威に対して、改めてそれらへの備えや危機管理の重要性を認識しているところであります。私は、「みんなでまちづくり」を公約の柱として、町民の皆さんの安全で安心な暮らしを支え、住みよい住環境づくり、元気で豊かなまちづくりに、職員と一緒になって町政に臨んでまいりました。掲げた48の政策には前町長から引き継いだものも含んでおりますが、おおむね着手できたものと考えております。その中でも、役場庁舎の耐震改修及び増築工事の実施をはじめ、魅力発信施設の整備に着手したほか、ガーデンスパ十勝川温泉の道の駅登録や、(仮称)長流枝スマートインターチェンジの新規事業化などの交通ネットワークの整備、また、柳町小学校の大規模改修などの教育環境や保育施設の充実を図るとともに、高齢者などが地域で安心して暮らし、活躍する場づくりなどに取り組ませていただきましたことは、議員の皆さんをはじめ、町民の皆さんの温かい御支援のたまものと深く感謝をしている次第でございます。また、町民の皆さんからその声を直接聴く「タウンミーティング」は、延べ10回実施をし、一部は施策に反映させることができたものと思っております。私の任期も残すところ3か月余りとなり、私の態度を町民の皆さんに明らかにすべき時期にあるものと承知をしてございます。また、先の11月28日は、私を支えていただいております連合後援会から再度の立起要請を受けたところであります。以来、私なりに熟慮を重ねてまいりました。私たちには、120年の歴史で築いてきた全道一の町・音更を更に持続可能で発展し続けられるよう未来に引き継ぐ使命がありますし、喫緊の課題では、人口減少対策はもとより、未だに収束が見通せない感染症対策を着実に行い、町民の皆さんの生活を守り、本町経済へのダメージを最小限に食い止めなければなりません。そのまちづくりの先頭に立つ機会を引き続き私に与えていただきたいと考え、再度挑戦する決意をここに表明をいたします。以上、答弁とさせていただきます。

質問 20番 宮村哲

今、町長から力強い決意というもの、私の体にしみじみと感じて伝わってまいりました。私はやはり、小野町長がこのまま引き継いでやることが、何といっても音更町民の幸せと経済を守るための第一人者だというふうに思っています。これからは、総合6期の基本と、そして今、後援会の再出馬に対する要請を受けた町民の声を受けとめ、新型コロナウイルス対策に力を入れたいという、これがこれからの一番先にやっていただかなければいけないことだろうというふうに思っています。先ほど私も道の駅についてちょっと触れましたが、26日の経済委員会のときに、あの「なつぞら」のいろんな施設を柳月と道の駅の間に設置をしたいというような説明を受けて、私は本当にさすがだなと。いいことを考えてくれたものだというふうに思っています。そのことについてちょっと触れますけれども、この「なつぞら」のあれは、十勝で酪農、農業を営んでいたこの方も、明治時代に入植した開拓者の一人だというふうに書いてあります。十勝の開拓の姿をあのテレビで放送されました。特に抜根の、馬でやるのかなと思ったら、てこにして人間、人力で一つ一つの開拓をやっていったあの姿というのは、これはやはり後世に、例えば私のおやじ、その先祖が本当に開拓に苦労して抜根して現在の十勝のすばらしい十勝平野の農地ができているというふうに思っていますから、これは後世にしっかりと伝えていかなければいけないというふうに思っています。特に、もう一つあります。よつ葉乳業が、あの士幌農協の太田寛一さんが民間で8農協で工場をつくり、自分の力で牛乳を売るんだということの中で演じてくれました。そのいろんな流れ、これも大変な苦労をしながら、明治、雪印等の大手にですね、いろいろな指摘があった中で無事すばらしいよつ葉乳業をつくっていただきましたから、そのよつ葉乳業も今では54年になるのかなというふうに思っています。それで、どうして太田さんの話をするのかなということは、士幌に太田さんが住んでいたと思う屋敷に、屋敷広いですから、その東側に太田さんがホルスタインを飼った、牛を飼ったというような、その小さな牛舎が私は目に浮かんでいます。ですから、その牛舎についてもいろいろこれから調査をしながら、これから公園もつくる予定でありますから、何らかの方法でそういうようなものも一つ付け加えていただいたらいいのかなというふうに思っています。いずれにせよ、あの今までの道の駅とは違う、本当に日本一の道の駅ができるというふうに思っていますから、今後ともそのことをやっていただければありがたいと思っていますし、そして22年の4月には、落成式には、なつを演じた広瀬すずさんをぜひともそのときに呼んで、すずさんと一緒になって小野町長がテープカットをすることをぜひ見たいと思っています。そして、3月23日が告示日ですか。28日が投開票日というようなことになっていますから、私は、もし選挙になったら投票用紙には小野信次と書くことをお誓い申し上げ、私の質問を終わります。

