上富良野町議会 平成21年第3回定例会 2009年9月16日
(1)上富良野町郷土館の管理運営について/(2)閉校された小学校の歴史を語る物品等の取扱いについて
2009年9月16日、上富良野町議会の一般質問で、中村有秀議員が「上富良野町郷土館の管理運営について」「閉校された小学校の歴史を語る物品等の取扱いについて」について質問し、教育長 北川雅一、町長 向山富夫が答弁しました。
- 質問者
- 中村有秀 議員
- 答弁者
- 教育長 北川雅一、町長 向山富夫
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
質問 9番 中村有秀
私は、さきに通告をいたしました2項目、10点について、行政の一般質問をさせていただきます。まず、1項目めは、上富良野町郷土館の管理運営についてでございます。上富良野町郷土館は、上富良野町開基80年記念として、第6代町長和田松ヱ門氏の特別な郷土愛への思い入れと、子々孫々に郷土上富良野の歴史を伝えようと、旧上富良野町役場を模して、昭和53年5月31日に開館されました。総事業費9,019万6,000円のうち、町民の篤志寄附は15団体、52個人より、3,138万7,844円と総事業費の35%の多額な金額が寄せられるとともに、郷土館への資料としてさまざまな生活用具・農耕具等を含めて寄贈物品、貯蔵品預かり(寄託)は、239名の町民より1,050品目ありました。昭和53年5月の開館以来31年が経過し、歴史の館としてのその使命と目的を果たしてきております。寄贈物品、貯蔵預かり物品、収集物品等の取り扱い記録と収蔵状況、展示状況について、次の点について教育長の見解をお伺いいたします。1、寄贈物品、貯蔵預かり物品(寄託)、郷土館独自の収集品を開館時と現在までの増加分に分類して、その実数を明らかにしていただきたいと思います。2点目は、上記の記録はどのように処理をされているかお伺いをいたします。3点目、収蔵室は3カ所あるが、その収蔵状況は(主な収蔵品名を含めて)、①郷土館の1階、②郷土館地下、③郷土館前庭の第2展示室に分けて、その収蔵状況を明らかにしていただきたいと思います。4点目は、収蔵物品等の資料データベース化の考えはあるかということでお伺いをいたしたいと思います。収蔵品の増加と資料整理促進のためにもぜひ必要と考えております。5点目、来館者数は開拓記念館を含めて年々減少の傾向であるが、平成10年度から平成20年度までの両館の来館者数を年度別に明らかにしていただきたいと思います。6点目、両館の来館者増のために、特別展示等を含めて具体的な対策はどう考えるかということでお― 35 ―伺いをいたしたいと思います。7点目、収蔵物品の新たな資料収集とその対策はどのように考えておられるかお伺いをいたしたいと思います。次に、2項目め、閉校された小学校の歴史を語る物品等の取り扱いについてお伺いをいたします。町内の小学校は、旭野、創成、江花、里仁、日新、清富、各小学校が統合、閉校されたが、それぞれの学校は地域との強いきずなで結ばれ歩んできているが、各学校の歴史を語る物品等はどのような手続で取り扱いされ、現在、どのようになっているか、各学校ごとにその状況を、1、校旗、2、校章、3、校門の状況について、教育長の説明を求めます。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
9番中村議員、1項目めの上富良野町郷土館の管理運営について、7点の御質問にお答えします。上富良野町郷土館は、昭和53年に開館し、31年が経過しておりますが、開館から現在までの間に、議員御指摘のとおり、多くの寄贈物品、寄託物品等があります。まず、1点目の寄贈物品、寄託物品、郷土館購入等の収集品を開館時と現在までの増加分に分類して、その実数を明らかにとのことですが、寄贈物品は開館時2,675点、増加分2,724点、計5,399点です。寄託物品、開館時は103点、増加分はございません。返還分が11点で計92点。購入等物品は、開館時4点、増加分122点、計126点であります。次に、2点目のこれらの記録はどのように処理をされているかとの御質問でありますが、ただいま申し上げました物品につきましては、郷土館に備えつけております郷土資料分類内訳台帳に、収蔵年月日、収蔵番号、名称、数量、寄贈・寄託、購入の明記、出品者名等を記録し、さらに所蔵カードを作成して管理しております。次に、3点目の3カ所にある収蔵室の主な収蔵品についての御質問にお答えさせていただきます。まず、郷土館1階収蔵庫には、町の歴史的各種文献の書籍などがあり、次に、郷土館地下収蔵庫には、開拓以来、農業に使用されていた道具や古式日常生活用品、旧式の事務機器など。次に、第2展示室には、古い自転車や農業に使われていた発動機、馬が引く保道車などが収蔵されております。次に、4点目の収蔵物品等の収集データベース化の考えとはの御質問にお答えさせていただきます。