八雲町議会 令和3年第2回定例会 2021年6月7日
角田弟彦のこと
2021年6月7日、八雲町議会の一般質問で、佐藤智子議員が「角田弟彦のこと」について質問し、教育長 土井寿彦、学校教育課参事 齊藤精克、町長 岩村克詔が答えました。
- 聞いた人
- 佐藤智子 議員
- 答えた人
- 教育長 土井寿彦、学校教育課参事 齊藤精克、町長 岩村克詔
議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。
議員の質問 3番 佐藤智子
二番目、角田弟彦のこと、ということで、八雲町史には八雲町の開拓の祖の歴史が詳しく語られ、登場人物、その八雲を拓いた方々の出てくる人数もかなりのものがあります。その中に歌人、角田弟彦がいます。かつては「弟彦もなか」というお菓子になって、町民に親しまれていました。現在は、あまり注目されることもないように思います。八雲町史に触れられている部分を読みますと、八雲町という名前の決定経過の記録にも携わっていたようであります。八雲町開拓にも尽力され、文化人でもある弟彦にもっと光が当てられても良いのではないでしょうか。そこで、次の3点についてお伺いいたします。一つ目、小学校の副読本「わたしたちの町八雲」の中では、どのように扱われていますか。二つ目、八雲消防団西分団格納所横に歌碑がありますが、ほとんど目立たない存在になっているのではないでしょうか。通りを歩いても目につくような工夫があっても良いのではないでしょうか。三つ目、これまでもあったかもしれませんが、住民向けに角田弟彦の功績や歌などを学ぶ機会を設けてはどうでしょうか。以上、三点お伺いいたします。
町の答え 教育長 土井寿彦(教育長は2025年3月まで)
議長、教育長。
町の答え 教育長 土井寿彦(教育長は2025年3月まで)
佐藤議員の2つ目のご質問にお答えいたします。角田弟彦は旧藩主徳川慶勝の命を受け、明治 11 年に開拓移住者の先導役として八雲の地に入植しました。開拓に貢献するとともに開墾の激務の傍ら、歌会を開いて和歌の指導を行い、移住してから大正5年に失明するまでに記した「胆振日紀」には、八雲の開拓の記録とその時々の心情が心として残されております。この「胆振日紀」には村の独立や命名についての記録も記されており、当時のことを知る貴重な資料にもなっております。八雲消防団西分団格納所横にある歌碑につきましては、道路から離れた場所にあり、文字も読み取りにくい状況にもあることから、道路沿いに角田弟彦の足跡や石碑にある歌を説明した看板を設置しているところです。また、角田弟彦の功績について、小学校3・4年生で使用している副読本「わたしたちの町八雲」では、郷土学習資料地図の中に役場や主要施設とともに、角田弟彦の歌碑の写真と、当時の開拓の厳しさを詠んだその歌の解説もあわせて掲載し、自分たちの住む地域の学習に活用されているところでございます。住民向けの学ぶ機会としては、公民館講座において開拓の歴史の中で「胆振日紀」を取り上げて、歌碑を見学したり、古文書講座において、角田弟彦一家の徳川開墾地への入植や生活の様子を学んだりするなど、八雲町の歴史をひも解く手掛かりとして、角田弟彦の功績や歌などを題材としてきたところであります。教育委員会としては、現在石碑を含む文化財のデータベース化に取り組んでおり、町民の皆さんに八雲のことを知り、さらに興味・関心を持っていただくとともに、学校教育においてもより有効に活用できるよう、これらの取りまとめとその発信について検討してまいりたいと考えております。
議員の質問 3番 佐藤智子
議長、佐藤。
議員の質問 3番 佐藤智子
「わたしたちの町八雲」というのも資料地図と説明した文書で2冊あるんですね。図書館で貸していただきました。自分たちの子どもが小さいときには、こんな小さな教科書と同じサイズだったんですけれども、今こんなに大きくなって立派になったなと思っていますけれども、赤井議員からも子どもたちのほうが角田弟彦のこと知ってるよとお話しを聞きしました。オリエンテーリングの時にそこに行って、説明を受けたり、スタンプラリーみたいなことをして、そこに立ち寄っているというお話を聞いていましたけれども、遠足とか授業、この国語の中でそういうので触れられることはございますでしょうか。
