猿払村議会 平成31年第1回定例会 2019年3月5日
インディギルカ号遭難者の慰霊碑について
2019年3月5日、猿払村議会の一般質問で、野村雅男議員が「インディギルカ号遭難者の慰霊碑について」質問し、村長 伊藤浩一が答弁しました。
- 質問者
- 野村雅男 議員
- 答弁者
- 村長 伊藤浩一
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
件名は質問の本文をもとに当サイトで付けたものです
質問 野村雅男
6項目について質問をいたしたいと思います。3定例会ほど一般質問を休んでおりました。少し項目が多い気がしますので、少し勉強不足のところもありますけれども、それは1つご許しをいただきたいなとそういうふうに思います。1番目のインディギルカ号遭難者の慰霊碑について。これは昨年7月くらいでしたか、教育委員会のほうからご紹介をいただいた、元道新の記者、今は定年退職をされて、フリーでジャーナリストをやっていらっしゃる。そして猿払のインディギルカ号の取材に関わったと、そういう経歴をお持ちの方でございました。浜鬼のほうを1つご案内をしていただきたいということで、そういう機会がありました。いろいろとお話をさしていただきました。後日、9月16日付の日曜版の別綴りのところに私の写真も入りましたし、ただし、私とお話をしたことについては、一言も記事に載っていませんでした。それは蛇足になりますけれども、本年は、インディギルカ号の遭難、昭和14年12月の14日、数えて80年になる年だと。それをはっきりと取材に来られた方もお話をしておりました。来年はそういう80年という年にあたるんだと。村のほうではなにかそういう記念のことを考えているんだろうか。それがずっと気になっておりましたので、それをまず1つお聞きをしたいなと。第50回までのこのインディギルカ号の遭難者の慰霊祭につきましては、いろんな形でやってきたと思いますし、私も記憶しているところでございます。しかしその後は、ちょうど観光まつりの日にあたる日に魚霊祭のほうに参加された方々が終わったあとに、献花という形で、来られる方とそうでない方もいらっしゃいますけど、細々とやっているという形ではないのかなと、それでもずっといいと思いますけれども、私はこの1つの節目、このインディギルカ号の遭難があったことによって、昭和48年にインディギルカ号の遭難者の慰霊碑が全国から皆さん方の浄財を集めて作られて、それがそういう縁があったということを、今で言えば、村おこしの1つですよ。それがこのインディギルカ号とそういう縁があるということで、それが観光の1つの柱にもなってきている。そういうことを節目、節目で皆さん方に思い起こしていただくのと、これは近未来もそうですか、子供達、次の世代の方々に受け継いでいただきたい。そんな思いもあるのではないのかなと。今、現在村長さんはどのようにお考えになっているのか、お聞きしたいと思います。
答弁 村長 伊藤浩一
野村議員のご質問にお答えさせていただきたいと思います。今、野村議員のご質問の内容と重複してしまうところがありますけども、ご勘弁をいただきたいというふうに思っております。議員のおっしゃられたとおり、昭和46年にインディギルカ号遭難者の慰霊碑が建立されて以来、さるふつ観光まつりの開催に合わせて、当時のソ連から要人を招き、慰霊祭を挙行してきたところでございますが、遭難から50年を経過したことから、初期の目的を達成したものと判断し、平成14年からは、慰霊祭の執行取りやめ、現在の献花方式に遭難者を弔う形となっております。当時の政治的背景を超えた救助活動は、これは後世に語り継いでいかなければならない出来事ではございますが、人的、金銭的な負担も考慮し、節目での記念行事などは行わず、囁かではありますが、現状の献花方式を継続してまいりたいというふうに考えております。以上です。
質問 野村雅男
費用的な面もあると。50年で終わったと。終わったわけではなんですけど、ただ、今年度はそういう80年という記念、80周年という、毎年やれとかということではなくて、今後も80年、それから次は90年、100年、私達もそこまでいらっしゃるかどうか分かりません。村長さんも今日の所信の表明の中で、4年後には、猿払村も開村の100周年を迎えると。ちょっとお話ずれますけども、去年から今年にかけて、北海道150年。松浦武四郎さんの生誕200年ぐらいですか。松阪市でも北海道ももうこの北海道命名150年。松浦武四郎さんの功績がこれくらいクローズアップされた年はない。しかしながら、私、猿払村の中で、同じ北海道が主催ですから、北海道が親だとしたら私たちは地域に住んでて、子供であったり、兄弟であったり、北海道民ですから、猿払村の事業の中に北海道150年、生誕ですか、命名ですか、150年という冠でやった事業が今年度あるのかどうか。本来は、私は北海道が150年迎えたということで、北海道自身がそういう事情をやっているから、市町村がこぞってこの北海道が150年ということをお祝い記念をしながら、そういうのを、北海道民として共有するような事業がこの猿払村の中にもあってはいいんではないのかとそういうふうにも思ったりもしておりました。そういう意味で今年は予定していないんだというのであればそれはそれでいいと思いますけども、例えば、開村100年の時にインディギルカ号というのは、消えて無くならないんですよ。猿払村では。他は違いますけども、猿払村は無くならないんですよ。そういうのも含めて、今後、やろうというお考えはあるのかな。例えば、北海道命名150年ですか。このことについても村長さんの今のお考え方というのがもしあれば参考までにお聞きさせていただきたいなと思います。
答弁 村長 伊藤浩一
野村議員からこの質問をいただいてから、私もいろいろ考えながら担当と検討させていただきました。80年というのも1つの区切りということで非常に理解はいたします。その中で執行方針にも述べましたとおり、あと4年後には開村100周年という形を迎えます。100周年の式典に当たって、当然、数年前からプロジェクトチームと言いますか、いろんな形で計画をしていかなきゃならないんだろうというふうに思っております。その中で、このインディギルカ号の部分をどういう形で100周年に向けて、やっていけるのかどうか、これも含めて検討して行こうという話になっておりますので、その中でプロジェクトチーム、どういう形で今後チームを組んでいくのか、これからになりますけども、今議員おっしゃられたとおり、これは国際的な問題でありますから、本村だけの問題ではありません。その中でいろんな振興局だとか、道だとか、いろんなところに働き掛けをしながらなんとか実行に移せるような形で、進めていければいいかなというふうに今現在思っております。以上です。
質問 野村雅男
100周年に向けて、村長の中で今考えていらっしゃるというお考えを今述べられたので、それはそれで、今年度80年ですけど、次世代に残していかなければならない、お伝えをしていかなけばならないことだなとそのように感じますので、開村100年の際にそういう形で残していただけるのもそういう方法も大いにやっていただきたいなとそのように感じるところでございます。その節は猿払村の開村100周年なんですけども、いろんな形で北海道と猿払村は親子の関係というか、消えない関係でありますよ。当然、そういうときは宗谷振興局、あるいは、そういう手先を通じて、北海道という大きな地方自治体組織に親分にお手伝いをいただくわけですから、私はそれ以上答弁求めませんけど、150年というそういうものがあった場合には、猿払村の事業の中で大いに協力し合って、やっていくのが筋ではないのかな。それについては、これ以上は申しません。