さきの3点の御質問にお答えさせていただきましたデータにつきましては、郷土資料分類内訳台帳及び収蔵カードから抽出したものであり、また、寄附等により新たに収蔵物品を受けたときには、手書きで台帳に記載しているところであります。長年にわたる管理の中で、収蔵物品の未整備が多く見受けられることから、議員御質問のデータベース化と合わせて収蔵物品の確認と整備が必要となっているところです。さらに、データベース化することにより、収蔵されている資料が即座に検索することができるとともに、より正確な収蔵品の状況を把握できますが、導入するに当たっては、3カ所ある収蔵室に多くの歴史的な資料が収蔵されていることから、収蔵品の確認及び整備の作業に長時間と専門知識が必要であります。このことから有識者の御協力を含め、パソコン操作を行う人員の確保が必要であり、現在、収蔵品の確認及び整備と資料のデータベース化に向けて、実施計画の策定に取り組んでおりますので、御理解賜るようお願い申し上げます。次に、5点目の郷土館及び開拓記念館の平成10年度から平成20年度までの来館者数についてお答えします。平成10年度、郷土館670名、開拓記念館1,082名。平成11年度、郷土館710名、開拓記念館1,196名。平成12年度、郷土館664名、開拓記念館1,008名。平成13年度、郷土館1,495名、開拓記念館1,173名。平成14年度、郷土館1,619名、開拓記念館1,605名。平成15年度、郷土館1,536名、開拓記念館999名。平成16年度、郷土館826名、開拓記念館1,016名。平成17年度、郷土館674名、開拓記念館762名。平成18年度、郷土館1,117名 、開拓記念館484名。平成19年度、郷土館461名、開拓記念館151名。平成20年度、郷土館330名、開拓記念館664名であります。次に、6点目の両館の来館者増のための特別展示等を含めて、具体的な対策はとの御質問にお答えさせていただきます。郷土館及び開拓記念館の来館者数につきましては、減少している状況であり、町の歴史等を多くの方々に知っていただくためにも、何らかの対策が必要と考えており、例年、文化祭に合わせて郷土館特別展示を実施しております。しかしながら、郷土館及び開拓記念館の来館者をふやすための特別展示を行うには、現在の郷土館1階の展示スペースや収蔵物品等の整理状況の中では困難であり、収蔵物品等の資料データベース化と収― 36 ―蔵物品の整理が終了した時点で、新たな対策を講じてまいりたいと考えておりますので、御理解を賜りたいというふうにお願い申し上げます。7点目の収集物品の新たな資料収集とその対策はとの御質問についても、6点目の答弁と同様に、収蔵物品等の資料データベース化と収蔵物品の整理後に、新たな資料収集に向けて取り組みたいと考えております。いずれも、近年中に資料等の整理、保存について再構築し、町の貴重な財産がしっかりと受け継がれていくように進めてまいりますので、御理解賜りますようお願い申し上げます。次に、2項目めの統合された町内小学校の校旗・校章・校門の状況についてお答えいたします。これまで上富良野町においては、昭和37年に旭野小学校が上富良野小学校へ統合してから、創成、江花、里仁、日新、清富の各小学校が統合されてまいりました。こうした中で、統合された各小学校の校旗・校章・校門については、地域の集会施設や公民館、各分館に保存されていたり、統合先の学校へ引き継がれております。それぞれの状況は、次のとおりであります。旭野小学校の校旗・校章につきましては、地域住民会から、上富良野小学校に移管されているとお聞きをいたしましたが、物品の確認はできておりません。また、校門については、現在、公民館旭野分館所在地にありますが、学校名の表示板は不明の状態となっております。次に、創成小学校及び江花小学校の校旗・校章につきましては、統合先の上富良野西小学校に移管されたと、それぞれの住民会からお聞きしましたが、平成9年の校舎改築の際に、処分されたと思われます。また、江花小学校の校門については、現在の公民館江花分館所在地にありますが、学校名の表示板は不明の状態となっております。創成小学校の校門については、草分防災センター建設の際に、処分されたと思われます。次に、里仁小学校の校旗については、里仁会館に保存されており、本年度に計画しております里仁会館建設の際には、校章を記した記念誌などとともに、展示スペースを設けて展示する予定であります。校門については、現在の運動広場の入り口にあり、学校名の表示板も存在しております。次に、日新小学校の校旗については不明でありますが、校舎に備えつけられていたと思われる校章につきましては、校旗寄附芳名版とともに日新会館に保存されており、校門についても現在、日新会館の入り口にあり、学校名の表示板も存在しております。次に、清富小学校の校旗及び校章につきましては、旧校舎であります清富多世代交流センターに保管されており、校門については、旧教員住宅の入り口と清富多世代交流センター入り口の2カ所にあります。以上のとおり、平成18年に西小学校に統合した清富小学校の物品につきましては、把握できているものの、他の学校につきましては統廃合後、長い年月が経過しており、十分な把握ができていない状況にあります。今後におきましては、現在、確認できている物品等につきましては、管理簿を作成するなど適切に処理してまいりますので、御了承を賜りますようお願い申し上げます。以上でございます。
