深川市議会 令和4年第4回定例会 2022年12月8日
市役所応接室に飾られております金子鴎亭氏によるへん額、大和一致
2022年12月8日、深川市議会の一般質問で、北名照美議員が「市役所応接室に飾られております金子鴎亭氏によるへん額、大和一致」について質問し、企画総務部長 佐藤秀樹が答弁しました。
- 質問者
- 北名照美 議員
- 答弁者
- 企画総務部長 佐藤秀樹
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
質問 14番 北名照美
次の質問は、市役所応接室に飾られている金子鴎亭氏の作品、大和一致についてであります。1点目は、作品の由来や制作年について、あるいは大和一致の意味するところについてお尋ねいたします。2点目は、展示場所について、美術品としては恐らく1級品なのだろうと思いますが、文言といいますか、中身から見て、応接室にふさわしいのかどうか、お尋ねいたします。
答弁 企画総務部長 佐藤秀樹
市役所応接室に飾られております金子鴎亭氏によるへん額、大和一致についてお答えいたします。1点目の作品の由来などについてでありますが、まず、作者の金子鴎亭氏につきまして簡単に経歴等を紹介いたします。1906年、明治39年に北海道松前郡小島村、現在の松前町で生まれ、1932年、昭和7年、26歳のときに上京、現代書道の父とも呼ばれる比田井天来に師事し、書の研究に励みます。以後、各展覧会、書道展に出展し、多くの賞を受賞、1990年、平成2年には文化勲章を受章され、2001年、平成13年に95歳でお亡くなりになられました。書家として大変御活躍された金子鴎亭氏の作品、大和一致につきましては、作品の由来や内容、いつの時期に書かれた作品かといった情報が一切ない状況のため、確かなことをお答えすることはできませんが、道立函館美術館に金子鴎亭記念室が開館されていることから、金子鴎亭氏に詳しい美術館の職員に、この書についてお問合せしたところ、大和一致は恐らく昭和40年から50年頃の作品ではないか。金子氏は、この時期にかなりの枚数の書を残しており、この書の詳細は分かりかねるが、言葉については、元気が出る四字熟語のような書をたくさん残しているという返答をいただいたところであります。次に、2点目の市役所応接室に設置がふさわしいかということでございますが、何をもってふさわしいか、ふさわしくないかの判断をされるのか、質問の中で触れられておりませんが、大和一致の意味は、みんなで協力してやっていこうという市民や職員の団結を促すような前向きな言葉と捉えることができることから、応接室で飾ることがふさわしくないものとは考えておりません。
再質問 14番 北名照美
再質問です。答弁としては少し不十分な点があります。この言葉は有名なのです。昭和20年7月18日に東條内閣が総辞職し、その4日後に小磯國昭内閣がスタートする。そのときに、未曽有の国難突破のため、国民が大和一致、国難突破に立ち向かおうという言葉なのです。だとするならば、美術品としてはいいけれども、あそこに置くにはふさわしいとはどうしても思えないのだけれども、もう一回答えてください。
答弁 企画総務部長 佐藤秀樹
再質問にお答えさせていただきます。確かに議員のおっしゃるとおり、戦時中に大和一致という言葉が使われた事実があったかもしれませんが、金子氏がこの作品を残した時期は、戦後しばらく経過した昭和40年から50年ということでございます。詳細は不明ではございますが、この時期、合併して深川市として歩み始めており、現庁舎も昭和41年の竣工でございますので、先ほど答弁させていただいたとおり、みんなで協力してやっていこうということにも時代的に当てはまると思いますので、応接室へ飾ることがふさわしくないものとは考えていないものであります。
再質問 14番 北名照美
このぐらいにしておきましょう。