みんなの議会

知内町議会 平成24年第3回定例会 2012年9月25日

防災教育のあり方について

聞いた人
山田顯 議員
答えた人
教育長 田中健一

議事録から機械で取り出したものです。正しくは会議録でお確かめください。

議員の質問 3番 山田顯

『防災教育のあり方について』教育長、お願いします。東日本大震災で大津波に襲われたにもかかわらず、岩手県釜石市では、小中学生の99.8%が自らの命を守りきったことが「釜石の奇跡」として、国内外で注目を集め、語り継がれております。我が町においても、この「釜石の奇跡」を知内町防災教育の最重点課題として、将来的に継続して取り組むべきと思いますが、教育長の考えをお伺いします。

町の答え 教育長 田中健一(教育長は2016年3月まで)

ご指摘の防災教育なんですけれども、お答えする前に今回の3.11の大災害で、改めて今までの避難訓練と防災の教育では、子どもたちのやっぱり生命というのは守っていけないということが大きな課題としてありましたので、そのことを教訓としながら、教育委員会として、3月、震災以降の教育の対応のことをさせていただきました。今回のこの3.11の被害状況をみますと、人的な被害で0歳から20歳までの方々で、お亡くなりになった方が6.5パーセント、それから、20歳から60歳までで28パーセント、それから、60歳以上では、63.4パーセントという数字が出ています。全体の亡くなられた方々の割合の中で、0歳から20歳までが極めて少ないということは、基本的には、学校での管理下における災害が極めて少なく防げたということが、ひとつ物語っています。ただ、新聞、それから、報道でもあったように、宮城県の大川小学校で、確か108名中74名の児童が亡くなっている。先生方13名中10名が亡くなったと報告されています。ここの教訓は、1つはですね、この学校は、海岸から4キロ離れていて、高さが1mの低地なんですけれども、そこに2階建ての校舎を作っていたんですが、防災的な意識が極めて薄かったという指摘がなされています。というのは、2階建て校舎から屋上に抜ける通路がなかったこと、それから、地域の津波と地震等々の避難所に充てられていたこと、よって、地域の方々もそこが避難場所になっているものですから、防災意識がかなり薄かったんではないだろうか。もう1つは、地域のハザードマップの中でも、安全なところとして指定されていたこと。これらを考えていきまして、知内町の防災計画の方を考えていきました。具体的には、釜石の今、ご指摘にあったように、奇跡というのは、99.8パーセントの子どもたちが命を助かったということなんですけれども、その根底には、下校していたにもかかわらず、多くの子どもたちが自分で判断して、高台に逃げた。というのは、具体的にいいますと、毎度、お母さん方とお話合いをして、何かがあった場合には、お母さんはお母さんで逃げると。あなたはあなたで高台に逃げなさいと。この後ろ側にはですね、群馬大学の片田教授の教えがありまして、想定に縛られず、自分の命は自分で守るという教えがあったので、この99.8パーセントという数字が出てきたと思うんです。そこで、知内町の防災計画を立てるにあたりまして、現状からまず、お話を致します。23年の3月の11日の災害のあと、海岸から標高も高くありませんし、海岸から遠くもありませんし、川の側に学校があるものですから、当面、避難する場所として、どうするかということで、基本的には、地震の揺れと津波とが一緒に来るものですから、まず、地震から身を守って、それから、そのあとに避難をして、津波から身を守るという時間の方の想定も一緒になってくるわけです。想定の中身でですね、まず、函館平野、一番近いところの函館平野の断層で地震があった場合には、震度5強から震度6弱の揺れが来る。しかし、ここでは、内陸の地震ですので、大きな津波の発生は恐らくないだろうと。だから、津波のことを考えていきますと、予想される津波については、三陸沖北部の地震。ここまで、津波が来るのに45分。500年感覚で、大きい地震、釧路沖なんですけれども、津波が到達までに、およそ70分。もっとも近いのが、青森西方沖で地震があった場合に、最短で30分の津波到達時間があります。そうしますと、子どもたちが学校から、管理下とします。