質問 9番 中村有秀
1項目めの1点目についてお伺いをしたいと思います。寄贈物品が開館時2,675点、増加分が2,724点ということで、合計5,399点と いうことで、本当にこの整理は大変だろうと思いますけれども、53年オープン時に2,675点を上回る増加分2,724点の寄贈を受けた経過について、どうなっているのかということでお伺いをいたしたいと思います。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
9番中村議員の寄贈の経過でございます。私も社会教育時代に、当時の時も携わってございましたけれども、あくまでも一般の方が自分たちが保存しているものをこれからの歴史の中で、郷土館にあるないは別にいたしまして、ぜひ教育委員会で使っていただきたいということで、品物ダブりはいろいろございましたけれども、同じようなものも含めて寄贈していただいて、現実に保管をしていたという状況で、自分の中で今、そういうことで記憶をしてございます。改めて、うちのほうからというところはなかったと思いますけれども、あくまでも町民の方からの寄贈という形で理解しているところでございます。以上です。
質問 9番 中村有秀
増加分は寄贈が中心だということで、後ほど郷土館として、いかに収集策をしなければならないよということは、後ほどまた質問をいたしたいと思います。ただ寄贈をされ、追加の部分もそうだし、それから開館時のときの寄贈品もある。例えば重複するも― 37 ―のが結構あると思うのですね、そういった場合に、寄贈を申し出た場合にはどう対処しているのか。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
中村議員の御質問でございます。寄贈の重複分については、そのまま正直なところ、同じ物何点もあるのが、正直な現実でございます。寄贈していただくものについて、断り方といいますか、そういうことはあの時点ではなかったと思いますが、そのまま同じ物であっても町民の方が寄贈したいということであれば、受け入れたというような状況になってございます。
質問 9番 中村有秀
オープン時に、自在かぎというのが、記録を見れば11件あるのです。恐らくその後も来ているだろうと思いますし、富良野博物館の杉原先生に聞きましたら、やっぱり申し出したら、受けざるを得ないよというようなことを言っていましたので、町民の好意は好意で受けておいて、その後の処理がどうするかということがまたあれなのですけれども、それはまた後でちょっと申し上げたいと思う。それから、昭和45年11月に豊里郷土館というのができたのですね、その後、53年に上富良野郷土館ができるということで、上富良野の歴史年表の中に、豊里郷土館のものがすべて郷土館に寄贈したということになっているのだが、記録上はどういうことで処理をされているのか、ちょっと確認をしたかったのです。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
豊里の資料について、私も受けたという記憶ございますけれども、ちょっとその中身が余り把握できていませんけれども、それも含めてさっき申し上げましたように、これからちょっと確認をしながら対応していかなければ、それに伴いましてデータベース化も全部含めて整理したいというふうに思いますので、豊里の部分についての認識は今ございませんので、お答えは差し控えさせていただきたいと思います。今後の確認はさせていただきたいというふうに思います。
質問 9番 中村有秀
ある人から、豊里郷土館につくるというから、昭和45年の11月オープンですけれども、夏の間におあげしたよと。それがなくなったので、どうなっているのかという問い合わせがあったのですね。それで上富良野の歴史年表を見ますと、そういうことでちゃんと残っているものですから、恐らくなっているのだろうけれども、言うなれば記録上どう残されているかということで、豊里郷土館から来たと言うのか、豊里郷土館に個人が出した人が、個人の名前でそのまま行っているのかということが確認したかったので、ちょっと調べていただきたいと思います。それから、寄託物品なのですが、合計で92点、返還が11点ということなのですけれども、返還理由はどういう内容になっていますか。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