町の答え 学校教育課参事 齊藤精克(学校教育課参事は2021年6月まで)
議長、学校教育課参事。
町の答え 学校教育課参事 齊藤精克(学校教育課参事は2021年6月まで)
今の議員のご質問なんですけれども、主に取り上げられるのは社会科の中でということになっております。遠足等でそちらのほうに通ることもありますが、現在のところなかなか歌碑が設置してある場所が、子どもたちが一堂に会するにはなかなか厳しい場所でもありますので、機会を捉えて行くことはありますけれども、毎年行っているということではありません。
議員の質問 3番 佐藤智子
議長、佐藤。
議員の質問 3番 佐藤智子
「わたしたちの町八雲」も、もちろん社会科の中でやると思いますけれども、こういう歌碑があるんだよとお話をされると思うんですけれども、その歴史的なことや人物についても、より深く触れる機会を持っていただければと思います。二つ目なんですけれども、八雲消防の西分団格納所の横、結構広い敷地をとっているんですよね。それで中にもその歌碑にも近づけるということで、行ってみたんですけれども、昭和 34 年くらいに建てられたもので、ほとんど文字が読めないんですが、祖先が建てたものですから、それに手を入れるということは、できないことなんだろうなと思うんですけれども、あの歌をもうちょっと大きな文字で、角田弟彦の歌だとわかるような工夫はできないものでしょうか。
町の答え 町長 岩村克詔(町長は2025年9月まで)
議長、町長。
町の答え 町長 岩村克詔(町長は2025年9月まで)
この西分団所の件でありますので、私のほうから答弁させていただきます。この西分団の土地の所有者がですね、相続がありましていろいろ複雑化していると。大変今、苦慮しています。今、役場庁舎ですね、公民館の移転等々も考えていますので、そのときにはしっかりと考えていくように今、構想を練っていますので、どうか場所にはもう、あそこを改良するというのは難しいということで考えていただいて、いずれ今、公民館を移転さらに資料館等々のことも考えていますので、その中でしっかりと弟彦の●●もやっていきたいと考えておりますので、よろしくお願いします。
議員の質問 3番 佐藤智子
議長、佐藤。
議員の質問 3番 佐藤智子
そういう土地問題も絡んでいるとは存じ上げませんでした。ちょっと広い敷地にポツンとあって寂しいという、道路沿いにはもちろん詳しく説明が書かれた立派な看板というか説明書きが設置されているんですけれども、徳川公園から公民館のほうに碑とかを移したという経緯もありますから、そういうことも考えられるのかなと思います。また、多分あれには一番、弟彦の歌で有名なんだと思うんですけれども、「かや刈ると 谷地にいりたち けふもまた わが手な末は 血に染まりつつ」と、開拓のときに屋根に使うかやを刈るのに、そうやってかやを刈っていると手が血だらけになってしまったよという歌だそうですけれども、その碑を移すなり目立たせるなりするときに、是非、そういう歌だよと大きな字でわかるようにしていただければと思います。鶴田知也などは、かなり認知度が上がって、今、どこに公園があるとかって知っている人のほうが多いと思うんですけれども、角田弟彦の碑はあんなに広い敷地にあるのに、すみません、どこにあるかというのをわからないでいた私に少し問題があるんですけれども、そういうふうに八雲、明治 11 年に入った方があぁいう足跡を残していたということが、もうちょっとわかるように、光を当ててもらえるようにと考えていただければと思っております。③に関しては既に行っているということですけれども、今後もしあったら私も参加したいと思いますし、よりPRをしていっていただければと思います。