答弁 町長 小野信次

宮村議員の熱い思い、それだけじゃなくて、御質問にもいただきましたけれども、平成11年、1999年、本当に同期の人たちでございます。また、今日こうやって今、宮村議員さんからお話をいただいたときに、やはり目に浮かぶのは、この今議場の中に、宮村議員はもちろんのことですけれども、現副議長の山川秀正さん、そしてまた山本忠淑議員、そして、今日は傍聴席に来てくださっておりますけれども、私の議長時代のしっかりと支えてくれた元後藤良勝副議長さんはじめ、今、宮村議員が魅力発信の道の駅のお話をしていただきましたけれども、長年の間、音更が何を残すべきか、1999年は、その次の2000年に音更町開町100年の年でありました。そのときに、同期であります宮村議員、山川議員あるいは山本議員、お越しになっている後藤議員、100年のときに、音更でパークゴルフ場が出来上がったとき、それを100年の歴史の中に残そうということで、パークゴルフ全国大会ということで、後藤良勝さんが役場の1室を借りながらその記念事業に取り組んだという思いが今、宮村議員の質問というよりもメッセージから改めて浮かんできているところであります。私たちは何をすべきかというのは、やはり歴史をしっかりとつないでいくことだというふうに思っています。そういった中で、今、宮村議員からお話しいただきましたように、これは寺山町長も喜んでいるというふうに思ってございます。あそこに道の駅をつくるということでどれほど苦労されたか。あの優良農地の中に道の駅をつくるということの汗だくになって私も、当時議長でありましたけれども、道、国をはじめお願いをして歩く中で大変な苦労をされたその経緯、そしてまた職員の皆さん方の熱意と今日まで諦めないで来たことがようやく皆さんの応援のおかげでこの道の駅が、今おっしゃっていただいたように2022年4月、無事オープンが恐らくされるだろうというふうに思ってございます。そういった中で、音更の一番大きな歴史が残されていることは、今、宮村議員がおっしゃっていただいたように、あえて「なつぞら」のお話がございます。これも、昭和42年の時代、そのときに今あるよつ葉が生まれたところであります。この「なつぞら」の原型を今担当者が調べると、音問別農協と書いてありますけれども、ドラマの中では。でも、その位置の中にしっかりと音更の地図が残されているということも、これも調べていく間に発見をしているところでもあります。宮村議員がおっしゃるようにたくさん思い出が詰まっている物語だというふうに思いますが、原型と原点はこの音更だということだけは間違いなく私たちも認識をしておりますし、そこで、そこができ上がったときに、音更のみならず十勝の魅力をしっかりと、そして十勝の底力をこの音更の道の駅から発信をぜひしていければということを願いつつ皆さん方が力を合わせて今日まで形づくってくれたものというふうに思ってございます。町だけでできるものではありませんし、これは議会の多くの皆さん方が熱意を持って応援をしていただき、また、町民の皆さんのアイデアをふんだんに生かし、そしてほかの町村ではあり得ないDBO方式という方式をとりながら、民間の皆さん方にも力を発揮していただいての魅力発信基地というこのシンボルでございます。今、宮村議員からおっしゃっていただいたことをしっかりと受けとめながら、今後の120年から、今第6期総でありますけれども、将来に向けてしっかりと皆さん方と議論を重ねながら新しいスタートに向けてまた頑張ってまいりたいと思いますので、改めて先ほどの決意ということになったというふうに思ってもございます。どうか今まで同様力強い皆さんとの議論ができますことを期待をしながら私の答弁にかえさせていただきます。ありがとうございました。

出典:音更町議会 令和2年第4回定例会 2020年12月11日 議事録 PDF(1ページ) 間違いを知らせる