寄託物品の返還の関係でございますけれども、担当に聞きますと、やはり軍服の関係が、軍事的なものがどうしてもまた戻して欲しいという形が、やはり一番多いようにということで聞いてございます。先ほど申し上げたように、かなり寄託物品がございますので、年数も31年たってございますので、今後その整理も、御質問にはちょっとございませんけれども、それも含めながらもちょっと動き方していかなければならない。今の御質問の内容については、軍事的なものが多いというふうに聞いてございます。
質問 9番 中村有秀
それでは返還分の関係なのですが、返還した時に、受領者から受領書等を取っているのでしょうか。というのは、博物館の杉原先生に聞くと、年代が変わっていって、それこそ預託という、寄託というものの預かり証が出てきましたよ。それで、これがどうなっていますということが、恐らく贈った人は大事にしまって、うちもこういうものもあったということだろうと思うのですけれども、そういうケースもあるものですから、中村さん、この関係についてはきちっと取っておかないと、後で、言うなれば預託したのにどこへやったのかというようなことも含めて出てくるから、したほうがいいよというアドバイスを受けたものですから、その点どうされているかということで確認したかったのです。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
大変申しわけございません。そこの確認も実は私のほうでしてございませんので、今、それも含めながら、きちっと対応しなければ……。当然、寄託分ではお預かりの部分ですから、所有者のものでございますので、その分も含めながら、そして時代も30年という長い年月もたってもございますので、そこのところもきちっと整理もしていかなければならないし、いただけるものであればきちんと寄贈してもらような形。本当にお返ししなければならないものについては、お返ししなければならないというのが必要になってくると思います。― 38 ―当時、この郷土館が開館するということで、そういう珍しい物もあるということで寄託物品等についても収集した経過で、そのままになってございますので、そんな部分も整理していかなければならないというふうに思っております。議員、言われたことについても十分に協議しながら進めたいと思います。以上でございます。
質問 9番 中村有秀
私、今回の質問というのは、平成21年6月29日に、議員で奈井江町へ広域連合の関係で調査しに行った時間に、議員の皆さん方とともに砂川市の郷土資料室を見学させていただいて、非常に整理されているのと、収蔵庫もきちっとなっていて、きちんと分類されているということをちょっとびっくりしまして、これはうちの郷土館も何とかしなければ、31年たってもまだまだだという状況を、私も郷土史に興味を持っていますから、その状況を逐次見ていたものですから、そんな関係で今回質問をさせていただいた機会でございます。次に、2点目の今言った収蔵・寄贈等を含めての記録の関係なのです。それで、今、内訳台帳に、収蔵年月日、収蔵番号、名称、数量、寄贈、寄託、個人の購入の明記、出品者等も記録し、さらに所蔵カード作成して管理しているということなのですけれども、この分類方法はどのようにされているのかということなのです。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
分類方法でございますけれども、今、開館時と変わらなく、石器・土器・行政ですとか教育・宗教・社会ですとか、軍事の部分、十勝岳、自然、林業、農業も当然そうですけれども、その形の当初の分類と変わりなく、今も分類等に分けて対応している状況でございます。
質問 9番 中村有秀
昭和53年に上富良野郷土館という資料で、私もこれを参考にして質問をしているのですけれども、ただ、砂川の教育委員会や資料記録表というのを見ますと、一応、分類番号、収蔵番号、収蔵年月日、それからどこに収蔵しているかという所在地を入れたり、それから資料名、数量、測定、受け入れ方法、写真、これは寄贈者か寄託者かの住所・氏名・職業欄、それから受け入れ経過等というようなことであって、その裏に全部それぞれ写真が張ってという形なので、恐らくデータベース化するということになると、基本的にこんな形のものなのかなとは私自身感じているのですけれども、今の段階では写真貼付等はしていないということで理解していいですか。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
収蔵カードに、本来は裏面にきちんと写真をつけるということで、やっぱりなければならないのですよ。それで当初はきちっとつけているのもございましたけれども、やはり長い年月の中で、収蔵カードはつくるにしても写真がつけてない、はがれた部分もあるのかもしれませんが、それがない部分もございますので、それも含めてきちっと今整理をしていかなければならないということで考えております。