学校にいるときに、避難する場合、地震プラス津波ということで考えていきますと、この青森西方沖の30分以内で地震から身を守って、津波から身を守るという動作を取らなければならないわけです。そのためにはですね、およそこの30分以内で、どの程度の距離まで移動できるかということで想定しました。お年寄りの歩行速度を幼児にあてはめまして、1秒間に50センチの歩幅で、津波の到達時間、先ほどの30分ありますから、30分マイナス5分、25分で計算していきますと、およそ750m程度になるんですが、先ほどお話しましたように、地震から身を守る時間と、そこからまた学校から出て行く時間がありますから、およそ歩ける時間はおよそ15分程しかないだろうと思うんです。そうしますと、450mという範囲の中での歩行距離しか考えられません。具体的には、その450mをどうするかということなんですが、町立学校の防災対策基本マニュアルというのを今年の7月に、5月・6月・7月と3カ月をかけて、教育委員会会議等、学校長、教頭会等々のご意見、学校の意見を入れて、机に上げました。7月の段階で、それができているんですが、これらのことに則りながら、避難経路の方、想定してあります。あわせて、今、議員からご指摘のあったように、防災教育なんですけれども、身を守るということは、これで何とかなると思うんですが、将来的に防災に対する自分の身構え、それから、もう1つは、管理下における避難は可能なんですけれども、最も大事な登下校時の避難についてどうするか、ここのところが次の課題になります。マニュアルの中には、例えば、登校時において、大きな揺れ等があった場合には、近くの家に飛び込めと。現時点ではこのような指示で内容を構成しているんですけれども、しかし、これがまた町の避難所等がこれから設定してくる中で、避難所等を指定して、学校か避難所か、どちらか近い方に走れというふうに、また、中身の方を変えていきたいなと思っています。そのように考えていきますと、在校時の訓練は、昨年から何度か行いまして、海に一番近い知内高等学校の生徒さんが、元町公園、旧知内小学校跡地、または、墓地公園まで逃げるのに、およそ15分で、走ってですけれども、逃げて行けるという実績がありますし、今年、中学校も同じコースを通って避難をして、およそ同じ15・6分。ただ、この場合ですね、新知内橋を通ったものですから、歩道が非常に狭くて、橋梁が低いということで、それではまずいので、ここの前を通りましょうということで訂正しました。避難をしながら、避難訓練を行いながら、改善点をまた見いだしていきたいと思うんです。ただ、下校時と登校時の避難訓練については、実施していませんので、早急にこの態勢も整えて行っていきたいなと思っています。これが一番、今の大きな課題になります。合わせて、防災教育に関しましては、危険予測や回避能力をどうつけるかということで、学校の方に今、指示を出しているのは、総合的な学習の時間に、例えば、元町方面の知内小学校から元町方面に帰る子たちが、実際に歩きながら、どこがどう危険で、こういう地震が来た場合、何が一番危ないかを自分たちで見いだしていきながら、それぞれのマップの中に入れていくという作業を学習活動に入れてみてくれないかと。これを今年度、それぞれの学校で取り組んでもらいながら、少しその精度を上げて、これから形作っていきたいなと思っています。合わせて、特に中高生では、災害発生直後から、災害弱者に対する支援者としての役割がありますので、その意味では、ボランティア活動の意義や方法、将来、安全な社会づくりに参加していく態度も同時に中高生は育てていかなくてはいけないだろうと。これは、合わせて、今後の大きな課題として、取り組んでいきたいと思います。議員さん、ご指摘にあったように「釜石の奇跡」、そっくりそのままを持ってくるには、1年・2年ではなかなかできないかもしれませんが、しかし、知内町の地理的な条件における危険度をきちんと周知し、捉える中で、自分で判断して、自分で避難して、自分の命は守るという、子どもたちを育てていくことは、将来にわたって、その子たちが親になっていくものですから、安全なまちづくり、または、どこの場所に引っ越しても、自分の身は守っていけるという子どもたちにしていきたいなと思っていますので、どうぞ、ご理解をしていただければありがたいなと思っています。