質問 9番 中村有秀
この分類内訳台帳と所蔵カード、それから現物と対査をされて、どこに所蔵ということは、はっきりわかるようになっているのでしょうか。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
今の御質問でございますが、所蔵場所が確認ちょっとされていない部分、うちの場合は所蔵場所どこどこということは書いていないものですから、今、一番問題になっているところが、所蔵場所がどこにあるというところが、正直な話できていない状況でございますので、本来は所蔵場所をきちっと明確にしておかないとだめだということでございますので、それも含めて今後対応していかなければならないというふうに考えております。
質問 9番 中村有秀
できればそういう形でやっていただきたいということと、それから衣類だとかそれから古書ですね。砂川は湿気があったり何だりしてだめだからということで、何か3階に収納庫を持っていって、うちの場合は、衣類、それから古書等は1階の収蔵庫に置いてあるなと認識をしているのですけれども、それで例えば衣類あたりの防虫対策だとか虫の関係ですね、そういうものを含めてどういう体制をとっておられるのか。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
大変申しわけございません。衣類等、図書についても第1収蔵室に入ってございまして、防虫対策等も含めて、それは正直できてございません。そういう関係も十二分に対応していかなければならないなというふうに考えてございます。以上です。
質問 9番 中村有秀
それでは地下の所蔵庫、実際、私も何回か入ってみたのだけれども、言うなれ― 39 ―ば扉1枚で、外から湿気から何からいろいろという状況なので、今後はあそこに湿気を嫌うようなもの等の収蔵というのは、基本的にどうかということで、ただ、町長、場所がないのですよ。現実の問題、これだけのものが集まって、収蔵する場所が。だから、基本的には収蔵する場所、例えば品物一つは置いておいて、あと旧清富小学校のところのどこかへ置くとか、何か基本的に考えていかないと、大変なのかなという気がしますけれども、その点。今回データベース化しながら、そうやって所蔵する場所についても十分配慮した形でやっていただきたいと思います。それで寄贈物品で廃棄や何かは、処分はあったかないかということで。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
廃棄につきましては、今のところ、こちらに上がってきているのはございません。廃棄はしてございません。
質問 9番 中村有秀
砂川もそうですし、富良野もそう、美瑛もそうですけれども、寄贈されて廃棄する場合、必ず寄贈した方が上富良野におられれば、一応、こういう状態で廃棄をしたいというようなことを、富良野も砂川も皆、一応、寄贈したのにどうなのだと訪ねてくる方がいらっしゃると。そうしたら、一方的に勝手に廃棄したと言ったらあれなものだから、できればそういうことも気をつけたほうがいいよというようなお話がありましたので、恐らく今度はデータベース化する段階で物品対査をしたら、そういうものが出てくるのかなという気がいたしますので、その点配慮いただきたいと思います。それから、次に、収蔵物品の資料のデータベース化の考え方、基本的にこういうことでやるということなのですけれども、現在、今の郷土館、それから図書館のスタッフでは、この作業は当然できないだろうという、私も十分認識をしております。それで、作業に長時間を要する専門知識が必要、それから有識者の御協力ということでございますけれども、問題は実施計画の策定に取り組んでいるということなので、私は31年間これらの収蔵の対査確認等は行われていなかったのではないかという気がするものですから、できれば一気に来年度あたりやっていただきたい。そのための実施計画の策定、当然、この予算措置が出てくるものですから、こういう関係で実施計画の策定の中で、どのような組み立てを今考えているのか、教育長の考えは。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
ただいまの御質問でございます。今後のデータ化含めて、実施計画を策定させていただきます。とにかく、今、中村議員おっしゃるとおり、ただ、人を入れて整理できる状況でございません。当然、有識者等含めながら、その専門知識が必要でございますので、その組み立てもどのような形で進めるべきか、今、正直検討中でございます。そういう中で、どれだけまた費用がかかるかというところを町長のほうにまたお願いをしながら、対応していかなければならない。数字的には、一人工何ぼということは単純には出せますけれども、そういう形でできませんので、もう少し精査しながら地道にそういう対応を進めていく、私のほうも22年度に向かって要求をしていきたいというふうに今思っている状況でございます。以上です。
質問 9番 中村有秀
現実に寄贈の部分と寄託の部分で5,491点あるのですね、現実の問題。そうすると、これを分類、それからカード、対査確認をとると、膨大な作業量だと思うのですけれども、基本的に、今、教育長が早い時期にということでございますけれども、町長、これらの関係で来年度実施できるような体制がとっていただけるかどうか、具体的に検討は、教育委員会等のあれはないだろうと思います。町長の見解としてお伺いいたしたいと思います。
答弁 町長 向山富夫(町長は2020年12月まで)
9番中村議員の郷土館の関係の資料の整理等についての御質問にお答えさせていただきますが、私も現場の状況がどのようになっているかということは十分承知はしておりませんが、教育委員会サイドからいろいろ情報を聞いておりますが、非常に一方的にたまり放題たまっているといったような実態だということは聞いております。それで明年度に向けまして、きちっとデータも電子化するなり、データベース化を図ることが望ましいということでは、認識をともにしておりますので、具体的にどういう作業がいいのかということはちょっと今考えを持ち合わせておりませんが、いずれにいたしましてもこれを機会にきちっと1回整理しようと。残すものは残す、整理をするものはしようということで、教育長とは、そういう情報交換をしておりますので、何とか来年具現化できるように、私も意を用いてまいりたいというふうに考えております。
質問 9番 中村有秀
町長がそういう見解という― 40 ―ことで、私も郷土をさぐる会の幹事長という立場で、もしそういうことでお手伝いができることであれば、我々のスタッフがお手伝いをさせていただいて、できるだけ多くのもの、こんなものもあるのか、こんなものもあるのかというようなこともあろうかと思いますので、そういうことで協力をさせていただくということで、なお、町も予算化について特段の配慮をいただきたいと思います。それで5番目の来館者数の関係ですが、特に郷土館は昭和53年にできたときは7,184人いて、その後、微減といいますか、減っていって、最終的には平成20年度は330人ということで、したがって開拓記念館も教育長の答弁では、平成10年からオープンしたけれども、1,082人と言いますけれども、平成10年度の教育要覧の73ページには、1,310名となっている、恐らく数字の間違いでないかなと思います。というのは、オープン時は非常に来館者が多いのですよ。ですから、そうなのかなという気がします。いずれにしても郷土館は平成20年度330名、それから開拓記念館の一番少ない数字は、平成19年の151名ということなので、いかに展示内容・展示物等も含めてやって、来館者に上富良野の歴史を振り返ってもらうと。そうすると、そのまま展示したものがずっと置いておくというようなことはすべきでないと。平成21年度の予算特別委員会の意見書は、郷土館・開拓記念館の展示物及び展示方法の充実に努められたいということで、意見書が出されております。したがって、私は、来館者のための特別展を含めて、具体的な対策は必要ではないかという気がいたします。それで例えば、教育長は、この整理が終わればやっていきたいということなのですけれども、一つは1階の収蔵庫、郷土館の地下の収蔵、第2展示室もある時期によっては、開放するというような方法をやっていったほうがいいのではないかと。我々、砂川へ行って地下収蔵庫に、すごい品物が分類されてあるということで驚いたわけです。したがって、できればそういう方法。それからもう一つは、士別の博物館は、個人のコレクションやその家庭につながる何かを、一角を展示しますよというようなコーナーがあるのですね。ですから、そういうような活用をして、また郷土館に寄っていただくというような方法。例えば、石川清一さんの割りばしのコレクションあたりは、あれにいろいろ書いてあるものもありますので、できればああいうのも一つの方法かなという気がいたしますし、それから軍事関係もいろいろ上富良野には寄贈が多くされていますので、そういうものだとかというようなことで、一つはある面で整理された後の段階だろうと思いますけれども、そういうことを参考にして進めていただきたいなという気がいたします。それから、次に、7点目の収集物品の新たな資料収集ということです。それで、僕は収蔵物品の資料データベース化と収蔵物品の整理に新たな資料収集に向けてということですけれども、これは並行してやっていくと。というのは、例えばふじや呉服店が店やめましたよというようなときに、そこに何かあるのか。