議員の質問 3番 山田顯

とにかくですね、今回の釜石、3.11は、2万人以上の死者、行方不明者を出して、しかし、釜石市立の14の小中学校全校が、学校管理下になかった5人を除く、児童生徒3千人が全員無事だったと、こういうことなんです。大きな転機となったのは、2004年のスマトラ沖地震で、何もかも破壊し尽くし、自然の猛威だけが、日本でも過去に、この破壊尽くした自然の猛威ですね、それと日本でも過去に津波が何度もあったが、特に明治29年東北太平洋沿岸を襲った明治三陸沖津波では、釜石人口が6,500人あった内の4,000人の命が奪われたというんですね。それにもかかわらず、三陸沿岸を歩いていたら、非常に無防備で、避難勧告が出されても、住民が逃げようともしない。ちょうどそのころにですね、マグニチュード6くらいの地震があったらしいんです。これを機会に防災講習会を開いた。ところが、それを開いたのは、先生が今、話をした群馬大学の教授、片田先生ですね。ところが、防災講演会を開いてもですね、集まってくるのは、特定の人だけで、その集まってこない陰の人たちにどう伝えようかということで、今度、防災講習会を今度は、父兄でなしにですね、学校で子どもたちに教育をしようと、これは当時の釜石市役所の職員にも宣言してですね、学校の方から10年一区切りで頑張ろうと。子どもたちに10年間、先ほども議会で、ちょっと防災のときに話をしましたけれども、10年教育をしたら、その子どもたちは大人になる。その更にまた10年教育したら、子どもさんの親になる。それが20年やったらですね、防災意識が地域の文化となって、根付いて、そういう土壌ができる。そういう方針で、この防災訓練をするわけです。ところが、今回、8年目で3.11の災害にぶつかった。そのときにもう一つですね、釜石の子供らを守ったのは、想定に囚われるな、それから、最善を尽くせ、逃げるために、自分が30m・40mの山の上に登りなさい、そして、率先して、この津波三原則というのがあるらしいんです。これを守ったということが、「釜石の奇跡」につながったと。だから、私は、父兄よりもやっぱり学校教育を通じてですね、避難教育を今、「釜石の奇跡」というのは、これを見習うべきだというのは、このことを言っているんです。もう一度。

町の答え 教育長 田中健一(教育長は2016年3月まで)

ご指摘のとおりだと思います。人はやっぱり大人になりますと、都合の悪いことをなるべく考えないようにする。今のこの災害で言うと、きっとここまでは津波は来ないんじゃないかな、または、ここでは大丈夫でないかな、結局それが最初にお話ししましたように被害に遭った方々が、高齢者の方々が多かったのは、その辺にも大きな理由があるのかなと思っています。答えはそこではなくて、10年一区切りとして、想定に囚われないで、最善を尽くすということは、ここで大丈夫だというところよりももっと逃げれということなんですね。それと、自分が率先たる避難者であるということは、津波だ、逃げろと叫びながら走れということだと思うんですけれども、そのことによって、多くの町の人たちがその後ろについて避難できたという、この教訓がそこに生かされているわけです。子どもたちの防災教育というのは、今、お話されていたように、都合の悪いことは起こらない、それから、自分の前には来ないと取り払うことがまず、第一だと思うので、いつでも、この心構えや用意というのはしておくためには、普段の学習と自分の想定の中での訓練とそして、改めて家庭の中での話合いに大きな力がきっとあるのではないかと思うので、これから、我々だけの力でいけるものではありませんし、学校とご家庭と地域と、特に見守り隊の皆さんも朝に立っていらっしゃいますし、これらの皆様方とも協力をしながら、避難訓練を実施してみるとか、それから、実際に反省点を洗い出してみるとか、そういうのを少しずつ、積み重ねながら、地域全体の防災態勢というのを整えていく、その中心にもなっていきたいなと思っています。合わせて、学校の方では、先ほどお話しましたように、学習活動の中で、この防災教育を取り入れていきますし、ちょうど国の方でも、文部科学省の方でも、それぞれ学校の安全教育について、防災教育をもっと力を入れて、きちんと整えなさいという内容が示されていますので、これから、大きな課題の一つとして、また、実効性のあるものとして、結びつけていきたいなと思っています。以上です。

議員の質問 3番 山田顯

とにかくですね、やはりこの防災教育を通してですね、是非、子どもたちを守るような、そういう教育をですね、してもらいたい。何点かまだありますけれども、時間が時間なので、これで止めますけれども、一つ、是非、学校教育を通してですね、この災害問題をしっかり指導してやっていただきますよう、ただ、指導だけではだめです。訓練です。とにかく、山に登る、自分自身が命を守る、そして、想定外とか、そんなことを関係なしにですね、何でもいいから高台に登ると、こういうこと教育してやってほしいなと。以上で終わります。

出典:知内町議会 平成24年第3回定例会 2012年9月25日 議事録 PDF(86ページ) 間違いを知らせる