例えば、富良野も松浦先生、杉原先生に聞きましたら、つかがみという薬局店があれしたときに、そこの看板だとかほかのものを行って、そこのおじいちゃん、おばあちゃんに了解を得て、言うなれば住宅だとか店舗の解体前にそういう情報を得たら、みずから足を運んで収集、もしくは寄贈のお願いに行くというようなことをしていかなければならないのではないかと。それで砂川の郷土資料室を見たら、看板がいろいろあるのですね。そうすると、今、私ちょっと気がついたのは、衛生センターの看板があるのです。裏に村上国二さんが、その時の町長ですね。ですからああいうものだとか、それから中茶屋の営林署の小屋だとか、そういうものをある面で担当する者は丹念にそういうものの目を見張らしながら、それからもう一つは、郷土をさぐる会の会員や何かにも具体的にお願いして、そういう情報を取るというような方法も一つの方法だろうし、収集の手段にもなるのではないかという気がいたしますので、その点、要望をいたしたいと思います。それから、次に2項目めの小学校の歴史を語る物品等の取り扱いです。教育長の答弁の中で、旭野小学校の校旗・校章についてはということで、地域住民や上富良野小学校に移管されてということなのだけれども、現実に私も上富良野小学校へ行って校長先生とお会いし、それからふだん見られない大事なものをおさめているというそこも見てもらったのですが、現実にはないのですね。ですから、ほかの学校もあるところ、ないところありますけれども、基本的にはやはり閉校する段階で、この物は教育委員会に置く、この物は地域の分館に置く、これは教育委員会に置くとかというようなきちんとした分類をした形のものをしていって、それが分館に置くなら分館長や何かにもちゃんと残るような形で書類をやっていかないと、だめでないかなという気がいたします。特に、校門の関係ですね、江花、里仁、日新、清富等もそれぞれ、上富良野町公立江花小学校、里仁― 41 ―も公立里仁小学校、日新も公立、この点ですね、昭和21年につくったというのですけれども、町制執行は昭和26年8月なのですね。すると、どうも後でつけたのかなという気がしますけれども、それはそれなりに歴史があれだから、いいのかなという気がいたします。ただ、建てたということで、いろいろ課長に聞きましたら、あれは教育財産だということでございますので、できればそういうものもここに入れたということをきちっと写真にとって地図の中にも入れて、できれば置いておいていただきたいなという気がいたします。上富良野小学校の3線のところにも校門があるのです。恐らくあれは戦前に建てたもので、恐らく学校の校名が尋常小学校から国民学校になって、それから上富良野小学校になったり、いろいろな経過がありますから、そういうことで削られたのかなと。ただ、学校がそこにないと、この地域はそのまま、ここにあったのだよという歴史のあかしということで必要な気がいたしますので、できればそういうことできちっと整理をしてやっていただきたいという気がいたします。それで旭野の小学校は、昭和31年4月に閉校になったのですよ。上富良野小学校には、旭野小学校の永久保存の書類がありまして、その時1年生から3年生までの38名、4年生から6年生までの39名で、77名いて、なお統合ということになったので、校長先生も私も今では全然考えられませんねというような話でございましたので、やはりこういうことで歴史を語るもの。というのは、札幌かみふらの会の発足20周年の中に、上富良野町と思い出の学舎という冊子が出て、その中に各学校の写真、新と旧ともう一つは校歌、それから学校の変遷が全部載って、いかに札幌かみふらの会の人も上富良野町との思い出を、やはり学舎として残しておきたいということで、こういう資料になったと思うのですね。ですから、何とかそういう形でやっていただきたいというような気がいたします。それから、次に、創成小学校、江花小学校の関係なのですが、創成は明治33年に簡易教習所となって、67年で1,411人の方が卒業生として送ってということです。したがって、ここも言うなれば校門もない、言うならば上富良野の学校の草分けですから、これはその当時の皆さん方関係ないけれども、教育委員会や学校関係者や地域の人の思いが、十分発揮できなかったのかという気がいたします。ただ、創成小学校の沿革を見ますと、校旗は明治44年7月、それから大正11年6月、これは住民の皆さん方が寄附で。それから、昭和13年に本校卒業生、吉田ちさと氏、結婚記念として校旗一式寄贈というようなことになっている。恐らくこれが最後の物なのかなと、こう感じはいたします。やっぱりこうやって学校の記録には残っているのだけれども、現物はないということで、できれば残念な気がいたします。それから、江花小学校も59年たって、905名の皆さん方が卒業されていている。これもやっぱり校門があるということですけれども、校旗は西小学校に移管されたということだけれども、西小学校では校舎の改築もあったけれども、どうなのかなということで、これも行方不明ということです。里仁小学校は62年たったけれども、卒業生が556名で、校旗は公民館の里仁分館に保存してありまして、私も見てまいりました。したがって、これらを見ていくと、やはりこういうものをいかに維持管理していくかということを含めて、現在、今あるものについては教育長の答弁では、管理簿を設けてということも含めてきちっと、どこにある、どこが所管ということでやっていっていただきたいなという気がいたします。それで旧里仁小学校の公印の取り扱いはどうなっていますか、学校印は。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
公印につきましては、里仁会館の建てた、建てるところの展示物のところに置くということで対応していきたいというふうに、今考えています。
質問 9番 中村有秀
里仁小学校校長の印というのは、そのままそこに置いておいていいものなのかどうなのかというのは、ちょっと僕、疑問に思っているので、例えば清富小学校の校長印は、そうしたらどういう取り扱いになったのかということ。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
その当時の校長印としての権力は、今もう廃校になりましたので、一つの一線は終えましたら、次の使う用途はないのではないかという、うちらの判断の中で、そこに展示をしていきたいということで里仁のところに置きたいというふうに考えているところでございます。
質問 9番 中村有秀
一般的に、役場の公印の取り扱いの規則を見てました。だけれども、それはそういうことで役場とは異質ですけれども、現実の問題として、そこに置くのが適切かどうかという感じするのですけれども、一応、基本的に新しくなった分館のところに置くということですか。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
里仁のそこに置くということで、今、考えてございます。以上です。
質問 9番 中村有秀
私は、公印のあれはそんな形で置いておくべきか、もしくはきちっと施錠された形で保管しておくべきだなという気がするものですから、ちょっとそういうことで申し上げました。それで、旧創成小学校の校章の額というのが、郷土館に収蔵されているのですね、昭和53年のオープンのときに。題名だけ見ますと、草分2の広川義一さんが、旧創成小学校校章の額を寄贈されているという品名があるものですから、今、教育長に言っても、すぐ「はい、ありました」ということにはならないのはあれですけれども、ちょっとやっぱりあるということで、この資料の中に載っていますので、ちょっと見ていただきたいなと思います。ただ、やっぱり学校のそれぞれ記録は、学校がなくなればなるほど校門だとか校旗だとか校章だとかそういう思いがあるのが、札幌かみふらの会の皆さん方がつくられた資料が、その思いを語っているのでないかなという気がいたします。したがって、そういう点で早い時期に現在ある校門・校章の関係等も含めて整理をして、一応、書類としてつくっていただきたいなというのがあって、それからもう一つ、東中小学校の校門があるのですね、これは僕も驚いたのです。多世代交流センターにあって、こっちに駐車場があって、その横にあるのです。これが大正15年12月10日に建立されているのです。これを同僚議員の岩崎さんに聞いたら、東中小学校が新築したときに、それを全部取ってきて、業者が廃材置き場のところに置いておいたのです。それで岩崎さんが発見して、これは大事なものだからと、岩崎さんが機材を持ってきて、今のあそこに建てたのです。裏に大正15年12月10日、これを建てるということで、ちゃんと裏に刻まれているのですね。表の額は全部取られているのです。恐らく学校の変遷があったから取ったのだろうと思いますけれども、できればあれを小学校の門に置くわけにいかないから、現在ありますから。できればどこかの一隅にでも置いておいて、歴史のあかしとしてやっていただきたいなという気がするのですけれども、その点いかがですか。
答弁 教育長 北川雅一(教育長は2012年9月まで)
今、東中小学校の校門の問題ですけれども、ちょっと現地確認させていただきながら、今のふぐあいの場所であれば、また問題でございますので、今、言われたようにどういう形になるかわかりませんけれども、今後の対応図っていきたいというふうに思います。
質問 9番 中村有秀
郷土館の管理の問題、それからそれぞれ廃校・統合になった学校の歴史を語るあかしになるいろいろなものについて、私、質問させていただきました。何とかそういう感覚で、担当職員も恐らく今のスタッフでは大変だろうと思うので、町長が先ほど申し上げていただいたので、何とか来年はそれらの予算等も含めて、それから我々も、郷土をさぐる会の会員にも働きかけて協力させていただくということで、私の一般質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。